はじめに―フィールドから届く声

“Namibian teachers’ practices in a multilingual context”(Norro, 2024)は、フィンランドのトゥルク大学に所属するSoili Norroが、アフリカ南部の国ナミビアの公立小学校で行った民族誌的研究をまとめた論文です。掲載誌はInternational Journal of Multilingualism(第21巻第1号、360–378頁)で、2022年4月にオンライン公開されました。

Norroがカメラを持ち込もうとしたところ、保護者からの同意書が期限までに集まらなかったという場面を読んだとき、思わず笑ってしまいました。研究者なら誰でも経験する、あの「現場あるある」です。フィールドワークはいつも計画通りには進まない。でも、その不完全さの中にこそ、リアルな教室の姿が宿っています。本稿では、この論文の内容を丁寧に解説しながら、その学術的意義と限界を論じ、日本の英語教育への示唆を引き出していきます。

ナミビアという舞台―多言語国家の英語教育政策

まずナミビアという国の状況を整理しておきましょう。ナミビアは人口約260万人の国で、約30の言語が話されています。1990年の独立以来、英語が唯一の公用語とされてきましたが、英語を母語とする国民はわずか3.4%にすぎません。小学校低学年(0〜3年生)では14の学校言語を授業言語として使うことが認められていますが、4年生以降は英語のみが授業言語となります。

この政策の矛盾は深刻です。子どもたちの大多数にとって英語は外国語も同然なのに、10歳になった瞬間から英語だけで算数も理科も社会も学ばなければならない。まるで、ある日突然すべての授業が日本語から英語に切り替わるようなものです。それでも多くの保護者が英語教育を望むのは、英語こそが社会的上昇の鍵だという信念があるからです。これは植民地主義の遺産として、アフリカ各地に共通して見られる現象です。

Norroはこうした背景のもとで、教師たちが実際の教室でどのような言語実践を行っているかを探ろうとしました。研究が行われたのはナミビアの首都ウィントフックが属するホマス地域で、2020年度の年度初めにあたる時期です。

研究の設計とデータ―民族誌的アプローチの強みと制約

本研究の方法論的特徴は、単一のデータに頼らず複数の手法を組み合わせた点にあります。個別インタビュー4件、フォーカスグループ討議2件、質問紙調査(37名回答)、そして49コマの授業観察(うち分析対象は30コマ)という多角的な設計です。自己報告と観察の両方を使うことで、教師が「言っていること」と「やっていること」のズレを可視化しようとした点は方法論的に正直であり、誠実です。

分析枠組みとしては、linguistically responsive teaching(言語的応答性のある教授法)と多言語教育、さらにtranslanguaging pedagogy(超言語的教育法)が採用されています。Translanguagingという概念は、多言語話者が自分の言語レパートリー全体を一つの統合されたシステムとして流動的に使用する実践を指します。「言語を切り替える」という従来のコードスイッチングより広い概念で、Ofelia Garcíaらの研究によって多言語教育の核心的理論として発展してきました。

ただし研究の限界も正直に述べられています。COVID-19のロックダウンで当初計画していた8校でのデータ収集が2校に縮小されたこと、ビデオ録画ができなかったこと、データ量が全体的に限られていることです。これらの制約を隠さずに記述する誠実さは評価できますが、それゆえ知見の一般化には慎重でなければなりません。

Translanguagingの理論的背景―なぜ「混ぜる」ことが重要なのか

日本の読者には馴染みの薄いtranslanguagingという概念を少し丁寧に説明しておく必要があります。従来の外国語教育では「教室では目標言語だけを使うべきだ」という考え方が主流でした。英語の授業中に日本語を使うと英語の上達が妨げられるという「時間接触仮説」がその背景にあります。

しかしCumminsらの研究は、目標言語に費やす時間とその習得のあいだには関係がないか、むしろ逆の関係があることを示してきました。むしろ学習者の母語の強固なリテラシーがL2習得の土台になるという「相互依存仮説」のほうが実証的に支持されています。Translanguagingはこの延長線上にある概念であり、学習者の持つ言語資源すべてを教育的に活用しようとする考え方です。

Norroはこの概念について、GarcíaらのUnitary Translanguaging Theory(統一的超言語理論)とCumminsのCrosslinguistic Translanguaging Theory(通言語的超言語理論)を丁寧に区別しています。前者は「別々の名前のついた言語」という概念自体を否定し、後者は認知的・言語的システムにおける言語の実在性を認めたうえでの流動的使用を重視します。本研究では後者の立場が採用されており、コードスイッチングや翻訳もtranslanguagingの一形態として分析対象に含まれています。この理論的選択は実践的にも妥当で、教室観察との整合性が高いと言えます。

自己報告データの分析―教師たちが語ること

教師たちが自分の実践について語った内容は、いくつかの興味深いパターンを示しています。質問紙では英語以外の言語を授業に使う「教育的言語選択」について聞いたところ、新しいトピックを母語で導入すると答えた教師はほとんどおらず、母語で核心的な語彙を説明すると回答した教師も3割に満たない状況でした。グループワークで母語の使用を許可すると答えたのは4%にとどまっています。

一方でインタビューでは、教師たちは実際には家庭語(home language)を教室内外で頻繁に使っていると語っています。この矛盾は何を意味するのでしょうか。Norroは、公式の言語教育政策(4年生以降は英語のみ)に対する意識が自己報告に影響を与えている可能性を指摘しています。つまり、母語を使うことは「やってはいけないこと」という認識があるために、実際にやっていても「やっていない」と報告してしまうわけです。

もう一つ印象的なのが、ピア翻訳(peer translation)の使用です。クラスに英語が全くわからない新入生が来たとき、同じ家庭語を持つ別の生徒に「メンター」として翻訳させるという実践が複数の教師から報告されています。インタビューの中で一人の教師が、村から来たばかりで英語が全くできなかった生徒が、ピア翻訳を通じて年度末には自信を持って発言できるようになったと語る場面があります。教室の中で自然発生的に生まれた支援のしくみが、実は強力な教育的意味を持っていたということです。

観察データとの乖離―「知っていること」と「やっていること」のギャップ

本研究の最も重要な知見の一つは、自己報告と観察データのあいだに明確なズレがあるという点です。教師たちがベストプラクティスとして挙げた「学習者中心の授業」や「グループワーク」は、実際の授業ではほとんど観察されませんでした。代わりに観察されたのは、教師中心の一斉指導と繰り返し練習(repetition)が中心の授業でした。

英語以外の言語の教育的使用はわずか4事例しか観察されませんでした。うち2例はアフリカーンス語の第二言語授業で、英語とアフリカーンス語を並行使用したもの。1例は理科の授業で教師と生徒が共通の家庭語で立ち話をしたもの。そして最後の1例が特に印象的で、教師が生徒に「母語で答えていいよ」と促したところ、その生徒は拒否して英語で答えたというものです。教師はインタビューで「あの時は本当に困惑した」と振り返り、生徒が英語を話せないと思われることを恐れていたのではないかと分析しています。

これはtranslanguagingの限界を示す重要な観察です。Jaspersが論じるように、translanguagingはその文脈における言語イデオロギーや態度を考慮せずに実装することはできません。生徒自身が英語の使用に自己価値を見出している状況では、母語の使用を促すことが逆効果になることもある。これはGreek CyprusでトルコのアイデンティティをめぐってChalambouis, Charalambous & Zembylas(2016)が報告した事例とも重なります。

一方で一貫して広く使われていたのが視覚的サポート―ポスター、フラッシュカード、図、黒板への書き込みなど―です。ほぼすべての教師が頻繁に使用すると報告し、観察でも多数確認されました。これはナミビアのナショナルカリキュラムが視覚的に豊かな学習環境を作るよう教師に求めている点とも一致しています。テキスト面でのサポートはほとんど観察されなかったことと対照的です。

モノグロシア的イデオロギーという壁

Norroが繰り返し指摘するのが、monoglossic ideology(単言語主義イデオロギー)の根強さです。Garcíaらの言葉を借りれば、多言語の教室でありながら言語を「単言語的に」使う、つまり英語の時間は英語だけ、という規範が教師にも生徒にも内面化されている状態です。

英語以外の言語を受け入れないという発言がインタビュー中9回、自由記述に2回登場しています。理由は大きく二つで、一つは「生徒の家庭語を自分が知らないから」、もう一つは「特定の言語を使うと、その言語を話さない生徒を差別することになる」というものです。

後者の論理は一見合理的に聞こえますが、実は単言語政策を正当化するための論理的防衛機制とも読めます。25の言語が飛び交う教室でどれか一つの言語を使えば差別になるという考えは、確かに現実的な困難を反映していますが、それは「ではすべての言語を等しく価値あるものとして認める」という方向ではなく、「英語だけを使う」という方向の解決策に向かっています。植民地主義的な言語ヒエラルキーがいかに教師の実践に影響を与えているかを示す興味深い事例です。

理論的枠組みの適切さ―LRTとtranslanguagingの組み合わせ

本論文のもう一つの特徴は、Walquiによるlinguistically responsive teaching(LRT)の理論枠組みと、Vygotskiの最近接発達領域(ZPD)概念を組み合わせて分析軸を構築している点です。Walquiはビジョン・知識・動機・省察・実践という教師の成長の五要素を提唱しており、本研究は特に「実践」の次元に焦点を当てています。

「知識を持ちながら実践に移せない教師」というWalquiの観察は、本研究の観察データと見事に合致しています。教師たちは多言語教育の価値を頭では理解していても、それを計画的な教育的戦略として実装する準備ができていない。これは知識と実践のギャップという、教員研修全体に通底する普遍的な問題でもあります。

ただし本論文の分析枠組みには一点、検討の余地があります。CLILやELL教育のための足場づくり(scaffolding)の類型を参考にしながら、translanguagingの枠組みとを並行して使用していますが、両者は言語観において根本的に異なります。CLILでは言語は分離されたものとして扱われますが、translanguagingは(少なくともGarcíaらの理論では)そもそも言語の分離を認めません。Norroはこの緊張をある程度意識して述べているものの、分析の過程でこの違いが方法論的にどう処理されたかがやや不明瞭です。より明示的な議論があると論文としての整合性が高まったでしょう。

関連研究との対話―アフリカ英語教育研究の文脈

本研究はアフリカの多言語教育研究の蓄積を丁寧に参照しています。ナミビアに直接関係する先行研究としては、ウィントフック・インターナショナルスクールでの動態的多言語実践を論じたMensah(2015)と、カバンゴ地域でのプレビュー・ビュー・レビュー戦略を論じたVan Der Walt(2015)が挙げられています。本研究は主流の公立校の教師に焦点を当てることでこれらを補完しており、先行研究との差別化が明確です。

また南アフリカのCharamba(2019)、Guzula et al.(2016)、Makalela(2015, 2016)らのtranslanguaging研究とも対話しています。特にMakalelaの「Ubuntu translanguaging」―相互依存性と言語の境界の溶融という概念―はアフリカ的文脈からのtranslanguaging再定義として重要ですが、本論文ではこの概念を参照するにとどまり、分析への組み込みは限定的です。Norroがフィンランドの研究者であるという背景が、アフリカ内部の理論的資源の活用において制約になっている可能性も否定できません。

ウガンダの教室を研究したAltinyelken(2010)との比較も示唆的です。ウガンダでも視覚教材の多用とピア翻訳の使用が観察されており、サハラ以南のアフリカに共通するパターンが浮かび上がります。単一の国の事例研究でありながら、アフリカ広域に通じる知見を含んでいる点は本研究の強みです。

日本の英語教育への示唆―海を越えた共鳴

「でも、それはアフリカの話でしょう?」そう思った方もいるかもしれません。しかし少し立ち止まって考えてみると、日本の英語教育との接点は思いのほか多いことに気づきます。

第一に、「教室では英語だけ」という規範の問題があります。日本の英語教育でも、特に高校・大学レベルで「英語で英語を教える」政策が推進されてきました。しかしナミビアの事例が示すように、母語の排除が必ずしも英語習得を促進するわけではありません。むしろ日本語の強固な言語能力を足場にして英語を構造的に理解させるアプローチは、Cumminsの相互依存仮説からも支持されます。日本語が「邪魔者」ではなく「資源」であるという認識の転換が必要なのです。

第二に、「知っているがやっていない」という実践のギャップは、日本の教師にも強く共鳴する問題です。学習者中心の授業がよいとわかっていても、入試や評価のプレッシャーの中で一斉指導と反復練習に戻ってしまう。これはナミビアの教師が経験しているジレンマとほぼ同じ構造を持っています。

第三に、外国にルーツを持つ子どもたちへの対応という観点からも本研究は示唆を与えます。日本の教室も年々多言語化が進んでいます。ポルトガル語や中国語を母語とする生徒が増える中、Norroの言う「ピア翻訳」や「言語メンター」の実践は、すぐにでも応用可能な具体的な手法です。ただしその際も、本研究が示すように、生徒が「自分の言語を使うことで能力が低く見られる」と恐れる心理的障壁への配慮が必要です。

第四に、教員研修への示唆があります。Norroは結論として、事前教育と現職教育の両方にtranslanguaging pedagogy(超言語的教育法)を組み込む必要性を訴えています。日本でも多言語対応の教員研修はまだ十分ではありません。「ことばの教育」を英語科だけの問題とせず、全教科・全校的な取り組みとして位置づける視点が求められます。

学術的な独自考察―「自発的実践」の教育的意味

本論文の最も刺激的な指摘の一つは、「自発的なtranslanguaging実践が、計画された教育的戦略の種になりうる」という点です。教師たちは今、意識せずに使っているコードスイッチングやピア翻訳を、明示的な教育的文脈に位置づけることで、より効果的な多言語教育が実現できるとNorroは論じます。

これは重要な視点です。「ゼロから多言語教育を設計する」のではなく、「すでにある実践を意識化し、強化する」というアプローチは、実装のハードルが格段に低くなります。日本の英語教育においても、教師がすでに行っている「日英対比による文法説明」や「日本語での概念整理」を、恥ずべき妥協ではなく、正当な教育的戦略として再評価することから始められるはずです。

また本論文はtranslanguagingの限界についても正直です。一人の生徒が「母語で答えてよい」という教師の申し出を拒否した事例は、言語使用が単なる教育的選択ではなく、アイデンティティや社会的地位と深く結びついていることを示しています。多言語教育の理念を掲げながら、それが学習者の現実の心理と衝突する局面をどう乗り越えるかは、理論ではなく実践の問題です。この点についての分析はやや薄く、今後の研究に委ねられている部分があります。

さらに付言すれば、本研究の観察対象が主に4年生のクラスであることは興味深い設定です。ちょうど英語のみの授業言語政策が始まる学年であり、教師も生徒もその移行の衝撃を最も強く受けている時期です。この「境界の学年」における実践を記録することで、政策転換の現場での現実が可視化されました。

おわりに―不完全な研究が持つ価値

本論文には限界があります。2校、37名という限られたデータ、ビデオ録画なしの観察、COVID-19による計画変更。それでもNorroはこの研究を世に出す価値があると判断し、制約を隠さず記述しました。その誠実さは、完璧なデータを待ち続けて沈黙するより、不完全でも現場から声を届けることのほうが価値あることを示しています。

多言語状況下でどう教えるかという問題は、ナミビアだけの問題ではありません。グローバル化と移民の増加により、世界中の教室が急速に多言語化しています。日本の英語教育もその例外ではありません。本論文が示すのは、理想の多言語教育と現実の教室実践のあいだには深い溝があるという事実、そしてその溝を埋めるためには政策だけでなく、教師が自らの実践を省察し、意識化し、意図的に設計し直す力を身につけることが不可欠だという認識です。

「英語を教えながら子どもたちのことばを大切にすること」―それは技術の問題である前に、ことばと人間の関係についての哲学の問題です。Norroの研究はその哲学的問いを、アフリカの埃っぽい教室から私たちの目の前に届けてくれます。


Norro, S. (2024). Namibian teachers’ practices in a multilingual context. International Journal of Multilingualism, 21(1), 360–378. https://doi.org/10.1080/14790718.2022.2065280

 

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By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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