はじめに―「なんとなく読む」授業からの脱却
英語の授業で、テキストを段落ごとに訳させて終わり、という経験をお持ちの方は少なくないでしょう。生徒は単語を調べ、文法を確認し、日本語に置き換える。それで「読んだ」ことになる。でも、本当に読んだのでしょうか。テキスト全体が何を言おうとしているのか、段落と段落の論理的なつながりはどうなっているのか、筆者はなぜこの順序で議論を展開したのか―そういった問いに向き合うことなく授業が終わってしまうことは、実は今も珍しくありません。
この問題意識を真正面から取り上げた論文があります。中国・南寧師範大学のJingkun YanとJingling Jiangが執筆し、International Journal of Educational Developmentの2025年9月号(第1巻第2号)に掲載された”Discourse Analysis and High School English Reading Teaching”です。タイトルは実直そのもので、内容も飾り気がありません。しかしだからこそ、現場に寄り添った誠実さが伝わってきます。日本の英語教育関係者にとっても、読んで損のない論文です。
論文の全体像―何を、どのように論じているか
この論文の目的は明快です。ディスコース分析(談話分析)を高校の英語読解授業に取り入れることで、生徒の読解力と批判的思考力を向上させることができるか、理論的・実践的に検討するというものです。
構成は、コア概念の定義から始まり、先行研究のレビュー、理論的基盤の整理、そして教授法的戦略の提案という順序で展開されます。論文全体のボリュームは小さく、実証データも含まれていません。いわゆるレビュー論文と教育実践提案を組み合わせた性質の論文です。著者らは「理論から実践へ」という橋渡しを意識しており、現場の教師が読めばすぐに何かを試してみたくなるような書きぶりを目指しています。その姿勢は評価できます。
筆者のJingkun Yanは南寧師範大学に所属する研究者で、英語教育と言語学の接点を研究フィールドとしています。本論文はJingling Jiangとの共同執筆ですが、いずれも中国の高校英語教育という文脈に精通しており、2020年版の「普通高中英語課程標準」という中国の学習指導要領にも言及しながら論を展開しています。この背景を知っておくことは、論文の射程を理解するうえで重要です。
「ディスコース」とは何か―定義をめぐる整理
論文は最初に、「ディスコース(discourse)」という概念の定義から丁寧に始めます。これは地味なようで、実はとても重要な手続きです。なぜなら、この概念は研究者によってかなり幅のある使い方をされているからです。
Halliday と Hasan はCohesion in Englishの中で、ディスコースを「意味の単位」として定義しました。一文でも成立しうるとされています。一方、Cook(1989)は『Discourse』で「意味があり、統一されており、目的をもった言語の広がり」と定義しています。さらに、ディスコースは単なる文の集合体ではなく、意味・構造・目的によって結びついた統一的な言語の全体だという見方が、現代的な理解の主流となっています。
ここで著者らが強調するのは、「でたらめに並んだ文の集合はディスコースではない」という点です。意味のある文脈を形成するものだけがディスコースと呼べる。当たり前のように聞こえますが、これが授業設計に与える示唆は大きい。テキストを「意味のある統一体」として扱うことと、「文の羅列」として扱うことでは、授業の組み立て方がまったく変わってくるからです。
ディスコース分析(discourse analysis)という概念の誕生については、1952年に構造主義言語学者のHarrisが論文”Discourse Analysis”を発表したことに遡るとされています。それから70年以上が経ち、現在では言語学の重要な方法論として確立されています。論文ではHallidayのシステミック機能言語学的アプローチ、さらにMcCarthy(1991)のDiscourse Analysis for Language Teachersも参照されており、「教師のためのディスコース分析」という実践的な系譜をきちんと押さえています。
先行研究が示すこと―ディスコース分析は本当に効くのか
著者らは先行研究のレビューに一節を割き、ディスコース分析を読解教育に取り入れることの有効性を示す研究を紹介しています。
RiskoとDalhouseは、ディスコースパターンの分析が読解力に直接影響を与える重要な要因の一つであると結論づけています。Herbertの研究では、ディスコースパターンを活用した授業を受けた生徒が、文法や文構造をより素早く認識できるようになったことが示されています。
さらに興味深いのは、AdelniとSalehiがイランの第二言語学習者80人を対象に行った実践実験です。ディスコースジャンル分析を取り入れた授業を受けたグループが、従来の指導法によるグループよりも有意に優れた成績を収めたというのです。これは単なる理論的提案ではなく、実証的な裏付けを伴うデータとして重みがあります。また、LehmanとSchrawはコヒージョンの指導がテキストの深い理解を促進することを実証的に示し、RosadoとReyはコヒーレンスとコヒージョンの技法が批判的思考と読解力の向上に有効だと論じています。
この先行研究のまとめ方は適切です。ただし、著者らが参照している研究の多くは欧米圏や中東の学習者を対象としており、アジア圏の言語的・文化的背景を持つ学習者、とりわけ日本の高校生に対してどの程度一般化できるかについては、別途検討が必要です。この点は後ほど詳しく取り上げます。
理論的基盤―ディスコースパターン、コヒージョン、コヒーレンス
理論的枠組みとして著者らが提示するのは、主に三つの概念です。
まずディスコースパターン。Hoeyの研究をもとに、著者らは三つのパターンを紹介しています。「一般から特殊へ(General-Particular)」というパターンは、最初に概括的な主張を示してから具体的な論拠へと絞り込んでいく構造で、英語のアーギュメンタティブライティングに多く見られます。「問題―解決(Problem-Solution)」パターンは、問題提起から原因分析、解決策提示へと展開するもので、ニュース記事や研究報告に典型的です。「主張―反論(Claim-Counterclaim)」パターンは、一般的な見方を紹介したうえで反論を示し、筆者自身の主張へと導く構造です。
これらのパターンを知ることは、読解のナビゲーターとして機能します。テキストがどういう地図の上に描かれているかを最初から意識できれば、迷子になる確率がぐっと下がる。そんなイメージです。
次にコヒージョン(cohesion)とコヒーレンス(coherence)。HallidayとHasanが提唱したこの概念は、テキストを「ただの文の集まり」から「意味ある統一体」に変えるものです。コヒージョンは語彙的コヒージョン(同じ語や類義語の反復など)と文法的コヒージョン(代名詞の照応・省略・代用など)に分類され、コヒーレンスはテキスト全体の論理的なつながりと理解されています。
Nunanの定義によれば、コヒーレンスとは「テキストを単なる文の羅列ではなく、全体として解釈可能にするもの」です。読解の授業でいえば、”they”や”these”が何を指しているかを追うこと、接続詞が文と文の間にどんな論理関係を作り出しているかを確認すること、こうした作業がコヒージョン・コヒーレンスの分析にあたります。
教授法的戦略―現場への具体的提案
論文の後半は、ディスコース分析を読解授業に実装するための戦略提案に充てられています。ここが現場の教師にとって最も実用的な部分です。
著者らはまず、教師自身のディスコース分析への理解を高めることを求めています。テキストを「何が書いてあるか」「どのように書いてあるか」「なぜそう書いたか」という三つの軸で機械的に分析するだけでは不十分だと指摘します。たとえば広告文や招待状のように、目的が明確なテキストを過剰に分析することには意味がない。教師がディスコースの種別を見極めて、適切な問いを設計できることが重要だというわけです。
タスク設計については、条件関係の認識、代名詞照応の追跡、文脈からの欠落情報補完、意味の推論と判断、時系列の整理といった具体的な活動が提案されています。たとえば「if」という語から条件節の構造を分析させるタスク、「these」や「they」の指示対象を本文中で追跡させるタスクなどは、そのまま授業で使えそうなアイデアです。
読解の段階的指導としては、PWP(Pre-reading, While-reading, Post-reading)モデルが採用されています。事前読みの段階でタイトルや図表からコンテンツを予測させ、読み中の段階でスキャニングや著者の意図推測を行い、読み後の段階でリライトや続き書きを通じて創造的な活動へとつなげる、という流れです。このフレームワーク自体は目新しいものではありませんが、それをディスコース分析と結びつけて体系化している点に本論文の貢献があります。
日本の英語教育現場への示唆―重なりと違い
さて、日本の英語教育の文脈でこの論文をどう読むべきか、というのが本稿の核心的な問いです。
まず、日本との重なりについて考えてみましょう。日本の高校英語においても、文法・語彙中心の授業から「テキストを全体として理解する」方向への転換が長年課題とされています。学習指導要領の改訂を経て「思考力・判断力・表現力」の育成が強調されるようになりましたが、現場では依然として翻訳的・文型練習的な指導が根強く残っています。この点で、中国の研究者が指摘する「テキストをばらばらに扱い、全体像が見えない読解授業」という問題意識は、日本の英語教師にも共鳴するものがあるはずです。
ディスコースパターンの指導という点でも、示唆は大きいです。「一般から特殊へ」というパターンは英語の論説文に多く、日本語のテキスト構造とは大きく異なります。日本語では結論を後回しにする「起承転結」的な文章が多いのに対し、英語では冒頭に主張を置くトップダウン構造が標準的です。この認識的な差異をメタ的に教えること、つまり「英語のテキストはこういう地図の上に描かれている」と明示することは、日本人学習者にとって特に有効である可能性があります。
共通テストや大学入試における読解問題も、長文化・複雑化の傾向が続いています。単純な内容一致問題から、論理展開の把握や筆者の意図推測を求める問題へのシフトも見られます。こうした試験形式の変化は、ディスコース分析的なアプローチの必要性と一致しています。
一方で、日本独自の課題もあります。日本の高校英語では、授業時数の制約と試験対策のプレッシャーが強く、ディスコース分析のような「時間のかかる」指導法を導入する余地が限られているという現実があります。また、教師自身がディスコース分析の訓練を受けていないケースも多く、本論文が求める「教師のディスコース意識の向上」は、教員養成・研修の課題と直結しています。この点は論文が十分に踏み込んでいない部分でもあります。
関連研究との対比―この論文の立ち位置
英語読解教育とディスコース分析の関係を扱った研究は、本論文が参照するもの以外にもいくつかあります。
たとえばMcCarthy(1991)のDiscourse Analysis for Language Teachersは、この分野の古典的テキストです。本論文もこれを参照していますが、それから30年以上が経ち、学習者のデジタルリテラシーや複数テキストの読み比べといった新たな課題が加わっています。本論文はこうした現代的な問題を十分には扱っていません。
また、マルチモーダルディスコース分析(multimodal discourse analysis)の観点も、現代の英語教育ではますます重要になっています。テキストだけでなく、画像・図表・レイアウトなどの視覚的要素を含めたディスコース理解は、実際の読み物(ウェブ記事・教科書・パンフレットなど)に即した能力です。参考文献リストにはLiらによるマルチモーダルディスコース分析と高校英語読解に関する2023年の論文が挙げられていますが、本文ではほとんど展開されていません。この方向性を本格的に取り込むことで、論文の現代的な射程はより広がったでしょう。
ジャンル分析(genre analysis)との関連も重要です。SwallesやBhatiaによるジャンル分析研究は、テキストの目的・聴衆・文脈を読み解く枠組みを提供しており、本論文が提案する読解指導とは親和性が高いです。しかし、これらの研究は参照されていません。
学術的考察―論文の強みと限界
論文の強みは、複雑な理論を教育現場向けに丁寧に噛み砕いて提示している点です。難解になりがちなディスコース分析の概念を、教師が実際に使える形に翻訳しようとする努力は一貫しています。PWPモデルとの統合も、既存の枠組みを活かしているという点で現実的です。
一方、限界も正直に指摘しなければなりません。本論文は実証研究ではありません。提案されている授業実践が実際に効果を上げるかどうかを検証するデータは含まれておらず、あくまで理論的・先行研究的な根拠に基づく提案です。教育研究において、「〇〇をすれば効果がある」という主張には実証的な裏付けが求められるというのが国際的な潮流であり、その観点からは本論文は一歩手前に留まっています。
文章のトーンについても触れておきます。導入部で口語的な表現(”it’s pretty much the backbone”など)が使われており、やや学術論文として統一感を欠く感があります。これは意図的に読者との距離を縮めようとした試みかもしれませんが、査読論文の文体としては違和感が残ります。
また、本論文が扱う「高校英語」の文脈は中国に特化しており、どの程度他の教育システムに転移可能かについての考察がほぼありません。この点は、本論文を日本の現場に応用する際の読者が自ら補完すべき部分です。
現場の教師へ―明日から使えるヒント
批評は批評として、それでもこの論文から現場の英語教師が受け取れるものは少なくありません。
たとえば、授業でテキストを扱う前に「このテキストはどのパターンで書かれているか」を生徒に考えさせるだけで、読解の構えがまったく変わります。問題―解決パターンのテキストであれば、「問題は何か、解決策は何か、筆者はどちらを重視しているか」という問いを立てながら読む習慣ができる。それだけで、受動的な「解読」から能動的な「読解」へと授業の質が変わります。
代名詞照応のタスクも、日本の高校生が苦手とする読解スキルの一つです。”it”や”this”が何を指しているかを追うことは、テキストのロジックを理解することと直結しています。これを文法練習ではなく、ディスコース理解のためのタスクとして設計すること―この視点の転換は、すぐに実践できるものです。
また、事後読みの段階で「続きを書く」「要約して書き直す」という活動は、ライティングとリーディングを統合するという点でも、現行の学習指導要領が求める「統合的な言語活動」と一致しています。理論的に難解な「ディスコース分析」という看板を掲げなくても、その本質的な考え方は十分に実践に落とし込めます。
おわりに―小さな論文が問いかける大きなこと
この論文は、決して壮大な研究ではありません。ページ数は少なく、実証データもなく、理論的な新奇性も控えめです。しかしその分、問いは明確で、提案は具体的で、読んだ後に「じゃあ、月曜日の授業でこれをやってみよう」という気持ちになれる、そういう論文です。
教育研究の価値は、必ずしも論文の規模や複雑さで決まるわけではありません。現場の教師が感じている漠然とした問題を言語化し、「それはこういう問題で、こう対処できる」という見通しを与えることも、研究の重要な役割です。その意味でこの論文は、自分の役割をきちんと果たしています。
日本の英語教育において、ディスコース分析はまだ十分に浸透しているとは言えません。CLILやコンテンツ学習、思考力育成といった議論の陰に隠れがちです。しかし、テキストを「意味の統一体」として読む力を育てることは、あらゆる言語活動の基盤をなします。中国の研究者が発した問いかけを、日本の文脈で受け止め直し、自分の授業で試してみる価値は十分にあります。
読解の授業を変えるのに、特別な機材も巨大な予算も必要ありません。テキストを見る目を少し変えるだけでいい。それが、この小さな論文が日本の英語教育関係者に届けようとしているメッセージではないかと、筆者は受け取っています。
Yan, J., & Jiang, J. (2025). Discourse analysis and high school English reading teaching. International Journal of Educational Development, 1(2), 72–79. https://doi.org/10.63313/IJED.9019
