英語を教科の教授言語として使う「英語媒介教授(English-Medium Instruction、以下EMI)」は、いま世界中の大学で急速に広まっています。日本でも「英語で授業をする」大学や学部が増えてきており、英語教育関係者にとって決して他人事ではない話題です。そのEMIの現場で、教員はどのような言語を実際に使っているのか、そして「こう教えたい」という意識と「実際にやっていること」の間にどれほどの乖離があるのか―本論文はその問いに、中国の工学系大学という具体的な舞台を通して切り込んでいます。

論文の著者はWenyun Jia、Xuehua Fu、そしJack Punの3名で、香港の城市大学(City University of Hong Kong)英語学科に所属しています。Punはこれまでもこの分野での研究実績を積み重ねており、EMIにおける言語使用や科学教育との接点に関する論考を複数発表してきた研究者です。本論文は学術誌 Sustainability に2023年に掲載されました。質的研究の手法を採用し、半構造化インタビューと授業観察の二本立てでデータを収集・分析しているという点で、方法論的にもバランスの取れた研究と言えます。

「翻訳語使用(translanguaging)」とは何か

まず、本論文の中核概念である「翻訳語使用(translanguaging)」について説明しておく必要があります。これは1994年にWelshの研究者Cen Williamsが提唱した概念で、もともとはウェールズ語と英語のバイリンガル教育において、二言語を戦略的・計画的に組み合わせて使うことを指していました。その後、この概念は拡張され、現在では複数言語を持つ話者が意味を作り出す際に言語の境界を越えて動態的に自分の言語資源全体を活用するプロセスとして理解されています。

日本の英語教育でよく耳にする「コード・スイッチング(code-switching)」と混同されがちですが、翻訳語使用はより包括的な概念です。単に「英語で話していたのに急に日本語で説明した」というレベルにとどまらず、学習者が持つあらゆる言語的・記号論的資源(図、画像、身振り、さらには日常語と学術語の違いなど)を積極的に活用して知識を構築することを含んでいます。要するに、「外国語の授業だから母語は使ってはいけない」という一言語主義的な思い込みに対して、「いや、学習者が持つ言語資源をすべて使いこなしてこそ深い学びが実現できる」と主張するアプローチです。

この点が、日本の英語教育とどう関係するかは、すぐに見えてくるはずです。日本でも長い間「英語の授業は英語で」という方針が文部科学省から示されており、特に高校での英語授業における日本語使用の是非が現場では今も論争を呼んでいます。そういう意味で、本論文が提起する問いは、国境を超えた普遍性を持っています。

研究の舞台と3人の主人公たち

研究の舞台となったのは、中国西部に位置する某大学の工学部です。経済的に発展した東部沿岸地域と比べると、EMIの実施環境がより困難だとされる地域です。そこで大学院1年生を対象とした必修EMI講座を担当する工学系教員3名が調査の対象となりました。

3名はそれぞれ「Mei」「Liang」「Feng」という仮名で呼ばれています。Meiは女性で、フレキシブルエレクトロニクス製造を専門とする助教です。EMIでの授業は今回が初めてという新人で、海外での研究経験は3年あります。Liangは男性で、マイクロ・ナノ光電子デバイスを専門とする講師で、EMI経験は2学期分。そしてFengは男性の准教授で、精密加工を専門とし、5年の海外経験と3学期のEMI経験を持っています。この3名をEMI経験の浅い順に並べているのは、経験年数と認識・実践の関係を見るための比較軸を設けているためです。

データ収集は合計510分の授業録画・観察記録と、CACTI(Classroom Approaches to CLIL and Translanguaging Inventory)を元に改訂された半構造化インタビュープロトコルを用いた各50分のインタビューから成ります。インタビューは授業終了から3週間後に行われました。これは、インタビューそのものが教員の授業行動を変えてしまうという「観察者効果」を避けるための工夫です。こうした細やかな配慮が、研究の信頼性を高めています。

Meiのケース―「英語でやりたい」という意識と中国語だらけの授業

Meiのケースは、ある意味でもっとも複雑で、もっとも人間的なドラマを内包しています。彼女のインタビューでは、「専門的な内容は中国語の方が理解しやすい」という翻訳語使用への肯定的な認識と、「英語だけで教えられたらもっとプロらしく見えるのに」という否定的な認識が、同時に存在していました。このような認識の「二面性」は、教育現場ではよく起きることです。「本当は子どもたちに自由に考えさせたい、でも受験に関係するから詰め込み型の授業をしてしまう」という日本の教員の葛藤と構造的によく似ています。

ところが実際の授業を観察してみると、Meiは中国語を圧倒的に多く使っていました。英語は主にスライドの中にのみ存在し、口頭での説明はほぼ中国語。なぜそうなったかといえば、EMIの授業が生まれて初めての経験であること、準備時間が極めて短かったこと、そして担当させられた内容が自分の専門外に近いものだったことが重なったためです。「thermosensitive electrolytes(熱感応性電解質)みたいな化学用語は長すぎて、英語で言っても私自身が理解できないこともある。だから中国語の方がいい」という彼女の言葉には、切実さが滲み出ています。

この事例が示唆するのは、翻訳語使用への「肯定的認識」があっても、教員の英語力や専門知識の習熟度、準備時間といった「個人的要因」がそれを阻害しうるという事実です。つまり、「こういう教え方をしよう」という信念と「実際にできること」の間には、能力・経験・知識というフィルターが存在します。これは日本のEMI導入の際にも、まったく同じ問題が起きうる予告と読めます。

Liangのケース―英語重視の認識と、それに沿った実践

LiangのケースはMeiとは対照的で、翻訳語使用への認識と実践が比較的一致していたケースです。ただし、その「一致」は肯定的な方向ではなく、翻訳語使用に消極的・否定的な方向での一致でした。

彼のインタビューには「学生が英語を理解できない場合にのみ中国語が必要」「もし自由に言語を選ばせたら、全員が中国語を使ってしまう」といった発言が登場します。また、「大学院生なんだから、わからない単語は自分でスマホで調べるべき」という発言も印象的です。これは、彼が自分の役割を「工学のコンテンツを教える者」として規定しており、英語指導は自分の仕事ではないと考えていることを示しています。日本でも「英語で内容を教えているのだから、英語の指導まではやっていられない」という声を、EMI担当の理系教員からしばしば聞くことがあります。まさにその認識のパターンです。

Liangの実践を観察すると、授業の大半は英語で進み、中国語が登場するのは専門用語の訳語を補足する場面(例えば「DI water、中国語では去離子水(脱イオン水)」など)と、授業の管理的な場面(「次の授業でこの問題を議論します」)に限られていました。これは彼の認識と概ね一致しています。ただし、論文はこの一致を「好ましい姿」とは捉えていません。むしろ「英語のインプットが多ければ多いほど、英語が身につく」という社会的・文化的に構築された信念が彼の実践を縛っており、学習者の認知的プロセスや多言語能力に関する知見と乖離していると指摘しています。

Fengのケース―認識と実践が一致した「積極的な翻訳語使用者」

3人の中でもっとも経験豊富なFengのケースが、研究の中でもっとも建設的な事例として描かれています。5年間の英語圏での研究経験と3学期のEMI実績を持つ彼は、コンテンツの理解を最優先の教育目標として設定し、その達成のために多言語資源の活用を積極的に肯定していました。

授業観察では、英語で説明する前に中国語で概要を示すという構造的なアプローチ、学生が沈黙してしまったときに中国語に切り替えて問いかけ直す柔軟な対応、そして英語の説明を中国語で言い換えながら学生の日常生活に関連する具体例(3Dプリンティングなど)を加えるといった実践が観察されました。彼は「物理や化学の新しい概念を学ぶとき、学生は必ず中国語で考えている。それは自然なことだ」と語っており、学習者の認知プロセスへの深い理解が感じられます。これはVygotskyの足場かけ(scaffolding)理論やCumminsの「共通基底言語能力モデル」と整合する実践です。

Fengが積極的な翻訳語使用に至った背景には、以前フルEMIで授業をしようとしたが学生が全く理解できなかったという失敗経験があります。その経験から、「英語だけでは届かない」という現実を骨身に沁みて理解し、言語観を更新させていったのです。この「経験に基づく反省的実践」こそが、Meiにも、Liangにも欠けているものとして浮かび上がってきます。

認識と実践をつなぐ―あるいは切り離す―3つの要因

本論文の理論的貢献として特筆すべきは、3名の事例を横断的に分析して「三要因媒介モデル(three-factor mediation model)」を提案している点です。このモデルでは、EMI教員の翻訳語使用に関する認識が実践へと移行するかどうかを媒介する要因として、「個人的要因(personal factors)」「相互作用的要因(interactional factors)」「社会文化的要因(socio-cultural factors)」の三つが特定されています。

個人的要因とは、EMIでの教授経験の量、英語力(特に専門語彙に関するもの)、担当コンテンツへの習熟度、そして多言語意識のレベルなどです。相互作用的要因とは、授業の中で実際に学生が理解できているかどうか、学生が自己表現できているかどうかといった、リアルタイムな教員と学生のやり取りに関するものです。そして社会文化的要因とは、「EMIは英語だけでやるべき」という社会的規範や、「インプットが多いほど言語習得は進む」という根強い信念体系などを指しています。

このモデルを通じて論文が伝えようとしているのは、一人の教員が翻訳語使用に「賛成」か「反対」かという単純な二項対立で状況を捉えてはいけないということです。同じ「賛成」であっても、それが実践に結びつくかどうかはこれら三つの要因の相互作用によって決まってくる。Meiの「肯定×実践困難」、Liangの「否定×実践一致」、Fengの「肯定×実践一致」という三者三様の姿が、その複雑さをリアルに示しています。

日本の英語教育現場への示唆

本論文は中国の工学系大学という特定のコンテクストで書かれたものですが、日本の英語教育に携わる人々にとっても示唆に富む内容を多く含んでいます。

まず、「英語の授業は英語で」という方針の問題点を改めて考えさせてくれます。日本でも高校以上の英語授業で英語使用を原則とする指針が示されてきましたが、Liangのように「英語のインプットが多ければよい」という根拠なき信念がその背景にある場合、学習者の実際の言語習得に逆効果をもたらす可能性があります。学習者が持つ母語という強力な言語資源を戦略的に活用することの意義は、この論文が示す通り、研究的に十分な根拠を持っています。

次に、EMI担当教員へのトレーニングの必要性です。Meiのケースが示すように、良い意図があっても能力・準備・経験が伴わなければ良い実践は生まれません。日本の大学でも、英語で授業を任された理系教員が「とりあえず英語のスライドを作った」というレベルで実践に臨むケースは珍しくないでしょう。その教員に必要なのは、英語の語学力強化だけでなく、自分の担当分野の専門的英語語彙についての習熟、そして多言語的な意識を育てるための系統的なトレーニングです。Fengが経験から自然に到達したものを、トレーニングによって意図的に育てることができるはずです。

さらに、本論文はEMI教員が自身の授業言語に関する信念を批判的に振り返るための機会の重要性を強調しています。「なぜ英語を使うのか」「学生にとって本当に意味のある言語経験とは何か」という問いは、英語が得意かどうかにかかわらず、すべての教員が向き合うべき問いです。ベテランEMI教員と新任EMI教員が意見交換できるような場の設計も、著者たちは提案しています。これは日本の教員研修においても取り入れる価値のある視点です。

研究の強みと限界、そして今後の可能性

本研究の強みは、インタビューと授業観察という二種類のデータを組み合わせることで、「言っていること」と「やっていること」の差を可視化した点にあります。単なるアンケート調査では見えてこない複雑さを、事例研究という手法によって丁寧に描き出しています。また、三要因媒介モデルという形で理論的な貢献を示している点も評価できます。

一方で、論文自身も認めている通り、いくつかの限界もあります。3名という少ないサンプルサイズは、一般化を難しくします。また、観察された授業では学生の発話時間が少なかったため、学生自身の翻訳語使用については十分な分析ができていません。本論文が指摘するように、今後は学生の声も加えた研究が望まれます。さらに、工学という特定の専門分野での知見が、人文社会科学系EMIやEFLの一般教育に直接応用できるかどうかも慎重に検討する必要があります。

また、インタビューがすべてオンラインで行われ(コロナ禍によるもの)、対面との差異が生じた可能性も考えられます。非言語情報が得にくい状況でのインタビューは、特に「感情」や「葛藤」の読み取りにおいて限界があることも付記しておくべきでしょう。

とはいえ、本論文は翻訳語使用に関する既存の研究に対して明確な貢献をしています。多くの先行研究が「教員が翻訳語使用をするかしないか」という問いに答えてきたのに対し、本論文は「なぜ認識と実践の間にズレが生じるのか」という、より深い問いに答えようとしています。この視点の転換は、実践的にも理論的にも重要です。EMI教育を発展させるためには、教員が「何を信じているか」だけでなく、「その信念がどのような条件のもとで実践に結びつくのか」を理解することが不可欠だからです。

英語教育に携わる人々が本論文を読んで感じるべき問いは、おそらくこういうものでしょう―「私は自分の授業で、学習者が持つ言語資源を活かせているだろうか。そして、活かせていない場合、その理由は何だろうか」。Mei、Liang、Fengという3人の教員が鏡となって、私たち自身の実践を照らし出してくれます。それこそが、この論文の最大の価値と言えるでしょう。


Jia, W., Fu, X., & Pun, J. (2023). How do EMI lecturers’ translanguaging perceptions translate into their practice? A multi-case study of three Chinese tertiary EMI classes. Sustainability, 15(6), 4895. https://doi.org/10.3390/su15064895

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By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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