成人学習者の自己主導型学習を支援するとはどういうことか―パリ発の研究が問いかける教育の本質
研究の背景と著者について
フランス・パリのEast Bridge Universityに所属するDr. Sanjib Chakrabortyによるこの論文は、2024年にInternational Journal for Multidisciplinary Research (IJFMR)のVolume 6, Issue 3に掲載されました。論文のタイトルは”Empowering and Engaging Adult Learners: Strategies to Facilitate Self-Directed Learning in Adult Education”です。成人教育における自己主導型学習(Self-Directed Learning、以下SDL)をどのように促進するかという、一見シンプルなようでいて実は非常に奥深いテーマに正面から向き合った研究です。
SDLとは何かを一言で説明するなら、「学び手自身が学習の目標を設定し、必要なリソースを選び、自分で進捗を評価していく学習プロセス」といえます。学校教育のように誰かに時間割を決めてもらい、教科書を指定してもらう学びとは対照的なアプローチです。英語教育の文脈でも、たとえば社会人が英会話スクールに通うのをやめた後も自律的に学び続けられるかどうか、これがまさにSDLの問題です。日本の英語教育関係者にとっても、この問いは決して他人事ではありません。
混合研究法による52名のサンプル
本研究は定量・定性を組み合わせた混合研究法(mixed-methods approach)を採用しています。35問からなる構造化アンケートを広く成人学習者に配布し、そこから得られた数値データに加え、一部の参加者に対しては半構造化インタビューを実施してテーマ分析を行っています。最終的に52名から有効回答を得ており、性別は女性が65.4%、男性が34.6%でした。年齢層は41〜50歳が最多(38.5%)で、次いで31〜40歳(30.8%)と、中堅・中年層が研究の主軸を担っています。学歴は70.6%が修士号取得者という高学歴層であり、職業については78.8%がフルタイム就労者でした。
このサンプルの特性は、研究の読み方に大きく影響します。修士号を持つフルタイム労働者が中心という構成は、学習リソースへのアクセスや認知的・言語的スキルという面で恵まれた集団であることを示唆しています。したがって、本研究の知見がそのまますべての成人学習者に適用できるかどうかは慎重に見極める必要があります。しかし逆にいえば、比較的恵まれた環境にある成人学習者でさえ抱える学習の障壁や課題が浮かび上がってくることで、研究の示唆する内容はむしろ重みを増すともいえます。
自己主導型学習への高い関心と意欲
調査結果を見ると、まず目を引くのはSDLに対する参加者の高い肯定感です。回答者の86.5%が過去に成人教育プログラムに参加した経験を持っており、その主な動機として「新しいスキルや知識の習得」(92.2%)と「キャリアアップ」(86.5%)が上位に挙げられています。また、72.5%が「SDLは自分のキャリアや個人目標の達成に大きく貢献する」と感じており、全体として学習に対する前向きな姿勢が数値から伝わってきます。
SDLの定義に関する設問では、66.7%が「成人が自分の学習プロセスをコントロールすること」という選択肢を選んでいます。これはMalcolm KnowlesのAndragogyの核心、すなわち成人学習者は自律的であり自分の学習に責任を持ちたいという欲求を持つ、という原則と合致しています。Knowlesが1970年代に提唱したAndragogyは今日でも成人教育の理論的支柱の一つですが、本研究の参加者の回答はその有効性を実証的に裏付けるものともいえます。
さらに、「内発的動機がSDLに与える影響」を尋ねた設問では、64.7%が「大いに向上させる」と回答しています。これはEdward DeciとRichard Ryanによる自己決定理論(Self-Determination Theory、SDT)の予測とも整合的です。SDTは人間が自律性・有能感・関係性という三つの基本的欲求を持ち、それらが満たされると内発的動機が高まると主張する理論です。本研究の数値は、この理論が成人教育の現場においても十分機能することを示唆しています。
協働学習への強い志向
興味深いのは、SDLが「一人で黙々とやる学習」だけを指すわけではないと参加者が感じている点です。「チームワークやリソース共有が成人教育において重要か」という設問に対し、58.0%が「非常に重要」と回答しました。また64.0%が「協働学習の場で自分の知識やリソースを喜んで共有する」と答えています。
これは一見すると「自己主導」という概念と矛盾するように思えるかもしれません。しかし、SDLは孤独な学習を推奨するものではなく、学習の主導権が学習者自身にあるということを意味します。ピアとの対話や教え合いを通じて深まる学びも、学習者が自らその機会を選び取っているなら、立派なSDLの一形態です。この点は、日本の英語教育、特に協働学習(collaborative learning)やピア・ラーニングの議論とも深くつながります。
ツールと自己評価への中程度の習熟
一方で、やや課題も見えてきます。SDLに役立つツールやリソースの活用については、70.6%が「中程度に習熟している」と回答しており、「非常に習熟している」と答えた割合は23.5%にとどまります。オンライン学習ツールへの親しみについては、「ソーシャル学習プラットフォームやフォーラム」が44.0%と最も認知度が高い一方、Learning Management Systemsへの親しみを示した割合は12.0%と低く、ツールの認知・活用に大きなばらつきがあることが示されました。
自己評価(self-assessment)への自信については、68.6%が「中程度に自信がある」と答えており、全体として「そこそこできる」という感覚はあるものの、深い習熟には至っていない様子が読み取れます。また学習戦略を自己評価の結果に応じて変更する頻度については、「時々変更する」が58.8%と最多であり、柔軟な適応という点ではある程度機能しているといえますが、「非常に頻繁に変更する」と回答したのは29.4%にとどまりました。
理論的枠組みの多角性と批判的視点の不足
本研究の強みの一つは、理論的枠組みの多角性にあります。Knowlesのandragogy、DeciとRyanのSDT、構成主義(Constructivism)、Banduraの社会認知理論(Social Cognitive Theory)など、複数の理論を援用して成人学習の複雑な様相を描き出そうとしている点は評価できます。
しかし、これらの理論に対する批判的な視点が十分に掘り下げられていない感は否めません。たとえばAndragogyについては、文化的文脈への適用可能性に関する批判が長年にわたって行われており、特にアジア文化圏における集団主義的な学習観との軋轢が指摘されています。著者もその批判に言及してはいますが、それを自らの研究の文脈でどう乗り越えるか、あるいはどう対処するかという具体的な議論が展開されていないのは惜しい点です。日本の英語教育においても、学習者の自律性と文化的規範の間のテンションは現実の問題として存在しており、その観点から理論的考察をもう一歩深めてほしかったところです。
日本の英語教育現場への示唆
ここで少し視点を変えて、日本の英語教育への示唆を考えてみましょう。日本では、英語教育の目標として「コミュニケーション能力の育成」が掲げられて久しいですが、実際の現場では依然として受験英語や文法訳読式の指導が根強く残っています。学習者が自分の学習目標を設定し、主体的にリソースを選び、進捗を自己評価するというSDLの理念は、日本の学習文化とはまだ大きな距離があるように感じられます。
本研究が示すように、内発的動機を高めること、そして協働学習の機会を設けることは、SDLを促進するうえで非常に有効です。英語の授業においても、たとえば学習者が自分で興味のある英語の題材を選んで発表する活動、あるいはピア・フィードバックを通じて互いの学習を深める活動を積極的に導入することは、本研究の知見と合致するアプローチといえます。さらに、本研究が指摘するように、メタ認知戦略(目標設定・時間管理・自己評価)を明示的に教えることも、学習者の自律性を高めるうえで欠かせません。日本の英語教師がこれらの戦略を授業設計に取り込む際の理論的根拠として、本研究は一定の価値を持っています。
関連研究との対比
本研究の知見は、関連する先行研究とおおむね整合しています。たとえばLoeng(2020)は、SDLが成人教育の核心概念であることを論じており、本研究の立場と重なります。またMorris & Rohs(2021)はデジタル化がSDLを促進することを示す系統的レビューを発表しており、本研究もテクノロジーの重要性に言及しています。
一方、本研究が必ずしも十分に踏み込んでいない点として、SDLと学習成果(learning outcomes)の直接的な関係があります。「SDLへの意欲が高い」という自己報告と「実際の学習成果が向上する」という間には、しばしばギャップが存在します。自己申告バイアス(self-report bias)の問題は混合研究法を採用したからといって完全には回避できず、本研究においても参加者の自己評価が実態よりも楽観的である可能性は排除できません。
Sun et al.(2023)がSDLと高等教育におけるオンライン学習エンゲージメントの関係を検討したように、SDLの効果を媒介変数や調整変数を含めたより精緻なモデルで検証する必要性が今後の研究課題として浮かび上がります。本研究はその出発点として機能し得るものですが、因果推論には至っていない点は明記しておく必要があります。
サンプルの限界と一般化可能性
著者自身も認めているように、52名という小規模なサンプルサイズは、一般化可能性(generalizability)という観点から大きな制約となっています。加えて、参加者の多くが修士号取得者のフルタイム就労者という特定の属性に偏っており、多様な教育背景・経済状況・文化的背景を持つ成人学習者全体を代表しているとはいい難い面があります。
また、調査がオンラインで実施されたという点も見逃せません。デジタルデバイスやインターネット環境へのアクセスが限られた層は、そもそも調査に参加できなかった可能性があります。つまり、テクノロジーに比較的親しみのある層のデータが分析の中心となっており、デジタルリテラシーの低い成人学習者の実態が十分に反映されていないかもしれません。
研究の誠実さと今後の可能性
批判的な観点をいくつか述べてきましたが、本研究が誠実で丁寧に設計された研究であることは疑いありません。研究倫理への配慮、参加者の自由意志の尊重、データの匿名性の確保といった点は明示されており、実践的な提言も具体性を持って示されています。特に「内発的動機の育成」「協働学習コミュニティの構築」「メタ認知スキルの指導」「デジタルツールの活用」という四つの柱は、教育実践家が明日から取り組める指針として機能し得るものです。
今後の研究としては、著者も提案しているように縦断的調査(longitudinal study)によるSDLの長期的効果の検証、および文化比較研究が強く望まれます。特に日本のような集団主義的文化において、SDLがどのように実践され、どのような障壁に直面するかを明らかにすることは、日本の英語教育研究にとっても重要な課題です。
おわりに
「自分で学べる人を育てる」ことは、どの時代・どの国の教育においても永続的な理想です。本研究はその理想に向けて、現実の成人学習者のデータを通じて具体的な道筋を示そうとした、意欲的な試みです。完璧な研究はなく、本研究にも限界はあります。しかし、英語教育の文脈においても「教えること」から「学び方を支援すること」への転換が求められている今、本研究が提起する問いと知見は、教師・研究者・政策立案者のいずれにとっても考える材料を豊富に提供してくれます。教室の中で一方的に教えるだけでなく、学習者が自ら問いを立て、自ら答えを探しに行く力を育てること―それがSDLの本質であり、本研究が読者に伝えたかった核心ではないでしょうか。
Chakraborty, S. (2024). Empowering and engaging adult learners: Strategies to facilitate self-directed learning in adult education. International Journal for Multidisciplinary Research (IJFMR), 6(3). https://www.ijfmr.com
