この論文が問うていること
外国語の授業中に、母語を使ってよいのか。この問いは、英語教育に関わる人なら誰もが一度は突き当たる問いです。「英語の授業は英語で」という原則を守ろうとしながら、どうしても母語に頼ってしまう瞬間の後ろめたさ。あるいは反対に、「母語を使えば理解が深まるのに」という確信を持ちながら、制度的な縛りに従わざるを得ない葛藤。そのような現場の感覚に、正面から向き合おうとしたのが今回取り上げる論文です。
Muhammad Alasmari、Fawaz Qasem、Rashad Ahmed、Muhammad Alrayesの四名による “Bilingual teachers’ translanguaging practices and ideologies in online classrooms in Saudi Arabia”(2022年、Heliyon誌掲載)は、サウジアラビアの大学でオンライン授業を担当する二言語話者教師260名を対象に、トランスランゲージングの実態と教師の意識を調査した研究です。コロナ禍による全面的なオンライン授業への移行という特殊な状況を背景にしながら、「教室の中で二つの言語をどう使い分けているのか」を多角的に検討しています。
トランスランゲージングとは何か
まず、この論文のキーワードである「トランスランゲージング(translanguaging)」について整理しておきましょう。この概念は、1980年代にウェールズの言語教育研究者Cen Williamsが提唱し、その後Ofelia GarcíaやLi Weiらによって理論的に発展させられました。端的に言えば、二言語あるいは多言語の話者が、どちらか一方の言語に縛られることなく、自分の言語レパートリー全体を柔軟に活用してコミュニケーションや意味形成を行う実践のことです。
よく似た概念に「コード・スイッチング(code-switching)」があります。ただし、コード・スイッチングは「二つの分離した言語体系を切り替える」という発想に立つのに対し、トランスランゲージングは「もともと一つの言語レパートリーがある」という立場をとります。この違いは些細に見えて、実は大きな意味を持ちます。前者は切り替えを「逸脱」や「例外」として扱いがちですが、後者はそれを「自然で豊かな言語実践」として肯定的に捉えます。日本でも近年、複言語主義の観点から注目される機会が増えてきた概念ですが、まだ教育現場への浸透は限定的です。
研究の背景と文脈
本研究が行われたサウジアラビアは、英語教育という観点からも特殊な文脈に置かれています。社会のコミュニティ言語はアラビア語ですが、大学の高等教育では英語が授業の主要な媒介言語(medium of instruction)として広く用いられています。つまり、日常生活ではアラビア語、大学の講義では英語、という二重の言語環境の中に学生は置かれているわけです。
さらにコロナ禍の影響により、サウジアラビアでは2020年3月3日から年度末にかけて全教育機関がオンラインに移行しました。この急激な変化の中で、教師たちがどのような言語実践を行っていたのかを記録・分析したことは、研究としての時事性と資料的価値を高めています。日本でもコロナ禍に多くの大学が一斉にオンライン授業へ移行した経験を持つだけに、この問題設定には共感しやすいものがあります。
Alasmariはサウジアラビアのビシャ大学に所属し、Qasemも同大学の英語学科に籍を置きます。Ahmedはアメリカのジャクソンビル州立大学に、Alrayesはサウジアラビアのキング・サウード大学に所属しており、国をまたいだ研究チームによる知見が本論文には盛り込まれています。
研究の設計と手法
この研究は混合研究法(mixed-methods approach)を採用しています。定量的データとして23項目の五段階リッカート尺度によるアンケートを260名の二言語話者教師に実施し、定性的データとして20名の教師によるオンライン授業のビデオ録画(計26セッション)の観察と、5名の教師に対する半構造化インタビューを行いました。インタビューには「刺激想起法(stimulated recall)」が用いられており、教師に自分の授業映像を見せながら、なぜその場面でアラビア語を使ったのかを振り返ってもらうというものです。これは授業観察だけでは捉えられない教師の内面的な判断プロセスに迫れる有効な手法です。
参加者の内訳は、アラビア語母語話者が59.2%、非アラビア語話者が40.8%で、後者はインド、パキスタン、バングラデシュ出身者が中心でした。教歴は80%が5年以上と経験豊富な層が多く、学位別では助教授(Assistant Professor)が最多となっています。サンプリングには目的的サンプリング(purposive sampling)が採用されており、研究目的に照らして適切な情報提供者を選んでいます。
結果が示すこと
調査結果はいくつかの点で興味深い知見をもたらしています。まず使用頻度について、教師たちはアラビア語の使用を「時々」程度に抑えているものの(平均スコア3.50/5.00)、全く使わないわけではありませんでした。最も使用頻度が高かったのは「学生がアラビア語で質問に口頭で答えることを許可する」(平均4.13)でした。つまり、教師自身が積極的にアラビア語で話すよりも、学生の発言に対して寛容であるという姿勢が見えてきます。
アラビア語が使われる場面としては、難解な概念の説明(44%)、初級クラスや新入生クラスでの使用(18%)、翻訳・比較研究の授業(14%)、試験や小テストの指示説明(12%)といった目的が挙げられました。一方、「アラビア語を教室内で使うべきでない」という立場を取る教師も9%いたことも見逃せません。
特に注目すべきは、教室内よりもオフィスアワー(バーチャル含む)のほうがアラビア語使用率が高かったという点です。授業中の使用が0〜27%であるのに対し、オフィスアワーでは0〜52%に上ります。つまり、正式な授業の場では英語優位を保ちつつ、個別指導の場面でより柔軟な言語実践が行われていることがわかります。これは制度的な縛りと個人の言語実践のあいだで生まれる、いわば「制度の隙間での実践」です。
教師の意識(perspectives)については、全体的にトランスランゲージングを肯定的に捉える傾向が見られました(平均3.21/5.00)。コンセプトの説明、ラポール形成、クラスマネジメントへの有用性が認められる一方、ライティング授業での使用については肯定度が低い傾向にありました。
批判的考察―何が見えて、何が見えていないか
この論文の貢献は明確です。モノリンガル的環境にある大学という、これまで研究が手薄だった文脈でのトランスランゲージングを、複数の手法を組み合わせて多角的に記述した点は評価に値します。特にビデオ録画の観察と刺激想起インタビューを組み合わせたことで、アンケートだけでは掬い取れない実践の細部が記録されています。
ただ、いくつかの点で注文をつけたくなるのも事実です。
まず、サンプルの偏りについてです。参加者の80%が5年以上の教歴を持つ経験豊富な教師であり、しかも参加はボランティア方式でした。つまり、そもそもトランスランゲージングに関心のある、あるいはそれを実践することに抵抗感のない教師が多く含まれている可能性が高いです。このことは、結果がやや楽観的な方向に偏っている可能性を示唆します。現場には「英語のみ」方針を頑なに守ろうとする教師も相当数いるはずですが、そうした声は本研究には反映されにくい構造になっています。
次に、学生側の視点が欠如している点も気になります。教師がトランスランゲージングを「有益だ」と感じたとしても、学生側がそれをどう受け止めているかは別の問題です。たとえば、母語に頼ることで英語で考える力が育たないと感じる学生もいるかもしれません。あるいは逆に、アラビア語で説明されることで安心感を得て、英語学習への意欲が高まるという学生もいるでしょう。著者らも論文末尾でこの点を今後の研究課題として挙げていますが、この視点の欠如は本研究の解釈に一定の留保をつけさせます。
また、「オンライン授業」という文脈固有の要素がやや掘り下げ不足に感じられます。オンライン授業では対面授業と比べて、ノンバーバルなコミュニケーションが制限され、教師が学生の理解度を即座に把握するのが難しくなります。そうした状況下でトランスランゲージングがどのような役割を果たすのか、オンラインであることの特殊性に踏み込んだ分析があれば、より豊かな知見が得られたように思います。
関連研究との対比
この研究はGarcíaとWeiのトランスランゲージング理論、およびSpolskyの言語政策モデルを理論的枠組みとして採用しています。先行研究との比較という観点では、同じ湾岸諸国であるカタールの国際キャンパスを対象としたHillmanらの研究(2019年)との対比が興味深いです。Hillmanらも同様に教師の意識と実践を調査しており、制度的な「英語のみ」方針と教師の柔軟な実践のあいだのギャップを指摘していますが、本研究はそこにオンライン授業という新たな次元を加えることで独自の貢献を行っています。
ヨーロッパのコンテクストを対象にしたCreese and Blackledge(2010年)やカリブ海地域のMazak and Carroll(2016年)の研究と比較しても、本研究はモノリンガル的コミュニティという点で特有の文脈にあります。多言語環境が日常的な社会では、教室内での複数言語使用は比較的自然に受け入れられやすいですが、日常的にはアラビア語のみが使われる社会においては、英語使用そのものがすでに非日常的であり、さらにその英語教室でアラビア語を使うことは二重の逸脱とも言えます。そうした環境下でも教師たちがトランスランゲージングを実践しているという事実は、この実践の持つ強さと実用的必要性を物語っています。
日本の英語教育への示唆
さて、この研究を日本の英語教育関係者はどう読むべきでしょうか。一見するとサウジアラビアの話であり、日本とは関係ないように思えるかもしれません。しかし、構造的な類似点は多いです。
日本も、社会的にはほぼ日本語のみが使われるモノリンガル的環境です。大学の英語教育においても、英語を授業言語として設定しながら、現実には日本語への依存が避けられない場面が多々あります。「英語で英語を教えろ」という文部科学省の方針(高校については2009年の学習指導要領以降に強調)に現場教師が戸惑い、形式的には英語で授業を進めながらも、実質的には日本語で補足説明を行うという実態は、本研究のサウジアラビアの状況と驚くほど重なります。
本研究が明らかにした「難解な概念の説明」「低習熟度学習者への対応」という場面でのトランスランゲージング使用は、日本の英語教育現場でも日常的に起きていることです。むしろそれは、教師が自らの判断で学習者のニーズに応えようとしている、専門的な実践判断の表れではないでしょうか。「日本語を使ったら負け」という感覚は、教師をプレッシャーにさらすだけで、必ずしも学習者の利益につながりません。
オフィスアワーや個別相談の場面でアラビア語使用が増えるという本研究の知見は、日本でも容易に想像できます。放課後や授業後に学生が「先生、さっきの説明、日本語でもう一回お願いできますか」と尋ねてくる光景。そこで日本語を使うことをためらう必要は、実はないのかもしれません。それはトランスランゲージングの合理的な実践です。
また、本研究は教師の意識と実践に焦点を当てていますが、日本でも学習者の視点からトランスランゲージングを研究する余地は十分にあります。「英語の授業中に日本語を使われてどう感じるか」という問いに対する日本の学習者の答えは、文化的背景や英語習熟度によって大きく異なる可能性があり、それ自体が重要な研究テーマです。
研究の意義と限界を冷静に見る
総じてこの研究は、トランスランゲージング研究のフロンティアを着実に前進させた堅実な研究です。モノリンガル的高等教育環境という特殊な文脈に切り込み、オンライン授業という現代的な文脈を取り入れ、混合研究法で丁寧にデータを収集・分析しています。
しかし、学術論文としていくつかの課題も残ります。参加者の自己申告に依存する部分が多く、ビデオ観察のデータ分析についても、どの程度の頻度でどの種類の発話が観察されたのかという量的な詳細が不明確です。また、「トランスランゲージング」と「コード・スイッチング」の概念的区別が本文中で十分に貫かれているかという点についても、やや曖昧な印象を受ける箇所があります。理論的立場を明確にしながら実践を記述することの難しさが、随所に現れています。
倫理的手続きについてはビシャ大学の倫理審査委員会の承認(UB-16-1442)を得ており、参加者の口頭同意も確認されています。ただ、書面による同意ではなく口頭同意であるという点は、国際的な研究倫理の標準から見ると若干の議論を呼ぶかもしれません。
教室の言語は誰のものか
最後に、少し視野を広げて考えてみたいことがあります。この研究が根底で問うているのは、「教室の言語は誰のものか」という問いではないでしょうか。制度が定めた授業言語を守るべき教師のものなのか。あるいは、理解し成長しようとする学習者のものなのか。
言語は、規則に閉じ込めるためにあるのではなく、意味を作り、人とつながるためにあります。トランスランゲージングという概念は、その当たり前のことを改めて教育の文脈で問い直す試みです。教師が経験から培った「ここは母語でいったほうがいい」という判断は、単なる怠慢ではなく、言語と学習に関する深い理解に根ざした実践かもしれません。
サウジアラビアの教師たちのデータは、その判断が正当化される文脈と条件を丁寧に示してくれています。日本の英語教育関係者がこの研究を手に取るとき、そこに描かれた教師たちの姿に、自分自身の姿を見つけることになるかもしれません。そしてその重なりこそが、この研究の持つ最大の価値だと思います。
Alasmari, M., Qasem, F., Ahmed, R., & Alrayes, M. (2022). Bilingual teachers’ translanguaging practices and ideologies in online classrooms in Saudi Arabia. Heliyon, 8, Article e10537. https://doi.org/10.1016/j.heliyon.2022.e10537
