はじめに―「早いほどいい」という思い込み

子どもは小さいうちに外国語を始めれば始めるほど有利だ。そう信じている保護者は多いでしょうし、日本の英語教育の世界でも、小学校での英語必修化をめぐる議論の中でこの「早期絶対優位説」は繰り返し語られてきました。筆者自身、こうした主張を耳にするたびに、「でも、その根拠は何だろう?」と思わずにはいられませんでした。感覚的には納得しやすい話ですが、科学的な裏付けとなると、意外なほど脆弱なのです。

今回取り上げるのは、2022年に学術誌 System に掲載されたNils Jaekelら4名による論文、”The impact of early foreign language learning on language proficiency development from middle to high school”(以下、本論文)です。Jaekelはフィンランドのオウル大学に所属する研究者で、Michael Schurig(ドルトムント工科大学)、Isabelle van AckernおよびMarkus Ritter(いずれもボーフム大学)との共同研究です。Jaekelのグループはこれ以前にも2017年に同テーマの論文を発表しており(Language Learning誌掲載)、本論文はその継続・発展版にあたります。つまり、思いつきで書いた研究ではなく、長年にわたってデータを積み上げてきたチームによる、重みのある一本です。

研究の概要―ドイツ版「早起きは三文の得」実験

研究の舞台はドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州(NRW州)です。同州は2008年に英語を小学1年生から導入するという政策転換を行いました。それ以前は小学3年生から始まっていたわけですから、この政策変更は自然な「実験」の場を生み出しました。Jaekelらはこれをうまく活用し、小学1年生から英語を始めた「早期開始群(ES)」と、小学3年生から始めた「後期開始群(LS)」の2コホートを5年生・7年生・9年生の時点で追跡調査しました。

測定したのはリスニングとリーディングという受容技能です。参加者は12校・最大2827名という大規模なサンプルで、統計手法には線形混合モデルを採用し、性別・母語・認知能力・文化資本・社会経済的地位・英語成績といった個人差変数を丁寧に統制しました。早期開始群はEFL(外国語としての英語)の授業を小学校段階でおよそ105時間多く受けており、それが長期的にどのような差を生むかが主な問いでした。

結果が示したこと―単純ではない成長の軌跡

ここからが面白いところです。結果は「早く始めた方が一貫して有利」というシンプルな話にはなりませんでした。

5年生時点では、早期開始群がリスニング・リーディングともに後期開始群を大きく上回りました。これは予想通りで、105時間の追加学習の成果が出ている、と説明できます。ところが7年生になると状況が一変します。後期開始群がリーディングでは有意に高いスコアを記録し、リスニングでも差が消えました。「やっぱり後から始めた方が伸びるのか」という雰囲気になるかと思いますが、話はさらに続きます。9年生では早期開始群が再びリスニング・リーディング双方で後期開始群を上回ったのです。しかも差は5年生時点と同程度かそれ以上でした。

この非線形の「U字型」発達曲線は研究者自身も予想していなかったようで、論文の議論部分では率直に「なぜこうなったのかはデータだけでは説明しきれない」と認めています。この誠実さは、読者として好感が持てます。

先行研究との対比―BAFプロジェクトとの対話

早期外国語学習の研究史において避けて通れないのが、Muñozらによるバルセロナ年齢要因プロジェクト(BAFプロジェクト)です。このスペインの大規模研究では、英語学習の開始年齢が早い子どもは後から始めた子どもに最終的に追いつけず、後期開始者の方が長期的には有利という結果が出ていました。本論文もおおむねこの知見とは軌を一にしていますが、9年生時点で早期開始群が後期開始群を追い抜いたという点では、BAFプロジェクトとは対照的な結果を示しています。

また、Pfenningerと Singletonがスイスで行った研究(2019年)も重要な比較対象です。この研究では、早期開始の優位性は長期的には消え、むしろ家庭環境(社会経済的地位・親の教育水準・親の関与)が開始年齢よりも強い影響を持つという結論でした。本論文でも家庭環境(文化資本・収入)を統制変数として組み込んでいますが、9年生での早期開始群の優位がそれらを統制してもなお残ったことは注目に値します。

Baumertら(2020年)のドイツ全国規模の横断研究では、9年生時点での早期・中期・後期開始者の間に有意な差はなかったとされています。ただしこの研究は9年生の一時点しか見ておらず、7年生での逆転という「谷」を経た後の話であることを見落としてしまっています。本論文の縦断的なデザインの強みが、まさにここで発揮されているのです。横断研究では捉えきれない発達の軌跡を、時系列で追うことで初めて見えてくるものがある。研究デザインとは、それほど大事なのだということを改めて考えさせられます。

7年生での逆転をどう読むか

7年生時点で後期開始群が追い上げ、あるいは逆転するという現象は、実は他の研究でも報告されています。Jaekelら自身の2017年論文でも同様の傾向が見られ、先行研究のレビューでもこの時期の逆転は珍しくない。では、なぜ7年生でそうなるのでしょうか。

論文が挙げる主な理由のひとつは「明示的学習の優位性」です。中学校に進むと、文法の規則を意識的に学んだり、メタ言語知識(「これは受動態だ」というような言語についての知識)を使ったりする機会が増えます。後期開始群の子どもたちは、年齢的に認知が発達していることもあり、こうした明示的な言語学習に向いている。一方、早期開始群は小学校時代に暗示的な方法、つまり遊びや歌などを通じて英語に触れてきており、中学校の教室で求められるスタイルとのミスマッチが生じやすいのです。

もうひとつは「移行期の問題」、すなわち小学校から中学校への接続の問題です。早期開始群の生徒たちは英語の素地をすでに持って中学校に入学するわけですが、中学の教員がそのレベルに対応できていなければ、せっかくの貯金が活かされません。論文中では「移行期はEFLLにとってのアキレス腱である可能性がある」という表現が使われており、この問題の重大さを示しています。

9年生での再逆転―謎の反転をめぐる考察

では、9年生で早期開始群が再び優位に立った理由は何でしょうか。論文はこの点について慎重で、いくつかの可能性を示しつつも「さらなる研究が必要」と述べるにとどまっています。その可能性として、教師が早期開始群の特性に徐々に慣れてきたこと、放課後の拡充教育プログラムが影響したこと、あるいは暗示的学習で積み上げてきた英語感覚が高学年になってから開花したこと、などが挙げられています。

個人的にはこの最後の仮説が興味深いと思います。語学学習には「寝かせる」という感覚があって、長期間にわたって触れ続けた言語が、ある時点で一気に内在化されるような経験を持つ学習者は少なくありません。小学1年生から積み上げてきた暗示的な英語接触が、9年生になってようやく実を結んだ、という解釈は、学習者の経験ともうまく符合するように思えます。もちろんこれは推測の域を出ませんし、論文自身も同様の留保をしています。

方法論的な強みと限界

本論文の強みはまず大規模な縦断データにあります。5年生・7年生・9年生という3時点での追跡は、英語教育研究においては貴重です。都市部・農村部両方のコンテクストをカバーし、12校が参加しているという点でも、結果の外的妥当性を一定程度確保できています。

一方で限界も正直に書かれています。最も大きな問題は、9年生の評価条件が両コホートで異なっていたことです。後期開始群(コホート1)の9年生評価は複数教科を含む1日がかりの試験の一部でしたが、早期開始群(コホート2)の9年生評価は英語のみの60分テストでした。この違いが認知負荷の差を生み、早期開始群のスコアを実質的に底上げした可能性は否定できません。著者らはこの差の影響は「小さい」と主張していますが、論文の最大の弱点のひとつと見なすべきでしょう。

また、年齢と学習量(exposure)が切り離せないという問題も率直に認めています。早期開始群が有利なのは「早く始めたから」なのか、「多く学んだから」なのかを区別するのは、この研究設計では原理的に困難です。これは当該分野の多くの研究に共通する課題でもあります。

さらに、放課後の課外活動・ICT利用・家庭での英語使用といった学校外の変数が統制されていない点も、特に現代の文脈では重要な制限となります。YoutubeやNetflixで英語コンテンツに日常的に触れる子どもが増えている今、学校教育だけで説明できることの範囲は以前より狭まっています。

日本の英語教育への示唆

本論文は日本の英語教育関係者にとっても他人事ではありません。日本でも2020年度から小学5・6年生の英語が正式教科化され、3・4年生では外国語活動として導入されています。「早く始めれば伸びる」という期待のもとに制度が設計されているわけですが、本論文が示すのはそれほど単純ではない現実です。

ひとつ特に刺さるポイントが、移行期の問題です。小学校では「聞く・話す」を中心とした活動的・暗示的な学習が多いのに対し、中学校に入ると文法訳読式・試験重視の学習スタイルに切り替わることが多い。この断絶は、ドイツのケースとほぼ重なります。小学校で楽しく英語を学んできた子どもが、中学1年の最初の定期テストで「なんでこんなに難しくなったんだ」と戸惑う光景は、現場の教員なら思い当たるところがあるのではないでしょうか。

本論文が示唆することは、小学校での英語学習の成果を中学校でいかに引き継ぐかが、早期開始の成否を左右するということです。小中連携、指導法の継続性、診断的評価の活用といった施策が不可欠です。政策として「早期化」を実施するなら、それに対応できる教師の研修や教材の開発をセットで進めなければ、初期の貯金は中学校で使い切られてしまう。Jaekelらが繰り返し強調するこのメッセージは、日本の文脈でもそのまま通用します。

また、本論文が認知能力・文化資本・母語といった個人差変数の影響を統制した上でも早期開始の効果を確認している点は重要です。英語力に対する家庭環境の影響は日本でも無視できませんが、それを超えた学習開始年齢の独自の効果がある程度存在することは、教育政策的に意味のある発見です。ただし、その効果が現れるのは長い時間をかけてのことであり、「小学校英語をやったら中学でも優位」という即効的な期待は持ちすぎない方がよいでしょう。

加えて、本論文は英語力の評価を受容技能(リスニング・リーディング)に限定しています。スピーキングやライティングといった産出技能についてはデータがなく、英語力全体の描像としては片面的です。日本でも「話せる英語」の育成が叫ばれる中、受容技能の結果だけをもって早期教育の価値を論じることには慎重でなければなりません。

早期外国語学習をどう評価すべきか

本論文は結論部分で、EFLLの価値を語学習熟度だけで測るべきではないと明言しています。異文化理解の促進や、外国語・他文化への積極的な態度の形成も、EFLLの重要な成果として考慮されるべきだ、というのです。この指摘は本質的だと思います。英語を道具として使えるかどうか、という実利的な視点に偏りがちな日本の議論に、ひとつの問いを投げかけています。英語を早く学び始めることで、言語そのものへの親しみや好奇心、外国のものごとへの開かれた態度が育まれるとしたら、それはテストのスコアには現れない、しかし非常に大切な教育的成果ではないでしょうか。

おわりに―「早期化」は手段であって目的ではない

本論文は、早期外国語学習の長期的影響について、これまでになく精緻で誠実なエビデンスを提供しています。結果は「早く始めれば必ず有利」というほど単純でもなく、「早期化は無意味」というほど否定的でもなく、条件と文脈次第、という複雑な現実を映し出しています。

研究者として評価したいのは、著者らが自らの研究の限界をきちんと認識し、それを隠さずに論じている点です。「データが答えてくれない問いがある」と率直に書ける研究は、読む者の信頼を得ます。そして「さらなる縦断研究が必要」という結論は、逃げではなく、誠実な科学者としての姿勢の表れです。

日本の英語教育に携わる方々にとって、本論文から得られる最大の教訓はこうでしょう。早期化という制度上の判断を下したなら、その後のプロセス―移行期の支援、教師の専門性、カリキュラムの連続性―に継続的に投資し続けなければ、種をまいただけで水やりを忘れたようなことになりかねない。早期英語教育とは、スタートラインを早めることではなく、長い学習の道のりを丁寧に設計することなのだと、本論文は静かに、しかし力強く語りかけています。


Jaekel, N., Schurig, M., van Ackern, I., & Ritter, M. (2022). The impact of early foreign language learning on language proficiency development from middle to high school. System, 106, Article 102763. https://doi.org/10.1016/j.system.2022.102763

 

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By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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