スマートフォンやパソコンでメッセージを送る際、「ありがとう」「了解です」といった定型文が自動で提案されることがあります。これは「スマートリプライ」と呼ばれる人工知能(AI)技術の一つです。便利な機能ですが、私たちのコミュニケーションにどのような影響を与えているのでしょうか。
スタンフォード大学のハンナ・ミエチコウスキー氏らの研究チームは、この問いに答えるべく興味深い実験を行いました。その結果をまとめた論文が、「AI-Mediated Communication: Language Use and Interpersonal Effects in a Referential Communication Task」(AI仲介コミュニケーション:参照コミュニケーションタスクにおける言語使用と対人効果)です。
研究の背景
近年、AIによるコミュニケーション支援技術は急速に発展し、私たちの日常生活に浸透しつつあります。Googleのスマートリプライ機能は、1日に数十億回も利用されているといいます。
こうした技術は便利な反面、人間同士のコミュニケーションの本質を変えてしまう可能性も指摘されています。例えば、AIが提案する文章が人間の自然な表現とは異なる傾向を持つことで、会話の雰囲気が変わってしまうかもしれません。
そこでミエチコウスキー氏らは、スマートリプライがコミュニケーションに与える影響を科学的に検証しようと考えました。特に注目したのは、以下の3点です:
1. AIが提案する文章の特徴
2. AIの提案を使うことで、人間の言葉遣いが変化するか
3. AIの介入が、会話の相手に対する印象や課題の達成度に影響するか
実験の概要
研究チームは、68人の大学生を対象に実験を行いました。2人1組のペアを作り、1人が「ディレクター」、もう1人が「マッチャー」の役割を担当します。
ディレクターには、10個の抽象的な図形(タングラム)が書かれた紙が渡されます。一方マッチャーには、同じ図形が無作為に並べられた紙が渡されます。2人はGoogle Hangouts Chatを使ってテキストメッセージをやり取りし、マッチャーが持つ図形の順番をディレクターの紙と同じにすることが課題です。
ここで重要なのは、ペアの半数では、ディレクターにスマートリプライ機能が提供されたことです。彼らには、可能な限りAIの提案を使うよう指示が出されました。残りの半数はスマートリプライなしで会話をします。この2グループを比較することで、AIの影響を測定しようというわけです。
AIの文章は「ポジティブ」に偏っている
分析の結果、まず明らかになったのは、スマートリプライが提案する文章の特徴です。なんと93%の提案が、ポジティブな感情を表現するものでした。例えば「素晴らしい!」「了解です!」といった具合です。
研究チームは、VADER(Valence Aware Dictionary and sEntiment Reasoner)という感情分析ツールを使って、文章のポジティブ度を数値化しました。その結果、AIの提案はヒトが書いた文章よりも明らかにポジティブ度が高いことがわかりました。
ヒトの言葉遣いは変わらない?
では、このようなポジティブな文章を頻繁に使うことで、ディレクター自身の言葉遣いも変化するのでしょうか。意外なことに、その証拠は見つかりませんでした。
スマートリプライを使ったディレクターの発言全体は確かにポジティブ度が高くなります。しかし、AIの提案を除いた部分だけを見ると、スマートリプライなしで会話をしたグループと大きな違いはありませんでした。つまり、ヒトは自分の言葉遣いをAIに合わせて変えることはしなかったのです。
さらに興味深いことに、マッチャー(スマートリプライを使っていない方)の言葉遣いにも変化は見られませんでした。通常、会話をする2人の言葉遣いは徐々に似てくると言われています(言語的同調)。しかし今回の実験では、ポジティブなAIの影響が相手に「伝染」することはありませんでした。
AIはどのように会話に組み込まれたか
研究チームは、ディレクターがスマートリプライをどのように使ったかも分析しました。その結果、以下のようなパターンが浮かび上がりました:
1. 質問への回答(34%):
マッチャー: 「右側の”肩”の部分が飛び出ていますか?」
ディレクター: 「はい、そうです」(AIの提案をそのまま使用)
2. 情報提供への承認(22%):
マッチャー: 「了解しました!!」
ディレクター: 「素晴らしい!」(AIの提案) + 「次は面白い形ですよ」(自分の言葉を追加)
3. 評価への同意(18%):
マッチャー: 「うさぎみたいな形以外は、みんな人型に見えますね」
ディレクター: 「その通りです!」(AIの提案) + 「私もそう思います」(自分の言葉を追加)
このように、AIの提案は主に会話の流れを円滑にする「つなぎ」の役割を果たしていたことがわかります。ディレクターは約25%のケースでAIの提案をそのまま使い、残りのケースでは自分の言葉を追加していました。
相手への印象は変わるか?
次に研究チームは、AIの介入が会話の相手に対する印象に影響を与えるかどうかを調べました。具体的には、以下の4つの要素について、7段階で評価してもらいました:
1. 温かさ(親切さ、誠実さなど)
2. 有能さ(知性、効率性など)
3. 社会的魅力(親しみやすさ、好感度など)
4. タスク魅力(課題遂行能力への評価)
結果は興味深いものでした。温かさ、有能さ、タスク魅力については、スマートリプライの有無による大きな違いは見られませんでした。しかし、社会的魅力に関しては、スマートリプライを使ったディレクターの評価が低くなる傾向が見られたのです。
ただし、研究チームは新型コロナウイルスの影響で予定よりも少ない人数でしか実験できなかったため、この結果の信頼性については慎重な姿勢を示しています。より大規模な追試が必要だと言えるでしょう。
課題の達成度に違いはあるか?
最後に、スマートリプライの使用が課題の達成度に影響を与えるかどうかも調べられました。具体的には、以下の3点が測定されています:
1. 正確さ(正しく並べられた図形の割合)
2. 会話の長さ(やり取りされたメッセージの数)
3. 1メッセージあたりの単語数
結果として、正確さと会話の長さにはほとんど違いが見られませんでした。ただし、スマートリプライを使ったディレクターは1メッセージあたりの単語数が若干多くなる傾向がありました。これは、AIの提案に自分の言葉を追加することが多かったためと考えられます。
研究の意義と今後の課題
この研究は、AIがコミュニケーションに与える影響を実験的に検証した貴重な例と言えるでしょう。特に以下の点が注目されます:
1. スマートリプライが提案する文章には強いポジティブバイアスがある
2. しかし、そのバイアスは人間の言葉遣いには大きな影響を与えない
3. AIの介入は、相手への印象のうち「社会的魅力」を低下させる可能性がある
4. 一方で、課題の達成度にはほとんど影響しない
ただし、研究チームも認めているように、この実験にはいくつかの限界があります:
– サンプル数が少ない(新型コロナウイルスの影響)
– 参加者が大学生に限られている
– 特定の課題(図形の説明)に限定されている
– 普段の使い方とは異なり、AIの提案を積極的に使うよう指示している
今後は、より多様な参加者を対象に、さまざまな状況でのAIの影響を調べる必要があるでしょう。また、長期的な使用がコミュニケーションスタイルに与える影響なども、興味深い研究テーマとなりそうです。
終わりに
AIによるコミュニケーション支援は、今後ますます私たちの生活に浸透していくと予想されます。その影響を科学的に検証し、より良いシステムづくりにつなげていくことが重要です。
ミエチコウスキー氏らの研究は、その第一歩として大きな意義を持つと言えるでしょう。AIと人間のコミュニケーションの未来について、私たち一人一人が考えるきっかけにもなりそうです。便利さと引き換えに失うものはないか。あるいは、AIとの共生によって人間のコミュニケーション能力はさらに高まるのか。興味深い問いが、私たちの前に広がっています。
Mieczkowski, H., Hancock, J. T., Naaman, M., Jung, M., & Hohenstein, J. (2021). AI-mediated communication: Language use and interpersonal effects in a referential communication task. Proceedings of the ACM on Human-Computer Interaction, 5(CSCW1), Article 86. https://doi.org/10.1145/3449160