この論文が問うこと
英語を「教科」として学ぶことと、英語を「授業の道具」として使いながら学ぶことは、学習者の心理にどのような違いをもたらすのでしょうか。この一見シンプルに見える問いに、Li Mingyu(リー・ミンユー)氏は丁寧に向き合っています。本論文”Relocating from EFL to EMI: a case study on L2 learning motivation of English major students in a transnational university in China”(2024年、Asian-Pacific Journal of Second and Foreign Language Education掲載)は、中国の英日中合弁型トランスナショナル大学を舞台に、英語専攻の学部生182名を対象として実施された混合研究法(mixed-methods)による事例研究です。著者はイギリスのエクセター大学を所属機関としており、中国とイギリスの教育制度双方に通じた視点から分析が行われています。
研究の核心にある問いは二つです。一つは、文系(liberal arts)と理系(science)という異なる教育的背景を持つ英語専攻学生の間で、第二言語学習動機(L2 learning motivation、以下L2LM)にどのような共通点と相違点が見られるか。もう一つは、EMI(English Medium Instruction、英語を教授言語とする授業形態)という文脈が、そうした動機づけにどのような影響を与えているかということです。
日本の英語教育に携わる方々にとってこの論文が興味深い理由は、単に「中国の話」にとどまらないからです。日本でも近年、国際バカロレア(IB)認定校の増加、スーパーグローバル大学事業(SGU)によるEMI授業の普及、私立中高一貫校における英語授業の英語化など、EFLからEMIへの移行が静かに、しかし確実に進んでいます。その文脈で、この研究の知見は決して他人事ではありません。
L2動機づけ自己システムという理論的枠組み
論文を理解するうえで欠かせないのが、Zoltán Dörnyei(ドルニェイ・ゾルタン)が2005年に提唱した「L2動機づけ自己システム(L2 Motivational Self System、L2MSS)」です。これは、かつて主流だったRobert Gardner(ガードナー・ロバート)の統合的動機づけ・道具的動機づけという二項対立モデルを発展的に乗り越えたものとして、応用言語学分野では今や標準的な理論枠組みの一つとなっています。
L2MSSは三つの要素から成ります。まず「理想L2自己(ideal L2 self)」とは、将来こんな英語使いになりたいという自分のビジョンです。たとえば「海外の会議で自信を持って発言できる自分」を思い描いているなら、その理想と現在の自分とのギャップが学習を駆動する力になります。次に「当為L2自己(ought-to L2 self)」は、周囲の期待に応えなければならない、あるいは失敗を避けなければならないという義務感に基づく動機づけです。「英語ができなければ就職に不利だから」「親を失望させたくないから」といった動機がこれにあたります。最後の「L2学習経験(L2 learning experience)」は、教師との関係、クラスの雰囲気、授業の内容など、学習環境そのものから生じる動機づけです。
この三要素のうち、どれが強く作用するかは学習者の文脈によって異なります。そしてEMI環境はそのバランスを大きく揺さぶる可能性がある―これがこの研究の根本的な着眼点です。
研究の設計と対象
研究が行われた「大学A」は、中国本土の大学と英語圏の大学が共同運営するトランスナショナル大学であり、授業の大部分が英語で行われ、課題提出も英語が求められます。日本式に言えば、いわゆるEFL環境からEMI環境への「転換点」を体験している学生たちです。
参加者は英語専攻の学部生182名(女性134名、男性48名)で、文系出身139名、理系出身43名という構成です。この3対1という比率は大学全体の文理比率を反映しており、代表性の確保という点で一定の妥当性があります。調査方法はRyan(ライアン)(2009)のL2MSS準拠質問紙を中国語・英語のバイリンガル形式で修正したもの(4件法、30項目)を全員に配布し、さらに6名(文系4名、理系2名)を対象に半構造化インタビューを中国語で実施するという混合研究法です。量的データはIBM SPSS 24で分析され、独立サンプルt検定とCohen’s dによる効果量算出が行われました。質的データはNVivoを用いた帰納的テーマ分析によって処理されています。
文系と理系の共通点―EMIが強化する動機づけ
量的分析の結果をまず概観すると、文系・理系の両グループに共通して高い平均値が認められたのは「理想L2自己」(文系3.86、理系3.84)と「国際的姿勢(international posture)」(文系3.83、理系3.86)でした。「当為L2自己」「道具的動機(instrumentality)」「家族の影響」も比較的高い値を示しています。
インタビューでも、参加者全員が英語を流暢に話せる自分を思い描いていることが語られました。理系の参加者Eは「クラスで流暢に英語でプレゼンする自分を夢見ることがある。その気持ちが英語学習への意欲につながっている」と述べており、文系・理系を問わず理想自己が動機づけの中核にあることを示しています。
国際的姿勢については、参加者の多くが「英語は世界への橋」という認識を持ち、海外大学院進学や英語を使う国際企業への就職を明確に志向していました。EMI環境に置かれることで、英語が単なる「試験科目」から「キャリアのための実用ツール」へと意味を変えていくプロセスが、ここに見えてきます。
一方で両グループとも低い値を示したのが「校内学習経験(in-school learning experience)」(文系1.55、理系1.58)と「校外学習経験(out-of-school learning experience)」(文系1.60、理系1.66)でした。インタビューからは、授業内容が高校時代と重複していると感じる学生や、教師が教科書を読み上げるだけで創意工夫が見られないと批判する学生の声が聞かれました。他の必修科目に追われ、英語に割ける時間が試験前にしか確保できないという実情も浮かび上がっています。
この「高い理想、低い現実の学習経験」という構図は、EMI環境が学習者に対して動機づけを高めるポテンシャルを持ちながら、実際の授業実践がそれに追いついていないことを示唆しており、日本の英語教育改革の文脈でも強く響く知見です。
文系と理系の相違点―三つの断層線
両グループの間で統計的に有意な差(p<0.05)が認められたのは「当為L2自己」「言語不安(language anxiety)」「教師の影響(teacher influence)」の三点です。
当為L2自己のCohen’s dは0.93と大きく、文系学生(平均3.55)が理系学生(平均3.23)よりも有意に高い値を示しました。これは、英語が高校時代から密接に関わってきた文系学生が、英語の失敗に対してより強い危機感を持っているからだと著者は解釈しています。中国の高校では、文系クラスは英語の比重が高く、理系クラスは数学・理科が中心です。この教育的背景が大学入学後も動機づけのパターンに影響を残すという見立ては説得力があります。
言語不安のCohen’s dはなんと4.18という驚異的な数値で、文系(平均3.58)と理系(平均2.06)の差はきわめて顕著です。文系グループに女性が圧倒的に多い(90%)一方、理系グループは男性が88%を占めるという性別構成の偏りが、先行研究で知られる「女性のほうが言語不安を感じやすい傾向」と重なっている可能性も著者は認めていますが、判断は留保しています。インタビューでは、文系の参加者Aがプレゼン前の極度の緊張を語り、参加者Cはネイティブスピーカーと話す際に特に不安が高まると述べています。これは単に「苦手意識」ではなく、英語を専攻として選んだことへの責任感が逆に不安を増幅させているという文系特有の心理構造を示しているようにも読めます。
教師の影響のCohen’s dは3.86で、文系(平均3.32)が理系(平均2.12)を大きく上回ります。理系の参加者Eは「高校では数学が中心だったから、英語の先生の影響はそれほどなかった」と語っており、これは高校時代の教科優先度の差がそのまま大学での英語学習の姿勢に持ち越されていることを示しています。EMI環境では文系学生にとって教師との関係が動機づけの重要な資源となっていますが、理系学生にとってはそれほどの重みを持たないという非対称性は、教育実践において文理別のアプローチが必要であることを示唆しています。
関連研究との対比から見えるもの
この研究はYin(2017)とLin(2017)という先行研究を重要な比較対象としています。Yinは文系学生のほうが当為L2自己や学習経験への感応度が高いと報告しており、本研究の当為L2自己の知見と整合しています。一方Linは当為L2自己において理系学生のほうがより動機づけられているという逆の結果を報告しており、本研究とは一致しません。この矛盾について著者はKozakiとRoss(2011)を引きながら「個人差による」と述べますが、やや踏み込みが浅い感は否めません。調査対象の大学の特性、専攻の性質、データ収集時期の違いなど、方法論的な変数をより詳細に比較することで、先行研究との乖離をより精緻に説明できたかもしれません。
また、Du & Jackson(2018)がEFLからEMIへの移行後に英語学習動機が上昇すると報告している知見との接合も示唆的です。本研究はその「上昇」が単純ではなく、文系・理系という背景によって質的に異なる形で現れることを示しており、先行研究の平板な図式を複雑化する貢献があります。
研究の強みと限界
本研究の最大の強みは、EMIという脈絡の中で文理という軸を切り込んだ点です。従来の動機づけ研究は性別、年齢、習熟度といった変数を重視してきましたが、日本を含む多くの国で高校教育における文理分岐が存在するにもかかわらず、その影響を直接検討した研究はほとんどありませんでした。この意味でこの論文は、方法論的な開拓者としての意義を持ちます。
混合研究法の採用も評価できます。量的データだけでは見えない学生の内面の声が、インタビューによって補完されており、「数字の背後にある人間」を描き出すことに成功しています。特に文系と理系の学生が教師に対して持つ態度の違いは、量的分析の数値に「肉」をつける形で質的データが機能しており、データの三角測量として有効です。
一方で限界も率直に論じておく必要があります。まず、データ収集が2018年5月から6月という1ヶ月余りに限定されており、動機づけの時間的変化を捉えられていません。動機づけはDörnyei(2017)も強調するように動的で流動的なものであり、縦断的なデザインなしにその本質を語ることには限界があります。
次に、インタビュー参加者がわずか6名(文系4名、理系2名)であることは、質的分析の代表性という点で懸念を残します。6名の語りがいかに豊かであっても、テーマ飽和(data saturation)の達成を主張するには、やや心許ない数です。特に理系学生がわずか2名では、理系学生の経験を十分に掘り下げることは難しいと言わざるをえません。
また、性別の著しい偏り(文系=女性90%、理系=男性88%)は、文理の違いとして見えているものが実は性別差を反映しているという解釈可能性を高めます。著者もこれを認識して言及していますが、多変量分析などで性別の影響を統制した分析がなかったことは、論文の結論の確実性を下げる要因です。
さらに、研究対象が一校のトランスナショナル大学に限定されており、この大学が中国の大学の中でも特殊な位置づけにあるため、一般化可能性には留保が必要です。著者は「類似した教育環境への一般化可能性」に言及しますが、その「類似した環境」がどこを指すのかは不明瞭です。
日本の英語教育への示唆
日本の英語教育関係者の視点からこの論文を読み直すと、いくつかの点が強く刺さります。
一つ目は、EMI移行が「英語を道具として使う動機」を高める可能性があるという知見です。日本の高等学校でも、いわゆる「英語の授業を英語で行う」ことへの要請が強まっています。しかし本研究が示すように、EMI化は自動的に動機づけを高めるわけではなく、授業の質と教師の指導力が伴わなければ「校内学習経験」の数値は低迷したままです。EMI推進と教師の専門的発達(professional development)は分かちがたくセットで考える必要があります。
二つ目は、文理という分岐が英語学習の動機づけに残す痕跡の問題です。日本でも高校での文理分けは一般的であり、理系出身の大学生が英語に対して「必要なのはわかるが、感情的なつながりを感じにくい」という態度を持ちやすい可能性は、現場の教員なら多かれ少なかれ体感しているはずです。本研究はその体感に量的根拠を与えてくれます。理系学生に英語学習の意義を実感させるためには、科学論文の読解、英語による実験発表、国際学会への参加体験など、理系としての文脈に根ざした言語使用の機会が鍵になるでしょう。
三つ目は、当為L2自己と言語不安の関係です。「失敗したくない」「恥をかきたくない」という義務感から生まれる当為L2自己は、短期的には学習を駆動しますが、長期的には不安と表裏一体です。日本の英語教育環境でも、入試プレッシャーや「間違えることへの恐れ」が学習者のリスクテイキングを妨げているという指摘は古くから繰り返されています。本研究の言語不安の分析は、その問題の根を別角度から照射しており、動機づけ理論と不安研究の接続点として参照価値があります。
理論的貢献と今後への期待
著者はL2MSSの枠組みをEMI文脈に適用しましたが、この枠組み自体への批判的検討はやや薄い印象があります。L2MSSは2005年の提唱以来20年近くが経過しており、Directed Motivational Currents(Dörnyei et al., 2016)のようにより動態的・社会的な視点を組み込んだ後継理論も出てきています。著者は結論部でこの点に触れ、今後の研究への示唆として言及していますが、本研究の分析自体がL2MSSの限界に直面する場面があれば、そこで積極的に論じてほしかったところです。
また、EFLからEMIへの移行という文脈変化が動機づけに与える影響は、縦断的追跡なしには深く理解できません。たとえば、入学直後・1年後・卒業時という三時点で同一学生を追跡することで、EMI環境への適応と動機づけの変容のダイナミクスを捉えることができるでしょう。この論文が事例研究として積み上げた基盤の上に、次の研究者が縦断的デザインで続く研究を行うことが期待されます。
さらに付言すれば、「大学A」がどのような英語教授法を採用しているのか、授業はどの程度EMIが徹底されているのか、教員の国籍・言語背景はどうかといった「EMIの質」に関する情報が論文中に乏しく、EMI環境の内実をより詳細に記述することで、知見の解釈精度が上がったと思われます。
一本の論文が問いかけること
この論文を読んで私が思い出したのは、ある高校の英語教師が語っていた言葉です。「理系クラスで英語を教えるのは、文系クラスとは空気感がまったく違う。理系の子たちは英語の必要性はわかっているのに、どこか他人事のような顔をしている」というものでした。その「他人事感」の正体が何なのかを、この論文は統計と言葉の両面から丁寧に解きほぐそうとしています。
L2MSSという枠組みを使いながら、文理という変数を持ち込み、EMI環境という特殊条件の下で動機づけのパターンを比較した本研究は、方法論的な堅実さと問いの面白さを兼ね備えています。限界はありますが、それは誠実に認められており、今後の研究への問いを開いています。
英語を教えることとは、最終的には学習者の中に「英語を使いたい自分」を育てることだという信念を持つ教育者にとって、動機づけ研究は決して象牙の塔の話ではありません。この論文は、そのことを改めて思い起こさせてくれる一本です。
Li, M. (2024). Relocating from EFL to EMI: A case study on L2 learning motivation of English major students in a transnational university in China. Asian-Pacific Journal of Second and Foreign Language Education, 9, 57. https://doi.org/10.1186/s40862-024-00284-y
