はじめに:研究の背景と意義
外国語教育において、学習者個人の能力を正確に把握し、適切な指導を行うことは極めて重要な課題です。特に英語を外国語として学ぶ環境では、母語話者とは異なる学習プロセスを経るため、従来の評価方法では十分に対応できない場面が多く存在します。
本論文”English foreign language reading and spelling diagnostic assessments informing teaching and learning of young learners”は、オラニム大学のヤニナ・カーン=ホーウィッツ氏とハイファ大学のザハヴァ・ゴールドシュタイン氏による共同研究で、2024年にLanguage Testing誌に掲載されました。この研究は、ヘブライ語を母語とする5年生から10年生の学習者175名を対象として、EFL(English as a Foreign Language)の読み書き能力について包括的な診断評価を実施したものです。
研究の背景には、イスラエルにおけるEFL教育の現状があります。イスラエルでは学習者の10-20%が母語の習得に困難を抱えているとされ、さらに多くの学習者がEFLの習得に苦労しています。これらの困難は、過密な教室環境、社会経済的背景、専門知識を持った教師の不足など、様々な要因によるものと考えられています。
研究方法の特徴と妥当性
調査設計の包括性
この研究の最も注目すべき点の一つは、その調査設計の包括性にあります。従来のEFL研究では、読解や語彙といった個別のスキルに焦点を当てることが多かったのに対し、この研究では文字レベルから文章レベルまでの多層的な能力を同時に測定しています。
具体的には、単一文字の音韻認識、音韻の下位単語認識(二重音字、三重音字、四重音字、語尾など)、単語読解、迅速自動命名(RAN)、スペリング、音読速度といった基礎的な読み書き能力に加えて、語彙知識、文法感覚、形態素意識といった意味理解に関わる能力も測定対象に含めています。
この多面的なアプローチは、EFL学習者の能力を包括的に理解するという点で評価できます。従来の研究では見落とされがちであった、文字レベルから文章レベルまでの各層での学習者の困難を明らかにすることができる設計となっています。
サンプルと調査手続き
研究参加者は、イスラエル北部の4つの学校から無作為に選ばれた175名の学習者です。参加者の選定においては、英語圏での居住経験がある学習者、家庭で英語を話す多言語環境の学習者、特定の学習障害を持つ学習者は除外されています。この選定基準は、EFL環境での「純粋な」外国語学習を調査するという研究目的に照らして適切であると考えられます。
また、参加者は中・高所得層の背景を持つ地域の学校から選ばれており、社会経済的要因をある程度統制しています。これは研究の内的妥当性を高める一方で、結果の一般化可能性については慎重な検討が必要です。
調査は主研究者と研究助手(EFL補習教師で教育学修士号保持者)によって実施され、各学習者に対して50分から1時間の個別テストが行われました。この個別評価の実施は、データの質を確保する上で重要な要素ですが、同時に大規模調査の実用性という観点からは課題も残されています。
研究結果の分析と考察
学年間の能力差について
研究結果で最も興味深い発見の一つは、単一文字の音韻認識において学年間で有意差が見られなかったことです。5年生から10年生まで、いずれの学年でも各文字に対して約一つの音韻を認識できる程度であり、完全な自動認識には至っていませんでした。この発見は、EFL環境において基礎的な文字音韻対応の習得に長期間を要することを示唆しています。
一方で、下位単語レベル(二重音字、三重音字など)の認識については学年とともに改善が見られましたが、10年生でも約70%の正答率にとどまっています。これは8年間のEFL学習後でも、英語の複雑な音韻体系の習得が完全ではないことを示しています。
単語読解能力については、5年生の50%未満から10年生の86%まで段階的な向上が確認されました。しかし、10年生でも天井効果は見られず、さらなる改善の余地があることが示されています。
能力間の相関関係
この研究のもう一つの重要な発見は、EFL能力の各構成要素間の相関関係が学年によって変化することです。5年生では単一文字認識が他の能力と相関していましたが、10年生ではこの相関は見られなくなります。代わって、10年生では下位単語認識、単語読解、スペリング能力が語彙、文法、形態素意識と高い相関を示すようになります。
この変化は、EFL学習の発達過程における質的な変化を示唆しています。初期段階では文字レベルの基礎的なスキルが重要ですが、習熟が進むにつれて、より高次な言語要素間の統合的な処理が重要になることが示されています。
特に注目すべきは、単語読解とスペリング能力が全ての学年で高い相関を示していることです。この発見は、両者が同一の基礎的能力(音韻認識や語彙知識など)に依存していることを示唆しており、指導法の開発において重要な意味を持ちます。
研究の限界と課題
サンプルの代表性について
この研究の最も大きな限界の一つは、サンプルの代表性です。参加者は中・高所得層の背景を持つ地域から選ばれており、イスラエル全体の学習者を代表しているとは言い難い状況です。社会経済的地位は言語学習に大きな影響を与えることが知られており、低所得層の学習者では異なる結果が得られる可能性があります。
また、ヘブライ語母語話者のみを対象としており、アラビア語母語話者など他の言語背景を持つ学習者については言及されていません。イスラエルの多言語環境を考慮すると、より包括的な調査が必要と考えられます。
調査設計上の課題
横断的研究設計により、同一学習者の経時的変化を追跡していない点も限界として挙げられます。学年間の違いが発達的変化によるものなのか、世代効果によるものなのかを判断することは困難です。縦断的研究により、個人内の発達パターンを明らかにすることができれば、より価値のある知見が得られたでしょう。
また、各学年で異なる評価項目(スペリング、語彙、音読速度)を使用している点も、学年間比較を困難にしています。これは学年に応じた適切な難易度の課題を提供するという実用的な考慮によるものですが、発達パターンの解釈には注意が必要です。
統計分析の妥当性
データの非正規分布と分散の不均一性に対応するため、一般化線形モデル(GLM)とロバスト標準誤差を使用している点は評価できます。しかし、多重比較の調整にボンフェローニ補正を使用していることで、第二種エラー(本来有意な差を見落とす)の可能性が高まっている恐れがあります。
また、相関分析において、175名という比較的小さなサンプルを6つの学年に分けて分析しているため、各学年の分析において統計的検定力が不足している可能性があります。
実践的意義と教育への応用
診断評価ツールとしての価値
この研究で開発された評価バッテリーは、EFL学習者の個別ニーズを特定する診断評価ツールとして一定の価値を持っています。特に、文字レベルから文章レベルまでの多層的な評価により、学習者がどの段階で困難を抱えているかを特定することが可能です。
例えば、単語読解能力は高いが下位単語認識で困難を示す学習者に対しては、音韻意識の強化を図る指導が効果的である可能性があります。また、基礎的な読み能力は持っているが語彙知識で困難を示す学習者には、語彙拡充に重点を置いた指導が必要でしょう。
教師教育への示唆
研究結果は、EFL教師が英語の音韻体系、語彙構造、形態素に関する専門知識を持つ必要性を示しています。特に、英語の複雑な音韻パターン(二重音字、三重音字など)について、教師自身が十分な理解を持ち、それを学習者に効果的に指導できる能力が求められます。
この点は、イスラエルに限らず多くのEFL環境で共通する課題です。母語話者ではない教師が英語の音韻システムを完全に理解し、それを学習者に伝達することは容易ではありません。体系的な教師教育プログラムの必要性が示されています。
指導法開発への貢献
研究で明らかになった能力間の相関関係は、統合的な指導法の開発に重要な示唆を提供しています。特に、単語読解とスペリング能力の高い相関は、両者を統合した指導法の有効性を示唆しています。
また、上級学習者において意味的要素(語彙、文法、形態素)と音韻的要素の統合が重要になることから、初級段階での基礎的なスキル習得と、中上級段階での統合的な言語処理能力の育成という、段階的な指導計画の重要性が示されています。
理論的貢献と今後の研究課題
外国語習得理論への貢献
この研究は、外国語環境における読み書き能力の発達について貴重なデータを提供しています。特に、単一文字認識から統合的な言語処理へという発達パターンは、外国語読み書き習得の理論的理解を深める上で価値があります。
また、母語(ヘブライ語)との対比において英語の学習がどのように進行するかについても間接的な示唆を提供しています。セム語族のヘブライ語とゲルマン語族の英語という、系統的に異なる言語間での学習プロセスの理解に貢献しています。
方法論的な課題と改善点
今後の研究では、いくつかの方法論的改善が必要と考えられます。まず、縦断的研究設計により、個人内の発達パターンをより詳細に追跡することが重要です。また、より多様な社会経済的背景を持つ学習者を含めることで、結果の一般化可能性を高める必要があります。
さらに、学習者の動機、学習ストラテジー、教室外での英語使用経験など、学習成果に影響を与える可能性のある要因を考慮した包括的なモデルの構築が求められます。
国際比較研究の必要性
この研究はイスラエルという特定の文脈での調査ですが、同様の研究が他のEFL環境でも実施されることで、より普遍的な知見が得られる可能性があります。特に、母語の文字体系が異なる学習者(例:中国語、アラビア語、日本語母語話者)での比較研究は、EFL読み書き習得の普遍的メカニズムと文化特異的な要因を区別する上で重要です。
結論:研究の意義と展望
カーン=ホーウィッツとゴールドシュタインによるこの研究は、EFL読み書き能力の診断評価という重要な分野に対して、包括的で実践的な貢献を行っています。175名の学習者を対象とした詳細な調査により、EFL学習者の能力発達について貴重な知見を提供し、診断評価ツールの開発と指導法改善の基盤を築いています。
研究の最も重要な貢献は、EFL学習者の読み書き能力を多層的に評価することの重要性を実証した点です。従来の総合的な評価では見落とされがちな、学習者個人の特定の困難領域を特定することにより、より効果的で個別化された指導が可能になることが示されました。
一方で、サンプルの代表性、研究設計の限界、統計分析の課題など、いくつかの制約も存在します。これらの限界は研究結果の解釈において十分に考慮されるべきですが、研究の根本的な価値を損なうものではありません。
今後の研究では、より多様な学習者を対象とした縦断的調査、他の言語文化圏での比較研究、指導法開発への実践的応用などが期待されます。また、デジタル技術を活用した評価ツールの開発や、人工知能を用いた個別化学習システムへの応用など、新しい技術との融合も興味深い展開として考えられます。
EFL教育の質向上という観点から見ると、この研究は教師、教育政策立案者、研究者にとって価値ある知見を提供しています。特に、学習者の個別ニーズに応じた診断評価と指導の重要性を実証した点は、現場の教育実践に直接的な影響を与える可能性があります。
最終的に、この研究は外国語教育における評価と指導の改善に向けた重要な一歩として位置づけることができます。研究で明らかになった知見を基に、より効果的なEFL読み書き指導法の開発と実践が進むことが期待されます。
Kahn-Horwitz, J., & Goldstein, Z. (2024). English foreign language reading and spelling diagnostic assessments informing teaching and learning of young learners. Language Testing, 41(1), 60–88. https://doi.org/10.1177/02655322231162838