はじめに:失われた歴史の発掘
現在、人工知能(AI)を教育に応用する研究が盛んに行われていますが、多くの人はAIを単純に教育を改善するための技術的手段として捉えているのではないでしょうか。しかし、カリフォルニア大学アーバイン校教育学部のShayan Doroudi氏による論文”The Intertwined Histories of Artificial Intelligence and Education”は、こうした表面的な理解を根底から覆す興味深い歴史的検証を提供しています。
Doroudi氏は、機械学習と教育の交点を研究する新進気鋭の研究者で、Carnegie Mellon大学で博士号を取得した後、現在は学習分析学や教育工学の分野で活動しています。本論文は、2023年にInternational Journal of Artificial Intelligence in Educationに掲載され、これまで断片的にしか語られてこなかったAIと教育の相互関係について包括的な歴史的分析を行っています。
論文の核心的主張:二つの分野は本来一体だった
根本的な認識転換
著者の最も重要な主張は、AIと教育は歴史的に見て別々の分野がたまたま交わったのではなく、本質的に結びついた知的探求として発展してきたということです。1950年代から1970年代のAIの初期開拓者たちは、単にコンピューターを賢くしようとしていたのではなく、人間の思考と学習のメカニズムを理解し、同時にそれを機械で再現しようとしていたのです。
この視点は、現代の多くのAI研究者や教育研究者にとって意外なものかもしれません。なぜなら、現在のAI研究は主に技術的性能の向上に焦点を当て、教育研究は人間の学習プロセスの理解に集中する傾向があるからです。しかし、Doroudi氏が描き出す歴史像では、これらの分離は比較的最近の現象であり、本来の姿ではないということになります。
二つの異なるアプローチの並存
論文では、AIと教育の初期の発展において、二つの主要なアプローチが並行して存在していたことが詳細に説明されています。一つは情報処理心理学に基づく「neat(きちんとした)」アプローチ、もう一つは構成主義に基づく「scruffy(雑然とした)」アプローチです。
前者は、Herbert SimonやAllen Newellといった研究者によって代表され、人間の問題解決を論理的な規則やプロダクション・システムで説明しようとしました。後者は、Seymour PapertやMarvin Minskyらによって推進され、子供の発達や創造的学習により重点を置きました。
興味深いのは、これらの異なるアプローチを取る研究者たちが、実際には互いを尊敬し合い、共通の大きな目標—人間と機械の知性の理解—を共有していたということです。現代の分野の専門化とは対照的に、当時の研究者たちは学際的な対話を重視していました。
個別研究者の詳細な検証
Simon と Newell:論理的思考の探求者たち
Herbert SimonとAllen Newellは、1956年のDartmouth Workshopの参加者として、AI分野の創設に関わった中心人物です。彼らのLogic Theoristプログラムは、数学的定理を証明する最初のAIシステムの一つでしたが、著者が強調するのは、彼らがこれを単なる技術的成果として捉えていなかったということです。
むしろ、彼らは人間がどのように問題を解決するのかを理解するためのツールとしてAIを位置づけていました。彼らの情報処理心理学は、人間の認知プロセスを詳細に分析し、それをコンピューター上でモデル化することで、学習と思考の本質に迫ろうとする試みでした。
教育への貢献として、Newellは1967年にMerlinという知的チューターシステムの開発に着手しました。これは当時としては野心的すぎるプロジェクトで、結果的には完成しませんでしたが、現在のAI教育システムの多くのアイデアの原型を含んでいました。一方、Simonは1966年に「学習工学(learning engineering)」という概念を提唱し、これは現在のAI教育研究の重要な概念として復活しています。
Papert と Minsky:創造性と発見の重視
Seymour PapertとMarvin Minskyのアプローチは、SimonとNewellとは大きく異なっていました。Papertは数学者として出発し、心理学者Jean Piagetのもとで学んだ後、MITでMinskyとともにAI研究を開始しました。
彼らの特徴は、子供の学習と発達により注目したことです。大人の専門家の問題解決を分析するSimonとNewellに対し、PapertとMinskyは子供がどのように世界を理解し、知識を構築していくのかに興味を持っていました。
Papertの最大の貢献は、Logoプログラミング言語の開発です。これは単なる教育用ソフトウェアではなく、子供が数学や科学の概念を探索的に学習するための環境を提供するものでした。Logoの「タートルグラフィックス」では、子供たちは画面上の「亀」を動かすことで、幾何学や物理学の概念を身体的に体験できました。
興味深いのは、Papertのマイクロワールドという概念が、もともとはMinskyとともにAI研究で開発されたアイデアだったということです。複雑な現実世界を簡略化した小さな世界でAIシステムを動作させるという考えが、教育では子供が安全に探索できる学習環境の設計に転用されました。
Schank:物語と経験を重視する学習理論
Roger Schankは、1960年代後半にAI研究に参加し、自然言語処理の分野で重要な貢献をしました。彼の概念依存理論は、言語の表面的な構造ではなく、その背後にある意味構造に注目するものでした。
Schankの教育への転換は興味深いエピソードです。1980年代初頭、彼が全米読書会議で基調講演を行った際、聴衆から学校教育への批判的な意見に対する支持を得たことで、教育改善への関心を深めました。これをきっかけに、彼は自身のAI研究の成果を教育に応用し始めます。
Schankの事例ベース推論の考え方は、人間は抽象的なルールではなく、具体的な経験や物語を通して学習するという理論につながりました。彼の「事例ベース教育」では、学習者は現実的な問題解決場面に置かれ、必要に応じて関連する事例や物語を提供されるという仕組みが提案されました。
1991年、Schankはノースウェスタン大学にInstitute for the Learning Sciencesを設立し、学習科学という新しい分野の創設に中心的な役割を果たしました。しかし、この過程で既存のAIED(AI in Education)コミュニティとの間に摩擦が生じたことも、著者は詳細に記録しています。
英国における並行した発展
Edinburgh大学の先駆的取り組み
論文では、米国での発展と並行して、英国でも類似した動きがあったことが紹介されています。Donald MichieやJim Howeといった研究者たちは、1960年代からAIと教育の相互関係を探求していました。
特に注目すべきは、Edinburgh大学のMachine Intelligence and Perception学科で行われた研究です。彼らは米国の研究者たちと同様に、機械と人間の学習を統合的に理解しようとしていました。Logoを使った数学学習の研究や、障害を持つ子供たちへのコンピューター支援学習の研究など、実践的な応用も積極的に行われていました。
英国の研究者たちの特徴は、社会科学研究会議(SSRC)からの資金支援を受けて、より組織的に研究を進めていたことです。1973年の報告書では「learning science」という概念が提案されており、これは米国で学習科学が確立される約20年前のことでした。
分野の分離:1990年代以降の変化
AIEDとICLSの分裂
論文の後半では、1990年代以降にAIと教育の分野がどのように分離していったかが詳細に分析されています。1991年のInternational Conference of the Learning Sciences(ICLS)の設立は、表面的には分野の発展のように見えますが、実際にはAIED(AI in Education)コミュニティからの分裂を意味していました。
この分裂の背景には、認知アプローチと状況的アプローチの理論的対立がありました。Simon、Newell、Andersonらの情報処理心理学に対して、1980年代後半から状況的学習論や急進的構成主義といった新しい理論が台頭しました。
興味深いのは、状況的学習論の主要な提唱者たちの多くが、実はAI研究の出身だったということです。John Seely BrownやAllan Collins、Terry Winogradなど、AIの初期研究に関わっていた研究者たちが、従来のAIアプローチの限界を感じて新しい理論を提唱したのです。
現代への影響と課題
2018年に「Festival of Learning」として、AIEDとICLSの会議が同時開催されましたが、著者の観察によると、両分野の差は拡大していました。AIED分野は主に機械学習技術の教育への応用に焦点を当て、ICLS分野は質的研究手法を用いた学習の社会文化的側面の研究に特化していました。
現代のAI研究の多くは、深層学習などの技術的成果に集中し、初期の研究者たちが持っていた「人間と機械の知性を統合的に理解する」という視点を失っているというのが著者の診断です。
批評的考察
論文の貢献と限界
この論文の最大の価値は、これまで断片的にしか知られていなかった歴史的事実を体系的に整理し、現在の分野の分離がいかに「自然」でないかを示したことです。多くの現代の研究者にとって、AIと教育の初期の統合的な研究姿勢は驚きかもしれません。
しかし、いくつかの限界も指摘できます。第一に、論文は主に米国と英国の研究者に焦点を当てており、他の国々での類似した動きについては十分に検証されていません。第二に、初期の研究者たちへの「ノスタルジア」的な見方が強く、現代の専門化された研究アプローチの利点についての考慮が不足しています。
歴史記述の妥当性
著者は多数の一次資料を用いて丁寧な歴史記述を行っていますが、その解釈には主観的な要素も含まれています。特に、初期の研究者たちの「統合的視点」を過度に理想化している感があります。Simon、Newell、Papert、Minskyらの間には、論文で描かれるほど明確な共通理解があったかどうかは疑問です。
また、1991年のSchankによるAIED会議の「乗っ取り」について、著者は主にAIED関係者の証言に基づいて記述していますが、Schank側の視点や動機についてはより慎重な分析が必要でしょう。
現代への示唆の実現可能性
論文の終盤で提案されている「仮想的研究タイトル」(「社会文化的制約を知識空間に埋め込む」「モンテッソーリ式ニューラルネットワーク正則化」など)は創造的ですが、これらが実際に意味のある研究につながるかは疑問です。異分野間の単純な組み合わせが常に有益な結果をもたらすわけではありません。
教育と技術の関係性についての考察
技術決定論への警告
この論文が暗黙的に提示している重要な問題は、現代の教育技術研究における技術決定論的な傾向です。多くの現在の研究は「この新しいAI技術を教育にどう応用できるか」という問いから始まりますが、初期の研究者たちは「人間はどのように学習するのか、そしてそれを機械でどう模倣できるか」という双方向的な問いを持っていました。
この違いは表面的なものではありません。技術中心のアプローチでは、教育の本質的な問題や学習者のニーズよりも、技術的な新奇性が優先される傾向があります。一方、初期の研究者たちのアプローチでは、技術開発と教育理論の発展が相互に影響し合う関係にありました。
学際性の価値と課題
論文は学際的研究の価値を強調していますが、これには両面があります。確かに、異分野の知見を統合することで新しい発見が生まれる可能性はあります。しかし、現代の研究の専門化にも合理的な理由があります。
各分野が蓄積してきた深い知識や方法論を習得するには相当な時間と努力が必要です。真に有意義な学際的研究を行うためには、関連する複数分野での十分な専門性が前提となります。初期の研究者たちが学際的になれたのは、当時の各分野の知識量が現在ほど膨大ではなかったという事情もあるでしょう。
現代的意義と今後の展望
AI倫理と教育への示唆
興味深いことに、論文で紹介されている初期の研究者たちの多くは、技術の社会的影響について深く考えていました。Papertは「technocentric」という批判的概念を作り出し、技術中心主義の危険性を警告していました。Simonは教育の「科学」化を提唱する一方で、人間性を重視する姿勢も示していました。
現在のAI教育研究では、アルゴリズムバイアス、プライバシー、学習者の自律性といった倫理的問題が重要になっています。初期の研究者たちの統合的視点は、これらの現代的課題を考える上でも示唆に富んでいます。
教育の個別化と社会性
Papertのマイクロワールドや個別化学習の考え方は、現在のアダプティブラーニングシステムの先駆けでした。しかし、彼は同時に学習の社会的側面も重視していました。現在のAI教育システムの多くは個別化に重点を置いていますが、協働学習や社会的相互作用をどう統合するかは重要な課題です。
SchankやMinskyの「社会としての心」理論は、学習を個人の頭の中の現象としてだけでなく、社会的相互作用のプロセスとして捉える視点を提供します。これは現在のソーシャルラーニング研究や協調学習システムの理論的基盤としても価値があります。
結論:歴史からの学びと現代への適用
統合的視点の復活は可能か
Doroudi氏の論文は、AIと教育の分野に統合的視点を復活させることの重要性を訴えています。しかし、これは単純な「昔は良かった」論ではありません。むしろ、現代の技術的進歩と理論的発展を踏まえた上で、より深い統合を目指すべきだという建設的な提案です。
深層学習やLarge Language Modelといった現代のAI技術は、初期の研究者たちが夢見ていた以上の能力を持っています。これらの技術を教育に適用する際に、単なる効率性や成績向上だけでなく、人間の学習と発達の本質を理解し促進するツールとして活用することが求められています。
新しい学際的協力の可能性
論文が提示する歴史的視点は、現代の研究者たちにとって新しい協力の可能性を示唆しています。認知科学、コンピューター科学、教育学の研究者たちが、それぞれの専門性を保ちながらも、より大きな共通目標を共有することができるかもしれません。
これは容易ではありません。現在の学術システムは専門分野内での業績を重視する傾向があり、真の学際的研究は制度的な障壁に直面することが多いからです。しかし、複雑な現代社会の課題—学習格差、個別化教育、生涯学習など—に取り組むためには、こうした統合的アプローチが不可欠かもしれません。
歴史研究の現代的価値
最後に、この論文が示しているのは、科学史研究の現代的価値です。過去の研究者たちの思考や動機を理解することで、現在の研究の前提を問い直し、新しい視点を獲得することができます。
特に急速に発展している技術分野では、最新の動向に追いつくことに集中するあまり、基本的な問いや長期的な目標を見失いがちです。歴史的視点は、こうした近視眼的傾向への貴重な対抗手段となります。
Doroudi氏の研究は、単なる過去の記録ではなく、現在と今後の研究方向を考える上での重要な参考資料として位置づけられるべきでしょう。AIと教育の関係について考えるすべての研究者や実践者にとって、この論文は貴重な知的資源となることは間違いありません。
Doroudi, S. (2023). The intertwined histories of artificial intelligence and education. International Journal of Artificial Intelligence in Education, 33, 885–928. https://doi.org/10.1007/s40593-022-00313-2