研究の背景と筆者について
この論文”Demystifying large language models in second language development research”の筆者であるYan Cong氏は、アメリカのパーデュー大学言語文化学部に所属する研究者です。第二言語習得の分野において、最新の自然言語処理技術をどのように活用できるかという問いに取り組んでいます。近年、ChatGPTをはじめとする大規模言語モデルが社会の注目を集めていますが、教育現場や言語研究にどう役立てられるかは、まだ十分に明らかになっていません。特に、英語を学ぶ中国語話者の作文能力をどう評価し、その発達過程をどう理解するかという実践的な課題に対して、AIがどのような貢献ができるのかを探ろうとしています。
英作文の評価は、教育現場において常に重要でありながら、手間のかかる作業です。教師が一人一人の作文を丁寧に読み、評価するには膨大な時間が必要ですし、評価者によって基準がぶれることもあります。また、研究の観点からも、学習者の言語能力がどのように発達していくかを客観的に測定する方法が求められてきました。この研究は、そうした現実的な課題に対して、AIという新しい道具を使ってアプローチしようとする意欲的な試みといえます。
「サプライザル」とは何か:AIが感じる「意外さ」の指標
この研究の中心的な概念が「サプライザル(Surprisal)」です。専門用語で難しく聞こえますが、簡単にいえば「AIにとっての予想外の度合い」を数値化したものです。たとえば、「彼女はカフェでコーヒーを飲んだ」という文と「彼女はカフェでコーヒーを歩いた」という文を比べてみましょう。前者は自然で予測可能ですが、後者は「コーヒーを歩く」という不自然な表現が含まれています。大規模言語モデルは膨大な自然な英文で学習しているため、自然な文に対しては「予想通り」と判断し、サプライザル値は低くなります。逆に不自然な文に対しては「予想外だ」と判断し、サプライザル値は高くなります。
論文では具体的な例として、”The keys to the cabinet are on the table.”(キャビネットの鍵はテーブルの上にある)という文と、”The keys to the cabinet is on the table.”という文を比較しています。後者は主語が複数形なのに動詞が単数形という文法的な誤りがあり、GPT2というモデルが計算したサプライザル値は前者より高くなりました。つまり、AIは文法的な誤りを「意外だ」と感じているわけです。
さらに興味深いのは、サプライザルが統語的な正しさだけでなく、意味的な妥当性も捉えることです。論文では「オリビアはジャーマンシェパードを買った。その犬は従順で友好的だった。しかし、彼女の手を噛んだ」という文と、「オリビアはジャーマンシェパードを買った。その犬は予測不可能で暴力的だった。しかし、彼女の手を噛んだ」という文を比較しています。どちらも文法的には正しいですが、後者は「暴力的な犬が噛んだ」という展開に対して「しかし」という逆接の接続詞を使っているため、意味的に不自然です。GPTNeoというモデルは、この不自然さを捉えて後者により高いサプライザル値を与えました。
このように、サプライザルは単なる文法チェッカーではなく、語彙の選択、構文の複雑さ、意味の自然さなど、複数の要素を統合した指標として機能する可能性があります。まるで、長年英語に親しんできた人が「この表現はなんとなくおかしい」と感じる直感を、数値化したものといえるかもしれません。
研究の設計:三つの実験
この研究では、LLMサプライザルの有効性を検証するために、三つの主要な実験を行っています。
まず第一の実験は、母語話者と第二言語学習者の作文を区別できるかというものです。これは最も基本的な検証といえます。ピッツバーグ大学の英語集中プログラムで集められた中国語を母語とする英語学習者の作文と、ミシガン大学の上級学生による英語母語話者の作文を比較しました。データの長さや内容をできるだけ揃えるために、エッセイを段落単位に分割し、統計的にマッチングさせるという丁寧な処理を行っています。
第二の実験は、第二言語学習者の中でも習熟度レベルによる違いを捉えられるかというものです。学習者はレベル3(中級)、レベル4(中上級)、レベル5(上級)に分類されており、各レベルから99の段落ずつを抽出して分析しました。これは、サプライザルが単にL1とL2を区別するだけでなく、L2の中での発達段階を捉える指標として機能するかを検証するものです。
第三の実験は、人間の専門評価者による評価スコアを予測できるかというものです。これは実践的な応用を考える上で重要な検証です。作文には専門の評価者によって1から6までのスコアがつけられており、また英語能力全般を測定するテストのスコアも記録されていました。LLMサプライザルがこれらのスコアをどの程度予測できるかを、従来の言語指標と比較しながら検証しています。
これらの実験を通じて、筆者は単にLLMが「使える」ことを示すだけでなく、なぜ使えるのか、何を捉えているのかを理解しようとしています。
複数のAIモデルを比較する意義
この研究のユニークな点の一つは、一つのAIモデルだけでなく、複数の異なるモデルを比較していることです。具体的には、BERT、GPT2、DistilGPT2、GPTNeo、text-davinci-003、T5という六つのモデルを使っています。
これらは大きく分けて、エンコーダー型(BERTなど)とデコーダー型(GPT系)、そしてエンコーダー・デコーダー型(T5)という異なる構造を持っています。エンコーダー型は文章の理解に優れ、デコーダー型は文章の生成に優れるとされています。また、モデルの規模も様々で、最小のDistilGPT2は8200万パラメータですが、最大のtext-davinci-003は1750億パラメータと、2000倍以上の差があります。
一般的には、規模が大きいモデルほど性能が良いと考えられがちですが、結果は必ずしもそうではありませんでした。たとえば、L1とL2の作文を区別する実験では、T5とBERTが統計的に有意な差を示しましたが、最大規模のtext-davinci-003はそれほど明確な差を示しませんでした。また、習熟度レベルを区別する実験では、T5が最も強い効果を示し、従来の言語指標のいくつかを上回る性能を発揮しました。
興味深いのは、T5だけが他のモデルと逆の傾向を示したことです。BERT、GPT系のモデルは、L2学習者の作文に対してより高いサプライザル値を与えました。これは直感的に理解できます。つまり、母語話者の自然な文章は「予想通り」で低いサプライザル、学習者の不自然な文章は「予想外」で高いサプライザルというわけです。ところがT5は逆に、母語話者の作文により高いサプライザルを与えました。
この結果について、筆者は明確な説明を避けていますが、T5の特殊な訓練方法が関係している可能性を示唆しています。T5は他のモデルとは異なる学習課題で訓練されており、その結果として異なる「感覚」を持つようになったのかもしれません。これは、AIモデルが一枚岩ではなく、それぞれが独自の特性を持っていることを示す重要な発見です。
従来の言語指標との比較
この研究が単なるAI礼賛に終わっていない点として、従来の言語学的指標との丁寧な比較があげられます。第二言語習得の研究では、長年にわたって様々な測定方法が開発されてきました。たとえば、文の長さ、T単位(意味的に独立した最小の文単位)の長さ、従属節の数、句の複雑さなどです。
これらの指標は、それぞれが言語能力の特定の側面を捉えます。文が長くなることは、より複雑な考えを表現できることを示すかもしれません。従属節が増えることは、統語的な知識が発達していることを示すかもしれません。語彙の多様性が高いことは、豊富な語彙知識を持っていることを示すかもしれません。
筆者は、L2SCAという統語的複雑さを測定するツールから六つの指標を、TAASCというより詳細な複雑さを測定するツールから九つの指標を選び、LLMサプライザルと比較しました。結果は興味深いものでした。
習熟度レベルを区別する能力について、従来の指標、特にL2SCAの指標は全般的に強い効果を示しました。つまり、文の長さや従属節の数といった従来の測定方法は、依然として有効だということです。しかし、どのレベル間の違いを捉えられるかを詳しく見ると、違いが見えてきました。
従来の指標の多くは、レベル4(中上級)とレベル5(上級)の間の違いは捉えられましたが、レベル3(中級)とレベル4の間の違いは捉えにくいものが多くありました。つまり、上級レベルになると統語的な複雑さが目に見えて増加するけれども、中級から中上級への移行期にはそれほど顕著な変化が見られないということです。これは、言語発達が直線的ではなく、ある段階で飛躍的に進むことを示唆しています。
一方、LLMサプライザルの中では、T5が全てのレベル間の違いを統計的に有意に捉えることができました。これは、T5が従来の指標では捉えにくい微妙な発達の変化も感知できる可能性を示しています。ただし、前述のように、T5は他のモデルとは逆の方向性を示すため、解釈には注意が必要です。
人間の評価を予測する:実践的な応用への一歩
第三の実験である評価スコアの予測は、この研究の実践的な価値を示す重要な部分です。ここでは、機械学習の手法である弾性ネット回帰を使って、様々な言語指標から人間の評価者がつけたスコアを予測しようとしました。
三種類のモデルを作りました。一つ目はLLMサプライザルと従来の指標を両方使ったもの、二つ目はLLMサプライザルだけを使ったもの、三つ目は従来の指標だけを使ったものです。これにより、LLMサプライザルが従来の指標に何を付け加えられるかが分かります。
結果は興味深い分かれ方を示しました。作文能力(ライティングスコア)を予測する場合、三つのモデルの性能はほとんど同じでした。平均絶対誤差は約0.6で、どのモデルを使っても大きな違いはありませんでした。つまり、作文能力という特定の技能を予測する際には、LLMサプライザルは従来の指標と同程度の性能しか発揮しないということです。
しかし、英語能力全般(総合スコア)を予測する場合は、異なる結果が得られました。従来の指標だけを使ったモデルは平均絶対誤差が11.5でしたが、LLMサプライザルを加えたモデルは11.2に改善しました。数字だけ見ると小さな差に見えますが、統計的には意味のある改善です。
さらに興味深いのは、最も良い性能を示したモデル(LLMサプライザルと従来の指標を組み合わせたもの)の中で、どの指標が重要だったかという分析です。最も重要だったのはBERTのサプライザル(係数-1.866)、次がT5のサプライザル(係数1.657)、そして三番目が従来の統語的複雑さの指標(係数1.448)でした。つまり、LLM由来の指標が上位二つを占めたわけです。
この結果は、LLMサプライザルが従来の指標と相補的な役割を果たせることを示しています。言い換えれば、従来の指標が捉えていない何かをLLMサプライザルが捉えているということです。それが何なのかを理解することが、次の課題となります。
サプライザルは何を測っているのか:語彙と統語の相互作用
この研究の最も理論的に重要な部分が、LLMサプライザルが実際に何を測定しているのかを解明しようとする試みです。筆者は、サプライザルが語彙的多様性と統語的複雑さの相互作用を数値化したものだという仮説を立てています。
語彙的多様性とは、どれだけ多様な文脈で単語が使われているかを示す指標です。たとえば「get」という単語は「手に入れる」「理解する」「到着する」など、様々な意味で様々な文脈で使われます。こうした単語は文脈依存性が高く、多様性も高いといえます。一方「photosynthesis(光合成)」のような専門用語は、使われる文脈が限定されており、多様性は低くなります。
先行研究では、習熟度の高い学習者ほど語彙的多様性の高い単語を使う傾向があることが示されています。つまり、様々な文脈で使える柔軟な語彙を持っているということです。この研究でも、母語話者と上級学習者は高い語彙的多様性を示しましたが、中級学習者はそうではありませんでした。
統語的複雑さについては、従属節の数を指標として使いました。たとえば「彼女が到着したとき、私たちは出発した」という文は、「彼女が到着したとき」という従属節を含むため、「彼女が到着した。私たちは出発した」という二つの単文よりも統語的に複雑です。従属節は因果関係や時間関係などを表現するために必要で、その使用は言語能力の発達を示します。
分析の結果、母語話者は学習者よりも有意に高い統語的複雑さを示しました。ただし、上級学習者(レベル5)になると、母語話者との差は統計的に有意ではなくなりました。つまり、統語的な複雑さという点では、上級学習者は母語話者に近づいているということです。
そして重要なのは、これらの要素とサプライザルの関係です。分析によれば、語彙的多様性が高く、統語的複雑さも高い文章ほど、LLMサプライザルは低くなりました(T5を除く)。つまり、AIにとって「予想通り」で「自然」な文章だったということです。これは理にかなっています。母語話者は多様な語彙を適切に使い、複雑な文構造を駆使して自然な文章を書きます。AIはそうした自然な文章で訓練されているため、それを「当然のこと」として低いサプライザル値を与えるわけです。
逆に、学習者の文章は語彙の選択が限定的で、統語的にも単純になりがちです。そうした文章は、AIが学習してきた自然な文章のパターンからずれているため、高いサプライザル値を与えられます。そして、学習者の習熟度が上がるにつれて、語彙的多様性も統語的複雑さも増し、サプライザル値は徐々に下がっていきます。
この説明は説得力がありますが、完全ではありません。たとえば、T5が示した逆の傾向をどう説明するのか、サプライザルが捉えているのは本当に語彙と統語だけなのか、意味的な適切さや文章の流暢さはどう関わっているのか、といった疑問が残ります。
具体的な事例から見える課題
筆者は、論文の中で実際の作文例を示しながら、LLMサプライザルの振る舞いを詳しく分析しています。この定性的な分析は、数字だけでは見えない問題点を浮き彫りにしています。
母語話者の一つの例では、BERTのサプライザルは2.67でした。この文章には「self-empowerment(自己エンパワーメント)」や「unbowed(屈しない)」といった、やや難しい語彙が含まれていました。興味深いことに、この母語話者の文章は、レベル5の上級学習者の一つの例(サプライザル1.84)よりも高いサプライザル値を示しました。つまり、AIにとっては学習者の文章の方が「自然」だったということです。
これは直感に反する結果ですが、理由は推測できます。母語話者の文章に含まれる難しい語彙は、AIの訓練データの中で頻度が低かったため、「予想外」と判断された可能性があります。一方、学習者は比較的よく使われる基本的な語彙を使う傾向があり、それがかえってAIにとって「予想通り」だったのかもしれません。
別の例では、レベル4の学習者の文章がレベル3の文章よりも高いサプライザル値を示すという、これも直感に反する結果がありました。レベル4の文章を詳しく見ると、否定表現の過剰使用や誤用が目立ちました。たとえば「you needn’t to do」「don’t write anything」「needn’t review」「don’t highlight」といった否定表現が短い文章の中に集中していました。このような不自然な言語使用が、AIを混乱させた可能性があります。
これらの事例は、LLMサプライザルが完璧な指標ではないことを示しています。低頻度の高度な語彙を「不自然」と誤判定したり、特定の言語的な誤用パターンに過度に反応したりする可能性があります。筆者はこれを「第二言語の中間言語システムは複雑で、発達は必ずしも直線的ではない」という理論的な説明でまとめていますが、同時にLLMの限界も示しています。
「自然さ」という概念への接近
この研究の理論的な貢献の一つは、LLMサプライザルと「自然さ(naturalness)」という概念を結びつけようとしている点です。第二言語習得の研究では、学習者の言語が母語話者のような「自然な」響きを持つかどうかが重要な評価軸の一つとされてきました。しかし、「自然さ」とは何かを定義し、測定することは困難でした。
筆者は、LLMサプライザルが自然さの数値的な代理指標になりうると提案しています。なぜなら、LLMは膨大な母語話者のテキストで訓練されており、そこで学習したパターンに基づいて「予想通り」「予想外」を判断するからです。低いサプライザルは「予想通り」、つまり母語話者の自然な言語使用に近いことを意味し、高いサプライザルは「予想外」、つまり不自然であることを意味します。
ただし、筆者自身も認めているように、この対応関係は完全ではありません。第二言語教育の国際的な基準、たとえばヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)や米国外国語教育協会(ACTFL)のガイドラインで定義される「自然さ」は、単に文法的な正しさや語彙の適切さだけでなく、実際のコミュニケーション場面での流暢さ、自発性、適切さを含んでいます。
たとえば、教室で準備した文章を読み上げることと、日常会話で即興的に話すことでは、同じ内容でも「自然さ」は異なります。また、フォーマルな場面での礼儀正しい表現と、友人との砕けた会話では、適切な表現が異なります。こうした文脈依存的な自然さを、現在のLLMサプライザルがどこまで捉えられるかは、まだ明らかではありません。
それでも、LLMサプライザルが自然さの一側面、特に統語的・語彙的な側面での自然さを捉えられることは、この研究が示しています。今後、より洗練された指標や、複数の指標を組み合わせることで、より包括的な自然さの測定が可能になるかもしれません。
方法論の強みと弱み
この研究の方法論には、いくつかの優れた点があります。まず、複数のデータセットを使って検証を重ねている点です。主要な分析にはPELIC(ピッツバーグ大学の学習者コーパス)とMICUSP(ミシガン大学の学生論文コーパス)を使い、さらに別のコーパス(CROW)を使って結果を検証しています。これにより、特定のデータセットに特有の偏りによる誤った結論を避けることができます。
また、データのマッチングを丁寧に行っている点も評価できます。母語話者と学習者の文章を比較する際、単に全てのデータを使うのではなく、文章の長さや書き手の背景情報などを統計的にマッチングさせました。これにより、比較がより公平になります。たとえば、母語話者の文章が学習者の文章よりはるかに長ければ、当然複雑さも異なるでしょう。そうした交絡要因を制御する努力がなされています。
さらに、複数のLLMモデルを体系的に比較している点も重要です。一つのモデルだけを使って「LLMは有効だ」と結論づけるのではなく、異なるアーキテクチャ、異なる規模のモデルを比較することで、どのような特性が重要かを探ろうとしています。
一方で、いくつかの方法論的な限界もあります。まず、サンプルサイズが比較的小さい点です。各習熟度レベルから99段落ずつというのは、統計的な検定を行うには十分かもしれませんが、機械学習モデルを訓練するには少ないかもしれません。実際、予測モデルの構築では、厳密なハイパーパラメータ調整を行わず、デフォルト設定を使ったと述べています。これは、データが限られているため、細かな調整をしても過学習のリスクがあると判断したためでしょう。
また、母語話者のデータとして使ったMICUSPは、確かに母語話者の書いた高品質な文章ですが、学習者が書いたPELICのデータとは性質が異なります。MICUSPは大学の課題として書かれた長い論文で、PELICは英語プログラムの練習問題として書かれた短い段落です。内容も書く状況も異なるため、単純に比較できないという批判もありえます。筆者はこれを認識しており、別のコーパスで検証を行っていますが、完全に解決されているわけではありません。
さらに、使用したLLMの一部、特にOpenAI社のtext-davinci-003は、クローズドソースです。つまり、どのようなデータでどのように訓練されたかの詳細が公開されていません。科学研究の再現性という観点からは、これは問題です。実際、論文執筆中にOpenAI社がモデルを更新し、トークンごとの確率を取得できなくなったという記述があります。これは、商業的なAIサービスに依存することの危うさを示しています。
実践的な応用の可能性と課題
この研究は、純粋な学術的な興味だけでなく、実践的な応用も視野に入れています。自動作文評価システムは、教育現場で大きな需要があります。教師の負担を減らし、学習者により迅速なフィードバックを提供できる可能性があるからです。
しかし、AIによる評価システムには、いくつかの重要な懸念があります。まず、透明性の問題です。従来の言語指標、たとえば「文の長さ」や「従属節の数」は、教師も学習者も理解しやすく、「なぜこの評価なのか」を説明しやすいです。しかし、LLMサプライザルは、数億から数千億のパラメータを持つ複雑なニューラルネットワークから導き出されるため、「なぜこの数値になったのか」を直感的に理解することが困難です。
評価の公平性も懸念されます。LLMは訓練データに含まれるバイアスを学習する可能性があります。たとえば、特定の方言や変種の英語が訓練データに少なければ、それらを「不自然」と判定するかもしれません。また、創造的な表現や珍しいトピックについて書かれた文章は、予測可能性が低いため高いサプライザル値を示すかもしれませんが、それは必ずしも質が低いことを意味しません。
さらに、フィードバックの質という問題があります。単にスコアを出すだけでなく、「どこを改善すべきか」を具体的に示すことが、教育的には重要です。サプライザルという単一の数値だけでは、学習者にとって有用なフィードバックにはなりません。筆者も、LLMサプライザルは従来の指標と組み合わせて使うべきだと強調しています。
実際の教育現場への応用を考えると、教師とAIの協働という形が現実的かもしれません。AIが初期的なスクリーニングや傾向の把握を行い、教師が個別の状況を考慮しながら最終的な評価とフィードバックを行うという分業です。この研究は、そうした協働のための一つの道具を提供しているといえます。
理論的な貢献と今後の研究課題
理論的な観点から見ると、この研究は第二言語習得研究に新しい視点を提供しています。従来の研究では、言語能力を構成する個々の要素(語彙、文法、流暢さなど)を別々に測定し、分析してきました。しかし、実際の言語使用では、これらの要素は複雑に絡み合っています。
LLMサプライザルは、そうした複雑な相互作用を一つの指標として捉える可能性を持っています。語彙の選択が文法構造に影響し、それが意味の伝達に影響し、全体として「自然さ」を生み出すという、統合的なプロセスを反映しているかもしれません。これは、言語を部分の集合ではなく、全体として理解しようとするアプローチにつながります。
ただし、この統合性は同時に解釈の難しさももたらします。サプライザルが高いとき、それが語彙の問題なのか、文法の問題なのか、意味の問題なのか、あるいはそれらの組み合わせなのかを特定することは困難です。今後の研究では、サプライザルをさらに分解し、どの要素がどの程度寄与しているかを明らかにする必要があります。
また、この研究は書き言葉に焦点を当てていますが、話し言葉への応用も興味深いテーマです。会話では、文法的に完全でない文や、言い直し、間投詞などが自然に現れます。そうした口語的な特徴を、LLMサプライザルがどう捉えるかは、まだ十分に研究されていません。
さらに、発達の非線形性という問題があります。この研究でも、レベル3と4の間の変化よりも、レベル4と5の間の変化の方が大きいという結果が示されました。言語習得は段階的な積み重ねだけでなく、ある時点での飛躍的な進歩を含むようです。そうした発達のダイナミクスを、LLMサプライザルがどこまで捉えられるか、長期的な縦断研究が必要です。
文化的・言語的背景の影響も重要な研究課題です。この研究は中国語を母語とする英語学習者に焦点を当てていますが、他の言語背景を持つ学習者では結果が異なるかもしれません。たとえば、中国語と英語は語順や文法構造が大きく異なるため、中国語話者特有の誤りパターンがあります。LLMサプライザルがそうした母語の影響をどう反映するかは、さらなる研究が必要です。
AIと教育の関係を考える
より広い視野で見ると、この研究はAIと教育の関係について重要な問いを投げかけています。AIは人間の教師に取って代わるものなのか、それとも補完するものなのか。AIによる評価は、学習を促進するのか、それとも画一化をもたらすのか。
筆者の立場は明確です。LLMは「研究者がカスタマイズできる、L2研究の質問に答えるための道具」であり、「ソフトウェア開発や下流タスクに役立つだけでなく、言語学的に意味のある指標を導き出すことができる」と述べています。つまり、AIを盲目的に信頼するのではなく、理解し、批判的に評価し、適切に使うべきだということです。
この姿勢は、AI時代の教育研究のモデルともいえます。新しい技術を拒絶するのでも、無批判に受け入れるのでもなく、その能力と限界を科学的に検証し、人間の専門知識と組み合わせる。この研究は、そうした方向性を示しています。
教育現場の教師にとっても、示唆に富む研究です。AIツールが増えていく中で、それらをどう使い、どう解釈し、どう学習者に説明するかは、新しいスキルとして求められています。この研究が示すように、AIの出力を鵜呑みにするのではなく、「なぜそうなるのか」「何を測っているのか」「どんな限界があるのか」を理解することが重要です。
結びに代えて
この論文は、最新のAI技術である大規模言語モデルを、第二言語習得という伝統的な研究分野に応用した野心的な試みです。技術的な新しさだけでなく、理論的な深さと実践的な視野を兼ね備えた研究として評価できます。
方法論的には、複数のモデルの体系的な比較、複数のデータセットでの検証、従来の指標との丁寧な比較など、科学的な厳密さを保っています。同時に、具体的な事例の質的分析を通じて、数字だけでは見えない問題点も浮き彫りにしています。
結果は複雑で、単純な「AIは素晴らしい」という結論ではありません。LLMサプライザルは、ある場面では従来の指標と同程度の性能を示し、別の場面では従来の指標を補完する新しい情報を提供します。モデルによって結果が異なり、解釈には注意が必要です。しかし、だからこそ、この研究は価値があります。AIの可能性だけでなく、その限界も正直に示しているからです。
第二言語習得の研究者にとって、この研究は新しい分析道具の可能性を開きます。教育実践者にとっては、AI評価システムをどう活用し、どう限界を理解すべきかの指針を提供します。AI研究者にとっては、LLMが実世界の複雑な問題にどう適用できるか、また何が課題として残っているかを示しています。
今後、AIは教育の場面でますます存在感を増していくでしょう。その中で、このような慎重で科学的なアプローチが、AIを適切に活用するための基盤となります。技術の進歩に目を奪われるのではなく、「それが本当に何を測っているのか」「どんな前提があるのか」「誰のための、何のための技術なのか」を問い続けることが、これからの教育研究には求められています。この論文は、その模範的な一例といえるでしょう。
Cong, Y. (2025). Demystifying large language models in second language development research. Computer Speech and Language, 89, Article 101700. https://doi.org/10.1016/j.csl.2024.101700