母語使用をめぐる葛藤と変容
英語の授業で日本語を使うべきか、それとも英語だけで通すべきか。この問いは、おそらく多くの英語教師が一度は直面したことのあるジレンマではないでしょうか。教科書や指導要領では「できるだけ英語で授業を」と言われる一方で、生徒の理解を深めるために母語で説明したくなる場面は数え切れないほどあります。このような現場の悩みに、新しい視点から光を当てたのが、トルコのZonguldak Bülent Ecevit UniversityのMuhammet Yaşar YüzlüとノルウェーのUniversity of StavangerのKenan Dikilitaşによる本研究”The impact of translanguaging-driven training on in-service EFL teachers: Complexity theory prism”です。
この研究は、トランスランゲージング(translanguaging)という教育アプローチに基づいた研修が、外国語としての英語(EFL)を教える教師たちの職業的アイデンティティをどのように再構築するかを、複雑性理論の枠組みで分析したものです。2020年から2021年にかけて、トルコの幼稚園から高校まで、さまざまな学校段階で働く12名の現職英語教師を対象に、約4か月間にわたって詳細な調査が行われました。
トランスランゲージングという考え方
本論に入る前に、トランスランゲージングについて説明しておく必要があるでしょう。これは近年、バイリンガル教育や外国語教育の分野で注目を集めている概念です。従来の言語教育では、第一言語と第二言語を別々のシステムとして扱い、できるだけ分離して使用することが推奨されてきました。しかしトランスランゲージングは、バイリンガルの人々が実際には言語を統合的に使用している現実に着目し、学習者が持つすべての言語資源を柔軟に活用することを奨励します。
たとえば、難しい概念を理解するときには母語で考え、その後英語で表現してみる。あるいは、英語の文章を読みながら、重要な部分を母語でメモする。こうした実践的な言語使用を、教室の中でも積極的に認めていこうというのが、トランスランゲージングの基本的な考え方です。
研究方法の丁寧さと複雑さ
この研究の特徴は、その徹底したデータ収集にあります。研究者たちは、研修前、研修中(3回)、研修後と、合計5回の半構造化インタビューを各教師に対して実施しました。さらに、教師たちの反省日誌、オンライン学習管理システム(LMS CANVAS)上でのディスカッション、教室観察、ビデオ記録、そして研修講師(第一著者)自身の反省日誌まで、多様なデータを収集しています。
インタビューは教師たちの母語であるトルコ語で行われました。これは重要な配慮です。第二言語で自分の考えや感情を語ることは、たとえ英語教師であっても、微妙なニュアンスを伝えきれない可能性があります。母語を使用することで、教師たちはより率直に、深く自分の経験を語ることができたはずです。
データ分析には、グラウンデッド・セオリーという質的研究の手法が採用されました。これは、事前に仮説を立てるのではなく、データそのものから理論を構築していく方法です。第一著者が研修の講師でもあったという事実は、内部者としての深い理解を可能にする一方で、バイアスの危険性も孕んでいます。そのため、第二著者が外部の視点から分析を監視し、信頼性を確保する工夫がなされています。
研修前の教師たち―四つのアイデンティティ
研修前の調査から、教師たちは四つの異なるアイデンティティを持っていることが明らかになりました。
まず「英語のみ使用者」です。EdaやNilayといった教師たちは、教室では英語だけを使うべきだという信念を持っていました。Nilayは「私は授業で英語だけを話し、生徒にも英語だけを使うよう求めます。最初は大きな問題を引き起こしますが、時間が経つにつれて慣れていきます」と語っています。彼女たちは、ネイティブスピーカーのような能力の獲得を目指し、支配的な単一言語イデオロギーに従っていました。
対照的に「トルコ語のみ使用者」であるMetinやHasanは、生徒の母語を使って英語を教えることを選択していました。Hasanは「英語だけを使うと、生徒が不安になり、授業への参加を妨げる」と述べています。興味深いことに、彼らも自分自身をバイリンガルとは考えておらず、「セミバイリンガル」という表現を使っていました。
三つ目のグループは「両言語を快適に使用する者」です。BadeやDilanなど、この教師たちは現実的な視点から、英語とトルコ語の両方を使うことに満足していました。Dilanは「生徒はトルコ人でトルコ語を使います。私は教室でトルコ語を禁止しません。それは教室の雰囲気の一部であり、私はそれを活用します」と語っています。
最後に「両言語を躊躇しながら使用する者」がいました。TulinやLaleは、両方の言語を使いながらも、それが支配的なイデオロギーに反しているという意識から、罪悪感を抱いていました。Tulinは「時々トルコ語を使うことに疑問を感じます。大学時代には何があっても英語だけを使うように教えられましたし、教育省も英語のみの方針を定めています。正直なところ、それが気になります」と告白しています。
研修後の変容―三つの新しいアイデンティティ
研修を経て、教師たちは三つの新しいアイデンティティのいずれかを発達させました。
「トランスランゲージング理想化使用者」は、この教育法を理想的だと考えながらも、学校の文脈や教育政策、カリキュラムの制約から、実現可能性には限界があると感じていました。Edaは、以前は教育省が提供する教科書に縛られていましたが、研修後には「正しいことをするというのは、必ずしも教科書の練習や課題をすることを意味しない」と述べ、より批判的な視点を獲得しました。また、Tulinは「完璧な文法知識を持つことやネイティブスピーカーのように聞こえることは一見素晴らしいかもしれません。しかし、情報を分析する方法を知らなければ、ただのおしゃべりです」と、教育の目的を再定義しています。
「トランスランゲージング認識使用者」は、この教育法が初級レベルの学習者、つまり新興バイリンガルには効果的だと考えましたが、上級者には必ずしも適さないという立場を取りました。Hasanは「すべての生徒が授業に参加し、協力し合って英語を向上させているのを見て感銘を受けました。しかし、彼らのレベルは低いです。トランスランゲージングは低レベルの生徒に理想的なようです」と述べています。彼らは、トランスランゲージングを足場かけ(scaffolding)として位置づけ、最終的には英語力の向上を優先していました。
最も変容が大きかったのは「トランスランゲージング触発使用者」です。この教師たちは、トランスランゲージングを人道的で、現代的で、視野を広げるものとして受け入れ、生徒の全言語レパートリーを活用することを目指しました。Badeは「トランスランゲージングは、さまざまな理由で国から国へと移動し、異なる文化を経験する今日の世界の状況に合致しています。誰も自分の言語を忘れて別の言語に置き換えたくありません」と語り、より広い視野での言語教育の意義を認識していました。
特に注目すべきは、当初「英語のみ使用者」だったNilayの変容です。彼女は研修を通じて、21年間疑問を持たずに従ってきた「英語のみ」の方針を批判的に見直すようになりました。これは、複雑性理論でいう「バタフライ効果」―小さな変化が大きな変容を引き起こす―の好例と言えるでしょう。
複雑性理論という分析の枠組み
この研究が興味深いのは、教師のアイデンティティ変容を複雑性理論で説明しようとしている点です。複雑性理論は、もともと自然科学で発展した考え方ですが、近年、教育や社会科学の分野でも応用されるようになってきました。
研究者たちは、教師のアイデンティティ再構築プロセスに、複雑系の四つの特徴が表れていると指摘します。第一に「自己組織化」―教師たちは外部から押し付けられるのではなく、自らの経験を通じて新しいアイデンティティを形成しました。第二に「バタフライ効果」―小さな実践の変化が、教師の信念体系全体に大きな影響を与えました。第三に「相互接続性」―教師の教育観、言語観、自己効力感などが相互に影響し合いました。第四に「創発的秩序」―予測できない形で新しいアイデンティティが出現しました。
この理論的枠組みは、なぜ同じ研修を受けても教師によって異なる変容が起きるのかを説明するのに役立っています。教師一人ひとりの背景、経験、置かれた文脈が異なるため、研修という同じ「攪乱」に対して、異なる「自己組織化」が生じるのです。
研究の強みと限界
この研究の最大の強みは、長期間にわたる丁寧なデータ収集と、複数の視点からの分析にあります。単なるアンケート調査ではなく、教師たちの言葉、行動、省察を多角的に捉えることで、アイデンティティという目に見えない変化を可視化することに成功しています。
また、第一著者が研修講師であったことは、深い洞察を可能にしました。研修の場で何が起きているかを肌で感じながら、同時に研究者としてそれを記録する―この二重の視点は、他の研究では得られない豊かなデータをもたらしたと言えるでしょう。
一方で、研究者自身も認めているように、この内部者としての立場はバイアスのリスクも伴います。研修を実施した本人が、その効果を評価するという構造には、どうしても「うまくいってほしい」という願望が混入する可能性があります。第二著者による外部からのチェック、メンバーチェック(参加者による確認)、複数のデータ源からの三角測量など、信頼性を高める工夫はなされていますが、この限界は認識しておく必要があります。
また、参加者が12名と少なく、しかもすべてトルコの公立学校の教師であることから、結果の一般化には慎重であるべきでしょう。私立学校や大学、あるいは他の国では、異なるパターンが見られるかもしれません。
さらに、この研究は教師のアイデンティティ変容を捉えていますが、それが実際に生徒の学習成果にどう影響したかは明らかにしていません。教師が変わることは重要ですが、最終的には生徒の学びが向上しなければ、教育実践としての価値は限定的です。
日本の英語教育への示唆
この研究は、日本の英語教育にとっても多くの示唆を含んでいます。
まず、言語使用に関する葛藤は、日本の英語教師にも共通するものです。文部科学省は「英語の授業は英語で行うことを基本とする」という方針を打ち出していますが、現場では生徒の理解を優先して日本語を使う場面も多いはずです。そして、それに罪悪感を感じる教師もいるかもしれません。この研究は、母語使用を「仕方なく」「できれば避けたいもの」として捉えるのではなく、積極的な学習資源として位置づける可能性を示しています。
特に、「トランスランゲージング触発使用者」の教師たちが見出した、より人道的で民主的な教室環境という視点は重要です。英語だけを使うことを強制される教室では、英語が得意な生徒だけが発言権を持ち、苦手な生徒は沈黙を強いられがちです。母語の使用を認めることで、すべての生徒が思考し、議論し、学ぶ機会が広がる可能性があります。
ただし、日本とトルコでは状況が異なることにも注意が必要です。トルコでは英語は完全に外国語ですが、日本では近隣諸国との交流や、在日外国人の増加により、英語や他の言語との接触機会が増えています。また、大学入試制度の違いなど、教育システムの違いも考慮に入れる必要があります。
教師研修のあり方を問い直す
この研究が投げかけるもう一つの重要な問いは、教師研修のあり方についてです。
従来の一回限りの研修では、新しい知識や技術を「伝達」することに重点が置かれがちでした。しかし、この研究が示すように、教師の変容は複雑なプロセスです。単に新しい教授法を知るだけでなく、自分の信念体系を問い直し、教室での実践を通じて試行錯誤し、同僚と対話する―そうした長期的で、継続的なプロセスが必要なのです。
この研修が効果的だった要因の一つは、複雑性理論に基づいた設計にあります。教師たちに一方的に知識を伝えるのではなく、彼ら自身の経験を出発点とし、省察を促し、実践と理論を往還させる構造になっていました。また、4か月という比較的長い期間、継続的にサポートが提供されました。
日本でも、教師の主体性を尊重し、長期的な成長を支援する研修のあり方が求められているのではないでしょうか。
言語観の転換がもたらすもの
最後に、この研究が明らかにした最も根本的な変化は、教師たちの言語観の転換だと言えます。
研修前、多くの教師は「バイリンガル」を「二つの言語をネイティブレベルで使いこなせる人」と定義していました。そして、その基準に照らして、自分は「非バイリンガル」あるいは「セミバイリンガル」だと考えていました。しかし研修後、彼らの定義は変わりました。バイリンガルとは、完璧さではなく、複数の言語を使って意味を作り出せることだ、と。
この転換は、教師自身の自己認識を変えただけでなく、生徒に対する見方も変えたはずです。完璧な英語を目指すのではなく、英語と日本語(この研究ではトルコ語)を柔軟に使いこなして、自分の考えを表現できることを目指す―そうした現実的で、達成可能な目標設定は、生徒にとっても励みになるでしょう。
言葉というものは、そもそも人と人をつなぐための道具です。文法の正確さや発音の完璧さよりも、伝えたい内容があり、それを相手に届けられることこそが本質なのではないでしょうか。この研究は、そうした原点に立ち返る機会を教師たちに提供したと言えます。
結びに代えて
YüzlüとDikilitaşの研究は、表面的には「トランスランゲージング研修の効果測定」ですが、より深いレベルでは、教師という職業の本質について問いかけています。
教師は単に知識や技術を伝達する存在ではありません。一人ひとりの教師は、それぞれの信念、価値観、経験を持ち、それらが複雑に絡み合って、その人独自の教育実践を形作っています。そして、新しい考え方に出会ったとき、それを単に「適用」するのではなく、自分の文脈の中で再解釈し、試行錯誤しながら、自分なりの実践を創り出していくのです。
この研究が複雑性理論を用いたのは、まさにそうした教師の専門性の複雑さを捉えるためでした。そして、その試みは一定の成功を収めたと言えるでしょう。
もちろん、課題も残されています。教師の変容が生徒の学習にどう影響したか、変容は長期的に持続するのか、トルコ以外の文脈でも同様の結果が得られるのか―こうした問いには、さらなる研究が必要です。
それでも、この研究は、言語教育における母語の役割、教師研修のあり方、そして教師のアイデンティティという、いずれも重要なテーマに光を当てました。日本の英語教育関係者にとっても、自分たちの実践を見つめ直す貴重な鏡となるはずです。
Yüzlü, M. Y., & Dikilitaş, K. (2022). The impact of translanguaging-driven training on in-service EFL teachers: Complexity theory prism. Linguistics and Education, 71, Article 101080. https://doi.org/10.1016/j.linged.2022.101080
