筆者について、そしてこの論文が書かれた背景
この論文”New trends in second language learning and teaching through the lens of ICT, networked learning, and artificial intelligence”は、Amherst CollegeのJaya KannanとSacred Heart UniversityのPilar Mundayという二人の研究者によって2018年に執筆されました。両者はともに言語教育と技術の融合という分野で長年研究を重ねてきた専門家です。2018年という時期は、スマートフォンが完全に普及し、DuolingoやKahootといった言語学習アプリが爆発的に広がり始めた頃です。同時に、人工知能(AI)が単なる研究室の実験から、実際に私たちの生活に入り込んできた時期でもありました。
この論文が掲載された「Círculo de Lingüística Aplicada a la Comunicación」は、スペイン語圏の応用言語学の専門誌で、技術を媒介とした言語教育の変革をテーマにした特集号に収録されています。つまり、この論文は単なる技術の紹介ではなく、教育現場で実際に何が起きているのか、そしてこれからどのような問題に直面するのかを真剣に考えようとする試みなのです。
言語学習とコンピュータの長い道のり
論文はまず、Computer Assisted Language Learning(CALL、コンピュータ支援言語学習)の歴史を振り返ります。これは1960年代から始まった取り組みで、当初は「ドリル&プラクティス」という、ひたすら反復練習するタイプの学習でした。例えば、画面に文法問題が表示され、正解するまで何度も繰り返す、といった具合です。これは当時流行していたオーディオリンガル法という教授法と相性が良かったのです。
Warschauer(2000a)による分類では、CALLの発展は三つの段階を経たとされます。1970~80年代の「構造的CALL」は正確さ重視で機械的な練習が中心でした。1980~90年代の「コミュニケーション的CALL」は流暢さも目指し始め、より実際のコミュニケーションに近い練習を取り入れました。そして1990年代から21世紀初頭の「統合的CALL」は、マルチメディアとインターネットの登場により、教室内外での学習をつなげる試みが始まりました。
ここで興味深いのは、Bax(2003)という研究者が提示した別の見方です。彼は初期のCALLを「制限的CALL」と呼び、その後の発展を「開放的CALL」、最終的には「統合的CALL」としました。Baxの主張で特に印象的なのは、「いずれコンピュータは言語学習にとってあまりに当たり前の存在になるので、わざわざCALLという言葉すら必要なくなるだろう」という指摘です。これは、今日私たちが「本支援言語学習」という言葉を使わないのと同じように、技術が完全に日常に溶け込んだ状態を予見していたのです。
この歴史的概観は、筆者たちが単に新しい技術を礼賛するのではなく、長い文脈の中で現在の状況を理解しようとしていることを示しています。これは論文の大きな強みです。
ポケットの中の学習環境―モバイル学習の登場
論文の中で私が特に共感したのは、Mobile Assisted Language Learning(MALL、モバイル支援言語学習)についての議論です。筆者たちは2018年のPew Research Centerのデータを引用し、アメリカ人の77%がスマートフォンを所有していると指摘します。これは単なる数字ではありません。私たちの多くが経験しているように、スマートフォンは今や学習の主要なツールになっています。
O’Malley他(2003)によるMALLの定義―「学習者が固定された場所にいないときに起こる学習、または学習者がモバイル技術によって提供される学習機会を活用するときに起こる学習」―は、一見当たり前に聞こえるかもしれません。しかし、これは教育に対する考え方の根本的な転換を意味しています。従来の教育は、特定の時間、特定の場所(教室)で行われるものでした。しかし、MALLは学習を日常生活のあらゆる場面に拡張します。
筆者たちはSharples他(2010)の「新しい学習」と「新しい技術」の対応関係を紹介します。「個人化された、学習者中心の、状況に埋め込まれた、協働的な、遍在的な、生涯にわたる」学習と、「個人的な、ユーザー中心の、モバイルな、ネットワーク化された、遍在的な、持続的な」技術が呼応しているという指摘です。これは理想論のように聞こえますが、実際に私たちは電車の中でDuolingoを使ったり、YouTubeでネイティブスピーカーの動画を見たりしています。
しかし、論文はここで重要な警告を発します。BozdoganやBurstonの研究を引用し、デジタルツールやアプリが自動的に言語学習を強化するわけではないと指摘します。「教育的意図とタスクデザインに大きく依存する」という指摘は極めて重要です。例えば、単語帳アプリを使っていても、適切な文脈や使用場面を理解せずに丸暗記するだけでは効果は限定的でしょう。
つながることで学ぶ―ネットワーク学習の意義
論文の中核をなすのが、ネットワーク学習の議論です。Jones(2015)の定義を借りれば、ネットワーク学習とは「ICTを使って学習者同士、学習者と教師、学習コミュニティとその学習リソースの間のつながりを促進する学習」です。これは単なる技術の問題ではなく、言語学習が本質的に社会文化的な営みであることを認識した上での提案です。
筆者たちはFacebookグループ、Twitter、Instagramという三つのソーシャルメディアツールを例に挙げています。これらは単なるコミュニケーションツールではなく、学習コミュニティを形成する場として機能しています。Blattner & Fiori(2009)の研究が示すように、Facebookグループでは学生たちが「社会語用論的認識」を発展させることができます。これは、どのような状況でどのような表現を使うべきか、という実践的な知識です。
特に印象的だったのは、#InstagramELEというプロジェクトの紹介です。これは月ごとに単語や表現のリストが投稿され、どのレベルの学習者でも参加できるオープンなプロジェクトです。学習者は自分の投稿を作り、ネイティブスピーカーの投稿にコメントすることができます。これは教室という枠を完全に超えた学習環境です。
さらに興味深いのは、教師自身もネットワーク学習を活用しているという指摘です。#langchatというハッシュタグを使った教師のコミュニティは、毎週決められたトピックについて議論し、専門的発展を図っています。Wesely(2013)の研究によれば、これは「実践コミュニティ」として機能しており、教師たちが協働し学び合う場となっています。
開かれた教育リソース―知識の民主化
Open Educational Resources(OER、オープン教育リソース)についての議論も重要です。Hylén(2006)の定義によれば、OERとは「教育者、学生、独学者が教育、学習、研究のために使用し再利用するために無料で開かれて提供されるデジタル化された教材」です。
筆者たちはいくつかの具体例を挙げています。Carnegie Universityによるフランス語とアラビア語の無料教科書、ドイツ語のオープン教科書「Deutsch im Blick」、そしてUniversity of Texas at Austinによる18言語の学習教材を提供するCOERLL(Center for Open Educational Resources and Language Learning)などです。
特に注目すべきは、Wardによる「Antología Abierta de Literatura Hispana」(開かれたスペイン語文学アンソロジー)のプロジェクトです。これは学生たちが著作権フリーのテキストを選び、導入と注釈を付けて実際のアンソロジーを作成するというものです。学生たちは単なる消費者ではなく、知識の生産者となり、しかもその成果は学期を超えて活用されます。これはProject Based Learning(プロジェクト型学習)の理念とも合致しています。
このOERの議論で筆者たちが強調しているのは、学習者のエージェンシー(主体性)です。学生たちは受動的に知識を受け取るのではなく、能動的に知識を創造し共有する存在となります。これは教育における権力関係の根本的な変化を示唆しています。
人工知能の台頭―期待と課題
論文の後半は人工知能(AI)に焦点を当てています。筆者たちはまず、AIの歴史を簡潔に振り返ります。1950年代のTuringによるTuring Testから、Strong AI(強いAI)とWeak AI(弱いAI)の哲学的区別まで。Strong AIは人間のように考える機械を目指すもので、ある種の脅威として受け止められてきました。一方、Weak AIは人間の思考の複雑さを解明せずに実用的なシステムを作ることを目指します。
しかし、21世紀の定義は変わりました。Stone他(2016)によるStanfordの報告書では、AIは「人々が神経系と身体を使って感知し、学習し、推論し、行動する方法に触発されているが、典型的にはかなり異なる方法で動作する科学と計算技術の集合」と定義されています。この定義の変化は重要です。AIは人間を完全に再現しようとするのではなく、人間の能力に触発されながら独自の方法で問題を解決しようとするのです。
筆者たちは1980年代のIntelligent Tutoring Systems(ITS、知的個別指導システム)から話を始めます。ITSは個々の学習者に適応しようとするシステムでしたが、Steenbergen-Hu & Cooper(2014)のメタ分析によれば、その効果は中程度にとどまりました。これは技術の限界だけでなく、教育設計の問題でもあったと筆者たちは指摘します。
Natural Language Processing(NLP、自然言語処理)の発展がCALLに大きな影響を与えたことも論じられています。Heift(2010)によるE-Tutorのような、ドイツ語学習のためのNLP技術を使ったシステムが例として挙げられます。また、音声認識技術がスマートフォンに統合され、ウェブ検索や医療情報処理など多様な応用が可能になったことも指摘されています。
CALLからIntelligent CALL(ICALL)への移行について、筆者たちは興味深い観点を示します。Lu(2018)を引用し、ICALLとは「NLP技術の言語学習への応用を探求し実装する研究分野」と定義されます。しかし、筆者たちはCALLが常にAIの影響を受けてきたことを強調します。違いは、初期のITSが主に暗記学習に頼っていたのに対し、今日のAI応用ははるかに洗練されているという点です。
実例から見える可能性
論文では具体的なAI応用例がいくつか紹介されています。Dragon音声認識ソフトウェアは1990年代にWindowsに統合され、特に発音の学習に効果を示しました。Carnegie SpeechやDuolingoは自動音声認識(ASR)とNLP技術を使って外国語訓練を提供し、言語エラーを認識して修正を助けます。これは自己調整学習と学習者自律性の促進につながる可能性があります。
社会的ロボットL2-TORのプロジェクトも紹介されています。これは4歳児と第二言語および母語で自然に交流するよう設計されたロボットです。しかし、筆者たちは慎重で、社会的ロボティクスが学習の社会感情的側面と認知的側面を組み合わせることは重要だが、子どもの指導における有効性はまだ不明確だと指摘します。
Google Translateについての議論も率直です。2017年5月時点で100以上の言語をサポートし、毎日5億人以上にサービスを提供していました。統計的機械翻訳から神経機械翻訳への移行により精度が向上したとされますが、筆者たちはLovett(2018)を引用し、文法的正確さの問題が学習者の習熟度構築プロセスに影響を与える可能性について懸念を表明しています。
Duolingoについては、gamificationの手法を用いて競争的学習環境を構築し、学習者をコミュニティ内に位置づける能力が評価されています。しかし、Crowther他(2017)の研究を引用し、「Duolingoの利点は、自律学習の唯一のツールとしてよりも、学習支援アプリとしての方が大きい」と冷静に評価しています。つまり、人間の教師や物理的な社会的交流は依然として第二言語習得に不可欠だということです。
この論文の貢献と限界
ここまで論文の内容を詳しく見てきましたが、この研究の最も大きな貢献は、技術的発展を包括的かつバランスよく捉えている点です。筆者たちは新しい技術に対して盲目的に楽観的でもなく、頑なに懐疑的でもありません。それぞれの技術が持つ可能性を認めつつ、限界や課題も明確に指摘しています。
特に評価できるのは、技術を単独で論じるのではなく、教育的文脈の中に位置づけている点です。どんなに優れた技術も、適切な教育設計がなければ効果を発揮しません。筆者たちはこの点を繰り返し強調しています。例えば、モバイルアプリの議論で、「教育的目標と、その目標を達成するための技術ツールの適合性の間に強い整合性がある場合にのみ、肯定的な学習成果が可能」と述べています。
また、学習者の自律性とエージェンシーに関する議論も重要です。技術の発展により、学習者は教師という権威に依存することなく、自ら学習をコントロールできるようになりました。しかし、これは単に「好きなように学べばいい」ということではありません。Little(2003)を引用し、「学習者の認知的、メタ認知的、感情的、社会的次元がどのように相互作用するかを気にかける必要がある」という全人的な視点を提示しています。
プライバシーと透明性に関する問題提起も時宜を得たものです。AIシステムは大量の学生データを収集します。これは学習分析に有用ですが、学生の同意なしに大規模データセットを使用することは著作権とプライバシーの重大な侵害になりえます。Gillard(2018)を引用したこの指摘は、2018年当時としては先見の明がありました。今日、データプライバシーは教育技術において最も重要な課題の一つとなっています。
しかし、この論文にも限界があります。第一に、実証的データに基づく分析が少ない点です。これは主にレビュー論文としての性格によるものですが、筆者たち自身の教室での実践例や具体的な効果測定があれば、より説得力が増したでしょう。
第二に、文化的・経済的格差の問題がほとんど扱われていません。論文で紹介される技術の多くは、インターネット接続とデバイスへのアクセスを前提としています。しかし、世界の多くの地域ではこれらが容易に利用できません。デジタルディバイドの問題は、技術を活用した言語教育を考える上で避けて通れない課題です。
第三に、教師の役割の変化についての議論がやや表面的です。技術が「教師を置き換えるのか」という問いは提起されていますが、より深い議論が必要でした。教師の役割は消えるのではなく、変化するのです。ファシリテーター、メンター、学習環境のデザイナーとしての役割が重要になりますが、この点についての具体的な提案は限られています。
第四に、評価の問題です。新しい学習形態に対して、どのような評価方法が適切なのかという議論が不足しています。従来の試験では測れない能力、例えばネットワーク学習での協働能力や、モバイル環境での自律学習能力をどう評価するのか、これは重要な課題です。
2018年以降の展開を踏まえて
この論文が発表された2018年から6年以上が経過し、状況は大きく変化しました。ChatGPTをはじめとする大規模言語モデルの登場により、AIと言語学習の関係はさらに複雑になっています。これらの新しいツールは、筆者たちが懸念していた透明性とプライバシーの問題をより深刻にしています。
同時に、COVID-19パンデミックは、オンライン学習とモバイル学習を単なる「補助的ツール」から「必須のインフラ」へと変えました。ネットワーク学習は選択肢ではなく必要条件となりました。この強制的な移行は、技術の可能性だけでなく限界も明らかにしました。
また、OERの動きはさらに加速しています。多くの大学が独自のオープンコースウェアを提供し、言語学習リソースへのアクセスは劇的に向上しました。しかし同時に、質の保証や持続可能性といった課題も浮上しています。
実践への示唆
この論文から、現場の教師や学習者は何を学べるでしょうか。まず、技術は万能ではないということです。どんなに優れたアプリも、明確な学習目標と適切な使用法がなければ効果は限定的です。教師は技術を使うこと自体を目的にするのではなく、どのような学習成果を目指すのかを明確にし、それに最適なツールを選ぶ必要があります。
次に、学習者の自律性を育成することの重要性です。技術は学習者に前例のない自由を与えますが、その自由を効果的に使うには能力が必要です。自分の学習ニーズを認識し、適切なリソースを選択し、進捗を自己評価する能力を育てることが重要です。
さらに、社会的な学習の価値を忘れないことです。いくらAIが進歩しても、言語は人と人とのコミュニケーションのためのものです。ネットワーク学習やコミュニティベースの学習は、技術を使いながらも人間的な交流を重視するアプローチです。
最後に、批判的思考の重要性です。新しい技術が登場するたびに、それがどのような影響を及ぼすのか、誰が利益を得て誰が不利益を被るのか、どのようなデータが収集され使用されるのか、といった問いを投げかける必要があります。
結びにかえて
Kannan と Mundayによるこの論文は、言語学習における技術活用の現状を理解するための優れた出発点を提供しています。歴史的な文脈を踏まえつつ、当時の最新動向を包括的に扱い、同時に重要な課題も指摘しています。
技術は言語学習を変革し続けていますが、それは単線的な進歩ではありません。新しい可能性が開かれると同時に、新しい課題も生まれます。この論文が示しているのは、技術を盲目的に受け入れるのでも拒絶するのでもなく、批判的に評価し、教育的文脈の中で適切に位置づけることの重要性です。
言語学習の本質―他者とつながり、異なる世界を理解し、新しい自己を発見すること―は変わりません。技術はそれを促進する道具であり、目的そのものではありません。この基本的な認識を持ちながら、私たちは技術が提供する豊かな可能性を探求し続けることができるでしょう。筆者たちが示した慎重かつ楽観的な姿勢は、今日においても学ぶべき点が多いと言えます。
Kannan, J., & Munday, P. (2018). New trends in second language learning and teaching through the lens of ICT, networked learning, and artificial intelligence. Círculo de Lingüística Aplicada a la Comunicación, 76, 13–30. https://doi.org/10.5209/CLAC.62495
