はじめに:教室で起きている静かな矛盾

私たちは誰しも、学生時代に経験があるのではないでしょうか。先生が「英語は使ってこそ意味がある」「コミュニケーションが大切だ」と熱く語る一方で、実際の授業では文法の穴埋め問題ばかりをやらされた経験です。今回取り上げる論文は、まさにこの「言っていることとやっていることの違い」を、科学的に明らかにしたものです。

この研究”Beliefs versus declared practices of English as a foreign language (EFL) teachers regarding teaching grammar”を行ったのは、イスラエルのKibbutzim College of Educationに所属するMerav Badashら4名の研究者です。彼女たちは全員、かつて英語教師として教壇に立った経験を持ち、現在は教師を育てる立場にあります。そうした立場だからこそ、現場の教師たちが抱える葛藤や困難を身近に感じ、この研究に取り組んだのでしょう。

2013年から2018年の間にイスラエル各地で英語を教えていた221名の教師を対象に、文法指導に関する信念と実践についてオンライン調査を実施しました。研究の結果、教師たちの頭の中にある理想と、実際に教室で行われている指導の間には、かなりの開きがあることが明らかになったのです。

コミュニカティブ・ランゲージ・ティーチングという理想

まず、この研究の背景にある「コミュニカティブ・ランゲージ・ティーチング」、略してCLTという考え方について説明しましょう。これは1970年代以降、外国語教育の世界で主流となった教え方です。

従来の文法訳読式の授業を思い出してください。「This is a pen.」を「これはペンです」と訳し、現在進行形は「be動詞+動詞のing形」と覚え、ひたすら穴埋め問題を解く。そういう授業です。これに対してCLTは、「言葉は使うためにある」という当たり前の事実に立ち返ります。レストランで注文したり、道を尋ねたり、友人と会話したり。実際に言葉を使う場面を想定し、そこで必要なコミュニケーション能力を育てることを目指すのです。

では、この考え方において文法はどう扱われるのでしょうか。「コミュニケーション重視なら文法は不要」と考える人もいますが、それは誤解です。むしろ、文法はコミュニケーションを支える重要な道具として位置づけられます。ただし、教え方が違うのです。文法規則を丸暗記させるのではなく、実際の会話や文章の中で、文法がどう機能しているかを学ばせる。歌や物語、ロールプレイなどを通じて、自然に文法を身につけさせる。これがCLTの文法指導の基本的な考え方です。

調査が明らかにした二つの顔

さて、本題に入りましょう。研究者たちは教師たちに二種類の質問をしました。一つは「あなたは文法指導についてどう考えますか」という信念を問うもの。もう一つは「あなたは実際に教室でどのように文法を教えていますか」という実践を問うものです。

結果は驚くべきものでした。5段階評価で見ると、教師たちの信念は平均3.56点と、比較的コミュニケーション重視の考え方に近いものでした。ところが、実際の指導実践は平均3.32点と、より伝統的な教え方寄りだったのです。この差は統計的に有意で、偶然では説明できないものでした。

具体的に見てみましょう。ある教師は質問に対してこう答えています。「文法を授業の特定の部分として切り離す必要はないと思います。もちろん、正しく言葉を使うためには文法を知る必要がありますが、それは読むこと、話すことの一部であるべきで、機械的な練習問題としてではありません」。この答えは、まさにCLTの理想を体現しています。

ところが同じ教師たちが、実際の指導方法を説明するとこうなります。「歌や物語を使わずに文法を教えます。それぞれの文法項目を個別に提示し、様々な練習問題を使って練習させます」。あるいは「文法パターンがどう機能するかを説明し、それから構成要素がどう形作られるかを説明し、その後で例と練習をします」。

理想と現実の間に横たわるこのギャップを、どう理解すればよいのでしょうか。

なぜギャップが生まれるのか:三つの理由

研究者たちは、このギャップが生まれる理由として、いくつかの可能性を指摘しています。

第一に、教師自身の学習経験が影響している可能性です。今、教壇に立っている教師たちの多くは、自分自身が学生だった頃、文法訳読式の授業を受けて育ちました。単語を暗記し、文法規則を丸覚えし、試験のために穴埋め問題を解く。そういう経験が染み付いているのです。教員養成課程でCLTの理論を学んでも、いざ教壇に立つと、自分が受けてきた教育のやり方に戻ってしまう。これは決して珍しいことではありません。

たとえて言えば、料理を習うようなものです。料理学校で「素材の味を活かした繊細な調理」を学んでも、家に帰ると母親が作っていた濃い味付けの料理を作ってしまう。それは、体に染み付いた「料理とはこういうもの」という感覚が、頭で学んだ理論よりも強いからです。

第二の理由は、テストの存在です。イスラエルでは、小学校5年生と中学2年生を対象に、Meitzavという全国統一テストが実施されています。このテストは学校や教師の評価にも影響する重要なもので、いわゆる「ハイステークス・テスト」と呼ばれます。

こうしたテストが存在すると、教師は「テストで良い点を取らせなければ」というプレッシャーを感じます。すると、コミュニケーション能力を育てる活動よりも、テストの問題形式に慣れさせる練習に時間を割くようになります。これは世界中で見られる現象で、「テストのための教育」と呼ばれます。良い点を取ることが目的になってしまい、本来の「英語を使えるようになる」という目標が二の次になってしまうのです。

第三の理由として、教科書の影響があります。多くの教師にとって、教科書は授業を構成する主要なツールです。教科書には確かに会話練習やコミュニケーション活動も含まれていますが、同時に伝統的な文法練習問題もたくさん載っています。忙しい日々の中で、教師は「とりあえず教科書の問題をやらせておけば」と考えてしまいがちです。教科書を開けば、そこには見慣れた穴埋め問題が並んでいる。時間もないし、これをやらせておけば一応カリキュラムは進む。そうした現実的な判断が、理想的な指導を妨げているのかもしれません。

語彙とスピーキングが大事、でも実際は?

この研究のもう一つの興味深い発見は、教師たちが言語の様々な側面をどう評価しているかです。研究者たちは、読む力、書く力、文法、語彙、話す力という五つの要素について、どれが最も重要かを尋ねました。

結果は明確でした。58パーセントの教師が語彙を、55パーセントの教師がスピーキングを最重要項目として挙げたのです。一方、文法とライティングを最重要と考える教師はわずか24パーセントでした。

これは一見、合理的に思えます。実際、海外旅行に行ったとき、細かい文法が正確でなくても、知っている単語を並べれば何とか通じるものです。「I want coffee」と「I would like to have a cup of coffee, please」、丁寧さは違いますが、どちらもコーヒーは手に入ります。そう考えると、語彙とスピーキングを重視する教師たちの判断は、実践的とも言えます。

しかし、ここにも矛盾があります。スピーキングが大事だと考えながら、実際の授業では文法の穴埋め問題に時間を費やしている。ある教師はこう書いています。「話すことは言語学習で最も重要です。なぜなら、私は文法、ライティング、リスニングを教えていますが、生徒たちが本当に必要な時、海外に行った時や外国人と話す時に、正しく話せるかどうかわからないからです」。

この言葉には、教師の正直な不安が表れています。一生懸命教えているけれど、生徒たちが実際に英語を使える場面で困らないか心配だ。だからスピーキングが大事だとわかっている。でも、実際の授業では従来型の指導から抜け出せない。この矛盾に、多くの教師が苦しんでいるのです。

ネイティブスピーカーと非ネイティブスピーカーの違い

この研究が明らかにしたもう一つの重要な点は、ネイティブスピーカーの教師(NEST)と非ネイティブスピーカーの教師(NNEST)の間に、指導方法の違いがあるということです。

イスラエルの英語教師の大半は、英語を外国語として学んだイスラエル人です。対象となった221名の教師のうち、ネイティブスピーカーはわずか41名、18.5パーセントでした。分析の結果、ネイティブスピーカーの教師の方が、より積極的にコミュニケーション重視の方法で文法を教えていることがわかりました。

これは感覚的にも理解できることです。ネイティブスピーカーにとって、英語は「学んだもの」ではなく「使ってきたもの」です。文法規則を暗記したわけではなく、自然に身につけてきました。ですから、教える時も「こういう場面ではこう言う」という実例を豊富に持っており、コミュニケーション場面を設定することに抵抗が少ないのでしょう。

ある非ネイティブの教師は「生徒たちは、英語により多く触れる機会があれば(趣味、ゲーム、親戚を訪ねるなど)、純粋にEFLの生徒よりも明示的な文法指導を必要としない」と述べています。これは正しい指摘ですが、同時に非ネイティブの教師としての不安も感じさせます。自分は豊富な英語環境を提供できない。だから文法規則を明示的に教えるしかない、という思いが透けて見えます。

しかし、非ネイティブの教師にも強みがあります。彼らは外国語として英語を学んできた経験があるため、学習者がどこでつまずくか、何が難しいかをよく理解しています。また、母語と英語を比較して説明することもできます。問題は、その強みを活かしながら、いかにコミュニケーション重視の指導に移行できるかということです。

学年によって変わる指導スタイル

興味深いことに、この研究は学年によっても指導方法に差があることを発見しました。高校で教える教師は、小学校で教える教師に比べて、よりコミュニケーション重視の方法で文法を教えているというのです。

これにはいくつかの理由が考えられます。まず、高校生は語彙力も文法知識もある程度身につけているため、実際の会話や文章の中で文法を使う活動がしやすいということ。小学生に現在完了形を使ったディスカッションをさせるのは難しいですが、高校生なら可能です。

また、高校教師は生徒の基礎力を信頼できるため、失敗を恐れずに挑戦的な活動を取り入れやすいのかもしれません。ある高校教師はこう書いています。「生徒たちが自分で規則を発見できるようにすべきです。物語や歌、会話などを通じて」。この自信は、生徒がある程度の英語力を持っているという前提があってこそ生まれるものでしょう。

一方、小学校の教師たちは、基礎を固めることにより重点を置かざるを得ません。ある小学校教師は「公式を使うことで明確な構造がある」と述べ、明示的な文法指導を好んでいます。まだ基礎がない段階で、曖昧な活動をさせることへの不安があるのでしょう。

ただし、研究者たちは小学校段階では、文法を中心に据えるのではなく、語彙や決まり文句を使った自信を育てる活動に焦点を当てるべきだと提案しています。小さな成功体験を積み重ねることで、英語への興味と自信を育てる。そうした土台の上に、後から文法の理解を積み上げていく。そういうアプローチも考えられるということです。

この研究の意義と限界

この研究が教育現場に投げかける問いは重要です。教師養成の段階で、もっとコミュニケーション重視の指導法を実践的に学ぶ機会を増やすべきではないか。理論だけでなく、実際に教室でどう活動を組み立てるか、具体的なスキルを身につける必要があるのではないか。

また、非ネイティブの教師に対しては、英語力そのものを向上させる継続的な機会を提供すべきだという提案もなされています。自分自身が英語を使うことに自信があれば、生徒たちにもより積極的にコミュニケーション活動をさせられるはずです。

さらに、教科書の作り方や、テスト制度の見直しも必要かもしれません。教科書がバランスよく会話練習と文法練習を組み合わせていること、テストがコミュニケーション能力も評価するものであること。こうした制度的な支援があって初めて、教師たちは理想と現実のギャップを埋めることができるのかもしれません。

ただし、研究者たち自身が認めているように、この研究には限界もあります。最も大きな限界は、実際の授業を観察していないということです。あくまで教師たちの自己申告に基づいているため、本当に彼らが言う通りに教えているのか、確認できていません。

また、この研究は教師たちの視点のみを扱っています。生徒たちはどう感じているのか、言語学の専門家はどう評価するのか、そうした多角的な視点は含まれていません。さらに、教師の性格や自信、準備状況といった個人的な要因も、指導方法に大きく影響するはずですが、この研究では扱われていません。

教育現場への示唆:小さな一歩から

では、この研究結果を受けて、現場の教師や教育関係者は何ができるでしょうか。

まず、教師たち自身が、自分の信念と実践の間にギャップがあることを認識することが第一歩です。「文法はコミュニケーションのために教えるべきだ」と思っているなら、自分の授業を振り返ってみる。本当にそういう教え方をしているだろうか。もし違うなら、なぜだろうか。時間がないから?テストが心配だから?教科書がそうなっているから?自信がないから?

理由を見つけたら、小さなことから変えていけばいいのです。いきなり授業全体を変える必要はありません。例えば、従来通りの文法説明をした後、最後の10分間だけ、その文法を使った簡単なロールプレイをしてみる。あるいは、教科書の穴埋め問題を終えた後、「では今学んだ文法を使って、自分の週末について三文書いてごらん」と言ってみる。

こうした小さな変化でも、生徒たちは文法を「使う」経験ができます。そして教師も、「ああ、こういう活動も意外とうまくいくな」という手応えを得られるかもしれません。

教師養成に関わる人々には、より実践的なトレーニングの機会を提供する責任があります。CLTの理論を講義するだけでなく、実際に模擬授業をやらせてみる。ロールプレイやプロジェクト学習など、具体的な活動の組み立て方を体験させる。失敗しても大丈夫な環境で、何度も試行錯誤する機会を与える。

また、非ネイティブの教師たちには、継続的に英語力を磨く機会が必要です。オンラインでネイティブスピーカーと会話する機会を設けたり、英語での読書会を開催したり。教師自身が英語を楽しみ、自信を持って使えるようになることが、結果的に生徒たちにも良い影響を与えます。

最後に:完璧を目指さなくてもいい

この研究を読んで、教師たちは自分を責める必要はありません。理想と現実にギャップがあるのは、教師が怠けているからでも、能力がないからでもありません。それは、複雑な教育現場の現実を反映しているのです。

言語教育の研究者であるFreeman(1989)が指摘するように、形式だけを習得しても、それが伝える意味を習得しなければ意味がありません。同時に、意味を伝えようとしても、最低限の形式がなければ通じません。この両者のバランスをどう取るかは、簡単な問題ではないのです。

大切なのは、このジレンマを認識し、少しずつでも理想に近づこうとする努力を続けることです。今日の授業で穴埋め問題ばかりやってしまったなら、明日は少しだけ会話の時間を増やしてみる。それだけでも前進です。

教育は、完璧な理論を完璧に実践することではありません。不完全な現実の中で、できることを積み重ねていくことです。この研究は、私たちに現実を直視する勇気と、少しずつ変えていく希望を与えてくれます。理想と現実の間で揺れ動きながらも、生徒たちが本当に使える英語を身につけられるよう、できることから始めていく。それが、この研究が私たちに伝えているメッセージなのではないでしょうか。


Badash, M., Harel, E., Carmel, R., & Waldman, T. (2020). Beliefs versus declared practices of English as a foreign language (EFL) teachers regarding teaching grammar. World Journal of English Language, 10(1), 49–61. https://doi.org/10.5430/wjel.v10n1p49

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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