はじめに:なぜ教師の視点が重要なのか
英語を学ぶ多くの人が「リスニングが一番難しい」と感じているのではないでしょうか。筆者自身も英語学習の経験を振り返ると、文法や語彙は参考書で勉強できても、リスニングだけは何度聞いても聞き取れないもどかしさを感じた記憶があります。このような学習者の困難を理解するために、これまで多くの研究が行われてきましたが、その多くは学習者自身の声を集めたものでした。
今回取り上げるのは、シャヒード・ベヘシュティ大学のムサ・ヌシ氏とフェレシュテ・オロウジ氏による研究”Investigating EFL teachers’ views on listening difficulties among their learners: The case of Iranian context”です。この研究の特徴は、学習者ではなく教師の視点からリスニング困難を調査した点にあります。教室の最前線で日々学習者と向き合う教師たちは、学習者の困難をどのように捉えているのでしょうか。そして、その認識は実際の指導にどのような影響を与えているのでしょうか。
研究の設計:量と質の両面からのアプローチ
この研究では、208名のイラン人英語教師を対象に質問紙調査を実施し、さらにそのうち18名に詳細なインタビューを行うという、混合研究法が採用されています。まるで望遠鏡と顕微鏡を同時に使うように、広い視野での全体像の把握と、個別の詳細な検討を組み合わせたアプローチといえるでしょう。
質問紙は38項目から構成され、リスニング困難を「プロセス」「インプット」「リスナー」「タスク」「感情」「文脈」という6つの側面から分析しています。これは、リスニングという複雑な行為を多角的に捉えようとする試みで、単に「聞き取れない」という現象を表面的に扱うのではなく、その背後にある様々な要因を体系的に整理しようとする姿勢が評価できます。
主要な発見:教師が見るリスニング困難のトップ10
研究結果によると、教師が最も深刻だと考えるリスニング困難の上位5位は以下の通りです:
- CDプレーヤーの音質不良による不明瞭な音
- 知らない語彙
- 周囲の騒音による集中力の欠如
- 教室の音響環境の悪さ
- 話し言葉(スラングや慣用句を含む)
興味深いのは、第1位が技術的な問題だったことです。これは日本の英語教育現場でも身に覚えのある問題ではないでしょうか。古いCDプレーヤーから流れる雑音交じりの音声を聞きながら、「こんな音質で本当に聞き取り能力が向上するのだろうか」と疑問に思った経験がある人も多いでしょう。研究者たちも指摘していますが、このような基本的な設備の問題が軽視されがちなのは、より高次な認知プロセスや言語的要因に注目が集まりやすいからかもしれません。
第2位の「知らない語彙」は予想通りの結果ですが、ここで重要なのは、学習者が文字では知っている単語でも、音声として提示されると認識できないという現象です。これは日本人学習者にとっても非常に身近な問題で、例えば「comfortable」という単語を文字で見れば理解できても、実際の会話では「カンフォータブル」ではなく「カンフタブル」のように聞こえることで混乱してしまうケースが典型例でしょう。
教師の背景と認識の関係:経験は必ずしも差を生まない
この研究で注目すべき発見の一つは、教師の学歴や指導経験年数とリスニング困難の認識に統計的に有意な差が見られなかったことです。つまり、博士号を持つベテラン教師も、修士号を取得したばかりの若手教師も、学習者の困難について似たような認識を持っているということになります。
これは一見意外な結果のようにも思えますが、よく考えてみると納得できる面もあります。リスニング困難の多くは言語学習に内在する普遍的な性質を持っており、教師の専門性や経験によって大きく変わるものではないのかもしれません。むしろ、このことは教師養成課程や継続的な専門性開発において、リスニング指導に関する基本的な知識と技能が広く共有されていることを示唆している可能性もあります。
一方で、この結果をそのまま受け取ることには慎重さも必要です。経験豊富な教師と新人教師の間に認識の差がないということは、むしろリスニング指導に関する専門知識の蓄積や共有が十分でない可能性も示唆しているからです。
インタビューから見える教師の生の声
量的調査だけでは見えてこない教師の具体的な認識が、インタビュー調査から明らかになります。教師たちはリスニング困難を三つのカテゴリーに分類して捉えていました:
発音ベースの困難では、ネイティブスピーカーのアクセントや話速、語境界の識別困難、連結音などが挙げられています。ある教師は「学生は単語を誤って発音するため、音韻プロセスに慣れていない」と述べており、学習者自身の発音の不正確さが聞き取りにも影響することを指摘しています。これは非常に的確な観察で、第二言語習得研究でも音韻認識と産出の相互関係が明らかにされています。
内容ベースの困難には、長く複雑なテキストの要旨把握や、短時間での情報密度の高さ、未知語の多さなどが含まれています。「時には単語は覚えているが意味を推測できない」という教師のコメントは、語彙知識の深さの問題を指摘しており、単に単語を「知っている」ことと「使える」ことの違いを示しています。
個人特性ベースの困難では、学習者のスキル、練習、経験の不足が挙げられています。「勤勉でない」「練習不足」「瞬時のリスニング理解の非効率性」といった表現からは、教師が学習者の努力や能力に一定の責任を見出していることが伺えます。
リスニング方略の重要性:教師たちの一致した見解
インタビューに参加した教師の大多数(18人中12人)が、リスニング方略の知識が成功的なリスニング理解に必要だと答えています。これは重要な指摘で、単に英語を聞く機会を増やすだけでは十分でなく、どのように聞くかという技術的な側面が重要であることを示しています。
ある教師の「リスニングは学習し練習する必要があるスキルだと思います。学生は技術と方略を学んでリスニング能力を向上させる必要があります」という発言は、リスニングを受動的な活動ではなく、能動的に習得すべきスキルとして捉える現代的な視点を反映しています。
一方で、少数の教師は「方略がすべてではない」「結局、私たちは皆、これらの方略を誰からも教わることなく母語を習得した」として、大量のインプットの重要性を強調しています。この意見も無視できないもので、自然習得と意識的学習のバランスをどう考えるかという、第二言語習得の根本的な問題に触れています。
研究の強みと限界:批判的な検討
この研究の最大の強みは、これまで十分に調査されてこなかった教師の視点からリスニング困難を体系的に調査した点にあります。学習者自身の声も重要ですが、客観的な観察者としての教師の視点は、学習者が気づかない困難や、指導上の重要なポイントを明らかにする可能性があります。
また、混合研究法の採用により、量的データの客観性と質的データの豊かさを組み合わせている点も評価できます。特に、質問紙調査で明らかになった相関関係(例:インプットとプロセスの強い相関)が、インタビューデータによって具体的に説明されている構造は、研究の信頼性を高めています。
しかし、いくつかの重要な限界も指摘せざるを得ません。まず、研究参加者がすべてイラン人教師であり、その多くがテレグラムというSNSのグループを通じて募集されたという点です。これは結果の一般化可能性を大きく制限します。英語教育の文化的背景や教育制度は国によって大きく異なるため、イランでの結果が他の国にどの程度適用できるかは慎重に検討する必要があります。
また、参加教師の多くが修士号保持者で言語学校での指導経験を持つという特徴も、結果の解釈に影響します。公立学校の教師や、異なる教育背景を持つ教師の視点は含まれていないため、教師全般の見解を代表しているとは言い難いでしょう。
実践への含意:現場への具体的な提案
この研究から得られる実践的な示唆は多岐にわたります。まず、技術的な環境整備の重要性が改めて確認されました。高品質な音響機器の導入は、教育予算の制約がある中では軽視されがちですが、学習効果に直接的な影響を与える重要な要因であることが明らかになりました。
リスニング方略指導の重要性も強調されています。多くの教師がその必要性を認識している一方で、実際の授業でどの程度体系的に方略指導が行われているかは別の問題です。例えば、聞く前の予測、聞いている最中の焦点化、聞いた後の振り返りといった方略を、具体的にどう指導するかについては、さらなる研究と実践の蓄積が必要でしょう。
発音指導との関連についても重要な示唆があります。学習者自身の発音の正確性がリスニング能力に影響するという教師の観察は、音韻認識と産出の相互関係を示しており、統合的な言語指導の重要性を裏付けています。
今後の研究への提案:さらなる探究の方向性
この研究は新たな研究領域を開拓する先駆的な試みですが、同時に多くの研究課題も提示しています。まず、文化的多様性を考慮した国際比較研究が必要でしょう。異なる言語的・文化的背景を持つ教師や学習者の間で、リスニング困難の認識にどのような違いがあるかを調査することで、より普遍的な知見と文化特有の要因を区別できるでしょう。
また、教師の認識と学習者の実際の困難との関係についても、さらなる検討が必要です。教師が重要だと考える困難と、学習者が実際に経験する困難との間にズレがある可能性もあり、このようなズレが存在する場合、それが指導効果にどのような影響を与えるかは重要な研究課題です。
さらに、リスニング方略指導の効果的な方法についても、より詳細な研究が求められます。どのような方略を、どのような順序で、どの程度の時間をかけて指導すれば効果的なのかという実践的な問題は、現場の教師にとって切実な関心事です。
研究方法論への考察:混合研究法の有効性と課題
この研究では混合研究法が効果的に活用されていますが、量的データと質的データの統合には課題も見られます。例えば、質問紙調査では「プロセス」と「インプット」が最も重要な困難とされましたが、インタビューでは「発音ベース」の困難が最も多く言及されています。この不一致をどう解釈するかは重要な問題で、調査方法の違いが結果に与える影響について、より慎重な検討が必要でしょう。
また、質問紙の項目設定についても検討の余地があります。既存の学習者向け質問紙を教師向けに修正したということですが、教師の視点に特有の要因が十分に反映されているかは疑問です。教師は学習者とは異なる専門的知識と経験を持っているため、独自の質問紙開発が必要だったかもしれません。
理論的貢献:第二言語習得理論への示唆
この研究は、第二言語習得におけるリスニング理論にも重要な示唆を提供します。特に、インプットとプロセスの強い相関は、理解可能なインプット仮説とプロセシング理論の接点を示唆しており、理論的な統合の可能性を示しています。
また、教師が指摘する「発音ベース」の困難は、音韻処理と語彙アクセスの関係について重要な示唆を提供します。学習者が音韻的に正確でない内部表象を持っている場合、聞き取り時の語彙認識が困難になるという指摘は、第二言語の音韻習得と語彙習得の相互作用について理論的な検討を促します。
教育政策への含意:制度的な改善に向けて
この研究の結果は、英語教育政策にも重要な示唆を提供します。技術的環境の重要性が明らかになったことで、教育予算における音響設備への投資の優先度を見直す必要があるでしょう。また、教師養成課程におけるリスニング指導法の充実も急務です。
カリキュラム設計においても、リスニング方略指導の体系的な組み込みが必要です。現在多くの教育現場では、リスニング活動は行われていても、方略的な指導は十分でない可能性があります。学習者が効果的なリスニング方略を習得できるような段階的なカリキュラムの開発が求められます。
おわりに:教師の声を聞くことの意義
この研究は、教師の視点からリスニング困難を調査するという新しい研究領域を開拓した意義深い取り組みです。教室の最前線で学習者と向き合う教師たちの観察と経験は、学習者自身や研究者だけでは見えない側面を明らかにする貴重な情報源であることが確認されました。
特に印象的なのは、多くの教師がリスニング方略指導の重要性を認識していながら、同時に基本的な環境整備の不備を深刻な問題として捉えていることです。これは、理想的な指導を実現するためには、高次な認知的支援と基礎的な環境整備の両方が必要であることを示しています。まるで美しい音楽を演奏するためには、優れた演奏技術と良質な楽器の両方が必要であるのと同じでしょう。
今後は、この研究で明らかになった課題を踏まえ、より効果的なリスニング指導法の開発と、それを支える環境整備の両面から取り組みを進める必要があります。そして何より、教師と学習者、そして研究者が連携して、リスニング能力向上という共通の目標に向かって協力していくことが重要でしょう。
この研究は完璧ではありませんが、新しい視点から重要な問題に光を当てた価値ある研究として評価できます。今後の発展的な研究により、英語学習者のリスニング能力向上に向けた、より効果的な支援方法が明らかになることを期待します。
Nushi, M., & Orouji, F. (2020). Investigating EFL teachers’ views on listening difficulties among their learners: The case of Iranian context. SAGE Open, 1–16. https://doi.org/10.1177/2158244020917393