インドネシアの英語学習者が抱えるリスニング不安の実態とその解決策―パレンバンの大学における実証研究
はじめに:英語リスニング学習における不安問題の重要性
英語を外国語として学ぶ学習者にとって、リスニング能力の習得は特に困難な課題となることが多いです。読む、書く、話すといった他の言語スキルと比較して、リスニングは瞬時に音声情報を処理し、理解する必要があるため、学習者に大きな心理的負担を与えることが知られています。特に、英語が母語ではない環境で学習する学生たちは、ネイティブスピーカーの発音や話速についていけず、不安や恐怖を感じることが珍しくありません。
このような背景の中で、今回取り上げる研究論文”Indonesian EFL Students’ Anxiety Factors and Solutions for Listening Comprehension: Multiple Case Study”は、インドネシアの英語学習者が直面するリスニング不安の具体的な要因を明らかにし、教育現場で実際に行われている対策を体系的に調査した貴重な研究です。本研究は、単に不安の存在を確認するだけでなく、教育者がどのような戦略を用いて学生の不安軽減に取り組んでいるかという実践的な観点も含んでおり、教育現場への具体的な示唆を提供しています。
研究者の紹介と研究背景
本研究の主著者であるAnnisa Astridは、インドネシアのパレンバンにあるウニベルシタス・イスラム・ネゲリ・ラデン・ファタ・パレンバン大学の英語教育学科に所属する研究者です。共著者には、同大学院のイスラム宗教教育専攻のNyayu Khodijah、同大学のイスラム教育学科のZuhdiyah Zuhdiyah、そしてバンドンのウニベルシタス・イスラム・ネゲリ・スナン・グヌン・ジャティ大学のスーフィズム・精神療法学科のAi Yeni Yuliyyantiが名を連ねています。
この研究チームの構成からも分かるように、本研究は宗教系大学を中心とした教育機関で行われており、インドネシアという多様な文化的背景を持つ国における英語教育の実情を反映しています。パレンバンは南スマトラ州の州都であり、インドネシア有数の都市でありながら、英語が日常的に使用される環境ではないため、学生たちにとって英語学習、特にリスニング学習は大きな挑戦となっています。
研究者たちは、これまでの先行研究が主に高等学校レベルや上級レベルの大学生を対象としており、大学入学初期の基礎的なリスニングコースを受講する学生の不安について十分に検討されていないという課題を指摘しています。また、学生の不安要因に関する研究は数多く存在するものの、教育者が実際にどのような対策を講じているかについての研究が不足していることも問題として挙げています。
研究方法の詳細な解説
本研究は質的研究手法を採用し、特に複数事例研究(multiple case study)のアプローチを取っています。この手法を選択した理由は、教室という自然な環境での教師と学生の行動を詳細に観察し、リスニング学習における不安現象を多角的に理解するためです。量的研究では捉えきれない学習者の感情や体験、教師の教育実践の細かな側面を明らかにするために適切な方法と言えるでしょう。
研究は、パレンバンにある3つの大学の英語教育学科で実施されました。参加者の選定には目的的サンプリングと便宜的サンプリングの手法が用いられ、アクセスしやすい研究環境と参加者を選択することで、現実的な制約の中で質の高いデータ収集を可能にしています。
学生参加者の選定には特に工夫が凝らされています。まず、3つの大学合計89名の1年生に対して、Liu and Xu(2021)が開発した外国語リスニング不安尺度(FLLAS)を実施しました。この尺度は20項目から構成され、5段階のリッカート尺度で回答を求めるもので、得点に基づいて学生を低不安(20-46点)、中不安(47-83点)、高不安(84-100点)の3つのレベルに分類しています。
興味深いことに、調査結果では大多数の学生が中程度の不安レベルを示しており、これは英語学習における不安が特定の学生だけの問題ではなく、広範囲にわたる共通の課題であることを示唆しています。最終的に、各不安レベルから代表的な学生を選び、合計21名(低不安3名、中不安15名、高不安3名)をインタビュー参加者として選定しました。
教師参加者については、常勤講師であること、1年生にリスニングを教えていること、授業観察に同意することという明確な基準を設けて3名を選定しています。
データ収集は半構造化インタビューと非参加型観察を通じて行われました。インタビューは約30分間実施され、学生に対してはリスニング授業での感情体験や不安を感じる具体的な状況について質問し、教師に対しては学生の不安への気づきや対策について聞き取りを行いました。観察では、学生の行動、教師との相互作用、授業環境などを詳細に記録しています。
学生のリスニング不安の4つの主要因
研究結果として明らかになった学生のリスニング不安の要因は、4つの主要なテーマに分類されました。それぞれの要因について詳しく見ていきます。
リスニングスキルの不足
最も重要な要因として特定されたのは、学生の基礎的なリスニングスキルの不足です。多くの学生が、長い音声テキストを聞いた後に複数の質問に素早く答えることを求められた際に、強い不安を感じると報告しています。ある高不安レベルの学生(SH3)は、「長いリスニングテキストを聞いて、すぐに答えを解釈しなければならない問題が出されると不安になる。音声テキストのすべての単語の意味に慣れていないため、落ち着かなくなり、集中力が乱れて質問に答えられなくなる」と述べています。
この発言からは、学生が音声情報の処理と質問への回答を同時に行うことの困難さを感じていることが分かります。また、語彙知識の不足が理解を阻害し、それがさらなる不安を生み出すという悪循環の存在も示唆されています。
注意力の欠如
2つ目の要因は、リスニング活動中の注意力の低下や散漫です。多くの学生が、音声を聞いている最中に集中力を失うことで不安を感じると報告しています。中程度の不安レベルの学生(SM5)は、「集中力を失った時に恐怖を感じる。音声を聞きながら一語一語解釈しようとすることがあり、1つか2つの知らない単語に困惑することが多い。その結果、集中力を失い、メッセージを完全に理解できなくなる」と説明しています。
この証言は、学習者が完璧主義的な聞き方をしようとして、かえって全体的な理解を妨げてしまうという現象を示しています。単語レベルでの理解に固執することで、文脈からの推測や全体的な意味の把握ができなくなっているのです。
気分の影響
3つ目の要因として、学生の気分や情緒状態がリスニング不安に与える影響が明らかになりました。低不安レベルの学生(SL1)でさえ、「気分、特に多くの考えや個人的な問題がある時に不安になる。悪い気分の時は、自然に心配が増え、注意力が損なわれる」と述べています。
この要因は、言語学習が単に認知的なプロセスだけでなく、学習者の感情状態と密接に関連していることを示しています。個人的な問題やストレスが学習パフォーマンスに直接影響を与えるという点は、教育者が考慮すべき重要な側面です。
教室環境
4つ目の要因は、物理的な教室環境です。騒音、温度、座席位置などが学生の不安レベルに影響を与えることが分かりました。中程度の不安レベルの学生(SM9)は、「教室内外の騒がしい環境は不安にさせる。音声のネイティブスピーカーが何を言っているかに集中し、理解することが困難になる」と述べています。
また、教室の温度についても、多くの学生が暑い環境では集中力が低下し、不安が増大すると報告しています。さらに、スピーカーから離れた場所に座ることも不安の原因となることが明らかになりました。
観察データからも、角に座った学生が顔を青ざめさせたり、座り直したりする緊張行動を示すことが確認されており、物理的環境が学習者の心理状態に与える影響の大きさが実証されています。
教師による不安軽減戦略の実践
研究では、教師が学生の不安軽減のために実際に行っている3つの主要な戦略も明らかになりました。
リスニング活動への事前準備
教師たちは、本格的なリスニング活動に入る前に、学生を十分に準備させることの重要性を認識していました。具体的には、リスニング教材に関連する基礎語彙の紹介、語彙に関する議論の促進、質疑応答セッションの実施という3つの技法を用いています。
講師L2は、「学生のリスニング時の緊張を和らげるために、リスニング教材の新しい用語や話題を特定することで学生を支援しようと努めている。学生が音声に関連するリスニング教材を聞く前に、語彙を活性化し、話し言葉の解釈を容易にするために、いくつかの語彙とキーワードを提示した」と説明しています。
この戦略は、学習者の不安が主に未知の語彙や内容に対する恐れから生じることを理解した上で、事前の準備によってその不安を軽減しようとする合理的なアプローチと言えます。
多様な本物の教材への露出
2つ目の戦略は、学生をさまざまな本物のリスニング教材に触れさせることです。教師たちは、教科書の音声だけでなく、オンラインの本物の教材も活用して、学生がネイティブスピーカーの発音やアクセントに慣れるよう支援しています。
講師L3は、「学生のリスニング不安を支援するために、単語やフレーズを素早く認識できるよう、さまざまな本物のリスニング教材を提供している。通常、ビデオプロジェクターを使用して話者の発音とアクセントを扱い、学生がネイティブスピーカーによって一般的に使用されるいくつかのアクセントの種類を区別できるようにしている」と述べています。
この戦略は、学習者が実際の英語使用環境に近い多様な音声に触れることで、リスニング能力の向上と同時に不安の軽減を図ろうとするものです。
学習環境の改善
3つ目の戦略は、リスニング学習に適した環境の整備です。理想的には防音設備のある語学実習室を使用したいところですが、設備や時間の制約から、通常の教室でも可能な限り学習環境を整えようと努力しています。
講師L2は、「リスニング指導における困難の一つは、学習に適した部屋を確保することです。語学実習室の設備が限られているためです。適切な設備のあるクラスで教える機会がない時は、いつもリスニングプロセスに適したクラスの雰囲気を作ろうと努力している」と説明しています。
具体的には、座席を列に並べ、学生の座席位置を選択し、すべての学生が音声を明確に聞こえるよう音響機器を適切に配置するなどの工夫を行っています。
教育現場への実践的示唆
この研究結果は、英語教育現場、特にリスニング指導において重要な示唆を提供しています。まず、学生の不安が単一の原因によるものではなく、個人的要因(スキル不足、注意力、気分)と環境的要因(物理的環境)が複合的に作用していることが明らかになりました。このことは、教育者が多角的なアプローチで不安軽減に取り組む必要性を示しています。
特に注目すべきは、低不安レベルの学生であっても、環境条件によっては不安を感じるという発見です。これは、リスニング不安が特定の「苦手な学生」だけの問題ではなく、すべての学習者が直面する可能性がある課題であることを意味しています。従って、教育者は全ての学生に対して不安軽減策を講じる必要があります。
また、教師が実践している戦略は、いずれも現実的で実行可能なものばかりです。高価な設備や特別な訓練を必要とせず、既存の資源を活用して実施できる点で、多くの教育現場で応用可能と考えられます。
語彙の事前指導については、単に新しい単語を紹介するだけでなく、学生との議論を通じて理解を深める工夫が効果的であることが示されています。これは、受動的な知識の伝達ではなく、能動的な学習参加を促すアプローチの重要性を示唆しています。
建設的な批評と課題の検討
本研究は貴重な知見を提供していますが、いくつかの限界と改善の余地も存在します。
サンプルサイズと一般化可能性
最も大きな課題は、参加者数の限定性です。21名の学生と3名の教師という比較的小規模なサンプルサイズは、質的研究としては妥当ですが、結果の一般化には慎重である必要があります。特に、3つの大学すべてがパレンバンという同一地域にあり、しかも宗教系大学という共通の特徴を持っているため、異なる地域や大学タイプでの検証が必要でしょう。
また、インドネシアは多様な民族と言語を持つ国であるにも関わらず、参加者の文化的・言語的背景についての詳細な記述が不足しています。母語や地域言語の違いがリスニング不安に与える影響についても検討が必要かもしれません。
研究方法論の課題
研究デザインにおいて、不安レベルの分類に使用されたFLLAS尺度の文化的妥当性について十分な検討がなされていません。この尺度は中国の研究者によって開発されたものであり、インドネシアの文化的コンテキストでの適用について、より詳細な検証が必要でしょう。
また、観察データとインタビューデータの統合において、研究者の主観的解釈が結果に与える影響についても考慮が必要です。複数の研究者による独立した分析や、参加者による結果の確認(メンバーチェック)などの信頼性向上策が明示されていない点は改善の余地があります。
教師戦略の効果測定
研究では教師が実施している不安軽減戦略を特定していますが、これらの戦略の実際の効果について定量的な評価が行われていません。戦略を実施する前後での学生の不安レベルの変化や、リスニングパフォーマンスの改善について追跡調査を行うことで、より説得力のある証拠を提供できるでしょう。
また、異なる戦略の相対的な効果や、学生の特性(不安レベル、習熟度等)に応じた最適な戦略の組み合わせについても、さらなる検討が必要です。
理論的枠組みの発展
本研究は主に現象の記述と分類に重点を置いていますが、なぜこれらの要因が不安を引き起こすのか、またなぜ特定の戦略が効果的なのかについての理論的説明が十分ではありません。認知負荷理論、情動フィルター仮説、自己効力感理論などの既存の理論的枠組みとの関連付けを行うことで、より深い理解と予測可能性の向上が期待できます。
長期的な視点の欠如
本研究は基礎レベルのリスニングコースを対象としていますが、学生の不安や教師の対策が学習の進展とともにどのように変化するかについては検討されていません。縦断的な研究デザインを採用することで、不安の発達的変化や介入効果の持続性についてより詳細な知見を得ることができるでしょう。
研究の意義と今後の展望
これらの限界にもかかわらず、本研究は英語リスニング教育における重要な貢献をしています。特に、学生の視点と教師の視点を統合的に扱い、実際の教室環境での観察データと主観的体験データを組み合わせたアプローチは、現象の多面的な理解を可能にしています。
また、アジア圏、特に東南アジアの英語学習者を対象とした研究として、欧米中心の研究では見落とされがちな文化的・教育的特性を反映した知見を提供している点も評価できます。宗教系大学という特殊な教育環境での研究結果は、同様の環境で学ぶ学習者への教育支援において特に価値があるでしょう。
実践的な観点からは、本研究で特定された教師戦略は、特別な資源や訓練を必要とせずに実施可能なものが多く、多くの教育現場で即座に応用できる利点があります。特に、リソースが限られた環境での英語教育において、現実的で効果的な解決策を提示している点は高く評価されます。
今後の研究では、より大規模で多様な参加者を対象とした調査、異文化間比較研究、介入効果の定量的評価、理論的モデルの構築などが期待されます。また、技術の活用による新しい不安軽減策の開発や、個別化された学習支援システムの構築なども重要な研究方向となるでしょう。
本研究は、英語リスニング教育における不安の問題が、学習者個人の特性だけでなく、教育環境や指導方法と密接に関連していることを明確に示しています。教育者がこの知見を活用し、より包括的で効果的なリスニング指導を実践することで、多くの学習者がより快適で成功的な英語学習体験を得ることができるでしょう。
Astrid, A., Khodijah, N., Zuhdiyah, Z., & Yuliyanti, A. Y. (2024). Indonesian EFL students’ anxiety factors and solutions for listening comprehension: Multiple case study. Studies in English Language and Education, 11(1), 41–58. https://doi.org/10.24815/siele.v11i1.30976