はじめに:21世紀の異文化理解の重要性

現代社会において、異なる文化的背景を持つ人々との効果的なコミュニケーションは、もはや特別なスキルではなく、日常生活や職業生活における基本的な能力となっています。今回検討するのは、マレーシア大学のAbdul Qahar Sarwari氏らが執筆した、異文化コミュニケーション能力(Intercultural Communication Competence, ICC)に関するシステマティックレビュー論文です。この研究”The requirements and importance of intercultural communication competence in the 21st century”は、21世紀における人間生活でのICCの要件と重要性を、実践的な側面と構成要素に焦点を当てて分析したものです。

Sarwari氏は、メディア・コミュニケーション研究の専門家として、特に多文化環境における人間の相互作用について長年研究を続けてきました。本研究は、2000年から2023年までの23年間に発表された45の学術論文を体系的に分析し、現代社会におけるICCの本質を明らかにしようとする野心的な取り組みです。

研究の背景と意義

この研究が取り組んでいる問題は、グローバル化が急速に進む現代社会において極めて重要な意味を持ちます。国際的なビジネス、教育、移住などが日常的に行われる今日、異なる文化的背景を持つ人々との円滑なコミュニケーションができないことは、個人的な失敗だけでなく、組織や社会全体の問題にもなりかねません。

研究者らは、ICCを単なる言語能力や文化的知識を超えた、より包括的な能力として捉えています。それは、多文化環境において効果的に機能し、異なる文化的視点を理解し、適用する能力として定義されています。このような能力は、現代の教育現場、国際的なビジネス環境、医療分野、軍事分野など、あらゆる領域で重要性を増しています。

研究方法の詳細検討

本研究では、Web of ScienceとSCOPUSという2つの主要な学術データベースを使用して、「intercultural competence」と「intercultural communication competence」という2つのキーワードで検索を行いました。この手法自体は標準的なシステマティックレビューの方法論に従ったものですが、いくつかの点で検討の余地があります。

まず、検索キーワードの選択について考えてみましょう。2つのキーワードのみを使用した検索は、関連する重要な研究を見落とす可能性があります。例えば、「cross-cultural communication」「multicultural competence」「cultural intelligence」など、類似の概念を表す用語で発表された研究が除外されている可能性があります。また、英語以外の言語で発表された研究についても言及されておらず、これは特にアジア、ヨーロッパ、南米などの研究を見落とす原因となっている可能性があります。

研究の選択基準についても疑問が残ります。87件の初期検索結果から45件を選択したプロセスにおいて、どのような具体的な基準が適用されたのかが十分に明確ではありません。「関連性」や「重複の除去」といった基準は主観的であり、研究の再現性に影響を与える可能性があります。

研究結果の分析と評価

研究者らは、レビューした45の論文から得られた知見を4つのテーマに分類しました。この分類は論理的で理解しやすいものですが、各テーマの内容を詳しく検討すると、いくつかの重要な問題が浮かび上がります。

ICCの構成要素について

研究結果では、文化的認識と異文化感受性、言語能力、共感力、柔軟性などがICCの主要構成要素として挙げられています。これらの要素は確かに重要ですが、それぞれの相対的な重要性や相互関係について十分な分析がなされていません。例えば、言語能力と文化的認識のどちらがより重要なのか、あるいはこれらの要素が相互にどのように影響し合うのかといった点について、より深い分析が求められます。

また、これらの構成要素の測定方法についても課題があります。例えば、「柔軟性」や「共感力」といった概念は、定義や測定方法によって大きく結果が変わる可能性があります。このような主観的な要素をどのように客観的に評価するかという問題は、この分野における重要な課題の一つです。

ICCの重要性に関する主張の根拠

研究では、ICCが現代社会において極めて重要であるという結論に達していますが、この主張を支える証拠の質にはばらつきがあります。多くの研究が理論的な議論や小規模な事例研究に基づいており、大規模な実証研究や長期的な追跡調査に基づく証拠は限られています。

特に、ICCの欠如が「多くの現代専門職における失敗の重要な原因」であるという主張については、より強固な証拠が必要です。相関関係と因果関係を混同している可能性があり、ICCの低さが失敗の原因なのか、それとも他の要因による結果なのかを明確に区別することが重要です。

研究の限界と課題

この研究にはいくつかの重要な限界があります。まず、文化的偏向の問題があります。レビューされた論文の多くが西欧や北米の研究機関から発表されたものであり、アジア、アフリカ、南米などの異なる文化的背景を持つ研究者の視点が十分に反映されていない可能性があります。ICCという概念自体が西欧的な価値観に基づいて構築されている可能性もあり、この点についてより慎重な検討が必要です。

また、研究の時間的な範囲についても考慮が必要です。2000年から2023年という期間は、インターネットとソーシャルメディアの急速な普及、国際的な人口移動の増加、そして新型コロナウイルスパンデミックによる大きな社会変化を含んでいます。これらの変化が異文化コミュニケーションのあり方にどのような影響を与えたかについて、時系列的な分析が不足しています。

さらに、研究対象となった論文の質の評価についても疑問があります。システマティックレビューにおいては、含まれる研究の質を評価し、結果の解釈に反映させることが一般的ですが、本研究ではこの点について十分な言及がありません。

実践的な応用への課題

研究結果を実際の教育や訓練プログラムに応用する際の課題も見過ごせません。例えば、「海外留学がICCの向上に役立つ」という知見は確かに重要ですが、すべての人が海外留学の機会を持てるわけではありません。より多くの人がアクセス可能なICC向上方法の開発と検証が必要です。

また、ICCの評価方法についても実践的な課題があります。研究では様々な構成要素が重要であることが示されていますが、これらを統合的に評価する標準的な方法は確立されていません。教育機関や企業がICCを評価し、向上させるための具体的なツールや指標の開発が急務となっています。

文化的多様性と普遍性の議論

本研究では、ICCの重要性について普遍的な結論を提示していますが、文化によってコミュニケーションのスタイルや価値観が大きく異なることを考慮すると、より慎重なアプローチが必要かもしれません。例えば、直接的なコミュニケーションを重視する文化と、間接的で文脈に依存するコミュニケーションを重視する文化では、「効果的な異文化コミュニケーション」の定義自体が異なる可能性があります。

また、ICCの構成要素として挙げられている「共感力」や「柔軟性」といった概念も、文化によって解釈や重要性が異なる可能性があります。西欧的な個人主義的価値観に基づく「柔軟性」と、東アジアの集団主義的価値観に基づく「調和」の概念は、表面的には似ているようでも本質的に異なる場合があります。

技術的進歩の影響への言及不足

現代の異文化コミュニケーションを論じる際に避けて通れないのが、デジタル技術の影響です。翻訳技術の急速な進歩、バーチャルリアリティを活用した文化体験プログラム、オンラインでの国際的な協働作業の普及など、技術的進歩は異文化コミュニケーションのあり方を根本的に変えつつあります。

しかし、本研究では、こうした技術的側面への言及が限定的です。オンライン学習材料の活用について若干の言及はありますが、人工知能、機械翻訳、バーチャル現実といった新しい技術がICCの概念や実践にどのような影響を与えるかについて、より深い検討が必要です。

測定と評価の方法論的課題

ICCの測定と評価に関する方法論的な課題も重要な問題です。研究では様々な構成要素が重要であることが示されていますが、これらを統合的かつ客観的に測定する方法については十分な議論がありません。特に、「文化的感受性」や「共感力」といった主観的な要素をどのように定量化し、比較可能な形で評価するかという問題は、この分野の大きな課題です。

また、ICCの評価には、自己評価、他者評価、行動観察など、複数の方法がありますが、それぞれの方法の妥当性や信頼性について、より体系的な検討が必要です。文化的背景が異なる評価者間で一貫した評価を行うことができるかという点も、重要な検討課題です。

教育的介入の効果に関する証拠の質

研究では、様々な教育的介入がICCの向上に効果的であることが示されていますが、これらの証拠の質にはばらつきがあります。多くの研究が短期的な効果に焦点を当てており、長期的な持続性や実際の職場や日常生活での応用効果については十分な検証がなされていません。

特に、「文化プログラムへの参加」や「多文化環境での学習」といった介入の効果について、より厳密な実験デザインによる検証が必要です。対照群を設定した比較研究や、長期追跡調査による効果の持続性の検証など、より質の高い証拠の蓄積が求められます。

社会的・経済的格差への配慮

ICCの向上方法として挙げられている海外留学や国際的なプログラムへの参加は、経済的な制約により、すべての人がアクセスできるものではありません。社会経済的地位によってICCの向上機会に格差が生じる可能性について、研究では十分な言及がありません。

より平等で包括的なICC向上のアプローチの開発と、既存の社会的格差がICCの習得にどのような影響を与えるかについての研究が必要です。また、経済的制約がある中でも効果的なICC向上方法の開発と検証が重要な課題となっています。

今後の研究への提言

本研究は、ICCに関する既存の知識を整理し、その重要性を明確にしたという点で価値がありますが、今後の研究に向けていくつかの重要な課題を浮き彫りにしています。

まず、より厳密な実証研究の必要性があります。理論的な議論や小規模な事例研究だけでなく、大規模な実験研究や長期追跡調査による、ICCの構成要素や向上方法に関する証拠の蓄積が必要です。

また、文化的多様性を考慮した研究アプローチの開発も重要です。西欧中心的な視点から脱却し、様々な文化的背景を持つ研究者や参加者を含む、より包括的な研究の実施が求められます。

技術的進歩の影響についても、体系的な研究が必要です。人工知能、機械翻訳、バーチャルリアリティなどの新技術が、異文化コミュニケーションの実践や学習にどのような影響を与えるかについて、継続的な調査と分析が重要です。

結論:研究の意義と今後の展望

Sarwari氏らの研究は、21世紀における異文化コミュニケーション能力の重要性を体系的に整理し、この分野の現状を把握するための重要な基盤を提供しています。グローバル化が進む現代社会において、ICCの重要性が高まっていることは疑いの余地がありませんし、この研究が示す基本的な方向性は妥当なものです。

しかし同時に、この研究は多くの課題と限界も明らかにしています。方法論的な改善、文化的偏向の是正、技術的進歩への対応、社会経済的格差への配慮など、今後取り組むべき課題は多岐にわたります。

特に重要なのは、理論と実践の架け橋をより強固にすることです。学術的な研究成果を、実際の教育現場や職場で活用できる具体的な方法論やツールに変換することが、この分野の発展にとって不可欠です。

また、ICCという概念自体についても、より深い哲学的・理論的検討が必要です。異なる文化間の「理解」や「効果的なコミュニケーション」とは何を意味するのか、文化的相対主義と普遍的価値の間でどのようなバランスを取るべきかといった根本的な問題について、継続的な議論が必要です。

最終的に、この研究は、現代社会における異文化コミュニケーション能力の重要性を再認識させ、今後の研究と実践の方向性を示す重要な貢献をしています。しかし、その実現のためには、より多角的で厳密なアプローチによる継続的な研究の発展が不可欠であることも同時に示しているのです。


Sarwari, A. Q., Adnan, H. M., Rahamad, M. S., & Abdul Wahab, M. N. (2024). The requirements and importance of intercultural communication competence in the 21st century. SAGE Open, 14(2), 1-10. https://doi.org/10.1177/21582440241243119

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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