はじめに:科学研究におけるAI活用の新段階

近年、人工知能技術の急速な発展により、学術研究の現場においても従来の研究手法に変化が生まれています。特に2022年末にOpenAIが公開したChatGPTは、自然言語処理の分野において画期的な性能を示し、科学論文の執筆プロセスにも大きな影響を与える可能性を秘めています。本稿では、Salvagno氏らが2023年にCritical Care誌に発表した論文”Can artificial intelligence help for scientific writing?”を取り上げ、AIチャットボットが科学論文執筆に与える影響について詳細に検討します。

この研究は、医学分野、特に集中治療医学の観点からAIの活用可能性を論じたものであり、現在の学術界が直面している重要な課題に正面から取り組んだ意義深い研究です。論文執筆という研究活動の根幹に関わる領域でのAI活用について、その利点と課題を包括的に分析しており、今後の学術研究のあり方を考える上で重要な示唆を提供しています。

研究者の背景と論文の位置づけ

本論文の主著者であるMichele Salvagno氏は、ベルギーのブリュッセル自由大学エラスム病院集中治療科に所属する研究者です。共著者のFabio Silvio Taccone氏も同じく集中治療科の専門医であり、Alberto Giovanni Gerli氏はイタリアのミラノ大学臨床科学・地域保健科に属しています。いずれも臨床医学の最前線で活動する医師研究者であり、実際の医療現場での経験を踏まえた視点から論文を執筆しています。

特筆すべきは、著者らが論文の最後でChatGPT自身に対して「この論文をレビューし、Critical Care誌への投稿に同意するか」という質問を投げかけ、その回答も掲載している点です。これは、AI技術の活用について論じる論文として非常にユニークなアプローチであり、技術と研究者との対話的な関係性を象徴的に示しています。

論文は2023年2月に受理されており、ChatGPTの一般公開から数か月という極めて早いタイミングでの発表となっています。この迅速性は、医学研究コミュニティがAI技術の潜在的影響について高い関心を持っていることを示しており、同時に新技術への適応の早さも表しています。

ChatGPTの科学論文執筆への応用可能性

文献検索と情報整理における活用

著者らは、ChatGPTが科学論文執筆の複数の段階で有用性を発揮する可能性を指摘しています。まず文献検索の段階では、ChatGPTと「elicit.org」のようなAI研究アシスタントツールを組み合わせることで、学術論文の検索、結論の要約、不確実性の高い領域の特定などが効率化できるとしています。

論文中では具体例として、体外式膜型人工肺(ECMO)を用いた心停止治療に関する最近のランダム化比較試験についてChatGPTが作成した文献レビューを示しています。この例では、複数の研究結果を比較検討し、ECMOの有効性について総合的な評価を提示しており、研究者が特定のトピックについて迅速に概観を得るのに有用であることが示されています。

ただし、著者らも指摘しているように、ChatGPTによる文献レビューは一般的な内容にとどまる傾向があり、研究間の詳細な差異や批判的な分析には限界があります。これは、AIが既存の情報を統合することは得意である一方、創造的な分析や批判的思考については人間の研究者の関与が必要であることを示しています。

論文執筆プロセスでの支援機能

論文執筆の実際のプロセスにおいて、ChatGPTは複数の段階で支援を提供できます。初稿の作成段階では、研究者が提供した生の情報をもとに、方法論の記述、サンプルサイズの正当化、データ解析手法の説明などを支援することが可能です。著者らの経験によれば、原稿が完成した後の編集段階でChatGPTは特に効果を発揮し、書式の統一、言語の校正、複雑な文章のより明確な表現への書き換え、全体的な要約からの抄録作成などに活用できるとしています。

興味深いのは、著者らがシステマティックレビューやメタアナリシスのような複雑な執筆プロセスについては、主に編集段階での活用にとどまり、人間の介入が不可欠であると明確に位置づけている点です。これは、科学的な厳密性を要求される高度な研究手法においては、AIの支援機能には明確な限界があることを示しています。

視覚的要素の自動生成への期待

将来的な応用として、著者らはAIによる図表やその他の視覚的要素の自動生成可能性についても言及しています。これらの要素は論文の明確性と理解しやすさにとって重要である一方、作成には多くの時間を要するため、AI支援による効率化の恩恵が大きいと期待されます。ただし、この領域についてはまだ発展段階にあり、具体的な実装例や評価については今後の研究に委ねられています。

人間とAIの相違点と補完関係

AIの優位性と限界

著者らは、ChatGPTが人間に対して持つ優位性として、情報の迅速な理解と包括的な文献範囲からの証拠の関連付け能力を挙げています。人間の研究者には、読むことができる文献の範囲や、一見関連のない情報間の関係性を見出す能力に限界があるのに対し、AIは大量の情報を高速で処理し、パターンを識別することが可能です。

一方で、AIが生成するテキストには、人間の著者が特定の意味やトーンを伝えるために使用する微妙な表現や語彙選択が欠けている場合があります。また、AIによるテキストは曖昧で一貫性に欠ける傾向があり、人間が執筆した論文には見られない種類の不整合を含む可能性があります。

AI生成文章の識別可能性

論文では、AIによって執筆された文章と人間による文章を識別することの困難さについても論じられています。自然言語処理と機械学習の高度な技術により、ChatGPTは人間の文章に非常に近いテキストを生成できるため、執筆者の特定は複雑な作業となります。

興味深い指摘として、AIによる文章の特徴(ニュアンスや独創性の欠如など)は、母語でない言語で執筆された文章の特徴と類似している可能性があることが挙げられています。これは、AI盗作検出ツールが非英語圏の研究者による論文をAI生成として誤判定する可能性を示唆しており、公平性の観点から重要な課題となります。

倫理的課題の包括的検討

盗作問題の複雑性

論文で最も詳しく論じられている倫理的課題の一つが盗作問題です。著者らは、知識獲得と新しい論文執筆のプロセスにおいて、人間が他者から学んだ内容と自分のアイデアを組み合わせることは自然な行為であり、その過程で既存の研究成果に近い表現をすることは避けられないと指摘しています。

しかし、ChatGPTのようなAIシステムの場合、適切な引用なしに他者の著作物を言い換えて盗作率を下げるような使用方法は、科学研究において受け入れられないと明確に述べています。特に、他の著者による文章を異なる語彙で書き換えるためにソフトウェアを使用することは、たとえ方法が何であっても、個人的な貢献を加えることなく他者の著作物を複製する行為として、学術的誠実性の違反にあたるとしています。

科学的方法論への影響

第二の重要な倫理的課題として、科学研究の背後にある専門的で批判的な人間の思考の欠如が挙げられています。これは科学的方法の基盤に関わる問題であり、AIの使用によって既存のバイアスや不正確性が永続化または拡大される危険性があります。研究の質を保証するためには、たとえAIを活用する場合でも、その分野の専門家の存在が必要不可欠であるというのが著者らの見解です。

研究者評価システムへの影響

第三の課題として、AI技術の発展により一部の研究者の論文発表数が大幅に増加する可能性がある一方で、それが当該分野における実際の経験の増加を伴わない可能性が指摘されています。これは、論文数を重視する学術機関の採用慣行において倫理的問題を引き起こす可能性があります。質よりも量を重視する評価システムの下では、AI支援による論文量産が研究者の真の能力を正確に反映しない評価につながる危険性があります。

著者権とアクセス格差の問題

さらに、ChatGPTを共著者として記載すべきかどうかという問題や、現在無料で利用できるサービスが将来的に有料化された場合の影響についても考察されています。有料化により、高所得国と低所得国、また経験豊富な研究者と若手研究者の間でアクセス格差が生じ、科学的生産性において不公平な状況が生まれる可能性が懸念されています。

集中治療医学での実践的応用

臨床現場での時間節約効果

著者らは、ChatGPTが科学論文執筆以外の医療現場での活用可能性についても論じています。集中治療室(ICU)のような、複数の患者情報の継続的監視が必要な環境では、治療経過、検査値、微生物学的結果、体液バランス計算などの情報管理にChatGPTが貢献できる可能性があります。

具体的には、敗血症の初期管理などの確立されたICUプロトコルに関する一般的な情報提供、訓練データに基づくパターン認識による応答生成などが期待されています。また、生の情報を提供することで、日々のサマリーや退院サマリーなどの臨床記録の作成を支援し、時間節約と精度向上の両方を実現できる可能性があります。

患者・家族とのコミュニケーション支援

ChatGPTは患者や家族とのコミュニケーションにおいても有用性を発揮する可能性があります。他言語への翻訳機能や、患者の状態に関する正確で適切なタイミングでの個別化されたメッセージの生成などが挙げられています。ただし、これらの機能は医師と患者(または家族)の関係を代替するものではなく、あくまで補完的な役割を果たすものとして位置づけられています。

診断・治療支援の可能性と限界

興味深い応用例として、臨床情報、検査値、既往歴などの関連データを提供された場合に、ChatGPTが適切な治療選択肢の決定を医師に支援する可能性についても言及されています。しかし、著者らは同時に、現在の技術段階では提供される回答に誤りや古い情報が含まれる可能性があり、技術の発展途上であることを強調しています。

将来的には、電子健康記録から関連情報を自動的に抽出し理解するようにAIを訓練し、患者データ(バイタルサイン、検査結果、病歴など)を分析することで、医師が患者情報に迅速にアクセスし、介入の推奨を受け、より迅速で包括的な決定を可能にするシステムの実現が期待されています。

研究手法と限界についての評価

論文の方法論的特徴

本論文は、ChatGPTの科学論文執筆への応用について論じたパースペクティブ論文(展望論文)として位置づけられています。実証的なデータ収集や統計解析を行った研究論文ではなく、著者らの経験と既存文献の分析に基づいた考察が中心となっています。この手法は、新興技術について初期段階での包括的な検討を行う際には適切なアプローチと言えます。

論文の構成は明確で論理的であり、ChatGPTの機能説明から始まり、科学論文執筆での具体的応用例、人間との比較、倫理的課題、臨床応用の可能性、そして結論と今後の課題という流れで整理されています。各セクションは相互に関連しながらも独立性を保っており、読者が特定の関心領域について重点的に読むことも可能な構成となっています。

証拠の質と妥当性

論文の強みの一つは、著者らが実際にChatGPTを使用した経験に基づいて議論を展開している点です。文献レビューの例示や、編集作業での効果的な活用についての具体的な記述は、実践的な価値を持っています。また、ChatGPT自身による論文レビューの掲載は、AI技術の現在の能力と限界を示す貴重な資料となっています。

一方で、限界も明確に存在します。著者らの経験は主観的なものであり、系統的な評価や他の研究者による再現可能な検証は行われていません。また、ChatGPTの性能評価についても定量的な指標は提示されておらず、今後より厳密な評価研究の必要性が示唆されています。

一般化可能性の課題

論文は主に医学、特に集中治療医学の観点から書かれているため、他の学問分野への一般化可能性については慎重な検討が必要です。医学論文の特徴(実証的データの重要性、厳格な方法論の要求、倫理的配慮の複雑性など)は他分野と異なる場合があり、ChatGPTの有用性や課題も分野によって変わる可能性があります。

また、論文が執筆された2023年初頭の時点でのChatGPTの能力に基づいた議論であるため、その後の技術進歩により一部の指摘が既に古くなっている可能性もあります。AI技術の急速な発展を考慮すると、継続的なアップデートと再評価が必要でしょう。

学術出版界への波及効果と課題

査読システムへの影響

この論文が提起する重要な問題の一つは、現在の学術出版システム、特に査読制度にAIの普及がどのような影響を与えるかという点です。著者らは、AI検出プログラムの使用により編集者がAIによる執筆をより適切に識別できるようになる必要性を指摘していますが、これは査読プロセスの複雑化を意味する可能性があります。

査読者は従来の学術的内容の評価に加えて、AIによる支援の適切性や、AI検出ツールの結果の解釈についても判断する必要が生じる可能性があります。これは査読に要する時間と専門性の要求を高め、学術出版のスピードや質に影響を与える可能性があります。

学術誠実性の新たな基準

AI技術の普及により、従来の盗作や学術不正の定義についても再検討が必要になっています。論文では、単純な言い換えによる盗作率の削減は受け入れられないとしながらも、適切な監督下でのAI支援は容認されるという立場を示しています。しかし、この境界線の具体的な設定については、学術コミュニティ全体でのコンセンサス形成が必要でしょう。

また、AI支援を受けた論文において、どの程度の開示が必要かという問題も重要です。著者らの論文では、ChatGPTの支援を受けたことが明記されているように、透明性の確保が重要な要素となると考えられます。

技術的進歩と将来の展望

AI技術の継続的改善

論文執筆時点でのChatGPTの能力について著者らは一定の限界を認めつつも、技術の継続的な改善により将来的にはより正確で信頼性の高い結果が期待できるとしています。特に、最新の証拠に基づいた医療従事者への情報提供や、患者個別の治療プロトコルの作成などの高度な機能の実現可能性について言及しています。

ただし、技術の進歩と同時に、新たな課題や倫理的問題も生じる可能性があります。より高度なAI機能は、人間の研究者や医療従事者の役割をより大きく変化させる可能性があり、継続的な評価と適応が必要でしょう。

規制と標準化の必要性

著者らは結論部分で、AI技術の学術利用について国際的な規制と標準化の緊急な必要性を強調しています。これには、適切な使用方法の定義、不適切な使用の特定と処罰のメカニズム、技術アクセスの公平性確保などが含まれます。

特に国際的な協調が重要な理由として、学術研究のグローバルな性質と、技術アクセスの格差が国際的な研究協力に与える潜在的影響があります。高所得国の研究者が高度なAI支援を受けられる一方で、低所得国の研究者がそのような支援を受けられない状況は、学術研究における新たな不平等を生み出す可能性があります。

医学教育への示唆

研修医教育の変化

この論文が示唆する重要な点の一つは、医学教育、特に研修医や若手研究者の教育に与える影響です。AI支援により論文執筆が効率化される一方で、批判的思考、創造性、学術的誠実性などの基本的な研究スキルの習得がおろそかになる危険性があります。

医学教育カリキュラムには、AI技術の適切な使用方法と限界についての理解、AI支援と人間の判断のバランス、そして変化する技術環境における継続的学習の重要性などの要素を組み込む必要があるでしょう。

研究指導の新しいアプローチ

指導医や上級研究者は、AI技術を活用した研究指導の新しい方法論を開発する必要があります。これには、AI支援を効果的に活用しながらも、研究の本質的なスキルと倫理観を育成するバランスの取れたアプローチが求められます。

結論:バランスの取れた技術活用に向けて

Salvagno氏らの論文は、ChatGPTを代表とするAI技術が科学論文執筆に与える可能性と課題について、包括的で実践的な検討を提供しています。論文の最大の価値は、技術的な可能性に対する楽観的な評価と、倫理的・実践的課題に対する慎重な分析のバランスを保っている点にあります。

著者らが一貫して強調しているのは、AI技術はあくまで人間の研究者を支援するツールであり、人間の専門知識、判断力、創造性を代替するものではないという立場です。この視点は、技術決定論的な見方を避け、人間中心の研究活動を維持するために重要です。

論文が提起する規制と標準化の必要性についても、学術コミュニティ全体で早急に取り組むべき課題として受け止める必要があります。特に、技術アクセスの公平性と学術誠実性の維持は、グローバルな研究協力の基盤となる重要な要素です。

今後の研究においては、この論文が示した方向性をより具体化し、実証的なデータに基づいた評価研究や、分野別の詳細なガイドライン策定などが期待されます。また、技術の急速な進歩に対応するため、継続的な評価と適応のメカニズムを構築することも重要でしょう。

AI技術と人間の研究者の協働関係は、まだ始まったばかりの長期的なプロセスです。Salvagno氏らの研究は、このプロセスの初期段階における重要な道標として、今後の学術研究のあり方を考える上で貴重な貢献をしていると評価できます。


Salvagno, M., Taccone, F. S., & Gerli, A. G. (2023). Can artificial intelligence help for scientific writing? Critical Care, 27, Article 75. https://doi.org/10.1186/s13054-023-04380-2

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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