はじめに:研究の背景と意義
人工知能(AI)技術が日常生活に浸透する中で、私たちはGoogle検索やYouTubeの動画推薦、オンラインショッピングの商品レコメンドなど、意識せずにAIと接触しています。しかし、ChatGPTのような対話型AIが登場し、より直接的なAI利用が求められるようになると、単にAIを使うだけでなく、その仕組みを理解し、適切に活用し、倫理的な問題も考慮できる能力——すなわち「AIリテラシー」が重要になってきました。
本論文”Exploring the determinants of artificial intelligence (AI) literacy: Digital divide, computational thinking, cognitive absorption”の著者であるIsmail Celik氏は、フィンランドのオウル大学教育心理学部で教師教育とコミュニティ研究に携わる研究者です。Celik氏の研究は、教育技術、デジタルリテラシー、そしてAI教育の分野において数多くの成果を上げており、特に教師がAI技術を教育現場で倫理的に活用するための研究で知られています。
この研究は、AIリテラシーがなぜ人によって差があるのか、その決定要因は何かという重要な問題に取り組んでいます。AIリテラシーの概念はまだ新しく、その構成要素や影響要因について十分に解明されていない状況です。本研究は、デジタル格差、計算論的思考、認知吸収という三つの要因に注目し、これらがAIリテラシーにどのような影響を与えるかを実証的に検証した点で価値があります。
研究の理論的基盤:四つの概念の整理
AIリテラシーとは何か
本研究では、Wang et al.(2022)によるAIリテラシーの定義を採用しています。これは「倫理的原則を考慮しながら、AI技術を適切に認識、使用、評価する能力」とされ、四つの次元から構成されています。
第一の「認識」は、AIツールを使用する際にAIの存在を認識し理解する能力です。例えば、スマートフォンの音声アシスタントがAI技術であることを理解したり、検索結果がアルゴリズムによって個人化されていることを認識することです。
第二の「使用」は、AI技術を巧みに活用して課題を達成する能力です。これには、適切なプロンプトでChatGPTと対話したり、画像認識アプリを効果的に使用することが含まれます。
第三の「評価」は、適切なAIツールを選択し、AI生成結果を批判的に評価する能力です。AIの出力が常に正確とは限らないため、結果を鵜呑みにせず検証する姿勢が重要です。
第四の「倫理」は、AI使用に伴う責任とリスクを認識する能力です。プライバシー侵害、バイアスの問題、雇用への影響など、AI技術が社会に与える影響を考慮することです。
デジタル格差:技術へのアクセスの不平等
デジタル格差は、もともと物理的な技術アクセスの有無を指していましたが、van Dijk(2005)の理論では四つの段階的なアクセス形態として理解されています。
「動機的アクセス」は、デジタル技術を学習し活用したいという意欲です。技術に対する関心がなければ、そもそも利用に向かいません。
「物理的アクセス」は、コンピューターやインターネット、アプリケーションを使用する機会があることです。経済的制約や地理的要因により、すべての人が等しくアクセスできるわけではありません。
「技能的アクセス」は、技術を操作し管理する能力です。単純な操作だけでなく、技術の利点と課題を理解し、課題に適したツールを選択できる能力も含みます。
「使用的アクセス」は、実際に技術を活用することです。意欲があり、アクセス可能で、技能も持っているが、実際の使用に至らなければ意味がありません。
計算論的思考:コンピューターのような問題解決
計算論的思考は、Wing(2006)によって提唱された概念で、コンピューターが課題を処理するのと同様の方法で問題を解決する思考プロセスです。これは単にプログラミングスキルではなく、あらゆる分野で応用できる問題解決の手法として理解されています。
Computer Science Teachers Association(CSTA)とInternational Society for Technology in Education(ISTE)の定義によれば、計算論的思考は三つの段階から構成されます。まず、コンピューターの支援を受けて解決できる形で問題を定式化することです。次に、データをモデルやシミュレーションを通じて整理、分析、表現することです。最後に、解決策を自動化し、最も効率的で効果的な解決策を選択し、その問題解決手法を他の多様な問題に転用することです。
認知吸収:技術との深い関わり
認知吸収は、Agarwal and Karahanna(2000)によって定義された概念で、特定の技術との深い関与状態を指します。これは内発的動機の指標として機能し、技術使用に対する満足感や楽しさと関連しています。
認知吸収は五つの次元で構成されます。「時間的解離」は時間の流れを認識できなくなる状態、「集中した没入」は他の認知的要求を無視して技術に全注意を向けること、「高まった楽しさ」は技術使用に対する満足感、「制御感」は関与に対する責任感、「好奇心」は関与が個人の感覚的・認知的好奇心を刺激する程度です。
研究方法の検討:実証研究の設計と妥当性
調査対象と手法
本研究は、トルコの大都市にある二つの大学の高等教育学生を対象とした横断調査です。当初1,200名を対象としましたが、最終的に865名(女性416名、男性319名)のデータを分析に使用しました。対象者は学士課程609名、修士課程181名、博士課程75名と多様な教育レベルを含んでいます。
統計手法として構造方程式モデリング(SEM)を採用し、仮説検証を行いました。この手法は、観測できない潜在変数間の関係を検証するのに適しており、本研究の理論モデルの検証には適切な選択といえます。
測定尺度の妥当性
研究では既存の検証済み尺度を使用しています。AIリテラシー尺度(Wang et al., 2022)、計算論的思考尺度(Korkmaz et al., 2017)、認知吸収尺度(Agarwal & Karahanna, 2000のトルコ語版)、ICTアクセス尺度(Soomro et al., 2018)です。各尺度の信頼性係数は0.7以上を示しており、統計的に許容可能なレベルです。
しかし、いくつかの方法論的課題も指摘できます。第一に、横断調査のため因果関係を厳密に検証することは困難です。第二に、自己報告式尺度に依存しているため、実際の能力と自己認識の差異が結果に影響する可能性があります。第三に、トルコの大学生のみを対象としているため、結果の一般化可能性には限界があります。
研究結果の分析:仮説検証の成果と課題
支持された仮説の意味
研究では六つの仮説のうち四つが支持されました。これらの結果から興味深いパターンが浮かび上がります。
デジタル格差の減少が認知吸収を向上させる(仮説1)という結果は直感的に理解できます。ICTへの便利なアクセスがあることで、AI技術との深い関与が可能になるのです。この関係の標準化係数は0.71と強い関係を示しており、技術アクセスの重要性を物語っています。
デジタル格差の減少が計算論的思考を向上させる(仮説2)という結果も重要です。係数0.83という極めて強い関係は、技術へのアクセスが単に使用機会を提供するだけでなく、思考様式そのものを変化させる可能性を示唆しています。プログラミング活動やコーディングアプリの使用を通じて、人々は計算論的な問題解決方法を身に付けるのです。
デジタル格差の減少がAIリテラシーを直接向上させる(仮説3)という結果(係数0.55)は、技術アクセスが学習効果をもたらすことを示しています。AI技術を実際に使用する機会があることで、その認識、使用、評価、倫理的配慮の能力が向上するのです。
計算論的思考がAIリテラシーを向上させる(仮説6)という結果(係数0.37)は、理論的にも興味深い知見です。問題解決における抽象化、データ収集・分析、アルゴリズム、自動化といった計算論的思考の要素は、AI技術の理解にも直接応用できるためです。
支持されなかった仮説の検討
一方、認知吸収が計算論的思考(仮説4)やAIリテラシー(仮説5)に影響しないという結果は、当初の予想と異なるものでした。この結果について、著者は技術使用の目的の多様性で説明しています。
深い技術関与があっても、その目的が問題解決ではなく娯楽である場合、計算論的思考の発達には寄与しないのです。例えば、YouTubeやTwitterで動画を視聴したりコミュニケーションを取ったりする際の深い関与は、背後にあるAIアルゴリズムの認識にはつながらないということです。
この結果は、単に技術に多くの時間を費やすことと、技術的理解を深めることは別物であることを示唆しています。むしろ、技術との関わり方の質が重要であり、問題解決や創造的活動を通じた関与が学習効果を生むのです。
研究の意義と限界:批判的検討
理論的貢献の評価
本研究の最も重要な貢献は、AIリテラシーの決定要因について実証的データを提供したことです。AIリテラシー研究の多くが概念的議論に留まる中で、定量的手法による因果関係の検証を試みた点は評価できます。
特に、デジタル格差がAIリテラシーに与える多層的影響(直接効果と、認知吸収・計算論的思考を介した間接効果)を明らかにしたことは重要です。この知見は、AIリテラシー向上のための介入策を考える際の基礎データとなり得ます。
また、計算論的思考とAIリテラシーの関係を実証的に示したことも意義深い知見です。プログラミング教育がAI理解の基盤となる可能性を示唆しており、教育政策への含意があります。
方法論的制約の検討
しかし、本研究にはいくつかの方法論的制約があります。第一に、横断調査設計のため、真の因果関係を確立することは困難です。例えば、AIリテラシーが高い人がより積極的に技術を使用し、結果としてデジタル格差が小さくなる逆因果の可能性も考えられます。
第二に、自己報告式測定に依存していることです。特にAIリテラシーについては、実際の課題遂行能力と自己評価の間に乖離がある可能性があります。客観的な技能測定や行動観察データとの併用が望ましいでしょう。
第三に、サンプルの代表性の問題があります。トルコの大学生のみを対象としており、結果を他の文化圏や年齢層に一般化することには注意が必要です。特に、デジタル技術に比較的慣れ親しんだ大学生と、一般人口との間には大きな差異があると予想されます。
理論的枠組みの妥当性
使用された理論的枠組み自体についても検討が必要です。AIリテラシーの四次元モデル(認識、使用、評価、倫理)は包括的ですが、AI技術の急速な発展を考慮すると、新たな次元の追加が必要になる可能性があります。
また、デジタル格差の概念も、現在のAI時代には修正が必要かもしれません。従来のICTアクセス中心の概念では、AI特有の課題(アルゴリズムの透明性、データプライバシー、バイアスなど)を十分に捉えられない可能性があります。
実践的含意:教育と政策への示唆
教育実践への応用
本研究の結果は、AIリテラシー向上のための教育実践に重要な示唆を提供しています。デジタル格差の影響が大きいことから、まず学習者の技術アクセス環境を整備することが前提条件となります。
計算論的思考とAIリテラシーの関係が示されたことで、プログラミング教育の重要性が再確認されました。ただし、単純なコーディングスキルの習得ではなく、問題分解、パターン認識、抽象化、アルゴリズム思考といった計算論的思考の核心的要素を重視した教育が必要です。
また、認知吸収が期待された効果を示さなかったことから、技術との関わり方の質を重視した教育設計が重要です。受動的な技術消費ではなく、創造的・問題解決的な技術活用を促進する学習活動が効果的でしょう。
政策的配慮事項
デジタル格差がAIリテラシーに与える強い影響は、デジタル公平性確保の重要性を示しています。AIリテラシーの差が社会経済的格差を拡大させる可能性があるため、公的な介入が必要です。
具体的には、物理的アクセス(デバイスとネットワーク)、動機的支援(AI技術の有用性に関する啓発)、技能訓練(基本的デジタルスキルから高度なAI活用まで)、実用機会の提供(実際にAI技術を活用できる場面の創出)といった多層的なアプローチが求められます。
今後の研究課題:残された問題と発展可能性
方法論的改善の方向性
縦断調査の実施により、真の因果関係を検証することが重要な次のステップです。AIリテラシーの発達過程を追跡することで、各要因の影響がどの時点で最も強く現れるかも明らかになるでしょう。
また、混合研究法の採用も検討すべきです。量的データと質的データを組み合わせることで、統計的関係の背後にあるメカニズムをより深く理解できます。例えば、なぜ認知吸収がAIリテラシーに影響しなかったのかについて、インタビュー調査を通じて詳細に探ることが可能です。
理論的発展の可能性
AI技術の進歩に伴い、AIリテラシーの概念自体も発展させる必要があります。現在の四次元モデルに加えて、「創造性」(AIとの協働による新しい価値創造)、「批判的思考」(AI出力に対する懐疑的検証)、「社会的責任」(AI使用が社会に与える影響への配慮)といった新たな次元を検討すべきかもしれません。
また、文化的要因の影響も重要な研究課題です。AI技術に対する社会的受容度や倫理観は文化によって大きく異なるため、多文化比較研究が求められます。
実証研究の拡張
対象者の多様化も重要です。本研究は大学生を対象としましたが、小中高生、社会人、高齢者といった異なる集団での検証が必要です。特に、AIネイティブ世代とそうでない世代の差異は興味深い研究テーマです。
また、特定のAI技術(ChatGPT、画像生成AI、音声アシスタントなど)との関わり経験を詳細に調査することで、より具体的な知見が得られるでしょう。技術の種類によって必要なリテラシーの要素や影響要因が異なる可能性があります。
結論:AIリテラシー研究の現在地と展望
本研究は、AIリテラシーの決定要因について初期的な実証的知見を提供した価値ある研究です。特に、デジタル格差の多面的影響と計算論的思考の重要性を明らかにしたことは、理論的にも実践的にも意義深い貢献です。
しかし、AI技術の急速な発展と社会実装の進展を考慮すると、この分野の研究はまだ緒についたばかりといえます。方法論的洗練、理論的発展、実証研究の拡張を通じて、より包括的で実用的な知見の蓄積が求められます。
最終的に、AIリテラシー研究の目標は、技術的格差が社会的格差を生まない公平で包摂的なAI社会の実現に貢献することです。そのためには、単に個人の能力向上を目指すだけでなく、社会システム全体の変革も視野に入れた研究アプローチが必要でしょう。
本研究が示したデジタル格差の重要性は、AI時代における教育の公平性と社会正義の観点から、今後さらに重要性を増すと予想されます。研究者、教育者、政策立案者が連携し、実証的根拠に基づいた効果的な介入策を開発することが、これからの重要な課題となるでしょう。
Celik, I. (2023). Exploring the determinants of artificial intelligence (AI) literacy: Digital divide, computational thinking, cognitive absorption. Telematics and Informatics, 83, Article 102026. https://doi.org/10.1016/j.tele.2023.102026