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研究の背景と著者について

本論文は、オールド・ドミニオン大学の教授であるヘレン・クロンプトン氏と、同大学ODUグローバルのダイアン・バーク氏による共同研究です。クロンプトン教授は教育技術分野の専門家として、特にAIを活用した教育に関する研究で知られており、これまでにも多数の関連論文を発表しています。本研究は、急速に発展するAI技術が高等教育にどのような影響を与えているかを体系的に調査した重要な研究といえます。

近年、ChatGPTをはじめとする生成AIツールの普及により、教育現場でのAI活用に対する関心が急速に高まっています。しかし、これまでの研究は断片的であり、全体像を把握することが困難でした。著者らはこの問題意識から、2016年から2022年までの7年間にわたる国際的な研究動向を包括的に分析することを試みました。

研究手法の特徴と規模

この研究では、PRISMA(系統的レビューとメタ分析のための推奨報告項目)と呼ばれる厳格な手法を採用しています。これは医学分野で確立された方法論で、偏りを最小限に抑えながら既存研究を体系的に整理・分析するためのものです。

研究チームは教育関連データベースを中心に、ワイリー・オンライン・ライブラリー、JSTOR、サイエンス・ダイレクト、ウェブ・オブ・サイエンスなどの主要学術データベースを検索しました。初期検索で371本の論文を特定し、厳格な選定基準を適用した結果、最終的に138本の査読済み論文を分析対象としました。この規模は、同種の研究としては相当に大きく、信頼性の高い結果を導き出すのに十分な標本数といえます。

注目すべき研究結果の詳細

地理的分布の変化が示すもの

最も興味深い発見の一つは、研究の地理的分布の劇的な変化です。従来、米国が圧倒的に多くの研究を発表していましたが、本調査期間では中国が最多となりました。これは単なる数的変化以上の意味を持ちます。中国政府が国家戦略としてAI技術の発展を推進していることや、高等教育機関への投資を拡大していることの反映といえるでしょう。

研究は世界6大陸31か国で実施されており、AIが世界的な教育課題として認識されていることがわかります。ただし、研究の大部分は高所得国で行われており、発展途上国での研究は限られています。これは、AI技術の恩恵が地域格差を拡大する可能性を示唆しており、今後の重要な課題といえます。

学問分野の多様化と専門性

研究実施機関の分析では、教育学部所属の研究者が最も多く(28%)、次いでコンピュータサイエンス(20%)となっています。これは従来の傾向からの大きな変化です。過去の研究では、教育専門家の参加が少ないことが課題として指摘されていましたが、現在では教育の専門家が主導的な役割を果たしていることがわかります。

この変化の背景には、新型コロナウイルス感染症の流行により、多くの教育者が急速にオンライン教育やデジタル技術の導入を迫られたことがあると考えられます。実践的な教育課題に直面した教育専門家たちが、AI技術の活用方法を積極的に研究するようになったのです。

対象学生層と活用領域

研究対象の72%が学部生であり、大学院生を対象とした研究は9%に留まりました。これは実用的な理由によるものと考えられます。学部生の方が人数が多く、研究対象として確保しやすいことや、学習支援の必要性が高いことなどが影響しています。

教科分野では言語学習(17%)、コンピュータサイエンス(16%)、工学(12%)の順となりました。言語学習分野での活用が多いのは、自然言語処理技術の発達により、作文の自動採点や語彙学習支援などの実用的なアプリケーションが開発されやすいためです。

AIの具体的活用方法と教育効果

評価・採点システムの進歩

研究で最も多く報告されたのは、AI による評価・採点システムでした。従来の自動採点は選択問題に限定されていましたが、現在では記述式問題の採点や、学習者の感情面の評価まで可能になっています。

特筆すべき事例として、中国のウイグル族学生の学術文章作成支援システムが挙げられます。このシステムは文化的背景を考慮した評価とフィードバックを提供し、学習者の行動面、認知面、感情面での関与を促進しました。これは、AI技術が多様な学習者のニーズに対応できることを示す重要な例です。

予測分析による学習支援

21の研究で報告された予測機能は、教育現場に大きな変化をもたらしています。学習成績の予測、中退リスクの早期発見、キャリア選択の支援など、多岐にわたる用途で活用されています。

MOOCs(大規模公開オンライン講座)での活用例では、17の異なる学習要素を人工ニューラルネットワークに入力することで、受講生の成績予測と中退リスク者の特定が可能になりました。これにより、早期介入による学習支援が実現しています。

個別指導システムの発達

18の研究で報告されたインテリジェント・チューター・システム(ITS)は、各学習者の特性とニーズに応じたカスタマイズされた教育を提供します。統計学習用の「Stat-Knowlab」や工学実験用の「LabTutor」など、専門分野に特化したシステムが開発されています。

これらのシステムは、従来の一対一指導の利点を大規模な教育環境でも実現できる可能性を示しています。特に数百人規模の大学講義において、個別化された即座のフィードバックを提供できることは画期的といえます。

研究の限界と今後の課題

方法論上の制約

本研究は査読済みの学術論文のみを対象としており、出版には通常数か月から1年程度の時間を要します。そのため、ChatGPTのような最新のAIツールの影響は十分に反映されていない可能性があります。また、英語で書かれた論文のみを対象としているため、他言語圏での研究動向が見落とされている恐れがあります。

地域格差と研究の偏り

高所得国での研究が大部分を占めており、発展途上国でのAI活用事例が限られていることは大きな課題です。AI技術の恩恵が一部の地域や社会階層に偏ることで、既存の教育格差がさらに拡大する可能性があります。

実践と研究のギャップ

多くの研究が従来の教育手法をAIで効率化することに焦点を当てており、AI技術の真の可能性を活用した革新的な教育方法の開発は限られています。技術の進歩に対して、教育現場での活用方法の探求が追いついていない状況がうかがえます。

教育現場への示唆

教育者の役割変化

AI技術の導入により、教育者の役割は従来の知識伝達者から、学習促進者やメンターへと変化しています。自動採点システムにより採点業務が軽減される一方で、AI が提供する分析結果を教育改善に活かす新たなスキルが求められています。

学習者中心のアプローチ

研究結果の72%が学習者支援に焦点を当てていることは、AI技術が学習者中心の教育を促進していることを示しています。個別化された学習経験の提供や、学習者の多様なニーズへの対応が可能になっています。

倫理的配慮の必要性

AI による学習データの収集・分析には、プライバシー保護や偏見の防止など、重要な倫理的課題が伴います。特に予測分析においては、学習者のラベリングや差別的扱いのリスクがあり、慎重な運用が求められます。

まとめと今後の展望

本研究は、高等教育におけるAI活用の現状を包括的に整理し、今後の研究方向性を示した重要な成果です。2021年から2022年にかけての研究発表数の急増は、教育分野でのAI技術への関心の高まりを如実に示しています。

ただし、技術的可能性の探求と実際の教育効果の検証、地域格差の解消、倫理的課題への対応など、解決すべき課題も多く残されています。特に、AI技術の真の教育的価値を引き出すためには、技術開発者と教育実践者のより密接な協力が不可欠です。

今後は、新しい生成AI技術の教育への影響を継続的に調査し、すべての学習者が恩恵を受けられる包括的なAI教育環境の構築に向けた研究が求められるでしょう。


Crompton, H., & Burke, D. (2023). Artificial intelligence in higher education: The state of the field. International Journal of Educational Technology in Higher Education, 20, Article 22. https://doi.org/10.1186/s41239-023-00392-8

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。