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はじめに ――教育格差拡大への危機感

人工知能(AI)が教育分野に急速に浸透する中、技術の進歩が自動的に教育の機会均等をもたらすという楽観的な見方が広がっています。しかし、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の研究チームが2024年に発表した論文は、この考え方に対して重要な警告を発しています。「AIだけでは教育の民主化は実現できない」という明確なメッセージとともに、むしろAI技術が既存の教育格差を拡大する危険性があることを指摘しています。

この論文”Artificial intelligence alone will not democratise education: On educational inequality, techno-solutionism and inclusive tools”は、AI教育技術(AIEd)の発展が必ずしもすべての学習者に恩恵をもたらすとは限らないという現実的な視点から、教育における技術万能主義(テクノ・ソリューショニズム)の問題点を鋭く分析しています。

多分野にわたる研究チームの専門性

本論文の著者陣は、AI研究、教育技術、障害者支援技術など多様な分野の専門家で構成されています。主著者のサハン・ブラスウェラ氏は、UCLの人工知能センターで教育向けAIシステムの研究に従事し、特に大規模な教育リソースの自動処理と個別化学習に関する研究で知られています。共著者のマリア・ペレス=オルティス氏も同センターの研究者で、機械学習と教育データマイニングの専門家です。

注目すべきは、キャサリン・ホロウェイ氏が障害者支援技術の専門家として参画していることです。同氏はGlobal Disability Innovation Hubの研究者として、技術が障害者コミュニティに与える影響について深い専門知識を持っています。また、ムトゥル・チュクロヴァ氏は教育学の観点から、ジョン・ショウ=テイラー氏は機械学習の理論的基盤から、それぞれの専門性を論文に反映させています。

この多分野にわたる研究チームの構成は、論文の包括的な視点と説得力の源となっています。技術的な可能性と限界、教育学的な考察、社会的な影響を統合的に分析できる体制が整っていることが、論文の重要な強みとなっています。

デジタルデバイドの現実 ――数字が語る格差の実態

論文が最初に強調するのは、教育格差の深刻な現実です。ユネスコの統計によると、2018年の時点で世界中で約2億6000万人の子どもたちが学校教育を受けられない状況にありました。このうち、初等教育年齢の子どもが5900万人、前期中等教育年齢が6200万人、後期中等教育年齢が1億3800万人となっています。さらに、約7億5900万人の成人が読み書きできない状況にあります。

これらの数字が示すのは、AI技術が普及する以前から存在していた深刻な教育格差です。論文は、この既存の格差を考慮せずにAI教育技術を導入することの危険性を指摘しています。高収入国では100人の富裕層の若者に対して18人の貧困層の若者しか中等教育を修了できていないという世界不平等教育データベース(WIDE)の報告は、経済格差が教育機会に直結していることを明確に示しています。

特に注目すべきは、新型コロナウイルス感染症のパンデミック期間中に、これらの格差がさらに拡大したことです。世界の40%の国々が危機の際に学習困難な学習者への支援を提供できなかったという事実は、既存の教育システムの脆弱性を浮き彫りにしています。

インクルーシブ教育の課題 ――取り残される学習者たち

論文は、教育システムがいまだに多くの学習者を排除している現実についても詳しく分析しています。全世界の15歳の学生の4人に1人が学校で疎外感を感じているという調査結果は、教育システムの包括性の欠如を示しています。

特に深刻なのは言語の障壁です。言語的多様性が高いドミニカ共和国では、30%以上の学生が疎外感を報告していますが、これは教育システムがこの多様性を適切に考慮していないことの現れです。また、障害のある学生については、世界の25%の国(アジア、ラテンアメリカ、カリブ海地域では40%以上)で分離教育が法的に認められており、真のインクルーシブ教育からは程遠い状況にあります。

著者たちは、支援技術(アシスティブテクノロジー)が学習への参加を決定する重要な要素であることを指摘しつつ、これらの技術が資源不足や効果的な活用方法の欠如により、十分に活用されていない現実を浮き彫りにしています。教員の知識と技術への信頼度、製品の品質と信頼性、プライバシーと倫理的懸念などが、技術の適切な導入を阻む要因として挙げられています。

AIEd技術の可能性と限界 ――期待と現実のギャップ

論文は、AI教育技術の持つ可能性を否定するものではありません。知能的個別指導システム(ITS)が対面での1対1指導と同程度の学習効果を示すという研究結果や、個別化学習が平均的学生の学習成果を2標準偏差分向上させる可能性があるという報告を引用し、技術の理論的潜在能力を認めています。

しかし、これらの理論的可能性と実際の教育現場での活用との間には大きなギャップがあることも指摘しています。大規模オープンオンラインコース(MOOC)を例にとると、教育の民主化を目指して導入されたにもかかわらず、実際には既存の教育格差を反映し、恩恵が公平に配分されていないという現実があります。

特に重要なのは、現在のAI技術の多くが開発国の制御された環境で作成されたデータセットに基づいているため、低資源環境への汎用性が極めて限定的であることです。また、教育リソースの多くが人気の高いヨーロッパ言語に偏っており、翻訳技術も「人間が許容できる」レベルをわずかに上回る程度にとどまっているという問題があります。

テクノ・ソリューショニズムの罠 ――技術万能主義への警告

論文の核心的な批判の一つは、「テクノ・ソリューショニズム」と呼ばれる考え方に向けられています。これは、複雑な現実世界の課題に対して技術的解決策だけで対処できるという信念のことです。著者たちは、この考え方が教育分野で特に危険であることを強調しています。

教育へのアクセスの欠如は本質的に政治的・社会的問題であり、技術だけで解決できるものではないと論文は主張しています。世界の学校外児童の約50%が紛争の影響を受けた国々に住んでいるという事実は、教育問題の根深い社会的・政治的性質を示しています。貧困、紛争、政治的不安定などの根本的な問題に取り組まずに、AI技術だけに頼ることの限界と危険性を明確に示しています。

さらに、AI技術が適切に設計・展開されない場合、教育格差をさらに拡大させる可能性があることも警告しています。良好なインターネット接続、デジタルデバイスへの平等なアクセス、アクセシビリティへの対応など、基本的なインフラが整っていない状況でAI教育技術を導入することは、既に恵まれた地域や集団にさらなる優位性をもたらす結果となる可能性があります。

4つの柱による解決策の提案 ――包括的アプローチの必要性

この問題に対処するため、著者たちは包括的で持続可能なAI教育生態系を構築するための4つの柱を提案しています。

オープン教育リソース(OER)の活用

第一の柱は、自由にアクセス可能で多様性に富んだ教育リソースの大規模コレクションの構築です。OERは、2002年のユネスコフォーラムで提唱された概念で、教科書の高コストと多様性の欠如という問題に対する低コスト、スケーラブル、包括的な代替案として位置づけられています。

論文は、OERが社会的包摂の促進、ジェンダー平等の改善、特別な支援が必要な人々への教育機会の提供に貢献できると述べています。実際に、世界的な調査によると、関係者の74.45%がOERの使用により開発途上国の教育の質が向上すると考え、77.75%が学習教材へのアクセス改善、80.88%が教育教材コストの削減に効果があると回答しています。

重要なのは、OERが現在10万以上の教材を蓄積し、AI技術を用いて複数言語への翻訳、転写、注釈付けが行われていることです。これにより、多様なコミュニティが母国語で豊富な教育リソースにアクセスできる可能性が広がっています。

Wikipediaを基盤とした統一的知識基盤

第二の柱として、地域、政府、言語に依存しない知識表現の構築が提案されています。著者たちはWikipediaをこの基盤として活用することを提案しています。

論文は、大規模言語モデル(LLM)が神経知識ベースとしての機能を持つことを認めつつも、その限界も指摘しています。LLMは統計的言語生成器であるため、事実的に不正確な出力(いわゆる「ハルシネーション」)を生成する傾向があります。また、LLMが保持する世界観は人間にとって直感的でないブラックボックスの埋め込み空間に閉じ込められています。

一方、Wikipediaは世界最大かつ最新の百科事典として、人間による情報提供とAI技術による支援を組み合わせて運営されています。記事の品質評価、投稿者への嫌がらせからの保護など、様々な場面でAIが人間の情報管理業務を支援しています。学術界では、Wikipediaのコンテンツの品質について徐々にコンセンサスが形成されており、生物学や医学などの専門分野においても、その誤りの数は専門的な情報源と同程度であることが示されています。

人間中心のAI設計

第三の柱は、公正で透明性があり、相互作用的で協調的なAIアルゴリズムの開発です。これらのアルゴリズムは、関係者に完全な主体性を与え、新しい教育手法を支援することを目的としています。

人間中心の機械学習の設計パターンを採用することで、学習者をツール設計の中心に置き、学習者がツールと相互作用し、それらを精査する能力を与えることができます。これには、偏見や信念について質問したり、最適化目標を変更したり、個人化された学習ツールを設計したりする能力が含まれます。

透明性とプライバシーも重要な要素として挙げられています。関係者がアルゴリズムの潜在能力と限界を理解し、どのようなデータをアルゴリズムが保存・使用するかを決定し、必要に応じてモデルを変更できることが求められています。

統一的な規制の枠組み

第四の柱として、AIEd技術の開発を統制し、グローバル全体にプラスの影響を与えるための良く考案された規制の構築が提案されています。現在、教育におけるAIの使用に関する堅実な研究は限定的で、合意されたガイドラインもほとんどなく、政策もまだ初期段階にあることが指摘されています。

提案の評価と批判的検討

これらの提案は確かに包括的で理想的ですが、実装における課題も考慮する必要があります。

実現可能性の問題

OERの品質保証は重要な課題です。論文も認めているように、オープンな性質ゆえに品質の一貫性を保つことは困難です。また、Wikipediaを統一的知識基盤として活用する提案についても、社会的偏見や事実確認の課題、利害の対立する投稿者による「編集合戦」などの問題があることが指摘されています。

リソースとインフラの制約

人間中心のAI設計や統一的規制の実現には、相当なリソースと国際協力が必要です。特に開発途上国においては、基本的なインフラの整備が先決である場合も多く、高度なAI技術の導入以前の段階での支援が必要かもしれません。

文化的・政治的な多様性

グローバルな統一基準の設定は、各国・地域の文化的・政治的多様性を適切に反映することが困難な場合があります。教育内容や価値観は文化的背景に深く根ざしているため、一律のアプローチでは適切に対処できない可能性があります。

技術決定論への適切な批判

論文の重要な貢献の一つは、技術決定論(技術の発展が社会変化を自動的にもたらすという考え方)への適切な批判です。AI技術がより高度になれば自動的に教育格差が解消されるという楽観的な見方に対し、著者たちは社会的・政治的・経済的要因の重要性を強調しています。

この批判は特に重要です。なぜなら、教育技術業界では、新しい技術の登場のたびに「教育の民主化」が謳われてきた歴史があるからです。ラジオ、テレビ、コンピューター、インターネット、そして現在のAI技術まで、それぞれが登場時には教育の変革者として期待されましたが、実際には既存の社会構造の中で限定的な効果にとどまってきました。

障害者コミュニティへの配慮

論文が特に評価できる点の一つは、障害者コミュニティへの配慮が十分になされていることです。世界の障害者人口の80%が開発途上国に住んでいるという事実や、多くの国でまだ手話が公用語として認められていないという現実を指摘し、支援技術の重要性を強調しています。

ただし、論文も認めているように、AI技術が障害者ユーザーを支援するとされる技術(音声認識、視線追跡、手書き認識など)が、実際には期待されるレベルに達していないという問題があります。技術の誇大宣伝と現実との乖離が、むしろ障害者コミュニティにとってフラストレーションの原因となっている場合もあることが指摘されています。

グローバルな協力の必要性

論文は、AI教育技術の恩恵をすべての人が享受するためには、技術開発国(主に先進国)と技術利用国(特に開発途上国)の間の適切な橋渡しが必要であることを強調しています。この点は極めて重要で、現在のAI研究の多くが先進国の研究機関で行われているという現実を踏まえると、技術移転と現地適応のプロセスが成功の鍵となります。

ローコード・ノーコードプラットフォームの活用により、技術的専門知識を持たないユーザーでも複雑なシステムを活用できるようになる可能性について言及していることも注目に値します。これは、技術的格差を縮小する一つのアプローチとして期待できます。

論文の限界と今後の課題

この論文にはいくつかの限界もあります。まず、提案されている解決策の多くが理想論的であり、具体的な実装方法や資金調達、組織運営などの実務的側面についての詳細な検討が不足しています。

また、AIEd技術の効果を測定・評価する方法についても、より深い議論が必要です。学習成果の測定は文化的・言語的背景によって大きく異なる可能性があり、グローバルな標準を設定することの困難さについても考慮が必要です。

さらに、プライバシーとデータ保護の問題についても、より具体的な検討が求められます。特に子どもや青少年の学習データを国際的にやり取りすることには、重要な法的・倫理的課題があります。

教育の本質への回帰

論文の根底にある重要なメッセージは、教育の本質への回帰です。技術は教育を支援する手段であって、目的ではないということを明確に示しています。教師の役割を完全に置き換えるのではなく、教師がより高次の教育活動(個別対応、高度な教授法、生徒指導など)に集中できるよう支援することが、AI技術の適切な活用方法であるという視点は説得力があります。

また、学習者の主体性と選択権を重視する姿勢も重要です。従来の推薦システムのように、システムから一方的に情報を提供するのではなく、学習者が十分な情報に基づいて意思決定を行い、人間と機械の建設的な対話を可能にすることを重視しています。

社会正義の観点からの意義

この論文は、AI教育技術を社会正義の観点から検討している点でも意義深いものです。技術の進歩が自動的に社会の平等化をもたらすわけではなく、むしろ既存の格差を拡大する可能性があることを明確に警告しています。

持続可能な開発目標(SDG)4「質の高い教育をみんなに」の達成に向けて、包摂性(インクルージョン)が単なる人権の問題ではなく、持続可能な社会の前提条件であるという認識は重要です。この視点は、教育技術の開発と導入において、最も脆弱な集団への影響を最優先で考慮すべきであることを示しています。

結論 ――バランスの取れた技術活用に向けて

この論文は、AI教育技術の可能性を否定するものではありませんが、技術万能主義への適切な警告を発しています。技術の進歩と社会の公平性を両立させるためには、多角的で包括的なアプローチが必要であることを明確に示しています。

著者たちが提案する4つの柱(OER、統一的知識基盤、人間中心AI、統一的規制)は、理想的な目標として価値がありますが、その実現には長期的な取り組みと国際的な協力が不可欠です。特に、技術開発と社会実装のプロセスにおいて、多様な関係者の参加と合意形成が重要になります。

最も重要なのは、AI技術が教育格差の解消に貢献するかどうかは、技術そのものの性能だけでなく、それを取り巻く社会的・政治的・経済的環境によって決まるということです。この認識を持って、技術開発と社会システムの改善を並行して進めることが、真の教育の民主化への道筋となるでしょう。

この論文は、AI時代の教育について考える上で必読の文献といえます。技術の可能性に期待を寄せつつも、その限界と危険性を冷静に分析し、より公平で包括的な教育システムの構築に向けた具体的な方向性を示している点で、研究者、政策立案者、教育実践者すべてにとって価値ある指針を提供しています。


Bulathwela, S., Pérez-Ortiz, M., Holloway, C., Cukurova, M., & Shawe-Taylor, J. (2024). Artificial intelligence alone will not democratise education: On educational inequality, techno-solutionism and inclusive tools. Sustainability, 16(2), 781. https://doi.org/10.3390/su16020781

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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