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はじめに:デジタル時代の語学学習における新たな試み

現代の語学教育現場では、人工知能(AI)技術を活用した学習アプリが急速に普及しています。特に英語のスピーキング練習においては、音声認識技術を搭載したアプリが数多く開発され、学習者は従来の対面授業では得られなかった個別フィードバックを手軽に受けることができるようになりました。しかし、これらのAI学習アプリは優れた技術的機能を持つ一方で、人間同士の自然な相互作用や社会的学習環境が不足しているという課題も指摘されています。

今回取り上げる論文”Supporting Speaking Practice by Social Network-Based Interaction in Artificial Intelligence (AI)-Assisted Language Learning”は、この課題に正面から取り組んだ意欲的な研究です。中国のXi’an Jiaotong Liverpool University(西安交通利物浦大学)の応用言語学科に所属する研究者らが、AI音声学習アプリとソーシャルネットワークサービス(SNS)を組み合わせることで、より効果的なスピーキング学習環境を構築できるかどうかを実証的に検証しました。

この研究は、単なる技術的検討に留まらず、学習者の動機向上や継続的な学習習慣の形成という教育心理学的側面も含めた包括的なアプローチを取っています。また、中国という特定の文化的・言語的背景における英語学習の実情を踏まえた研究設計となっており、アジア圏における外国語教育研究の貴重な事例としても注目に値します。

研究チームの背景と問題意識

本研究の筆頭著者であるBin Zou氏は、Xi’an Jiaotong Liverpool Universityで応用言語学を専門とする研究者です。同大学は中国の蘇州市に位置し、中国とイギリスの合弁により設立された国際的な高等教育機関として知られています。この国際的な教育環境は、研究者らが多文化的な視点から語学教育の課題を捉える上で重要な背景となっています。

研究チームが注目したのは、従来のモバイル支援語学学習(MALL:Mobile-Assisted Language Learning)における相互作用研究とAI支援語学学習の接点でした。これまでの研究では、SNSプラットフォームを活用した学習者同士の相互作用が語学学習に正の効果をもたらすことが報告されていました。一方で、AI技術を用いたスピーキング学習アプリの効果についても多くの研究が蓄積されていましたが、両者を組み合わせた研究は限定的でした。

特に中国の教育文化的背景を考えると、多くの英語学習者は読み書き能力に比べてスピーキング能力の向上に課題を抱えています。これは文法重視の伝統的な英語教育の影響や、実際の英語話者との接触機会の少なさに起因するとされています。こうした状況において、AI技術とSNSの利点を組み合わせることで、より効果的なスピーキング練習環境を提供できるのではないかという仮説が研究の出発点となりました。

研究方法の評価:実験設計の妥当性と限界

実験設計の特徴

研究者らは、70名の中国人大学生を対象とした準実験的研究設計を採用しました。参加者は異なる大学や専攻の学生から募集され、実験群(35名)と統制群(35名)に無作為に割り当てられました。実験期間は2022年夏休みの5週間で、両群ともにAI音声学習アプリを使用しましたが、実験群のみSNSベースの相互作用活動に参加するという条件設定でした。

使用されたAI学習アプリには、中国で人気の「English Liulishuo」「IELTS Liulishuo」「EAP Talk」「Yidian English」などが含まれ、学習者が自由に選択できるようになっていました。これらのアプリは音声認識技術により、発音、流暢さ、文法的正確性、語彙の豊富さと正確性を評価し、フィードバックを提供する機能を持っています。

相互作用活動の設計

実験群で実施された5つの相互作用活動は、教育技術学の観点から見ると巧妙に設計されています。WeChat(中国版WhatsApp)グループでのコミュニケーション、ミニプログラムを使った学習記録の共有、他の学習者の記録への「いいね」やコメント、録音のアップロードと教師からのフィードバック、そして協働文書での語彙・表現の共有という多様な形態の相互作用が用意されました。

これらの活動は、社会構成主義学習理論に基づく設計思想を反映しています。学習を個人的な認知過程としてではなく、社会的な相互作用を通じて知識を構築する過程として捉える視点が明確に表れています。また、Tencent Docs(中国版Google Docs)を活用した協働学習環境の構築は、現代的なデジタル学習環境の特徴を活かした工夫といえます。

データ収集方法の多角的アプローチ

研究では質問紙調査、半構造化インタビュー、プリテスト・ポストテストという3つの異なるデータ収集方法を組み合わせており、これは混合研究法の適切な実践例といえます。質問紙調査では、学習者の認知的改善感(7項目、クロンバックα値0.93)や相互作用活動への態度を測定し、インタビューではより深い理解を得るための質的データを収集しました。

スピーキング能力の客観的評価には、SpeechAce Speaking testという外部の標準化されたテストを使用しました。このテストはIELTSスコアとの相関係数0.82という高い再テスト信頼性を持ち、発音、流暢さ、語彙、文法の4つの観点から評価を行います。客観的評価ツールの採用により、研究結果の信頼性が向上しています。

研究方法の限界

一方で、研究方法にはいくつかの限界も存在します。まず、参加者数70名という規模は統計的分析には十分ですが、結果の一般化可能性を考えると必ずしも大規模とはいえません。また、便宜的標本抽出法とスノーボールサンプリングを併用しているため、選択バイアスの可能性を完全に排除することはできません。

実験期間の5週間という設定についても検討が必要です。語学学習における長期的効果を測定するには比較的短期間であり、学習習慣の定着や持続的な能力向上を評価するにはより長期間の追跡調査が望ましいでしょう。さらに、新型コロナウイルス感染症の影響によりオンライン実施となったことで、対面での相互作用に比べて効果が制限された可能性があることを研究者らも認めています。

結果と知見の検討:効果の実証とその解釈

学習者の態度と動機への影響

研究結果は、SNSベースの相互作用活動に対する学習者の肯定的な態度を明確に示しています。実験群の68%の学習者がWeChatグループで質問をし、87.5%が教師との相互作用が学習に有用であると回答しました。また、88%の学習者が学習記録の共有活動に参加し、80%がこの活動が継続的な練習の動機となったと報告しています。

特に注目すべきは、実験群の学習者が統制群と比較して有意に多くの日数で学習記録を付けていたという点です(実験群平均2.60日 vs. 統制群1.70日、p = 0.00)。これは相互作用活動が学習習慣の形成に実質的な効果をもたらしていることを示唆しています。さらに、実験群の総学習時間は136時間(週あたり1学習者1.05時間)で、統制群の57.25時間(週あたり0.63時間)のほぼ2倍に達していました。

学習効果の客観的評価

客観的なスピーキング能力の測定においても、実験群の優位性が確認されました。プリテストでは両群間に有意差はありませんでしたが(実験群5.42点 vs. 統制群5.24点、p = 0.71)、ポストテストでは実験群が統制群を上回る結果となりました(実験群6.58点 vs. 統制群5.84点、p = 0.05)。効果量は小さめ(η² = 0.04)でしたが、統計的に有意な差が認められています。

学習者の自己評価による認知的改善感についても、実験群が全ての項目で統制群を大きく上回りました。特に流暢性(実験群4.04 vs. 統制群2.35)、発音(4.08 vs. 2.25)、音読スキル(4.52 vs. 1.90)における差は顕著でした。これらの結果は、相互作用活動が学習者の自己効力感や学習への自信向上に寄与していることを示しています。

インタビューデータからの質的知見

半構造化インタビューからは、定量的データでは捉えきれない重要な知見が得られています。学習者らは、相互作用活動を通じてコミュニティ感覚を得られることや、他の学習者との比較により良い意味での競争意識が生まれることを報告しています。ある学習者(S6)は「他の人のカード打ち込みを見ることでコミュニティ感覚と潜在的なストレスを感じ、練習を続ける力になる」と述べています。

また、AI学習アプリの技術的限界を人間同士の相互作用が補完するという構図も明らかになりました。学習者らは、AIアプリにはリマインダー機能がないため、教師からのWeChat上での定期的な声かけが継続的な練習の助けとなったと評価しています。さらに、AIアプリの学習素材よりもWeChatで共有される素材の方が最新で実用的であるという指摘もありました。

研究の限界と今後への課題

サンプルと一般化可能性の問題

研究者ら自身が認識している限界として、まず参加者数と研究期間の制約があります。70名という参加者数は中規模の実験研究としては適切ですが、より大規模な検証により結果の安定性を確認することが望ましいでしょう。また、10以上の中国の大学から参加者を募集したとはいえ、全員が中国人学生であることから、異なる文化的背景を持つ学習者への適用可能性については慎重な検討が必要です。

研究期間の5週間という設定についても、語学学習の長期的効果を評価するには限界があります。相互作用活動が学習習慣の定着や継続的な動機維持にどの程度寄与するかを知るためには、より長期間の追跡調査が不可欠でしょう。

技術的環境と文化的特殊性

本研究はWeChat、Tencent Docsといった中国固有のプラットフォームを使用しており、これらのサービスが利用できない地域での再現性には課題があります。研究者らはFacebookやWhatsAppなど他のSNSプラットフォームへの応用可能性に言及していますが、プラットフォームの機能差や利用文化の違いが結果に与える影響については十分に検討されていません。

また、中国の教育文化における集団主義的価値観や、SNSを通じた学習共有に対する抵抗感の低さなどが、他の文化圏での効果に影響を与える可能性があります。相互作用活動への参加率や継続率は、個人主義的な文化背景を持つ学習者では異なる結果となる可能性が考えられます。

実施上の課題と障壁

研究結果から明らかになった興味深い矛盾点として、録音アップロードと教師フィードバックが最も有用とされながらも参加率が最も低かった(32%)ということがあります。学習者らは時間不足や機能の見落としを理由として挙げていますが、より深層的な要因として、自分の発音を他者に聞かれることへの心理的抵抗や、完璧主義的な傾向による投稿への躊躇なども考えられます。

この点は、相互作用型学習環境の設計において重要な示唆を与えています。単に技術的な機能を提供するだけでは不十分で、学習者の心理的障壁を下げる工夫や、段階的な参加を促す仕組みが必要であることを示しています。

実践的意義と応用可能性

教育現場への示唆

本研究の知見は、現代の語学教育現場における実践的な改善策を提示しています。AI学習アプリを単体で使用するのではなく、SNS機能と組み合わせることで学習効果を向上させることができるという発見は、教育技術の統合的活用という観点から重要です。

特に、学習者の動機維持と継続的な学習習慣形成において、ピア(仲間)との相互作用が果たす役割の重要性が明確に示されました。これは、個別化学習が重視される現代の教育トレンドにおいて、社会的学習の価値を再認識させる結果といえます。

教師の役割についても新たな視点が提供されています。AI時代の語学教師は、単なる知識伝達者から、学習コミュニティのファシリテーターや個別フィードバックの提供者へと役割転換していく必要性が示唆されています。WeChat上での定期的なリマインダーや個別フィードバックが高く評価されていることは、人間教師のかけがえのない価値を再確認させるものです。

学習システム設計への応用

研究で実施された5つの相互作用活動は、デジタル学習環境の設計における貴重な指針を提供しています。学習記録の共有とピア評価、協働文書の編集、教師からの個別フィードバックという要素を適切に組み合わせることで、効果的な学習コミュニティを構築できることが実証されました。

ただし、活動の設計においては学習者の参加障壁を下げる工夫が不可欠です。本研究では録音アップロード活動の参加率が低かったように、心理的ハードルの高い活動については、段階的な導入や匿名性の確保など、参加しやすい環境づくりが重要でしょう。

異文化間適応の課題

本研究は中国の文化的文脈で実施されたものですが、その知見を他の文化圏に適用する際には慎重な配慮が必要です。集団学習や相互評価に対する態度、プライバシーへの意識、SNS利用パターンなどは文化により大きく異なります。

例えば、日本の教育文化においては、他者からの評価を受けることへの不安や完璧主義的傾向が、中国以上に強い可能性があります。したがって、日本での応用を考える際には、より段階的なアプローチや匿名性の確保、評価方法の工夫などが必要になるでしょう。

今後の研究の方向性と課題

長期的効果の検証

本研究の最も重要な発展課題は、長期的効果の検証です。5週間という比較的短期間で観察された効果が、その後も持続するのか、さらには学習習慣として定着するのかを明らかにすることが重要です。また、異なる学習段階(初級、中級、上級)における効果の違いや、個人差要因(性格特性、学習スタイル、技術習熟度など)との関連も検討すべき課題でしょう。

より精緻な実験設計

今後の研究では、より統制された実験条件下での検証が求められます。例えば、どの相互作用活動要素が最も効果的なのかを特定するための因子分析的アプローチや、異なる相互作用の組み合わせを比較する多群比較実験などが考えられます。また、学習者の事前の技術習熟度やSNS利用経験を統制変数として考慮することも重要でしょう。

技術的発展への対応

AI技術の急速な進歩により、音声認識精度の向上や、より自然な対話型AIの登場が予想されます。これらの技術的進歩が学習効果や学習者体験にどのような影響を与えるかを継続的に検証していく必要があります。また、バーチャルリアリティ(VR)や拡張現実(AR)技術との組み合わせによる、より没入感のある学習環境の可能性も探究すべき領域でしょう。

おわりに:デジタル時代の語学教育における人間性の重要性

本研究は、AI技術とSNSを組み合わせることで、従来のデジタル学習環境の限界を克服し、より効果的な語学学習環境を構築できることを実証的に示しました。特に、学習者の動機向上や継続的な学習習慣の形成において、人間同士の相互作用が果たす役割の重要性を明確にした点は、大きな意義があります。

技術が高度化する中で、ともすれば見過ごされがちな人間的要素の価値を再確認させるこの研究は、教育技術学の分野において重要な位置づけを持つといえるでしょう。AI時代の教育においても、最終的には人と人とのつながりや社会的な学習環境が学習効果を左右するという、ある意味で当然ながらも忘れられがちな真理を、科学的データによって裏付けています。

一方で、研究方法や対象の限界、文化的特殊性の問題など、今後さらなる検証が必要な課題も多く残されています。特に、異なる文化的背景を持つ学習者への適用可能性や、より長期的な効果の持続性については、継続的な研究が不可欠でしょう。

現代の語学教育は、技術活用と人間中心のアプローチのバランスを如何に取るかという重要な転換点に立っています。本研究は、その答えの一端を示すとともに、今後の研究と実践への貴重な指針を提供していると評価できます。教育現場の実践者、研究者、そして政策立案者にとって、デジタル時代における効果的な語学教育環境の構築を考える上で、参照すべき重要な研究成果といえるでしょう。


Zou, B., Guan, X., Shao, Y., & Chen, P. (2023). Supporting speaking practice by social network-based interaction in artificial intelligence (AI)-assisted language learning. Sustainability, 15(4), Article 2872. https://doi.org/10.3390/su15042872

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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