研究の概要と背景
現代社会において、人工知能(AI)技術は私たちの生活のあらゆる分野に浸透しています。教育分野も例外ではなく、特に外国語学習の分野では、ChatGPTのような対話型AIツールやDuolingoのような学習アプリが広く使われるようになりました。このような状況の中で、AI技術が実際に学習者にどのような効果をもたらすのかを科学的に検証することは、教育現場にとって重要な課題となっています。
本論文”AI-mediated language learning and EFL learners’ self-confidence, self-regulation, well-being, and L2 motivation: A mixed method study”は、AI技術を活用した言語学習が、英語を外国語として学ぶ学習者(EFL学習者)の心理的・動機的側面にどのような影響を与えるかを調査した研究です。著者らは、従来の教授法とAI支援学習を比較し、学習者の自信、自己調整能力、ウェルビーイング(心理的幸福感)、そして学習動機という4つの重要な要素に注目して調査を行いました。
この研究が重要な理由は、単に言語能力の向上だけでなく、学習者の内面的な変化にまで踏み込んで調査している点にあります。語学学習においては、文法や語彙の知識だけでなく、学習に対する積極的な姿勢や自信、継続的に学習を続ける意欲が成功の鍵を握ることが知られています。したがって、AI技術がこれらの心理的要因にどのような影響を与えるかを明らかにすることは、効果的な語学教育の在り方を考える上で非常に重要な意味を持ちます。
筆者の紹介と研究アプローチ
この研究を実施したのは、イスラム・アザド大学の2名の研究者です。筆頭著者のアラシュ・ハシェミファルドニア氏は同大学シャフレコルド校の英語学科に、共著者のマスメ・コーティ氏は同大学アバダン校の英語学科にそれぞれ所属しています。両氏とも英語教育を専門とする研究者であり、特に第二言語習得における個人差や学習者要因に関する研究に従事していることが推察されます。
著者らは、この研究において混合研究法(ミックスメソッド)と呼ばれるアプローチを採用しました。これは、数値データを統計的に分析する量的研究と、インタビューなどを通じて学習者の生の声を聞く質的研究を組み合わせる方法です。このアプローチの利点は、統計的な証拠と学習者の実際の体験の両方から現象を理解できることにあります。数値だけでは見えてこない学習者の心の動きや、逆に個人の体験だけでは一般化できない傾向を、両方のデータを組み合わせることでより深く理解することができます。
研究の理論的背景として、著者らは学習者中心のアプローチの重要性を強調しています。これは、教師が一方的に知識を伝える従来の教授法から脱却し、学習者が主体的に学習に取り組める環境を作ることの重要性を示しています。AI技術は、個々の学習者のレベルやニーズに合わせて学習内容を調整できるため、このような学習者中心のアプローチを実現する有効なツールとして期待されているのです。
研究方法の特徴と工夫
この研究は、イランのバフマレクという都市にある英語学院で実施されました。参加者は15歳から21歳までの75名のEFL学習者で、全員が中級レベルの英語力を持つとされています。研究者らは、これらの学習者を実験群(37名)と対照群(38名)の2つのグループに分けました。
実験群は、Duolingoというアプリを使用してAI支援による学習を受けました。Duolingoは世界中で広く使われている語学学習アプリで、学習者の進度に応じて問題の難易度を調整したり、個人の弱点に合わせた練習問題を提供したりするAI機能を備えています。一方、対照群は従来の教授法による授業を受けました。どちらのグループも、同じ教材(Top Notch 3Aという中級レベルの教科書)の5単元を3ヶ月間にわたって学習しました。
研究の測定方法として、4つの異なる質問票が使用されました。まず、学習動機を測定するためにメフディエフらが開発した16項目の尺度が用いられ、これは学習に対する態度、自信、個人的利用価値の3つの側面から動機を評価します。自己調整能力については、ブラウンらが開発した63項目からなる包括的な質問票が使用されました。心理的ウェルビーイングは、ディーナーらの8項目尺度で測定され、これは人生の目的意識、有能感、良好な人間関係などを評価します。最後に、学習に対する自信については、サンダー・サンダースの24項目尺度が用いられました。
これらの質問票は、介入前後の2回実施されました。つまり、3ヶ月間の学習開始前に一度、終了後に再度同じ質問票に回答してもらい、その変化を比較することで、AI支援学習の効果を測定したのです。
量的データに加えて、実験群の参加者14名(男女各7名)に対して半構造化インタビューが実施されました。これは、あらかじめ用意した質問項目がありながらも、参加者の回答に応じて柔軟に質問を追加していくインタビュー方法です。このインタビューを通じて、AI支援学習に対する学習者の率直な意見や感想、体験談を収集し、数値データだけでは捉えきれない学習者の主観的な体験を理解しようとしました。
主な研究結果の意味
この研究の最も重要な発見は、AI支援学習を受けた実験群が、測定した4つの項目すべてにおいて対照群よりも有意に高いスコアを示したことです。統計的に「有意」というのは、偶然ではなく実際に差があると言える程度の明確な違いがあったということを意味します。
具体的な数値を見ると、学習動機については、対照群の平均スコアが37.57だったのに対し、実験群は42.40と約13%の向上を示しました。自己調整能力では、対照群の93.36に対して実験群は103.18と約10%の向上が見られました。ウェルビーイングにおいては、対照群の24.31に対して実験群は33.97と、約40%という大幅な改善が認められました。学習に対する自信についても、対照群の38.18に対して実験群は48.70と、約28%の向上が確認されました。
これらの結果が示すのは、AI支援学習が単に知識の習得を助けるだけでなく、学習者の内面的な変化にも大きな影響を与えるということです。特に心理的ウェルビーイングの大幅な改善は注目に値します。これは、AI支援学習が学習者にとってよりストレスの少ない、楽しい学習体験を提供していることを示唆しています。
インタビューからは、学習者がAI支援学習に対して非常に肯定的な態度を持っていることが明らかになりました。多くの参加者が「AI支援学習により英語学習がより簡単になった」「いつでもどこでも英語を学べるようになった」「協働学習が促進された」「即座にフィードバックが得られる」といったコメントを寄せています。
これらのコメントは、AI技術の特徴である個人化、アクセシビリティ、インタラクティブ性が学習者にとって価値のあるものとして認識されていることを示しています。個人化とは、学習者一人ひとりのレベルや弱点に合わせて学習内容が調整されることで、アクセシビリティとは時間や場所の制約なく学習できることです。インタラクティブ性とは、学習者の行動に対してリアルタイムで反応や評価が返ってくることを指します。
研究の意義と価値
この研究は、AI技術が語学教育に与える影響について、心理学的側面に焦点を当てた包括的な調査を行った点で高い価値があります。従来の語学教育研究では、テストスコアや習熟度などの客観的な指標に注目することが多かったのですが、この研究は学習者の内面的な変化にまで踏み込んで調査している点で独創性があります。
特に重要なのは、AI支援学習が学習者の自己調整能力を向上させたという発見です。自己調整能力とは、自分で学習目標を設定し、計画を立て、進捗をモニタリングし、必要に応じて戦略を修正する能力のことです。この能力は、生涯学習の時代において極めて重要なスキルとされており、AI技術がこの能力の発達を支援できることが示されたのは大きな意義があります。
また、学習動機の向上も重要な発見です。語学学習は長期間にわたる継続的な努力が必要であり、学習者のモチベーションを維持することは教育者にとって大きな課題の一つです。AI技術が学習者の動機を高める効果があることが実証されれば、より多くの人が語学学習に取り組み、継続できる可能性があります。
さらに、学習者のウェルビーイングが向上したという結果は、AI技術が単なる効率化ツールではなく、学習者の全人的な発達を支援するツールとしての可能性を示しています。学習における幸福感や満足感の向上は、学習効果の持続性や転移可能性を高める重要な要因とされており、この点でAI技術の教育的価値を示すものです。
研究方法論の面でも、混合研究法を採用したことは適切な選択でした。統計的な分析だけでは、なぜAI支援学習が効果的なのか、学習者はどのような体験をしているのかといった質的な側面を理解することは困難です。インタビューデータにより、数値の背後にある学習者の実際の体験や感情を理解することができ、結果の解釈により深みを与えています。
研究の限界と課題
一方で、この研究にはいくつかの重要な限界があることも認識する必要があります。
まず、研究規模の問題があります。参加者75名という規模は、統計的な分析を行うには十分ですが、結果を広く一般化するには比較的小さなサンプルサイズです。特に、この研究はイランの特定の都市の一つの英語学院で実施されており、文化的・教育的背景が限定されています。異なる文化や教育システムにおいて同様の結果が得られるかどうかは不明です。
研究期間も3ヶ月と比較的短期間です。語学学習は通常、数年にわたる長期的なプロセスであり、3ヶ月間の介入効果が長期的に維持されるかどうかはわかりません。また、AI技術に対する新規性効果(新しいものへの一時的な興味や関心)が結果に影響している可能性も考慮する必要があります。
方法論的な課題として、使用されたAI技術の詳細な分析が不足している点が挙げられます。研究ではDuolingoを使用したとされていますが、このアプリのどの機能が具体的に効果をもたらしたのか、AIアルゴリズムがどのように学習をパーソナライズしたのかについての詳細な分析は提供されていません。これでは、他の研究者が同様の研究を再現することや、結果を他のAI技術に応用することが困難になります。
また、対照群の教授法についても詳細な記述が不足しています。「従来の教授法」がどのような内容だったのか、実験群と対照群で教師は同じだったのか、授業時間や頻度は同じだったのかなど、重要な条件統制に関する情報が不十分です。
測定方法についても課題があります。この研究では主に自己報告式の質問票を使用していますが、この方法には回答者の主観的な偏りや社会的望ましさの影響が含まれる可能性があります。特に実験群の参加者は、新しい学習方法を試していることを意識しており、無意識のうちに肯定的な回答をする傾向があるかもしれません。
さらに、実際の語学能力の向上について客観的なデータが提供されていない点も問題です。心理的・動機的側面の改善が実際の言語習得にどの程度結びついているのかが不明であり、教育効果の全体像を理解するには情報が不足しています。
今後の研究への示唆
この研究の結果は、AI技術を活用した語学教育の可能性を示すものですが、同時に今後の研究で取り組むべき課題も明確にしています。
まず、より大規模で多様な参加者を対象とした研究が必要です。異なる年齢層、文化的背景、言語レベルの学習者を含む研究により、結果の一般化可能性を検証することが重要です。また、縦断的研究により、AI支援学習の長期的効果を調査することも必要です。
AI技術の具体的な機能と効果の関係をより詳細に分析する研究も求められます。どのようなAI機能が特にどの側面に効果的なのか、学習者の個人差によって効果に違いがあるのかなど、より精密な分析が必要です。
客観的な学習成果の測定も重要です。標準化された言語テストや実際のコミュニケーション能力を評価する方法を組み合わせることで、心理的・動機的変化が実際の言語習得にどう結びついているかを明らかにする必要があります。
教師の役割についての研究も欠かせません。AI技術が普及する中で、教師はどのような役割を果たすべきなのか、AI技術と人間の教師の最適な組み合わせはどのようなものかといった問題は、実際の教育現場にとって重要な課題です。
また、AI技術を活用した語学教育における倫理的課題についても検討が必要です。学習者のプライバシー保護、データの利用方法、AI技術への過度な依存の防止など、技術の利点を活用しながら潜在的なリスクを最小化する方法を考える必要があります。
結語
本研究は、AI技術が語学学習者の心理的・動機的側面に与える肯定的な効果を実証した価値のある研究です。学習動機、自己調整能力、ウェルビーイング、学習に対する自信のすべてにおいて改善が見られたという結果は、AI技術の教育的可能性を示す重要な証拠となります。
特に、学習者中心のアプローチを支援するツールとしてのAI技術の有効性が示されたことは、従来の一律的な教授法から個別化された学習支援への転換を促進する上で重要な意味を持ちます。また、心理的ウェルビーイングの改善は、AI技術が単なる効率化ツールを超えて、学習者の全人的な発達を支援する可能性を示唆しています。
しかし、研究の限界も明確に認識する必要があります。小規模で短期間の研究であること、特定の文化的文脈に限定されていること、AI技術の詳細な分析が不足していることなど、結果の解釈と応用には注意が必要です。
今後、より大規模で多様な研究により、AI技術の語学教育への応用に関する理解を深めていくことが期待されます。その過程で、技術の利点を最大化しながらリスクを最小化する方法を見つけ、すべての学習者にとって効果的で安全な学習環境を構築することが重要になるでしょう。
この研究は、AI時代の語学教育のあり方を考える上で重要な出発点を提供しており、今後の研究と実践の発展に向けた基盤となることが期待されます。
Hashemifardnia, A., & Kooti, M. (2025). AI-mediated language learning and EFL learners’ self-confidence, self-regulation, well-being, and L2 motivation: A mixed method study. English Education Journal, 16(2), 109-124. https://doi.org/10.24815/eej.v16i2.45696