はじめに:心と言葉の密接な関係
私たちが外国語を学ぶ際、文法や語彙の暗記だけでなく、実は感情や心理状態が大きな影響を与えていることをご存知でしょうか。今回紹介する論文”Impacts of emotional intelligence on second language acquisition: English-major students’ perspectives”は、ベトナムの大学生を対象に、感情知能(Emotional Intelligence, EI)と英語の第二言語習得(Second Language Acquisition, SLA)との関係を詳しく調査した研究です。筆者らは、Can Tho大学のLe Thanh Thao氏を筆頭とする6名の研究チームで、ベトナムの英語教育現場における重要な課題に取り組んでいます。
感情知能とは、自分の感情を理解し適切に管理する能力、他者の感情を読み取り共感する能力、そして人間関係を効果的に構築する能力を総合したものです。一方、第二言語習得は、母語以外の言語を身につける過程を指します。この二つが密接に関わっているという仮説のもと、研究チームは105名の英語専攻学生を対象とした詳細な調査を実施しました。
研究の背景:グローバル化するベトナムの英語教育
ベトナムでは近年、経済発展とグローバル化の波に乗り、英語教育の重要性が急速に高まっています。国際的な商取引、雇用機会の拡大、文化交流の促進など、英語力は社会のあらゆる場面で求められるようになっています。ベトナム政府もこの状況を受け、教師の資格向上、カリキュラムの標準化、教育資源の充実、教室での技術統合などを通じて英語教育の質向上に力を注いでいます。
しかし、単に教育制度を整備するだけでは十分ではありません。学習者一人ひとりが持つ感情的な側面、つまり学習に対する動機、不安、自信、他者との関係性なども、言語習得の成功に大きく関わっています。これまでの研究では、感情知能が一般的な学習成果に与える影響については多く報告されていますが、特にベトナムの文脈における英語の第二言語習得との関係については十分に検討されていませんでした。
筆者らは、この研究ギャップを埋めるべく、ベトナムの英語専攻学生が感情知能をどのように活用し、それが言語学習にどのような影響を与えているかを明らかにしようとしています。研究チームが注目した理由の一つは、英語学習が単なる言語技能の習得を超えて、効果的なコミュニケーションや多様な環境での人間関係構築まで含む総合的な能力だからです。
研究方法:量的・質的の両面からのアプローチ
この研究で特に注目すべきは、混合研究法(mixed-methods approach)を採用している点です。これは量的研究と質的研究を組み合わせた手法で、数値データによる客観的な分析と、個人の体験や考えを詳しく聞き取る主観的な分析の両方を行うものです。
量的研究の部分では、36項目からなる質問票を作成し、5段階のリカート尺度(1:強く反対、5:強く賛成)で回答を求めました。この質問票は英語とベトナム語の二言語で作成され、学生たちが理解しやすいよう配慮されています。例えば「自分の感情を正確に認識して周囲に影響を与えないようにすることが、英語学習に効果的に役立つ」といった項目があります。信頼性を確認するため、クロンバックのα係数という指標で内的一貫性を測定し、0.86という十分な値を得ています。
質的研究の部分では、量的調査の結果を踏まえて、特に高いスコアを示した6名と低いスコアを示した6名の計12名を選出し、半構造化インタビューを実施しました。これにより、数値だけでは見えない学生たちの具体的な体験や考えを詳しく聞き取ることができました。
研究参加者は、ベトナムの大学の英語専攻学生105名で、男性36名、女性69名でした。年齢は18歳が30名、19歳が34名、20歳が41名で、全員が12年以上英語を学習している経験豊富な学習者です。参加は完全に任意で、倫理的配慮も十分に行われています。
感情知能の多面的な特徴
研究チームは、感情知能を単一の概念として扱うのではなく、36の異なる特性に分類して詳細に検討しました。これらの特性は、自己認識、自信、自己制御、共感、社会的認識、動機、対人スキル、チームワーク、指導力、建設的コミュニケーション、紛争解決、冷静さ、責任感、感情の開放性、積極性などの広範囲にわたります。
特に興味深いのは、これらの特性が言語学習の様々な側面と関連していることです。例えば、自己認識は学習者が自分の強みと弱みを理解し、効果的な学習戦略を立てるのに役立ちます。共感は、言語の文化的ニュアンスを理解し、ネイティブスピーカーとの深いつながりを築くのに重要です。紛争解決や建設的コミュニケーションは、グループ学習や実際のコミュニケーション場面で力を発揮します。
研究チームはまた、理論的枠組みとして二つのモデルを採用しています。一つは既存研究から修正された感情知能特性セットで、もう一つはGardner(1988)の第二言語学習の社会教育モデルです。後者は、言語習得の成功が動機や言語学習コミュニティへの態度などの様々な要因に影響されることを示しており、特に学習者の感情的反応が言語習得の成功を決定する上で重要であることを指摘しています。
研究結果:五つの重要な要因の発見
研究の結果、感情知能が第二言語習得にポジティブな影響を与えることが明確に示されました。全体的な影響度の平均値は3.53で、尺度の中点である3.00を上回っており、英語専攻学生たちは感情知能が言語学習に有益であると認識していることがわかりました。
特に重要な発見は、36の特性の中から五つの最も影響力の大きい要因が特定されたことです。これらは動機(平均3.82)、自信(平均3.74)、対人スキル(平均3.74)、目標志向の考え方(平均3.72)、感情の開放性(平均3.71)でした。
動機の重要性
動機については、12名中8名のインタビュー参加者が重要性を強調しています。参加者1は、動機が「言語的な課題を克服しようとする意欲を促進する」と述べています。参加者9は、動機が「自習やネイティブスピーカーとの交流といった言語学習活動への積極的な参加を促進する」と指摘しています。さらに興味深いのは、7名の参加者が動機と自己調整の関係について言及していることです。動機の高い学習者は明確な優先順位を設定し、重要なタスクに集中し、継続的な進歩のための効果的な時間管理を行う傾向があります。
自信の力
自信については、12名中7名が言語習得における重要な役割を強調しています。参加者5は「高い自信を持つ学習者は、間違いを障害としてではなく、貴重な学習機会として捉える」と説明しており、これが実践と言語・文化への理解を深めることにつながると述べています。自信のある学習者は現実の言語実践の機会を積極的に求め、これがさらに自信を高め、動機を維持するという好循環を生み出します。
対人スキルの重要性
対人スキルについては、12名中8名が共感の重要性を強調しています。参加者9は、共感が学習者に「言語的・非言語的手がかりの両方を解読する」能力を与えると述べています。参加者8は、共感が「文化的格差を橋渡しし、実質的なつながりを育む」のに重要な役割を果たすと認識しています。また、6名の参加者が社会・文化的認識の重要性について言及し、これが文化的違いを尊重し理解することを可能にすると述べています。
目標志向の考え方
目標志向の考え方については、6名の参加者が言語学習の課題への取り組みにおける重要性を論じています。目標志向の学習者は「課題を成長の機会として捉え、障害に直面しても諦めない」傾向があります。この考え方は「継続的な発展と向上に適した環境を育成することで、長期的な成功への道を開く」とされています。
感情の開放性の効果
感情の開放性については、7名の参加者がその学習環境への影響について説明しています。感情の透明性は効果的な感情調整を可能にし、学習者が「有害な感情を管理し」「状況的不安を軽減し」「感情的な健康を促進する」ことを可能にします。これにより、動機、回復力、言語習得への取り組みを高める好ましい学習環境が確立されます。
研究の意義と実践的示唆
この研究が示す最も重要な点は、言語学習が単純な認知的プロセスではなく、学習者の感情的側面が深く関わる複合的な活動であるということです。従来の英語教育では、文法、語彙、発音といった技術的側面に焦点が当てられがちでしたが、この研究は学習者の内面的な要素、特に感情的能力の重要性を科学的に実証しています。
ベトナムの教育現場への示唆も大きなものがあります。研究結果は、英語学習カリキュラムに感情知能を育成する要素を組み込む必要性を強く示唆しています。動機、自信、対人スキル、目標志向、感情の開放性といった要因が言語習得に与える影響の大きさを考慮すると、教育者はこれらの特質を促進する指導方法を開発する必要があります。
具体的な教育実践への応用を考えると、回復力、積極的学習、社会文化的認識を育成する教育アプローチの導入が有益です。感情の開放性への重点は、フィードバックと内省を促進する教育雰囲気を育成する必要性を示しています。これは、従来の講義中心の教育から、より対話的で学習者中心の教育への転換を意味します。
また、この研究は文化的に類似した国々にも適用可能な知見を提供しています。東南アジアや東アジアの多くの国々で英語教育の重要性が高まっている中、感情知能を重視した教育アプローチは、より効果的な言語学習を促進する可能性があります。
研究方法論の評価と限界
この研究の方法論的な強みは、混合研究法を採用したことです。量的データによる客観的な測定と質的データによる詳細な理解を組み合わせることで、研究結果の妥当性と信頼性を高めています。36項目の質問票の内的一貫性(α=0.86)も十分に高く、測定道具として適切であることが示されています。
理論的枠組みについても、感情知能特性セットとGardnerの社会教育モデルを統合することで、個人的要因と社会的要因の両方を考慮した包括的なアプローチを取っています。これにより、感情知能が言語学習に与える影響をより多面的に理解することが可能になっています。
しかし、研究には いくつかの限界も存在します。筆者らも認めているように、サンプルサイズが105名と比較的小さく、便宜的サンプリングを使用していることから、結果の一般化可能性に疑問が残ります。また、自己選択バイアスの可能性も否定できません。参加者の特徴や動機が非参加者と異なる可能性があり、これが結果に影響を与えている可能性があります。
さらに重要な限界は、自己報告式の測定に依存していることです。学習者が自分の感情知能や学習成果について報告する際、実際の能力や行動傾向を正確に反映していない可能性があります。社会的望ましさバイアス(回答者が社会的に望ましいと思われる回答をする傾向)や自己認識の不正確さなどが結果に影響を与えている可能性もあります。
研究デザインの観点からは、横断的研究であることも限界の一つです。感情知能と言語習得の因果関係を確立するためには、長期的な追跡調査や実験的デザインが必要です。現在の研究では相関関係は示されていますが、感情知能の向上が実際に言語習得の改善をもたらすかどうかは明確ではありません。
国際的な文脈での意義
この研究は、ベトナム特有の文脈で実施されていますが、その意義は国際的な範囲に及びます。グローバル化が進む現代において、第二言語としての英語学習は世界共通の課題となっています。アジア諸国を中心に、多くの国が英語教育の質向上に取り組んでいる中で、この研究が示す感情知能の重要性は、普遍的な価値を持つ可能性があります。
特に、集団主義的文化圏における対人関係重視の特徴や、権威に対する敬意といった文化的要素が、感情知能と言語学習の関係にどのような影響を与えるかは、今後の研究で検討すべき重要な課題です。この研究で明らかになった五つの重要要因が、異なる文化的背景を持つ学習者にも同様に適用されるかどうかは、さらなる検証が必要です。
また、英語が国際共通語として機能する現在の状況を考慮すると、言語学習における感情的側面の理解は、より効果的な国際コミュニケーション能力の育成につながる可能性があります。単に言語技能を習得するだけでなく、文化的差異を理解し、相手の感情を読み取り、適切に反応する能力は、グローバル社会で活躍するために不可欠な要素です。
教育政策への示唆
この研究結果は、教育政策立案者にとっても重要な示唆を提供します。従来の言語教育政策は、主に教師の資格向上、教材の充実、教育技術の導入といった外部的要因に焦点を当ててきました。しかし、この研究は、学習者の内部的要因、特に感情的能力の重要性を明確に示しています。
政策的観点から考えると、教師養成課程において感情知能の理解と育成方法に関する研修を含めることが必要です。また、カリキュラム設計においても、言語技能の習得と並行して感情知能の発達を促進する活動を組み込むことが重要です。これには、グループワーク、ピア学習、文化交流活動、リフレクション活動などが含まれるでしょう。
さらに、学習環境の整備についても再考が必要です。感情の開放性や対人スキルの重要性を考慮すると、競争的な環境よりも協力的で支援的な学習環境の構築が重要になります。これは、評価方法の見直しや、学習者同士の相互支援を促進する仕組みの導入を意味します。
今後の研究課題
この研究は重要な第一歩を示していますが、さらなる研究が必要な領域も多く存在します。まず、因果関係の確立が急務です。感情知能トレーニングプログラムを実施し、その効果を言語習得成果で測定するランダム化比較試験が有用でしょう。このような実験的研究により、感情知能の向上が実際に言語学習の改善をもたらすかどうかを確認できます。
縦断的研究も重要です。学習者を長期間にわたって追跡し、感情知能と言語習得の関係が時間とともにどのように変化するかを観察することで、より深い理解が得られるでしょう。特に、学習の異なる段階(初級、中級、上級)において、感情知能の影響がどのように変化するかを明らかにすることは、段階別の指導法開発に有用です。
文化間比較研究も必要です。この研究で明らかになった五つの重要要因が、異なる文化的背景を持つ学習者にも同様に適用されるかどうかを検証することで、感情知能と言語習得の関係の普遍性を確認できます。特に、個人主義的文化圏と集団主義的文化圏での比較は興味深い結果をもたらす可能性があります。
測定方法の改善も重要な課題です。自己報告式の質問票に加えて、行動観察、パフォーマンステスト、生理学的指標などの客観的測定方法を組み合わせることで、より正確な評価が可能になります。また、言語習得成果の測定についても、標準化されたテストスコアだけでなく、実際のコミュニケーション場面での能力評価を含めることが重要です。
実践的応用への提言
この研究結果を教育現場で活用するためには、具体的な実践方法の開発が必要です。教師が感情知能を育成するために利用できる教授法、活動、評価方法などを体系的に整理し、実践しやすい形で提供することが重要です。
例えば、動機を高めるためには、学習者の個人的な興味や将来の目標と英語学習を関連づける活動が有効でしょう。自信を育成するためには、成功体験を積み重ねられるような段階的な学習課題の設定や、間違いを学習機会として捉える学習文化の醸成が重要です。
対人スキルの育成には、ペアワークやグループワークだけでなく、異文化交流活動、コミュニティベースの学習、プロジェクトベース学習などが有効です。目標志向の考え方を促進するには、学習者が自分で学習目標を設定し、進捗を監視し、達成を振り返るセルフマネジメント活動が重要になります。
感情の開放性については、安心して感情を表現できる学習環境の構築、感情について話し合う機会の提供、感情日記の活用などが考えられます。これらの活動を通じて、学習者は自分の感情を理解し、適切に表現し、他者の感情に共感する能力を育成できるでしょう。
結論:心と言葉の調和した学習
この研究は、言語学習における感情知能の重要性を科学的に実証した貴重な成果です。動機、自信、対人スキル、目標志向、感情の開放性という五つの重要要因は、効果的な第二言語習得に不可欠な要素であることが明らかになりました。これらの発見は、言語教育の理論と実践の両面において重要な示唆を提供しています。
ベトナムの英語教育の文脈で得られたこの知見は、グローバル化が進む現代において、多くの国や地域の言語教育に応用可能な普遍的価値を持つ可能性があります。言語習得を単純な技能習得として捉えるのではなく、学習者の感情的成長と人間的発達を伴う総合的なプロセスとして理解することの重要性を、この研究は明確に示しています。
今後の研究と実践において、この研究で明らかになった知見をさらに発展させ、より効果的で人間的な言語教育の実現に向けて取り組むことが期待されます。心と言葉が調和した学習環境の構築により、学習者はより豊かで充実した言語学習体験を得ることができるでしょう。それは単に言語技能の向上だけでなく、国際的なコミュニケーション能力、文化的理解、人間関係構築能力の向上にもつながる、真に価値ある教育の実現を意味しています。
Thao, L. T., Thuy, P. T., Thi, N. A., Yen, P. H., Thu, H. T. A., & Tra, N. H. (2023). Impacts of emotional intelligence on second language acquisition: English-major students’ perspectives. SAGE Open, 1-15. https://doi.org/10.1177/21582440231212065