はじめに―「年を取ってから語学を始めても無駄」は本当か

「語学は若いうちに始めないと身につかない」という言い方を、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。職場を退職して時間ができたのに、「今さら外国語を勉強しても…」とためらってしまう。そういう方は少なくないはずです。しかし本当にそうなのでしょうか。今回ご紹介する論文は、まさにその問いに正面から向き合った研究です。

Nebraska大学の研究チームが2024年に発表した”Second language learning in older adults modulates Stroop task performance and brain activation”という論文は、60歳から80歳の高齢者が4ヶ月間オンラインで語学学習をした前後で、脳の活動がどのように変化したかをfMRI(機能的磁気共鳴画像法)という脳スキャンの技術を使って調べた研究です。

この研究を率いたのは、Nebraska大学Kearney校のLadan Ghazi Saidiで、彼女はバイリンガリズム(二言語使用)と脳神経科学の分野で長年にわたって研究を重ねてきた研究者です。共同研究者のDouglas H. Schultzはfmriデータ解析の専門家で、両者の知識と経験が組み合わさることで、行動実験と脳イメージング双方から高齢者の語学学習効果を総合的に検討するという、これまでほとんど試みられていなかったアプローチが実現しました。

Stroopタスクとは何か―「赤」と書かれた青い文字に惑わされる

本論文を理解するうえで、まず「Stroopタスク」という実験課題について説明しておきましょう。これは1935年にJ.R. Stroopが考案した心理学的テストで、仕組みはいたってシンプルですが、やってみると実に厄介です。

たとえば「赤」という文字が青いインクで書かれているとします。あなたは「文字が何色のインクで書かれているか」を答えるよう求められます。「赤」という言葉が自動的に頭に浮かんでしまうため、「青」と答えるまでに時間がかかったり、間違えたりしてしまう。これが「Stroop効果」と呼ばれる現象です。

ちょうど、道路の反対側を歩いている知人の顔を見ながら電話に集中しようとするようなもので、ふたつの情報が互いに干渉し合い、脳は一方を抑制しながら本来の課題に集中しなければなりません。この「邪魔な情報を抑え込む力」は「抑制制御」と呼ばれ、認知的柔軟性や集中力とともに「実行機能」という総称でまとめられる、非常に重要な脳の働きです。

Stroopタスクが注目される理由のひとつは、加齢にともなってこの実行機能が低下しやすいことが知られているからです。また、認知機能の低下やアルツハイマー病の早期発見にも使われるなど、臨床的な意義も高いとされています。本研究がStroopタスクを採用したのは、まさにこうした背景があります。

研究の設計―ネブラスカの農村地帯で集められた41人

研究の参加者は、Nebraska州に住む60歳から80歳の健康な一言語話者(英語のみを話す人)41名です。全員がMoCA(モントリオール認知評価)という認知スクリーニングテストで26点以上のスコアを獲得しており、認知機能に問題がないことが確認されています。また、全員が右利きであること、MRI適合性があること、第二言語の経験がないことなどが参加条件として設けられました。

彼らはRosetta Stoneという商業用語学学習ソフトウェアを使って、自分の好きな言語を選んで4ヶ月間学習しました。スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、日本語が選ばれており(この順に人気が高かったとのことです)、1日90分、週5日という高い負荷が課されました。このくらいの学習量は、まるでひとつのパートタイムの仕事のようなもので、参加者の意欲と根気が問われる設計です。

学習の進捗はシステムで細かく記録され、各レッスン終了後には80%以上の正答率を求めるテストをパスしなければ次に進めないという仕組みになっていました。研究者たちは管理者権限でログイン時間や学習活動の詳細にアクセスでき、参加者がどれだけ本当に取り組んだかを把握することができました。

学習の前後に、参加者はMRI装置の中でStroopタスクを行いました。Stroopタスクには「一致条件(例―「赤」という文字が赤いインクで書かれている)」と「不一致条件(例―「赤」という文字が青いインクで書かれている)」の108試行が含まれ、その際の反応時間と正確さ、そして脳の活動が記録されました。

結果その1―行動レベルでの改善

4ヶ月間の語学学習を終えた後、参加者のStroopタスクの成績はどうなったのでしょうか。

まず正確さ(正答率)については、語学学習後に有意な改善が見られました。特に興味深いのは、一致条件と不一致条件の間の正答率の差が、語学学習後に縮まった点です。もともと一致条件のほうが不一致条件よりも正答率が高いのは当然のことですが、語学学習後はその差が小さくなった。つまり、難しい不一致条件でのパフォーマンスが特に改善されたのです。

反応時間についても同様のパターンが確認されました。語学学習後、不一致条件での反応時間が有意に短くなりました(p=0.004)。一方で、比較的容易な一致条件では反応時間に有意な変化はありませんでした。これは重要な点です。もし練習効果によって全体的に速くなっただけなら、一致条件でも不一致条件でも同様に改善されるはずです。しかし実際には、認知的負荷の高い不一致条件においてのみ改善が見られた。これは語学学習が実行機能の特定の側面、すなわち干渉を抑制する能力を選択的に鍛えた可能性を示しています。

結果その2―脳活動の変化と語学学習時間の関係

fMRIデータの分析では、語学学習の前後という時間要因や、条件(一致・不一致)と時間の交互作用については、有意なクラスターは見つかりませんでした。しかし研究チームはここで諦めず、別の角度からデータを見直しました。

着目したのは「参加者ごとの語学学習プログラムへの取り組み時間」です。参加者の平均総学習時間は4,885分(約81.5時間)でしたが、最少で1,218分、最大で14,522分と個人差が非常に大きかったのです。この時間のばらつきを変数として使い、脳活動の変化との相関を調べたところ、興味深い結果が得られました。

語学学習プログラムに費やした時間が長いほど、Stroopタスクにおける一致条件と不一致条件の脳活動の差が語学学習後に大きくなっていたのです。この関係は両側の背外側前頭前野(左側でρ=0.527, p<0.001、右側でρ=0.454, p=0.003)と両側の頭頂葉(左側でρ=0.397, p=0.01、右側でρ=0.367, p=0.018)で確認されました。

これらの脳領域、前頭葉と頭頂葉からなる「前頭頭頂ネットワーク(Frontoparietal Network, FPN)」は、実行機能の中枢として広く認知されているところです。そして重要なことに、これらの領域はアルツハイマー病や軽度認知障害においても影響を受けやすいとされており、認知予備力(後述)との関連でも注目されている脳領域です。

「認知予備力」という概念―脳の貯蓄

ここで、この論文を読む上で欠かせないキーワード「認知予備力(cognitive reserve)」についてお話しします。

認知予備力とは、脳がダメージを受けても認知機能を保つことができる弾力性のことです。貯金に例えるとわかりやすいかもしれません。脳にダメージが積み重なっても、認知予備力という「貯蓄」が多ければ多いほど、症状が表に出にくいのです。この貯蓄を増やす要因として、教育歴、職業的な複雑さ、趣味や知的活動への継続的な参加などが挙げられています。

そしてこの10年ほどの研究が示してきたのは、生涯にわたるバイリンガリズム(二言語使用)が認知予備力を高める可能性があるということです。二言語を操る人は常に「どちらの言語を使うか」という認知的な調整を行っており、その継続的な脳の訓練が実行機能を鍛えると考えられています。

本研究の問いは、この知見を一歩進めたものです―生涯にわたって二言語を使ってきた人が認知的に有利なのは分かった。では、60歳を過ぎてから語学学習を始めても、同様の恩恵が得られるのだろうか、と。

他の研究との対比―先行研究の少なさが物語るもの

高齢者を対象に語学学習の認知的効果を調べた研究は、本論文執筆時点で4件しかありません(Bubbico et al., 2019; Wong et al., 2019; Nilsson et al., 2021; Meltzer et al., 2023)。この少なさは、このテーマの研究がいかに困難であるかを示しています。高齢者がMRIに入れるかどうか、脱落率、学習への意欲の維持など、実施上の課題が多岐にわたるからです。

比較として特に参考になるのはMeltzer et al.(2023)です。彼らは65歳から75歳の高齢者76名を対象に、Duolingoを使った語学学習群と、同等の時間を費やした非語学認知訓練群を比較しました。その結果、両群ともStroopの正答率は改善しましたが、反応時間については非語学認知訓練群のみが改善し、Duolingo群では改善が見られませんでした。

本研究ではRosetta Stoneを使った語学学習のみで反応時間の改善も確認されているため、両研究の結果には差異があります。その原因として研究チームはプログラムの強度、頻度、期間の違いを挙げています。Rosetta Stoneのほうが学習の強度が高く、1日90分という課題量はDuolingoの一般的な使用量より多いと考えられます。また、Meltzer et al.の研究は行動データのみで脳イメージングデータは含まれていないため、直接の比較には限界があります。

Bubbico et al.(2019)の研究は、4ヶ月間の第二言語学習プログラムが安静時機能的結合(脳が安静にしているときのネットワーク活動)に変化をもたらしたことを報告しており、本研究とある程度の方向性の一致が見られます。しかし測定手法が異なるため、厳密な比較は困難です。

これらの先行研究を踏まえると、本研究の貢献は明確です―高齢者における語学学習の認知的効果を、行動データとfMRIデータの両面から検討した点で、現時点では最も包括的な研究のひとつと言えます。

研究の限界―正直に認められた欠点

研究チームはこの論文の中で、いくつかの重要な限界を正直に述べています。この率直さは学術的に評価されるべき点です。

まず、参加者が41名と少ないことです。統計的な一般化可能性という観点では、より大規模なサンプルが望まれます。また、データを平均値で二分して「多学習群」と「少学習群」に分けて比較するという手法(二分法)は、偽陽性(本当は効果がないのに効果があるように見えてしまうこと)のリスクを高めるという指摘もあります。

次に、対照群(語学学習をしない比較群)がなかったことです。これは因果関係を厳密に示すうえで大きな制約です。観察された改善が語学学習によるものなのか、Stroop課題への単純な慣れ(練習効果)なのか、あるいは研究者との交流や学習プラットフォームの使用自体による効果なのかを切り離すことができません。

さらに、参加者が全員白人でネブラスカ州在住という人口的偏りも認められています。Nebraska州は人口の多くが白人の農村地帯であり、都市部や多人種・多文化環境に住む人々への一般化は慎重に行う必要があります。加えて、平均教育年数が17.5年と高く(大学院修了レベルに相当)、これも結果の解釈に影響する可能性があります。教育歴が高い人ほど語学学習のコツをつかみやすく、認知的な効果も出やすい可能性があります。

日本の英語教育現場への示唆

この論文の結果を、日本の英語教育という文脈に引き寄せて考えてみましょう。日本では長らく、英語学習は学校教育期間中に集中して行われるべきものとされ、成人後、とくに高齢期における語学学習は余暇活動のひとつとして軽視されがちでした。しかし本研究の結果は、その前提を再考する根拠を提供しています。

具体的に言えば、60歳以上の高齢者でも、十分な学習量と頻度があれば、脳の可塑性(環境に応じて脳が変化する能力)が発揮され、実行機能の改善につながる可能性があるということです。これは地域の公民館で開かれる高齢者向けの英語教室や、シニア向けのオンライン英語学習プログラムに、単なる「生きがいづくり」を超えた認知機能保護という目的が付与できることを意味します。

本研究で使われたRosetta Stoneは「翻訳を使わず、目標言語だけで学ぶ」イマージョン方式を採用しています。これは視覚・聴覚・文字などを組み合わせた多感覚的な刺激を伴うものであり、認知的負荷が高い学習方式です。日本の英語教育においても、単純な文法訳読式ではなく、コミュニカティブアプローチや多感覚学習を取り入れることが、認知的な効果をより高める可能性を示唆しています。

ただし注意が必要です。本研究では、学習時間が多い参加者ほど脳活動の変化が大きかったものの、学習時間と行動パフォーマンス(正確さ・反応時間)の改善との間には、線形の有意な相関は見られませんでした。これは「とにかく長時間やれば必ずうまくいく」という単純な図式が成立しないことを示しており、適切な強度・頻度・内容の組み合わせが重要であることを教えてくれます。

独自の学術的考察―何が本当にわかって、何がわかっていないか

研究全体を批評的に振り返ったとき、いくつかの点について独自の考察を加えたいと思います。

まず、「なぜ時間主効果や交互作用が有意でなかったのか」という点です。語学学習後に行動レベルでは改善が見られたのに、全体的な脳活動の変化(時間主効果)や条件と時間の交互作用は有意ではありませんでした。研究チームはこれを「個人差が大きいため、全体的な効果として統計的に捕捉しにくかった」と解釈し、個人差を変数として用いる相関分析に転じました。この方針転換は合理的ですが、仮説を事後的に修正しているという批判を招く余地もあります。もしサンプルサイズが大きければ、交互作用が有意になった可能性はあります。

次に、脳活動の「増加」が何を意味するかという問題があります。語学学習時間が多い参加者ほど、Stroopタスクにおける一致条件と不一致条件の脳活動の差が大きくなったという結果は、一見するとポジティブな変化のように見えます。しかし脳活動の増加が必ずしも「効率的な処理」を意味するとは限りません。一部の研究では、脳活動の増加は「補償的なメカニズム」、つまり脳が効率的でなくなった分を追加的なリソースを動員することで補っているサインとして解釈されることもあります。本研究ではこの点が十分に議論されておらず、今後の研究で明確にされるべきでしょう。

また、語学学習の種類(スペイン語、フランス語、日本語など)による差異についても、本研究は検討していません。英語母語話者にとって、スペイン語やフランス語はイタリア語と共に比較的習得しやすいと言われている一方、日本語は文字体系も文法構造も全く異なるため認知的負荷が大きく異なる可能性があります。言語間距離(language distance)が認知的効果に影響するかどうかは、研究チーム自身も今後の課題として挙げており、非常に興味深い問いです。

さらに、今回の参加者には学習意欲が高いという自己選択バイアスが含まれている可能性があります。MRI検査を含む研究に自発的に参加し、4ヶ月間毎日90分もの学習を継続できた人々は、認知的に活発で動機づけが高い集団であると考えられます。こうした特性自体が認知予備力と関連している可能性があり、一般的な高齢者集団への一般化には慎重さが求められます。

まとめ―小さな研究が開いた問いの重さ

本研究は41名という小規模なサンプルによる研究であり、対照群もなく、方法論的な課題を複数抱えています。それでも、この論文が持つ意義は無視できません。

高齢者が新しい言語を学ぶことで、実行機能の改善と、それを支える前頭頭頂ネットワークの活動変化が起こりうる。そしてその変化の大きさは、どれだけ熱心に取り組んだかと関係している。この主張は、数少ない先行研究のうちいくつかと方向性が一致し、理論的な根拠(認知予備力理論、バイリンガル優位性の研究)とも整合しています。

認知症や軽度認知障害の発症を遅らせるためのエビデンスに基づいた非薬物的介入は、高齢化が急速に進む日本を含む多くの社会にとって喫緊の課題です。薬がなかなか開発されない現状において、「誰でも取り組める知的活動」が脳を守ることにつながるかもしれないという可能性は、社会的な重みを持っています。

もちろん、4ヶ月間毎日90分の語学学習を継続するのは誰にでも容易なことではありません。しかし、この研究が問いかけているのは単なる「勉強法」の話ではなく、人間の脳が何歳になっても変化し続けることができるという可能性への問いかけです。「年を取ってから始めても遅い」という固定観念を、研究者たちはデータをもって少しずつ塗り替えようとしています。その営みの小さな一歩として、本論文は確かな意味を持っていると言えるでしょう。


Schultz, D. H., Gansemer, A., Allgood, K., Gentz, M., Secilmis, L., Deldar, Z., Savage, C. R., & Ghazi Saidi, L. (2024). Second language learning in older adults modulates Stroop task performance and brain activation. Frontiers in Aging Neuroscience, 16, Article 1398015. https://doi.org/10.3389/fnagi.2024.1398015

 

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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