研究の背景と著者の専門性
この論文”From mythical ‘standard’ to standard reality: The need for alternatives to standardized English language tests”は、英語教育と言語評価の分野で長年にわたって研究を重ねてきた二人の専門家による共同研究です。筆頭著者のジェニファー・ジェンキンス教授は、サウサンプトン大学でグローバル英語研究の第一人者として知られ、1980年代後期から「リンガフランカとしての英語(ELF)」という概念の研究を pioneering してきました。一方、コンスタント・リャン教授は、キングスカレッジロンドンの教育言語学教授として、第二言語カリキュラムや評価、言語政策の専門家です。両者とも英国社会科学アカデミーのフェローであり、この分野における確固たる地位を築いています。
彼らが取り組んでいるのは、現代の国際化された教育環境において、従来の英語能力試験制度が果たして適切なのかという根本的な問題です。特に大学入学において広く使用されているIELTS(国際英語能力試験制度)やTOEFL(外国語としての英語能力試験)といった標準化された試験に対して、厳しい批判の目を向けています。
現行試験制度の問題点に対する鋭い指摘
著者らが最も強く問題視しているのは、現在の大規模標準化英語試験が「理想化されたネイティブ英語モデル」に基づいて作られていることです。これらの試験は、アメリカやイギリスの英語話者が使用する「正しい」英語を基準として、世界中の受験者を評価しています。しかし、現実の国際的な教育環境や職場では、英語はネイティブスピーカー同士のコミュニケーションツールとしてではなく、異なる言語的背景を持つ人々が意思疎通を図るための共通語(リンガフランカ)として使用されることが圧倒的に多いのです。
論文では、この現実と試験制度のミスマッチを「幻想的な『標準』」と表現し、実際の言語使用の現実との乖離を鋭く批判しています。例えば、国際的な大学のセミナーで、中国系、インド系、ブラジル系の学生たちが英語で議論する際に、彼らが必要とするのはオックスフォード英語辞典に載っているような「完璧な」英語ではなく、お互いの意図を理解し合える実用的なコミュニケーション能力です。
さらに深刻な問題として、著者らは現行の試験が「構築物の物象化」を引き起こしていると指摘します。これは、本来は専門家によって作り出された抽象的な概念である「標準英語能力」が、試験のスコアという数値によって、まるで客観的で確実な能力の証明であるかのように扱われてしまう現象を指しています。この過程で、受験者の多様な言語的背景や文脈に応じた適応能力といった、実際の国際コミュニケーションにとって重要な要素が見落とされてしまいます。
変化する国際教育環境への着目
論文の重要な貢献の一つは、現代の国際教育環境の実態を詳細に描写していることです。著者らは「超多様性」という概念を用いて、現在の大学キャンパスがいかに言語的・文化的に多様になっているかを説明しています。
特に興味深いのは、実際の多言語環境でのコミュニケーション例として紹介されている、ロンドンの大学での学生会議の場面です。この事例では、中国語話者の学生が「diaosi(屌丝)」という中国語の概念を英語での議論に持ち込み、他の参加者たちがその意味を理解しようと努める過程が描かれています。スペイン語話者の学生は「perdedor」という類似の概念を提示し、全員でその意味について議論を深めていきます。このような「トランスランゲージング」(複数言語を流動的に使い分ける現象)こそが、現実の国際的な学習環境で起こっていることなのです。
このような現実に対して、現行の英語試験はどう対応しているでしょうか。IELTS の読解問題で「牛について」の文章を読まされた教育学博士課程志望のサウジアラビア人学生の困惑は、試験内容と実際の学習内容との乖離を象徴的に表しています。この学生にとって必要なのは、教育理論や研究方法論について英語で理解し、議論する能力であって、畜産業に関する知識ではありません。
社会正義と公平性の観点からの批判
著者らの議論で特に説得力があるのは、現行の試験制度を社会正義の観点から批判している部分です。彼らは、言語学者インガード・ピラーの「言語の多様性が不平等の基盤となることが多すぎる」という指摘を引用し、現在の英語試験制度がこの不平等を助長していると主張しています。
具体的には、英語が第二言語である学生たちが、彼らの実際の学習環境では全く必要のない「ネイティブらしい」英語能力を求められることで、不当に不利な立場に置かれているという問題があります。一方で、英語ネイティブスピーカーは、国際的な環境でのコミュニケーション能力(例えば、異なる英語の変種を理解したり、相手に合わせて表現を調整したりする能力)を測定されることなく、言語的な特権を享受し続けています。
さらに問題なのは、現在の試験スコアと実際の大学での学習成果との相関が低いことです。多くの妥当性研究が、IELTSやTOEFLのスコアと学生の後の学業成績との間に弱い相関しかないことを示しているのに、これらの試験が依然として大学入学の重要な判定基準として使用され続けています。これは、多くの有能な学生が不適切な基準によって教育の機会を奪われている可能性を示唆しています。
提案される代替案の大胆さと課題
論文の後半で提案される代替案は、非常に大胆で興味深いものです。著者らは、オランダで始まった交通実験からヒントを得て、「文脈化された自己評価」システムを提案しています。この交通実験では、交通信号や標識を撤去することで、運転者や歩行者が状況に応じて自己判断する能力が向上し、かえって安全性が高まったという結果が得られました。
この発想を言語評価に応用すると、外部の試験機関が作成する標準化された試験ではなく、各大学の各学科が、実際の授業内容に基づいた評価材料を作成し、受験者自身がその材料を使って自分の準備状況を判断するというシステムになります。例えば、工学部を志望する学生には実際の工学の講義動画や専門文献、課題例などが提供され、学生自身がそれらに対応できるかどうかを判断するのです。
この提案の利点は明確です。まず、評価内容が実際の学習内容と直結するため、受験準備そのものが有意義な学習となります。また、自己評価という性質上、学生は自分の能力を過大評価して失敗するリスクを負うことになるため、より正直で現実的な判断を下すインセンティブが働きます。さらに、各学科の特性に応じた評価が可能となり、一律の基準によって多様な才能が見落とされる問題も解決できます。
提案の実現可能性に関する懸念
しかしながら、この代替案には重要な課題も存在します。まず、質の保証と一貫性の問題があります。各大学・各学科が独自の評価材料を作成するとなると、評価の質や難易度にばらつきが生じる可能性が高く、学生や雇用者にとって判断基準が不明確になるリスクがあります。
また、現在の試験産業は巨大な経済的利益を生み出しており、既得権益を持つ関係者からの抵抗も予想されます。IELTSを運営するブリティッシュ・カウンシルやTOEFLのEducational Testing Service(ETS)といった組織は、世界規模でのビジネスを展開しており、制度の根本的な変更に対しては強い反対が予想されます。
さらに実務的な問題として、各大学の教職員が評価材料の作成と更新に費やす時間と労力の負担も軽視できません。著者らは「最初の一回作れば、後は更新するだけ」と楽観的に述べていますが、質の高い評価材料を維持するためには継続的な投資が必要であり、特に資源の限られた大学にとっては大きな負担となる可能性があります。
理論と実践の架け橋としての意義
それでも、この論文の価値は提案の実現可能性だけで測られるべきではありません。最も重要な貢献は、長年にわたって当然視されてきた英語能力評価の前提に根本的な疑問を投げかけたことです。
特に、「英語」とは何かという根本的な問いかけは重要です。著者らが指摘するように、世界の英語使用者の大多数は非ネイティブスピーカーであり、彼らが実際に使用している英語こそが現代の「標準的な現実」なのです。アメリカやイギリスの一部の人々が使う英語を「正しい英語」として全世界に押し付けることの不条理さを、この論文は明確に示しています。
また、多言語主義の重要性についての指摘も時宜を得ています。グローバル化が進む現代において、単一言語の完璧な習得よりも、複数言語を柔軟に使い分ける能力の方が実用的な価値が高いことは、多くの国際的な職場や教育現場で実感されています。
評価制度改革に向けた現実的な道筋
論文で提案される代替案が直ちに実現されることは困難でしょうが、段階的な改革の可能性は十分にあります。例えば、現在の標準化試験に加えて、各大学が独自の補完的評価を導入することから始めることができます。また、試験内容をより学術的・専門的な内容に近づける努力も重要です。
実際に、一部の大学では既にこのような取り組みが始まっています。学部や専攻ごとに異なる英語能力要件を設定したり、入学後の補習プログラムを充実させたりする動きが見られます。これらの試みが成功すれば、より抜本的な制度改革への道筋が見えてくるかもしれません。
また、技術の進歩によって、個別化された評価システムの実現可能性も高まっています。人工知能を活用した適応的テストシステムや、オンライン学習プラットフォームとの連携による継続的評価など、新たな評価手法の開発が進んでいます。
言語政策への示唆
この論文の影響は、大学入学試験制度にとどまりません。より広く言語政策全般に対する重要な示唆を提供しています。多文化・多言語社会において、言語能力をどのように評価し、どのような言語使用を「標準」として認めるかという問題は、教育政策、移民政策、労働政策など様々な分野に関わってきます。
特に、英語が国際共通語として機能している現代において、その評価基準をどこに置くかという問題は、国際的な公平性と社会正義の観点から重要な意味を持ちます。従来のような特定国の言語規範に基づく評価から、実際の国際コミュニケーションの現実に基づく評価への転換は、より公正で実用的な言語政策の実現につながる可能性があります。
結論:変化への呼びかけとしての意義
この論文は、完璧な解決策を提示するというよりは、現状への根本的な疑問提起と変化への呼びかけとしての性格が強いものです。著者らが投げかける問題は複雑で、簡単な答えはありません。しかし、だからこそこの種の議論が重要なのです。
現在の英語能力評価制度が抱える問題は、単なる技術的な改良によって解決できるものではありません。言語とは何か、コミュニケーション能力とは何か、公平な評価とは何かという根本的な問いに立ち返って考える必要があります。この論文は、そうした本質的な議論を促進する重要な一歩となっています。
最終的に、この論文の最大の価値は、既存の制度に対する建設的な批判と、より良い代替案への想像力を提供していることです。提案される解決策がそのまま実現されるかどうかは未知数ですが、問題意識の共有と議論の深化を通じて、より公正で実効性の高い言語評価制度の実現に向けた歩みが進んでいくことが期待されます。教育関係者、政策立案者、そして言語学習者自身が、この議論に参加し、より良い制度の構築に貢献していくことが求められています。
Jenkins, J., & Leung, C. (2019). From mythical ‘standard’ to standard reality: The need for alternatives to standardized English language tests. Language Teaching, 52(1), 86-110. https://doi.org/10.1017/S0261444818000307