研究の背景と著者紹介

本論文”Student teacher beliefs on grammar instruction”は、ヨハン・グラウス(Johan Graus)とピーター・アルノ・コッペン(Peter-Arno Coppen)による共同研究であり、2015年にLanguage Teaching Research誌に掲載されました。グラウスはオランダのHAN応用科学大学の教育学大学院に所属し、コッペンはラドバウド大学に在籍しています。この研究は、英語を外国語として教える学生教師たちが文法指導についてどのような考えを持っているかを大規模に調査したものです。

外国語としての英語教育における文法指導の役割は、1960年代から続く議論の中心的テーマです。第二言語習得(SLA)研究と言語教授法の分野では、文法をどのように教えるべきかについて長年にわたり論争が続いています。この状況は、これから教師になろうとする学生たちにとって混乱の原因となっており、彼らが自らの教育実践の基盤となる信念を形成する際の困難を生み出しています。

研究の目的と意義

この研究の主たる目的は、オランダの応用科学大学で英語教師養成プログラムに在籍する学部生と大学院生が、文法指導についてどのような信念を抱いているかを明らかにすることです。研究者たちは、学生の教育段階や職業経験の違いによって、これらの信念がどのように変化するかを探ろうとしました。

この研究が持つ意義は複数あります。第一に、教師の信念が実際の教育実践に大きな影響を与えることが知られており、「有害な信念は学生教師の教育に影響を与え、結果として彼らの生徒の言語学習に何十年にもわたって影響を与える可能性がある」という指摘があります。第二に、教師養成教育がこれらの信念にどのような影響を与えているかを理解することで、より効果的な養成プログラムの開発が可能になります。

理論的枠組みの整理

研究者たちは、文法指導に関する理論を四つの対比的概念として整理しました。これらは第二言語習得研究において重要視される概念です。

意味重視対形式重視の指導では、言語の主たる目的である意味伝達を重視するか、言語的形式そのものに焦点を当てるかという区別がなされます。意味重視指導は、教室での状況が実際のコミュニケーションを反映すべきだと考え、文法指導や個別言語項目の学習を否定する傾向があります。一方、形式重視指導は「学習者に言語形式に注意を向けさせる計画的または偶発的な指導活動」と定義されます。

形式への焦点化対形式群への焦点化という区別では、ロング(Long)の理論に基づき、意味重視指導と形式重視指導の統合度に着目します。形式群への焦点化(FonFs)は、言語学習を個別の言語構造を組み立てる過程として捉え、伝統的な文法指導アプローチに見られます。形式への焦点化(FonF)は、「主に意味やコミュニケーションに焦点を当てたレッスンで、偶発的に生じる言語要素に明示的に注意を向ける」ことを指します。

暗示的対明示的指導の区別では、学習過程での意識的な規則への注目度が問題となります。明示的指導は「学習過程で何らかの規則について考えること」を含み、メタ言語的用語の使用や統制された練習活動を特徴とします。暗示的指導は「意図や意識なしに起こる学習」に基づき、より熟練した話者との接触と練習を重視します。

帰納的対演繹的指導では、規則提示の順序が問題となります。演繹的指導では「文法的特徴と規則が最初に提示され、その後何らかの方法で練習される」のに対し、帰納的指導では学習者が例文から自ら一般化を導き出すことが求められます。

研究方法の評価

この研究は横断的、量的アプローチを採用し、832名という大規模な参加者を対象としました。オランダの9つの応用科学大学すべてから参加者を募集し、学部生709名(85.2%)と大学院生123名(14.8%)が調査に参加しました。

調査票は三部構成となっています。第一部では八つの構成概念を四つの尺度に変換し、第二部では学習者レベルや文法的難易度との関係を調査し、第三部では信念の起源について尋ねました。研究者たちは社会的望ましさバイアスを最小化するため、参加者に対し教員の期待ではなく自分自身の見解のみを答えるよう慎重に指示しました。

方法論的には、探索的因子分析と確認的因子分析による詳細な妥当性検証が行われており、学術的に堅実なアプローチが取られています。ただし、質問票調査という方法の限界も研究者自身が認識しており、信念は部分的に無意識レベルに存在する可能性があること、量的データでは回答の深層にある思考や行動の理由が分からないこと、実際の行動ではなく理想的な信念を反映している可能性があることなどが指摘されています。

主要な発見と結果の解釈

研究の最も重要な発見は、学生教師の信念が教育課程の進行とともに変化することです。一年生は形式重視、明示的、FonFs、帰納的指導を明確に好む傾向がありました。しかし、上級学年になるにつれて、より意味重視、暗示的、反応的な文法指導への選好が見られるようになります。これは、オランダの教師養成課程で教えられている内容や使用されている教科書の方針と一致しています。

興味深いことに、この傾向は大学院生で一転します。職業経験を持つ大学院生たちは、再び形式重視、明示的、演繹的指導に傾く傾向を示しました。この変化について研究者たちは、実際の教育経験が信念に与える影響を示唆していると解釈しています。大学院生自身も、自分たちの文法指導信念の最大の源泉として職業経験を挙げており、学部課程の影響は55%から17%に減少していました。

学習者レベルの影響も重要な発見です。すべてのグループが、高レベル(大学進学準備課程)の学習者には形式重視指導、FonFs、帰納的指導が最も適していると考えている一方で、低レベル(職業準備課程)の学習者には意味重視指導と演繹的指導が適していると判断していました。これは、高レベル学習者により体系的で包括的な文法指導が必要だと考えられている一方で、意味重視指導は低レベル学習者のための「必要な簡略化」として位置づけられていることを示唆します。

文法的難易度の影響についても明確な傾向が見られました。すべてのグループが、困難な文法構造には明示的・演繹的指導を、簡単な構造には暗示的・帰納的指導を好むと答えています。しかし、これらの直感的判断は研究知見と必ずしも一致しません。スパダとトミタ(2010)のメタ分析では、学習者は単純な形式でも複合的な形式でも、明示的指導から暗示的指導よりも多くの利益を得ることが示されています。

研究の限界と方法論上の課題

この研究には幾つかの重要な限界があります。まず、横断的研究デザインのため、実際に個人の信念が時間とともに変化したかどうかを確定的に述べることはできません。観察された年次間の違いが真の発達的変化を反映しているかは、縦断的研究によってのみ確認可能です。

また、質問票調査という方法自体の限界もあります。研究者が指摘しているように、信念は部分的に無意識レベルに存在する可能性があり、質問票では完全な信念のスペクトラムを引き出せない可能性があります。さらに、量的データは一般的傾向と関連性を示すものの、回答者がなぜそのように答えたかという深層の思考プロセスについては情報を提供しません。

信念と実践の乖離という根本的問題も存在します。質問票は人々が何を信じているかを示すものであり、実際に何をしているかではありません。研究が教師の理想を反映している可能性があり、特に経験の浅い教師の場合、実践は信念を探る最良の指針ではないとされています。状況的制約がしばしば信念と実践の不一致に役割を果たすことも知られています。

文化的・制度的文脈の限定性も考慮すべき点です。この研究はオランダの特定の教育制度内で実施されており、結果の一般化可能性には注意が必要です。異なる教育制度や文化的背景を持つ国での学生教師が同様の信念パターンを示すかは不明です。

理論と実践のギャップ

この研究が明らかにした最も重要な問題の一つは、第二言語習得研究の知見と学生教師の信念との間のギャップです。研究者たちが指摘するように、「文法研究と教師の実践の間には相当なギャップが依然として存在している」状況があります。

例えば、学生教師たちは困難な文法構造に対して明示的・演繹的指導を好むと答えていますが、これは必ずしも研究証拠に支持されていません。また、高レベル学習者に対してより伝統的な形式重視アプローチを好む傾向は、コミュニケーション重視の言語教授法や第二言語習得研究の知見に反するものです。

この乖離の原因として、研究者たちは学生教師自身の言語学習経験の影響を挙げています。教師の信念は彼らの以前の言語学習経験によって強く影響を受け、これらの経験は研究や理論的考察よりも大きな影響を持つとされています。また、学習者が教師に明示的な文法への注意を期待することも、この「悪循環」に寄与していると考えられます。

教師養成への示唆

この研究は教師養成教育に対して重要な示唆を提供します。研究者たちは、学生に既存の信念について反省させることの重要性を強調しています。これには「信念の認識、明確化、起源の探求から、授業内での議論、作文課題、フィードバック、既存信念への疑問提起」まで、様々な反省的活動が含まれます。

特に学部生に対しては、より伝統的な文法指導に関する信念や経験について反省し、「強力な代替概念」、すなわちより意味重視で反応的な指導選択肢を提供することが推奨されています。また、これらの信念と学習者レベルや文法的難易度との相互作用についても特別な注意を払うべきだとされています。

大学院生の場合は、彼らの信念が教育経験の文脈で形成されている可能性が高いため、その教育経験との関連で信念を検討する必要があると指摘されています。

研究結果の妥当性と解釈の課題

研究の確認的因子分析結果は、理論的に区別される四つの構成概念ペアが実際には密接に関連していることを示しています。意味対形式重視、FonF対FonFs、暗示的対明示的指導という三つの構成概念ペアの因子相関が非常に高く、これらが「言語重視で意味主導の指導」から「規則重視で形式主導の指導」までの連続体として最もよく特徴づけられることが示唆されています。

この発見は理論的に重要で、第二言語習得理論で別個の概念として扱われることが多いこれらの概念が、実践者の心の中では極めて類似した潜在的因子の現れである可能性を示しています。これは、理論と実践の間のギャップを示す一つの証拠とも解釈できます。

国際的文脈での意義

オランダという特定の文脈で実施されたこの研究ですが、その発見は国際的な言語教育界にとっても意義深いものです。多くの国で英語教育における文法指導の役割について同様の議論が続いており、学生教師の信念形成プロセスを理解することは普遍的な課題です。

特に、学生教師が教育課程を通じて理論的により洗練された見解に向かう一方で、実際の教育経験によって再び伝統的アプローチに回帰する傾向は、多くの教師養成文脈で観察される可能性があります。これは、理論と実践の統合という教師教育の根本的課題を浮き彫りにしています。

今後の研究課題

この研究は重要な発見を提供していますが、同時に今後の研究課題も明確にしています。最も重要なのは、縦断的研究による信念変化の追跡です。同一の学生たちを教育課程全体を通じて追跡することで、観察された違いが真の発達的変化を反映しているかを確認できます。

また、質的研究アプローチの活用も重要です。インタビューや教室観察を通じて、学生教師たちがなぜ特定の信念を持つようになるのか、これらの信念が実際の教育実践にどのように反映されるのかについて、より深い理解が必要です。

異文化比較研究も価値ある研究方向です。異なる教育制度や文化的背景を持つ国での学生教師の信念を比較することで、この研究の発見がどの程度普遍的なものかを検証できます。

結語

グラウスとコッペンによるこの研究は、英語教師志望学生の文法指導に対する信念について包括的な視点を提供しています。832名という大規模サンプルを用いた調査により、学生教師の信念が教育過程で変化すること、しかし職業経験によって再び変化することが明らかになりました。

研究の最も重要な貢献は、理論と実践の間に存在するギャップを具体的に示したことです。学生教師たちは教育課程を通じて理論的により洗練された見解を身につけるものの、学習者レベルや文法的難易度を考慮する際には、依然として伝統的で形式重視のアプローチを好む傾向があります。この発見は、教師養成教育が直面する根本的な挑戦を浮き彫りにしています。

方法論的な限界はあるものの、この研究は教師の信念研究に重要な貢献をしており、今後の研究と教師養成実践のための貴重な基盤を提供しています。特に、学生教師の既存信念に対する反省的取り組みの重要性を強調し、より効果的な教師養成プログラムの開発に向けた具体的な提案を行っている点は高く評価できます。


Graus, J., & Coppen, P.-A. (2016). Student teacher beliefs on grammar instruction. Language Teaching Research, 20(5), 571-599. https://doi.org/10.1177/1362168815603237

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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