研究の概要と背景
本論文”The effect of listening strategy instruction on second language listening anxiety and self-efficacy of Iranian EFL learners”は、イラン人の英語学習者を対象に、リスニング戦略指導が学習者の聞き取り能力、不安感、自己効力感にどのような影響を与えるかを調査した研究です。筆頭著者のJalil Fathi氏はクルディスタン大学でTEFL(Teaching English as a Foreign Language)の助教授を務め、第二言語習得における個人差要因と言語学習戦略の研究を専門としています。共著者のAli Derakhshan氏はゴレスタン大学、Saeede Torabi氏はイスラム・アザド大学に所属し、いずれもイランの英語教育分野で活動する研究者です。
この研究が注目される背景には、第二言語としての英語リスニング指導における重要な課題があります。リスニングは言語学習において基盤となるスキルでありながら、読み書きに比べて研究が不足している分野です。特に、リスニング学習に伴う心理的要因である不安や自己効力感への影響については、十分な実証研究が行われていませんでした。
リスニング戦略指導の理論的基盤
リスニング戦略とは、学習者が音声テキストを理解するために意識的に用いる手法や技術のことです。従来の言語教育では、リスニング能力は自然に身につくものと考えられがちでしたが、現在では明示的な指導が必要であることが認識されています。
研究者たちは、リスニング戦略を大きく三つのカテゴリーに分類しています。第一に「トップダウン戦略」があります。これは学習者が持つ既存の知識や経験を活用して内容を予測し、推論する方法です。例えば、話題についての背景知識を使って未知の単語の意味を推測したり、文脈から話の展開を予想したりする技術が含まれます。
第二に「ボトムアップ戦略」があります。これは音素、単語、文法構造といった言語の構成要素から順次理解を積み上げていく方法です。強勢のある語を聞き取ったり、談話標識を手がかりにしたりする技術が該当します。
第三に「メタ認知戦略」があります。これは自分の学習過程を意識的に監視し、調整する高次の思考技術です。学習者が自分の理解度を確認したり、適切な戦略を選択したり、学習の計画を立てたりする活動が含まれます。
研究方法と実験設計
この研究では、イラン国内のイスラム・アザド大学分校で英語を専攻する52名の学生が参加しました。参加者は男性19名、女性33名で、年齢は19歳から24歳の範囲にあり、全員が少なくとも5年間の英語学習経験を持っていました。研究は準実験デザインを採用し、既存のクラスを実験群(27名)と統制群(25名)に無作為に割り当てました。
実験に先立って、Oxford Placement Test(OPT)を用いて両群の英語能力が同等であることを確認しました。その結果、両群ともに上中級レベルに分類され、統計的に有意な差は認められませんでした。
測定には三つの主要な尺度が用いられました。リスニング理解能力の測定にはIELTS(International English Language Testing System)のリスニングセクションを使用し、リスニング不安の測定にはKim(2000)が開発したForeign Language Listening Anxiety Scale(FLLAS)を、リスニング自己効力感の測定にはKassem(2015)が開発したSecond Language Listening Self-Efficacy Questionnaire(SLLSQ)を採用しました。
戦略指導プログラムの詳細
実験群に対する戦略指導は、Yeldham and Gruba(2014)のモデルに基づいて実施されました。このモデルの特徴は、明示的指導と埋め込み型指導の利点を組み合わせた統合的アプローチを採用している点です。指導期間は16週間にわたり、毎回の授業で戦略指導が通常の授業内容に組み込まれました。
指導プログラムはCognitive Academic Language Learning Approach(CALLA)の5段階モデルに沿って構成されました。第一段階の「準備」では、教師が学習者に既習の戦略について思い出させます。第二段階の「提示」では、教師が思考過程を声に出しながら特定の戦略の使用方法を実演し、戦略の定義と使用場面を明確に説明します。第三段階の「練習」では、学習者が実際のリスニング課題で戦略を使用し、ペア活動を通じて戦略選択について議論します。第四段階の「評価」では、学習者が自分の戦略使用と理解度について振り返りを行います。最終段階の「拡張」では、宿題として追加のリスニング課題が与えられ、学習者が自立的に戦略を使用することが奨励されます。
一方、統制群では従来型の指導が行われました。これは「聞く・答える・確認する」という単純な手順に基づくもので、学習者は様々な音声テキストを聞いて理解度問題に答えるという活動を繰り返しました。戦略に関する明示的な指導や体系的な振り返り活動は実施されませんでした。
研究結果の詳細分析
16週間の介入後、三つの研究課題について統計分析が行われました。第一の研究課題であるリスニング理解能力への効果については、実験群が統制群を有意に上回る結果が得られました。実験群の平均点は事前テストの17.77点から事後テストの22.93点へと大幅に改善し、統制群も18.43点から20.23点へと改善したものの、群間比較では実験群の優位性が統計的に確認されました。
第二の研究課題であるリスニング不安への効果については、両群ともに不安レベルの低下が見られましたが、実験群の改善がより顕著でした。実験群では不安スコアが44.37点から37.00点へと大きく減少し、統制群では45.62点から43.08点への減少にとどまりました。群間比較の結果、戦略指導が不安軽減により効果的であることが示されました。
しかし、第三の研究課題であるリスニング自己効力感への効果については、期待された結果が得られませんでした。実験群では46.77点から50.74点へ、統制群では44.04点から48.56点へとどちらも改善が見られたものの、群間に統計的有意差は認められませんでした。
結果の理論的解釈
リスニング理解能力の向上について、研究者たちはVygotsky(1978)の社会文化理論に基づいて説明を試みています。教師による戦略の説明と実演が「足場かけ」として機能し、学習者が自力では達成困難なレベルの理解を可能にしたと解釈されています。また、トップダウン、ボトムアップ、メタ認知戦略の統合的指導により、学習者が多様な手法を組み合わせて音声テキストを処理できるようになったことも要因として挙げられています。
リスニング不安の軽減については、複数の要因が考えられています。まず、戦略指導により学習者が未知語彙に遭遇した際の対処法を身につけ、理解不能への恐怖が軽減されたことが挙げられます。また、推測技術の習得により、間違いを恐れずに挑戦する姿勢が育成され、リスク許容度が向上したことも影響したと考えられます。さらに、戦略指導の過程で教師と学習者、学習者同士の相互作用が増加し、より支援的で脅威の少ない学習環境が形成されたことも不安軽減に寄与したとされています。
一方、リスニング自己効力感の改善が見られなかった理由として、研究者たちはいくつかの説明を提示しています。まず、両群ともに多様なリスニング活動に従事することで習熟体験を積み、これがBandura(1997)の自己効力感理論における最も重要な源泉として機能したため、群間差が生じなかった可能性があります。また、16週間という介入期間が自己効力感の変化には不十分であった可能性や、学習者による戦略の言語化練習が不足していた可能性も指摘されています。
イラン特有の教育文脈
この研究の意義を理解するためには、イランの英語教育事情を考慮する必要があります。イランでは英語が中学1年生から高校3年生まで必修科目として教えられていますが、公立学校のカリキュラムは文法指導に重点を置き、コミュニケーション能力の育成には限界があります。そのため、多くの学習者は私設の語学学校に通って口頭技能を学習しています。
しかし、教室外で英語に接する機会は極めて限られており、リスニングやスピーキング能力の向上は困難な状況にあります。また、大規模クラス、多様な学習背景を持つ学習者、不適切な評価方法などの要因も、効果的なコミュニケーション技能の発達を阻んでいます。
特にリスニング指導については、「聞いて答える」という結果重視の製品アプローチが主流で、実質的な指導は行われていない状況です。戦略指導はほとんど実施されておらず、リスニング能力の向上よりも課題の完了に重点が置かれています。こうした背景において、本研究は戦略指導の有効性を実証する貴重な事例となっています。
建設的批評と研究の限界
本研究は重要な知見を提供する一方で、いくつかの限界も指摘できます。まず、研究デザインの観点から、準実験デザインの採用により内的妥当性に制約があります。参加者の無作為割り当てが行われなかったため、群間の同質性を完全に保証することは困難です。OPTによる事前の同質性確認は行われているものの、動機、学習スタイル、戦略使用経験などの潜在的な交絡変数が結果に影響を与えた可能性を排除できません。
測定方法についても課題があります。すべての測定が自己報告式の質問紙に依存しており、社会的望ましさバイアスや回答者の内省能力の限界が結果に影響を与えた可能性があります。特に、戦略使用は本来的に内的な過程であるため、質問紙のみでその実態を正確に把握することには限界があります。研究者たちも認めているように、思考発話法や刺激再生法などの質的手法を併用することで、より深い理解が得られたでしょう。
介入期間の16週間についても検討が必要です。リスニング理解能力や不安については有意な変化が観察されましたが、自己効力感のような深層的な信念の変化には、より長期間の介入が必要である可能性があります。Graham and Macaro(2008)の研究では6ヶ月間の介入で自己効力感の改善が確認されており、本研究の介入期間は十分でなかった可能性があります。
統制群の設定についても疑問があります。「従来型指導」の定義が曖昧で、統制群が受けた指導の具体的内容が十分に記述されていません。真の統制条件を設定するためには、戦略指導以外の全ての条件を実験群と同一にする必要がありますが、この点での厳密性に欠けています。
理論的貢献と実践的意義
これらの限界にもかかわらず、本研究は理論的・実践的に重要な貢献をしています。理論的には、リスニング戦略指導が認知的側面だけでなく感情的側面にも影響を与えることを実証した点が評価できます。従来の研究では認知的効果に焦点が当てられがちでしたが、不安軽減という心理的効果の確認は、第二言語習得における感情要因の重要性を支持する証拠となります。
また、Yeldham and Gruba(2014)のモデルの有効性を実証した点も意義深いです。このモデルは明示的指導と埋め込み型指導の利点を統合したものですが、その効果を準実験的に検証した研究は限られていました。本研究の結果は、統合的アプローチの優位性を支持する証拠を提供しています。
実践的には、イランのような英語圏以外の文脈における戦略指導の効果を示した点が重要です。戦略の有効性は文脈依存的であるとされているため、特定の社会教育的背景での実証は、その地域の教育実践に直接的な示唆を提供します。
教育現場への応用可能性
この研究結果は、英語教師や教育政策立案者に具体的な指針を提供します。教師レベルでは、従来の「聞かせて答えさせる」指導から、戦略の明示的指導を含む統合的アプローチへの転換が推奨されます。具体的には、リスニング活動の前に予測や背景知識の活性化を行い、活動中には適切な戦略の使用を促し、活動後には振り返りと戦略評価を実施することが効果的です。
また、学習者の不安軽減のために、支援的で協働的な学習環境の構築が重要であることも示されています。教師は学習者との相互作用を増やし、間違いを恐れずに挑戦できる雰囲気を作ることが求められます。
教師教育の観点では、現職教師に対する戦略指導法の研修が必要です。多くの教師は戦略指導の理論的背景や具体的手法について十分な知識を持っていないため、専門的な研修プログラムの開発と実施が急務です。
今後の研究方向性
本研究を基盤として、いくつかの発展的研究が考えられます。まず、より厳密な実験統制下での追試研究が必要です。完全無作為化比較試験の実施により、因果関係をより明確に確立できるでしょう。
また、質的研究手法を併用した混合研究法の採用により、戦略使用の実態や学習者の主観的体験をより深く理解することが可能になります。思考発話プロトコルや半構造化インタビューを通じて、量的データでは捉えきれない側面を明らかにできるでしょう。
長期追跡研究の実施も重要です。介入効果の持続性や遅延効果を確認することで、戦略指導の真の価値を評価できます。特に、自己効力感のような深層的な変化については、より長期間の観察が必要です。
異なる熟達度レベルや年齢層を対象とした研究により、戦略指導の効果の一般化可能性を検証することも重要です。また、他の言語スキル(リーディング、ライティング、スピーキング)との相互作用や、個人差要因(学習スタイル、動機、認知能力など)の調整効果についても調査する価値があります。
技術の活用についても検討の余地があります。コンピュータ支援言語学習(CALL)環境での戦略指導や、人工知能を活用した個別化指導の効果を検証することで、より効率的で効果的な指導法の開発が期待できます。
結語
この研究は、第二言語リスニング指導における戦略指導の重要性を実証的に示した貴重な研究です。特に、認知的効果だけでなく感情的効果も含めて包括的に検証した点で、従来の研究を大きく前進させています。イランという特定の文脈での実証でありながら、その知見は他の英語学習環境にも応用可能な示唆に富んでいます。
一方で、研究デザインや測定方法に関する限界も明確であり、これらの課題を克服した後続研究の必要性も指摘されています。しかし、現場の教師や教育政策立案者にとって、戦略指導の導入を支持する説得力のある証拠を提供している点で、その実践的価値は高く評価できます。
第二言語習得における個人差要因の重要性が増している現在、学習者の認知的・感情的側面の両方に配慮した指導法の開発は急務です。この研究は、そうした統合的アプローチの有効性を示す重要な一歩として位置づけることができるでしょう。
Fathi, J., Derakhshan, A., & Torabi, S. (2020). The effect of listening strategy instruction on second language listening anxiety and self-efficacy of Iranian EFL learners. SAGE Open, 10(2), 1–13. https://doi.org/10.1177/2158244020933878