はじめに―この研究が問いかけるもの
私たちは往々にして、「グローバル言語」である英語を学ぶことと、それ以外の外国語を学ぶことを、まったく別のものとして捉えがちです。実際、英語は映画や音楽、インターネットを通じて私たちの日常生活に溢れています。一方で、たとえば隣国の言語であっても、教室の外で触れる機会は限られています。 本論文”Vocabulary development in a CLIL context: A comparison between French and English L2″の著者であるKristof Baten、Silke Van Hiel、Ludovic De Cuypereの3名は、いずれもベルギーのゲント大学に所属する研究者です。彼らが取り組んだのは、ベルギーのフランダース地方(オランダ語を話す地域)において、英語とフランス語という二つの外国語を、CLIL(Content and Language Integrated Learning、内容言語統合学習)という方法で学んでいる中学生たちの語彙力を比較するという研究でした。 CLILとは何でしょうか。簡単に言えば、「外国語で他の教科を教える」という方法です。たとえば、英語で歴史を教えたり、フランス語で地理を教えたりするのです。日本でも「イマージョン教育」という名前で、一部の学校で実践されています。この方法は、ただ外国語を学ぶだけでなく、実際にその言語を「使う」機会を増やすことで、より効果的に言語を習得できると考えられています。
ベルギーという複雑な言語環境
この研究を理解するには、ベルギーの特殊な言語事情を知る必要があります。ベルギーは小さな国ですが、オランダ語、フランス語、ドイツ語という三つの公用語を持っています。論文が対象とするフランダース地方はオランダ語圏ですが、フランス語は隣接するワロン地域の言語であり、国の公用語でもあります。 ところが、実際のフランダース地方の若者たちの間では、フランス語よりも英語の方がはるかに身近な存在になっています。著者たちが引用する先行研究によれば、フランダースの生徒たちは英語に対しては肯定的な態度を持つ一方で、フランス語に対しては否定的な態度を示す傾向があるといいます。これは歴史的な背景とも関係しています。ベルギーが独立した1830年当時、フランス語が支配的な言語であり、オランダ語話者は長い間、言語的な権利のために闘ってきた歴史があるのです。 加えて、現代のメディア環境も影響しています。フランダースの子どもたちは、英語の映画、音楽、ゲーム、YouTubeなどに日常的に触れていますが、フランス語のメディアに接する機会は限られています。実際、この研究の参加者たちも、英語メディアへの関わりはフランス語メディアの約1.6倍も高かったと報告されています。
研究の実際―75名の中学生が3ヶ月間に経験したこと
研究は、アントワープ州のある大規模な中学校で行われました。対象となったのは8年生(日本の中学2年生に相当)の75名です。彼らは全員、母語がオランダ語で、12歳から14歳の生徒たちでした。 興味深いのは、これらの生徒たちの英語とフランス語の学習歴です。フランス語については、5年生から7年生までの3年間、正式な授業を受けていました。一方、英語については、学校での正式な授業を受けたことがありませんでした。ところが、フランダースの子どもたちは、メディアを通じて幼い頃から英語に触れているため、実際には相当な英語力を持っているのです。 この学校のCLILプログラムでは、生徒たちは週に1時間、英語で音楽の授業を受け、週に2時間、フランス語で歴史の授業を受けていました。加えて、通常の外国語の授業として、英語を週2時間、フランス語を週4時間(または5時間、選択コースによる)学んでいました。つまり、学校での露出時間だけを見ると、フランス語の方が英語の約2倍だったのです。 研究者たちは、語彙力を測るために、Vocabulary Levels Test(VLT)という標準化されたテストを使いました。
このテストには、「受容的語彙テスト」(単語を見て意味がわかるか)と「産出的語彙テスト」(適切な場面で単語を使えるか)の二種類があります。テストは、使用頻度の高い順に、2000語レベル、3000語レベル、5000語レベルなどに分かれています。 研究者たちは、CLILプログラムが始まった直後の2015年10月にプレテストを実施し、3ヶ月後の2016年1月にポストテストを実施しました。3ヶ月という期間は、一見短いように思えますが、言語習得の研究では、明確な変化を捉えるのに十分な期間とされています。予想通りの結果と予想外の発見
プレテストの結果は、ある意味で予想通りでした。生徒たちの英語の語彙力は、フランス語よりもはるかに大きかったのです。産出的語彙テスト(最高36点)では、英語の平均が12点だったのに対し、フランス語は5.3点でした。受容的語彙テスト(最高90点)では、英語が45点、フランス語が30.5点でした。 これを実際の語彙数に換算すると、生徒たちは英語で約1000語の産出的語彙と2500語の受容的語彙を持っていたのに対し、フランス語では442語の産出的語彙と1694語の受容的語彙しか持っていなかったことになります。驚くべきことに、41名の生徒(54%)が、英語のプレテストでフランス語のプレテストの最高点以上を取っていました。つまり、正式な授業を一度も受けたことがない英語の方が、3年間学校で勉強してきたフランス語よりも、語彙力が高かったのです。 しかし、本当に興味深いのはここからです。3ヶ月後のポストテストでは、両方の言語で有意な語彙の増加が見られました。産出的語彙では、英語が平均4.9点(約408語)、フランス語が3.5点(約292語)増加しました。受容的語彙では、英語が6.2点(約344語)、フランス語が7.2点(約400語)増加しました。 統計的な分析の結果、産出的語彙の伸びには、英語とフランス語の間でわずかな差がありました(英語の方が1.3点高い)。しかし、この差は統計的には有意であったものの、実質的には非常に小さなものでした。受容的語彙の伸びについては、両言語の間に有意な差はありませんでした。むしろ、平均値だけを見ればフランス語の方がわずかに高かったのです。
この発見が意味すること
この結果は、二つの重要なことを教えてくれます。 第一に、学校外での露出(英語の場合)は、確かに語彙の「初期レベル」に大きな影響を与えるということです。フランダースの子どもたちは、英語の映画を見たり、英語の歌を聴いたり、英語のゲームをしたりする中で、自然に多くの英語の単語を覚えていきます。これは、いわば「無料のボーナス」のようなものです。 しかし、第二に、そして著者たちが強調しているのは、語彙の「伸び」に関しては、学校外での露出が必ずしも決定的な要因ではないということです。フランス語は英語に比べて学校外での露出が圧倒的に少ないにもかかわらず、CLILと通常の授業を通じて、英語とほぼ同じペースで語彙が増えていったのです。 言い換えれば、「教室での学習」も、言語習得において極めて重要な役割を果たしているということです。特に、フランス語の場合は学校での露出時間が英語の2倍あったことが、この結果に貢献していると考えられます。 ある意味で、これは当然のことのように聞こえるかもしれません。しかし、言語教育の世界では、しばしば「自然な露出」と「教室での学習」のどちらが効果的かという議論が繰り返されてきました。この研究は、両方が重要であり、互いに補完し合うものであることを示しています。
CLILという方法の可能性と限界
では、なぜCLILという方法は語彙の習得に効果的なのでしょうか。論文では、いくつかの理由が挙げられています。 一つは、「文脈の中での学習」です。通常の外国語の授業では、単語を単独で覚えることが多くなりがちです。しかし、CLILでは、歴史や音楽といった実際の内容を学ぶ中で、単語が使われる文脈の中で自然に言葉を覚えていきます。たとえば、「革命」という言葉を、歴史の文脈の中で学べば、その意味や使い方がより深く理解できます。 もう一つは、「使う必要性」です。Laufer and Hulstijn(2001)が提唱した「関与負荷仮説」によれば、学習者がタスクにどれだけ「関わる」かが、習得の効果を左右します。CLILでは、生徒は内容を理解し、質問に答え、議論するために、その言語を実際に「使う」必要があります。この必要性が、語彙の習得を促進するのです。 さらに、著者たちは、CLILの教室では通常の言語の授業よりも「間違いへの恐怖」が少ないことも指摘しています。言語の習得が主な目標ではなく、内容の理解が目標なので、生徒たちは多少の間違いを気にせずに話すことができます。この心理的な余裕も、言語の習得を助けていると考えられます。 しかし、著者たちは同時に、この研究の限界も正直に認めています。この研究は、一つの学校の75名の生徒だけを対象としています。CLILには様々な形態があり、学校や地域によってそのやり方は大きく異なります。したがって、この結果を他の状況に単純に当てはめることはできません。 また、この研究では、生徒たちが自発的にCLILプログラムを選択しています。つまり、もともと意欲の高い生徒や、親のサポートが手厚い生徒が集まっている可能性があります。実際、スペインでの研究では、CLILプログラムに参加する生徒の親は大学卒業者が多く、社会経済的地位が高い傾向があることが報告されています。このような「選抜効果」が、結果に影響している可能性は否定できません。
より広い文脈での意味―英語以外の言語の重要性
この研究の最も重要な貢献は、CLILが英語だけでなく、他の言語でも効果的である可能性を示したことです。論文の冒頭で著者たちが指摘しているように、CLILに関する研究の大半は英語を対象としています。ある意味で、CLILは「英語教育の一形態」として理解されてきた面があります。 しかし、ヨーロッパ連合の言語政策の理念は、すべての市民が母語に加えて二つの外国語を習得する「複言語主義」です。この理念からすれば、英語だけに焦点を当てるのは不十分です。より多様な言語が学ばれるべきですし、そのための効果的な方法が模索されるべきです。 この研究は、フランス語という、英語ほど「グローバル」ではないが、ベルギーにとっては重要な言語について、CLILが効果的であることを示しました。フランス語への態度がネガティブであり、学校外での露出が限られているにもかかわらず、適切な教育的介入(CLIL+通常の授業)によって、生徒たちは着実に語彙を増やしていったのです。 これは、教育政策にとって重要な示唆を含んでいます。「英語は自然に身につくから、学校では他の言語に力を入れよう」という考え方もあり得ますし、「英語をさらに強化しよう」という考え方もあり得ます。しかし、この研究は、両方の言語を並行して伸ばすことが可能であることを示しています。ただし、その際には、学校での十分な露出時間を確保することが重要です。
方法論についての考察
研究方法についても、いくつか興味深い点があります。 まず、著者たちは同じテストを3ヶ月の間隔で2回実施しています。通常、このような場合、「練習効果」を避けるために異なるバージョンのテストを使うことが推奨されます。しかし、著者たちはKremmel and Schmitt(2018)を引用して、個々の学習者の習得を測る場合には、同じテストを使う方が望ましいと述べています。ただし、その場合は十分な時間を空ける必要があり、1ヶ月以上が理想的だとされています。この研究では3ヶ月の間隔を空けているので、この基準は満たされています。 次に、著者たちは統計的な有意性だけでなく、「効果の大きさ」や「実質的な意味」についても慎重に考察しています。たとえば、産出的語彙の伸びについては、英語とフランス語の間に統計的に有意な差がありました。しかし、その差は1.3点(36点満点中)に過ぎず、実質的には非常に小さいと判断されています。このような慎重な解釈は、統計の数字に惑わされずに結果を理解する上で重要です。 また、著者たちは、この研究には「対照群」(CLILを受けていない生徒のグループ)がないことを明示しています。つまり、この研究は「CLILが非CLILよりも効果的か」を検証するものではなく、「CLIL内で、言語によって効果が異なるか」を検証するものなのです。この区別は重要です。なぜなら、前者の問いに答えるには、もっと複雑な研究デザインが必要だからです。
教育実践への示唆と今後の課題
この研究は、いくつかの実践的な示唆を提供しています。 まず、英語以外の言語でCLILを実施することは十分に意味があるということです。ベルギーのような複言語環境だけでなく、日本のような文脈でも、たとえば中国語や韓国語などでCLILを試みることの価値があるかもしれません。 ただし、著者たちは慎重に、「学校での十分な露出」が前提条件であることを強調しています。この研究では、フランス語は週に合計6〜7時間の露出がありました。もし週に1時間だけのCLILであれば、同じような結果は得られなかったかもしれません。 また、フランダースでCLILを実施する際の障害についても、論文は触れています。教師は、教える科目と使用言語の両方について高い能力を求められます。言語については、ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)のC1レベル(上級)が要求されています。これは、英語であればまだ達成可能と感じられても、フランス語やドイツ語では「高すぎる」と感じられることが多いようです。その結果、多くの学校が英語を選択し、フランス語やドイツ語のCLILは限られた学校でしか実施されていません。 著者たちは、このような厳格な要件が、CLILの普及を妨げている可能性を指摘しています。政策立案者は、質の保証と普及促進のバランスを考える必要があるでしょう。 今後の研究課題として、著者たちはいくつかの点を挙げています。まず、より多くの学校を対象とした研究が必要です。CLILには様々な形態があり、その効果も多様である可能性があります。たとえば、この研究では歴史と音楽という二つの異なる科目が扱われましたが、科目によって言語の使われ方は異なるはずです。歴史は文章が中心ですが、音楽は実技が中心です。こうした違いが、語彙の習得にどう影響するかは、さらなる研究を待つ必要があります。 また、社会経済的な背景や動機づけなど、他の要因の影響も調べる必要があります。CLILを選択する生徒は、もともと言語への興味が高かったり、親のサポートが手厚かったりする可能性があります。これらの要因を統制しない限り、CLILの「純粋な効果」を測ることは難しいでしょう。
結びに―複雑な現実と向き合う研究の誠実さ
この研究の大きな美徳の一つは、その誠実さです。著者たちは、単純な「CLIL礼賛」に陥ることなく、様々な要因を考慮しながら、慎重に結論を導いています。英語とフランス語という、置かれた状況がまったく異なる二つの言語について、丁寧にデータを集め、分析し、解釈しています。 私たちは時として、「この教育方法は素晴らしい」「この方法は効果がない」といった二分法的な思考に陥りがちです。しかし、実際の教育現場はもっと複雑です。生徒一人一人の背景は異なりますし、学校や地域の状況も多様です。ある状況で効果的な方法が、別の状況では機能しないこともあります。 この研究は、そうした複雑な現実を踏まえつつ、それでも私たちに重要なメッセージを伝えてくれます。それは、「英語だけが特別なのではない」ということです。適切な教育環境と十分な露出時間があれば、他の言語でも着実に力をつけることができる。そして、そのために、CLILは有効な手段の一つになり得る。 ベルギーという小さいながらも言語的に複雑な国での経験は、日本を含む世界中の教育者に、多くのヒントを与えてくれるでしょう。グローバル化が進む現代において、私たちに必要なのは、英語だけを話せる人材ではなく、複数の言語と文化を理解し、多様な人々と協働できる人材です。この研究は、そうした人材を育てるための道筋の一つを、実証的なデータとともに示してくれているのです。
Baten, K., Van Hiel, S., & De Cuypere, L. (2020). Vocabulary development in a CLIL context: A comparison between French and English L2. Studies in Second Language Learning and Teaching, 10(2), 307–336. https://doi.org/10.14746/ssllt.2020.10.2.5
