この研究は何を問うているのか

言語を学ぶとき、私たちはしばしば母語の影響を新しい言語に持ち込んでしまいます。英語を話そうとして「私は好きです魚が」のような語順になってしまう経験は、日本語話者なら誰でも覚えがあるでしょう。これが「言語転移」と呼ばれる現象です。ところが、この論文が問うているのはその逆、つまり「後から学んだ言語が、生まれてからずっと使ってきた母語を変えてしまう」という、少し不思議な現象です。

著者のMarie BarKing、Maria Mos、Ad Backusの三名は、オランダのティルブルフ大学に所属する言語学者です。Barkingは博士課程の研究者としてバイリンガル話者の言語使用と認知メカニズムを専門とし、Mosは動的な状況における言語表現の研究を行う准教授、BackusはUsage-based approach(使用基盤理論)と言語接触の統合を長年にわたって追求してきた言語学・社会言語学の教授です。この論文”Investigating language transfer from a usage-based perspective”は、2023年に刊行された『International Journal of Bilingualism』に掲載されたもので、研究は「Two Languages in One Mind」というオランダ研究評議会(NWO)の助成プロジェクトの一部として行われました。

研究の舞台はオランダに住むドイツ語ネイティブ話者たちです。ドイツ語とオランダ語は語彙的にも文法的にも近い言語ですが、それでも確かな違いがあります。この研究では、オランダに長期滞在することでオランダ語(第二言語)がドイツ語(母語)にどのような影響を与えるかを、丁寧に設計された産出実験を通じて検証しています。

使用基盤理論とは何か―言語は「積み重ね」でできている

この研究の核心にある「使用基盤理論」(usage-based approach)は、ざっくり言えば「言語は実際の使用経験から形成される」という考え方です。私たちが言葉を覚えるとき、文法の規則書を頭に叩き込むのではなく、何度も何度も実際の言語に触れることで、パターンを自然に抽出していくのだ、という発想です。

たとえば「I don’t know」という表現を英語学習者が覚えるとき、最初はこれをひとかたまりの決まり文句として記憶します。しかしやがて「I don’t think」「I don’t care」といった類似表現にも接触するうち、「I don’t +動詞」という抽象的なパターンを頭の中で形成していきます。この論文で中心的な概念となっている「スキーマ性の連続体」(schematicity continuum)とは、こうした言語の記憶が「まるごと記憶された固定表現」から「すべてのスロットが自由な完全抽象パターン」まで連続的に存在するという考え方です。

具体的には三つのレベルがあります。第一は「語彙特定的」な表現で、たとえば「目覚ましをセットする」に相当するドイツ語のWecker stellenのように、動詞と名詞の組み合わせが固定されているライト動詞構文(LVC)です。第二は「部分的スキーマ的」な表現で、この研究ではドイツ語のum構文(「〜するために」「〜するほど十分に」といった用法)が該当します。第三は「完全スキーマ的」なパターンで、語順規則がそれにあたります。

この三つのカテゴリーを使いながら、著者たちは「スキーマ性のレベルによって言語転移の起きやすさや起き方が違うのではないか」という仮説を立てたのです。

どんな実験をしたのか―「穴埋め」で言語の素顔をとらえる

実験の参加者は120名のドイツ語ネイティブ話者で、オランダ在住者60名とドイツ在住者60名に分かれています。オランダ在住者は平均で18年間オランダに住んでおり、成人してから移住したため、子ども時代はドイツ語のみで育っています。一方、ドイツ在住者はオランダ語とほとんど接触のない、いわばコントロール群です。

実験は産出課題で、参加者は空欄を埋めたり、二つの文を合わせて一文を作ったりするよう求められました。たとえばライト動詞構文の課題では、「Einfluss__(影響を及ぼす)」という空欄に動詞を入れてもらいます。ドイツ語には「Einfluss nehmen」と「Einfluss ausüben」という二つの表現があり、前者は「影響を取る」後者は「影響を実践する」というニュアンスです。オランダ語では「invloed uitoefenen」(実践する)が対応するため、オランダ語の影響でausübenを選びやすくなるかどうかを調べます。

また、um構文については「overt transfer(明示的転移)」と「covert transfer(潜在的転移)」という二種類の転移が設定されています。前者はドイツ語では文法的に誤りとなる新しい表現が産出される場合、後者はドイツ語にすでに存在する二つの選択肢のうちオランダ語に近い方が選ばれやすくなる場合です。これは非常に巧妙な設計で、単に「間違い」を数えるだけでなく、既存の選択肢間の頻度変化という繊細なレベルまで転移を測定しようとしています。

結果が示す複雑な絵―「間違える」にも種類がある

結果を一言でまとめると、「転移はスキーマ性のレベルによって異なる形で現れる」ということです。

ライト動詞構文(語彙特定的)については、明示的転移においても潜在的転移においても、アイテムによってばらつきが大きい傾向が見られました。つまり「どの表現が転移するか」は話者の間で比較的共通しているのですが、どの表現が転移を受けやすいかはアイテムごとに異なります。これは、ライト動詞構文が個々の単位として記憶されており、それぞれの表現がオランダ語との「似ている度合い」によって転移しやすさが決まることを示唆しています。あたかも個別の引き出しに入った道具が、一つひとつ違う使われ方をするようなものです。

um構文(部分的スキーマ的)では逆の傾向が見られました。アイテム間のばらつきは小さいのに、話者間のばらつきが大きい。つまり「どのum構文が転移するか」はだいたい均一なのですが、「どの話者が転移を起こすか」が大きく異なります。ある話者はum構文を全く使わないのに、別の話者は文法的に誤りとされる文脈でもumを頻繁に使ってしまう。これは、um構文が「パターン全体」として転移していることを示しており、一度転移が起きた話者の中ではそのパターンが広く拡散することを意味します。

語順パターン(完全スキーマ的)では、明示的転移条件において両グループともにほぼ転移が見られませんでした。ドイツ語の語順はあまりにも深く定着しているため、どれだけオランダ語に触れていても揺らがないのです。これは「高頻度で使われるほど定着が深まる」という使用基盤理論の「定着」(entrenchment)概念と整合しています。

さらに興味深いのは「過剰修正」(hypercorrection)の発見です。overt transfer条件ではumの使用がドイツ語として誤りとなるため、それを意識した一部の話者が、本来umを使っても構わない文脈(covert transfer条件)でさえumを避けてしまう現象が観察されました。誤用を恐れるあまり、正しい使い方まで捨ててしまうこの現象は、言語教育の文脈でもよく知られており、母語話者の言語使用においてもこれが起きることを示した点は注目に値します。

論文の強みと課題―丁寧さと残る問い

この研究のもっとも優れた点のひとつは、事前登録(preregistration)を行っている点です。実験の仮説と分析方法を事前に公開しておくことで、結果に都合よく分析を変えてしまう「HARKing(後付け仮説化)」のリスクを減らしています。言語学の実験研究においてこうした手続きを踏む研究はまだ多くなく、再現性を重視する科学的姿勢が感じられます。

また、話者変異とアイテム変異を別々に分析した点は方法論的に重要です。群間の平均差だけを見ていると見えてこないパターンが、個別の話者やアイテムのばらつきを分析することで浮かび上がってきます。これは、個人差を「ノイズ」として排除するのではなく、むしろ言語処理の証拠として活用する使用基盤理論の哲学と見事に呼応しています。

一方で、いくつかの課題や限界も正直に指摘しておく必要があります。まず、スキーマ性のレベルは研究者が事前に「おそらくこうだろう」と推測して割り当てたものであり、参加者の実際の心的表現が本当にその分類と対応しているかどうかは間接的にしか確認できません。著者自身もこの点は論文中で正直に認めており、「スキーマ性のレベルは構文を見ただけで決めることはできない」と述べています。この謙虚な姿勢は好感が持てますが、今後の研究での直接的な検証が求められます。

また、ドイツ語とオランダ語は類型論的に非常に近い言語です。ここで見られた結果が、たとえば日本語と英語のような構造的距離の大きい言語ペアにも同様に当てはまるのかは慎重に考える必要があります。

関連研究との対話―この研究はどこに位置するか

言語転移の研究は長い歴史を持ちますが、多くは第一言語から第二言語への転移を扱ってきました。L2からL1への転移、いわゆる「母語摩耗」(language attrition)の分野はM. S. Schmid & Köpkeらによって近年発展してきていますが、この論文はそれをコンストラクション文法と使用基盤理論の枠組みで捉え直した点に新しさがあります。また、Zenner et al.(2019)の「認知的接触言語学」(Cognitive Contact Linguistics)という枠組みを具体的な実験データで検証した研究としても評価できます。概念的な理論提案を実証に結びつけることは言語学において常に難しく、本研究はその橋渡しとして重要な役割を果たしています。

一方で、Dąbrowskaが長年指摘してきた「同じ言語コミュニティの中でも、話者によって文法の抽象化レベルが異なる」という個人差の議論との接点も豊かです。この研究の話者変異の分析は、まさにそうした個人差が転移パターンにも反映されることを示しており、言語習得・喪失・変化という現象がいずれも同じ認知メカニズムの上に成り立つことを示唆しています。

日本の英語教育への示唆―「覚え方」が転移を左右する

この研究は、日本における英語教育にも重要な意味を持っています。日本語と英語は語順を含む文法構造が大きく異なりますが、学習者が構文をどのレベルで記憶しているかが転移の起きやすさに直結するという知見は実践的です。

たとえば、英語の「make a decision(決断を下す)」や「take a risk(リスクを冒す)」のようなライト動詞構文は、日本人学習者にとって非常に難しい部分です。日本語では「決断する」「リスクを冒す」とひとかたまりの動詞として表現するため、英語でどの軽動詞を使うかが直感的にわかりません。この研究が示すように、こうした表現は「パターン」として教えるよりも、一つひとつの固定表現として繰り返し接触させ、個別に定着させていくほうが効果的かもしれません。

一方、英語の語順(SVO)や関係節の構造のような、より高い抽象度で機能するパターンは、日本語の深く定着した語順感覚(SOV)と真正面から競合します。この研究のように、語順パターンほど定着が深いものは簡単には揺らがないということは、逆説的に言えば、こうした全体的な語順感覚を変えるには非常に長い期間と大量のインプットが必要であることを示しています。文法訳読式で単語と構造を別々に教える方法では、こうした抽象的なパターンの定着に限界があることも示唆されます。

さらに、過剰修正の現象は英語教育でも頻繁に観察されます。「誤りを恐れて正しい形まで避けてしまう」という学習者の行動は、英語の現場でも珍しくありません。教師が誤用に対してフィードバックを与える際には、どの文脈で何が正しいのかを丁寧に示すことの重要性を、この研究は改めて思い起こさせてくれます。

最後に―言語は「変わりながら」生きている

言語は固定した規則の集まりではなく、使う人の経験や接触する言語の影響を受けながら絶えず動き続けるものです。Barking, Mos & Backusの研究は、そのダイナミクスを精緻な実験デザインで可視化することに成功しています。特に、個人差を分析の中心に据えることで、平均値の比較だけでは見えなかった認知メカニズムの手がかりを掘り起こした点は、今後の言語接触研究において一つの手本となるでしょう。

ドイツ語とオランダ語という比較的近い言語ペアの研究ですが、そこに見えてくるのは、人間が言語を頭の中でどのように整理し、どのように変化させていくかという普遍的な問いです。言語転移という現象を通して、私たちは「言語を使うとはどういうことか」というもっとも根本的な問いに向き合わされます。この論文は、その問いに対してまだ部分的な答えしか提示できていないかもしれませんが、その答えを探す道筋を確かな実証的方法で切り開いた意義ある研究であると評価できます。


Barking, M., Mos, M., & Backus, A. (2023). Investigating language transfer from a usage-based perspective. International Journal of Bilingualism, 29(2), 415–438. https://doi.org/10.1177/13670069231175629

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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