はじめに:ユーモアと言語学習の意外な関係

教室に響く笑い声は、時として最も効果的な学習ツールになり得るのでしょうか。Peter Neff氏(同志社大学グローバル・コミュニケーション学部)とJean-Marc Dewaele氏(ロンドン大学バークベック校)による研究は、外国語教育におけるユーモアの役割を科学的に検証した興味深い報告です。この研究”Humor strategies in the foreign language class”は2023年にInnovation in Language Learning and Teaching誌に掲載され、外国語学習におけるユーモアの効果的な活用方法について新たな知見を提供しています。

研究の背景には、言語学習における感情的側面への注目の高まりがあります。従来の言語教育研究では、学習者の不安や困難に焦点が当てられがちでした。しかし近年、ポジティブ心理学の影響を受けて、学習者の楽しさや喜びといった肯定的な感情の重要性が認識されるようになりました。この流れの中で、教室でのユーモアが学習に与える影響についても関心が高まっているのです。

研究の核心:8つのユーモア戦略を検証

この研究では、外国語教室で使用される8つの主要なユーモア戦略の効果が検証されました。研究対象となったのは、自発的コメント(教師の即座のユーモラスな発言)、ミーム(インターネット上で流行する画像や動画)、漫画、役割プレイ、駄洒落、声真似・物真似、小道具を使ったユーモア、面白い表情の8つです。

研究チームは、これらの戦略をShade(1996)の分類法に基づいて4つのカテゴリーに整理しました。「図的ユーモア」(漫画、ミーム)、「言語的ユーモア」(駄洒落、自発的コメント)、「視覚的ユーモア」(表情、小道具)、「聴覚的ユーモア」(声真似)という分類です。役割プレイは複数の要素を含む複合的な戦略として位置づけられました。

調査方法と参加者の特徴

研究には243名の外国語学習者が参加しました。参加者の60%以上が英国またはEU諸国出身で、半数以上が20歳未満でした。性別構成は女性が70%以上を占め、約54%が英語を第一外国語として学習していました。自己申告による習熟度は初級から上級まで幅広く分布し、中級レベルの学習者が最も多くを占めました。

データ収集は「スノーボール・サンプリング」という手法で行われました。これは研究者が知人や同僚に調査への参加を依頼し、さらにその人たちが自分の知人に協力を求めるという方式です。また、ソーシャルメディアを通じて外国語教師に調査協力を呼びかけ、彼らの学生にも参加を促しました。

調査は21分程度で完了するオンライン調査として実施されました。参加者は各ユーモア戦略について、クラスの雰囲気改善への効果、学習の興味深さの向上、動機の増進などの観点から6項目のリッカート尺度で評価を行いました。

主要な発見:自発性と視覚的要素の重要性

研究結果は、学習者のユーモア戦略に対する明確な選好を示しました。最も高く評価されたのは教師の自発的なユーモラスコメントで、平均評価は4.81点(6点満点)でした。続いてミーム(4.72点)、漫画(4.70点)が高く評価されました。一方、面白い表情(3.61点)と小道具を使ったユーモア(3.95点)は相対的に低い評価となりました。

この結果は興味深い傾向を示しています。最も評価の高い3つの戦略はいずれも、教師が道化師のように振る舞うことを必要としません。自発的コメントは教師の自然な反応であり、ミームや漫画は既存の視覚的コンテンツを活用するものです。学習者は、ユーモアが教育目標を支援する補助的な役割を果たすことを期待しており、ユーモア自体が目的となることは望んでいないことがうかがえます。

学習者特性の影響:習熟度よりも態度が重要

研究では、4つの学習者特性がユーモア戦略への反応に与える影響も調べられました。外国語習熟度、外国語学習の楽しさ(Foreign Language Enjoyment, FLE)、言語学習におけるユーモアに対する態度、教師のユーモア使用頻度の4つです。

回帰分析の結果、最も強い予測因子となったのは「言語学習におけるユーモアに対する態度」でした。この要因は8つすべてのユーモア戦略において有意な関連を示しました。つまり、ユーモアを言語学習の重要な要素として捉える学習者ほど、様々なユーモア戦略を肯定的に評価する傾向があったのです。

次に重要だったのは「外国語学習の楽しさ」で、4つの戦略(漫画、駄洒落、役割プレイ、自発的コメント)において有意な予測因子となりました。これらの戦略は言語的知識を明示的に必要とするものが多く、学習への積極的な取り組み姿勢との関連が示唆されます。

予想外だったのは、外国語習熟度の影響の小ささでした。習熟度は役割プレイにおいてのみ有意な関連を示し、その影響も限定的でした。この結果は、ユーモアの理解と活用が必ずしも高い言語能力を前提としないことを示唆しています。教師が学習者のレベルに応じてユーモアを調整していることや、教室という支援的環境では理解が促進されることが背景にあると考えられます。

理論的背景:ポジティブ心理学の影響

この研究は、応用言語学におけるポジティブ心理学の導入という大きな流れの中に位置づけられます。MacIntyreとGregersen(2012)が外国語学習分野にポジティブ心理学を紹介して以来、研究の焦点は学習者の困難や不安から、成功体験や肯定的感情へと広がりました。

Dewaele氏とMacIntyre氏が2014年に提唱した「外国語学習の楽しさ(FLE)」という概念は、この転換の象徴的な例です。FLEは「人々が自分のニーズを満たすだけでなく、それを超えて新しいことや予期しないことを達成するときに生じる複合的な肯定的感情」と定義されています。

これまでの研究では、ユーモアを頻繁に使用し、励ましと称賛を組み合わせる教師が、FLEを促進する社会的環境を創出することが示されています。中国のEFL学習者を対象とした研究では、教師への肯定的態度と、グループの結束と友好的行動を生み出すための教師の頻繁なユーモア使用が、FLEの強い予測因子となることが明らかになりました。

ユーモア研究の歴史的展開

外国語教育におけるユーモア研究は比較的新しい分野です。Deneire(1995)が言語教師に教室内ユーモアの潜在的利益と落とし穴、および学習者の異文化間能力開発におけるその重要性を考慮する必要性を強調したのが初期の重要な研究の一つでした。

2000年代に入ると、Cook(2000)、Tarone(2000)、Schmitz(2002)らが外国語教育における言語遊びとユーモアの重要性を検討し、教室内ユーモアが学習者の習熟度向上につながる可能性を探りました。Askildson(2005)は学習者と教師の両方がユーモアを学習と指導の効果的な援助として認識していることを結論づけました。

特に注目すべきは、Nancy BellとAnne Pomerantzによる一連の研究です。彼らは2011年の研究で、ユーモアが学習者に形式化された言語教育の境界を実験し、拡張する手段を提供することで、教室内体験と学習成果を向上させることを発見しました。さらに2014年には、ユーモアを単なる楽しい気晴らしではなく、学習者のメタ言語的意識とコミュニケーション・解釈レパートリーを発達させる能力により「指導目標」として考慮すべきだと主張しました。

文化的考慮と注意点

ユーモアの使用には文化的な配慮も必要です。Zhang(2005)は中国の英語指導者によるユーモラスな発言が時として学習者の「コミュニケーション不安」を高める可能性を指摘しました。また、ユーモアを理解したり参加したりできない習熟度の低い学習者が疎外感を感じる可能性もあります。

これらの懸念から、Askildson(2005)はユーモアを「両刃の剣」と表現し、「教師による使用方法次第で教室学習環境を改善することも損なうこともできる」と述べています。Stroud(2013)とZiyaeemehr et al.(2011)は、絶えず冗談を言う教師のクラスが学習者に真剣に受け取られないリスクを指摘しています。

研究手法の特徴と限界

この研究の強みの一つは、包括的で体系的なアプローチです。8つの異なるユーモア戦略を同時に検討し、複数の学習者特性との関連を分析することで、より全体的な理解を提供しています。また、視覚的な説明と文章による説明の両方を用いて各戦略を提示することで、参加者の理解を促進する工夫も見られます。

統計的手法についても、記述統計、相関分析、重回帰分析を適切に組み合わせており、データの正規性についてもQQプロットによる確認が行われています。信頼性係数(Cronbach’s α)も各尺度で0.79以上と十分な値を示しています。

ただし、いくつかの限界も指摘できます。まず、スノーボール・サンプリングによるデータ収集は便利である一方、参加者の代表性に疑問が残ります。参加者の大部分が欧州系で女性が多いことも、結果の一般化可能性を制限する可能性があります。

実践的含意と教育現場への応用

この研究結果は、外国語教師にとって実践的な指針を提供します。最も重要な発見は、学習者が教師の自発的なユーモラスコメントを最も高く評価することです。これは、教師が芸人のように振る舞う必要はなく、むしろ自然で適切なタイミングでのユーモアが効果的であることを示しています。

ミームや漫画の高評価は、現代の学習者がデジタルネイティブ世代であることを反映しているかもしれません。これらの視覚的ユーモアは教材に容易に組み込むことができ、文化的背景の異なる学習者にも理解しやすいという利点があります。

一方、表情や小道具を使ったユーモアの評価が低いことは、学習者が過度に演技的なアプローチを好まないことを示唆します。これは学習環境の真剣さを保ちつつ、適度な軽さを求める学習者のバランス感覚を反映していると考えられます。

批判的考察:研究の課題と改善点

この研究は貴重な知見を提供していますが、いくつかの課題も存在します。第一に、文化的多様性の限界です。参加者の大部分が欧州系であり、アジア、アフリカ、南米などの文化圏からの参加者が少ないため、ユーモアに対する文化的価値観の違いが十分に反映されていない可能性があります。

第二に、実際の教室観察の欠如です。この研究は学習者の認識と態度に基づく調査研究であり、実際の教室でのユーモア使用とその効果を直接観察していません。学習者の自己報告と実際の学習成果の間には乖離がある可能性があります。

第三に、長期的効果の不明確さです。この研究は横断的調査であり、ユーモア戦略の長期的な効果については明らかにしていません。初期の新奇性効果が時間とともに薄れる可能性や、継続的使用による慣れの影響は検討されていません。

第四に、個人差の考慮不足です。研究では平均的傾向を示していますが、個々の学習者のパーソナリティ、学習スタイル、文化的背景による違いについては詳細に検討されていません。内向的な学習者と外向的な学習者では、ユーモアに対する反応が大きく異なる可能性があります。

測定尺度と方法論上の考慮点

研究で使用された尺度についても検討が必要です。「外国語学習の楽しさ」尺度は比較的新しい概念であり、その妥当性についてはさらなる検証が必要かもしれません。また、ユーモア戦略の効果を6項目のリッカート尺度で測定していますが、ユーモアの効果はより複雑で多次元的である可能性があります。

さらに、教師の個人的特性の影響も考慮されていません。同じユーモア戦略でも、使用する教師のカリスマ性、教授経験、学習者との関係性によって効果は大きく変わる可能性があります。

理論的貢献と学術的意義

この研究の理論的貢献は複数の側面で評価できます。まず、ポジティブ心理学の外国語教育への応用という観点で、ユーモアとFLEの関係を実証的に示したことは重要です。従来の不安中心のアプローチから、楽しさと肯定的感情を重視するアプローチへの転換を支持する証拠を提供しています。

また、異なるユーモア戦略の相対的効果を比較することで、実践的な指針を提供しています。教師が限られた時間とエネルギーの中で最も効果的なアプローチを選択する際の参考となります。

ただし、理論的枠組みについてはさらなる発展が期待されます。なぜ特定のユーモア戦略が他より効果的なのか、その心理的・認知的メカニズムについての理論的説明が不十分です。

今後の研究の方向性

この研究を発展させるためには、いくつかの方向性が考えられます。まず、実験的研究デザインの採用です。実際の教室で異なるユーモア戦略を統制的に実施し、学習成果への直接的影響を測定することで、因果関係をより明確にできるでしょう。

縦断的研究も重要です。一定期間にわたってユーモア戦略の効果を追跡することで、時間的変化や慣れの影響を理解できます。また、文化横断的研究により、異なる文化圏でのユーモアの効果を比較することも価値があります。

個人差要因のより詳細な検討も必要です。パーソナリティ特性、学習動機、社会不安レベルなどの個人特性がユーモアの効果にどう影響するかを調べることで、より個別化された指導法の開発につながるでしょう。

実践への示唆と教師教育への応用

この研究結果は、外国語教師の専門能力開発にも重要な示唆を提供します。教師養成プログラムにおいて、効果的なユーモアの使用方法を含めることの重要性が示されています。ただし、ユーモアの使用は高度に文脈依存的であり、単純なテクニックの伝達だけでは不十分です。

教師は学習者の文化的背景、習熟度、個人的特性を考慮しながら、適切なタイミングと方法でユーモアを使用する能力を身につける必要があります。これには実践的な訓練と継続的な振り返りが不可欠です。

結論:バランスの取れたアプローチの重要性

この研究は、外国語教育におけるユーモアの価値を科学的に実証した重要な貢献です。学習者が自発的で自然なユーモアを最も評価し、ユーモアに対する肯定的態度と外国語学習の楽しさが重要な要因であることが明らかになりました。

一方で、ユーモアは万能薬ではなく、文化的配慮、個人差への注意、教育目標との整合性の確保が必要です。教師は学習者の多様性を認識し、ユーモアを教育的目標を支援する補助的ツールとして適切に活用することが求められます。

この研究が示すように、効果的な外国語教育には学習者の認知的側面だけでなく、感情的側面への配慮も不可欠です。ユーモアは学習環境を豊かにし、学習者の動機を高める有効な手段となり得ますが、その使用には慎重な検討と継続的な評価が必要です。今後のさらなる研究により、より効果的で文化的に適切なユーモア活用法が開発されることが期待されます。


Neff, P., & Dewaele, J.-M. (2023). Humor strategies in the foreign language class. Innovation in Language Learning and Teaching, 17(3), 567-579. https://doi.org/10.1080/17501229.2022.2088761

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

Amazon プライム対象