筆者と研究の背景

本論文の筆頭著者であるXince Wangは南京林業大学外国語学院と香港大学教育学部に所属する研究者です。共著者のChunlai XiaとQiujie Zhaoは江蘇省句容高級中学の現職教員、Liping Chenは南京師範大学外国語学院の研究者という構成で、まさに現場と研究の架け橋となる実践的な研究チームと言えます。この論文”Enhancing second language motivation and facilitating vocabulary acquisition in an EFL classroom through translanguaging practices”が2025年2月にApplied Linguistics Reviewという国際的な学術誌に掲載されたことは、中国の英語教育研究が世界的に注目されていることを示しています。

中国では近年、バイリンガル・マルチリンガル教育への関心が高まっています。しかし従来の英語教育研究は、文法や語彙といった個別の学習成果に焦点を当てることが多く、教室で実際にどのような相互作用が起きているのか、学習者がどのように意味を構築しているのかという動的なプロセスは見過ごされがちでした。本研究はそうした従来の研究の空白を埋めるべく、「トランスランゲージング」という比較的新しい概念を教育実践と分析の両方の視点から活用しています。

トランスランゲージングとは何かトランスランゲージングという言葉は、日本ではまだ耳慣れない方も多いでしょう。これは簡単に言えば、複数の言語やジェスチャー、表情、画像などのあらゆるコミュニケーション手段を柔軟に組み合わせて使うことを指します。従来の外国語教育では「英語の授業では英語だけを使うべきだ」という考え方が主流でしたが、トランスランゲージングはそれとは対照的です。

たとえて言えば、料理をするときに「この料理には和食の調味料しか使ってはいけない」と制限するのではなく、和洋中のあらゆる調味料や技法を自由に組み合わせて、最もおいしい一品を作り上げるようなものです。英語を学ぶときも、母語である中国語を使ったり、身振り手振りを加えたり、図や動画を見せたりと、学習者が持っているあらゆるリソースを総動員することで、より深い理解と学習意欲の向上を目指すのです。

Wei Liという研究者が2018年に発展させたこの概念では、トランスランゲージングは単なる言語の切り替えではなく、多様な意味形成のリソースを統合的に使う動的な教育の枠組みとされています。本研究では、このトランスランゲージングを「教育手法」としてだけでなく「分析の視点」としても採用している点が特徴的です。

研究の方法―現場に密着した観察と分析

研究は江蘇省のトップ高校で行われました。約10年の英語教育経験を持つ教師が、高い英語能力を持つ11年生(日本の高校2年生に相当)のクラスで8回の語彙授業を行い、それをビデオ録画しました。授業後には教師への刺激再生インタビューが実施され、さらに8名の学生を対象としたフォーカスグループインタビューも行われました。

分析手法として、マルチモーダル会話分析(MCA)と解釈的現象学的分析(IPA)という2つの方法が組み合わされています。MCAは、言葉だけでなく、ジェスチャーや表情、視線、身体の動きなど、コミュニケーションのあらゆる側面を詳細に分析する手法です。論文には教室場面のスクリーンショットとともに、教師と学生のやりとりが0.1秒単位のタイミングまで記録された詳細なトランスクリプトが示されています。まるでスポーツの試合をスロー再生で分析するように、教室での一瞬一瞬の相互作用を丁寧に追っているのです。

授業の実際―「drill」という単語を教える場面から

論文で紹介されている授業の一場面を見てみましょう。教師は「drill」という単語を動詞として教えようとしています。最初に質問しても学生は沈黙していましたが、数人が中国語でその意味を答えました。すると教師は、学生が答えた中国語を繰り返して肯定し、同時に手の動きで「drill(穴を開ける)」という動作を示しました。

次に教師は、エアコンを取り付けるという現実的な場面を想定するよう学生に促します。「エアコンを設置するとき、最初に何をしますか」と尋ねながら、右手を上下に振る動作を見せます。学生が反応しないと、今度は両手を空中に上げて円を描く、より大げさな身体の動きに切り替えました。この調整により学生の注意が引きつけられ、最終的に学生と教師が一緒に「drill a hole(穴を開ける)」という文を発話するに至りました。

この一連のやりとりで、教師は中国語(母語)、英語(目標言語)、ジェスチャー、現実的な場面設定、イントネーションの変化など、多様なリソースを戦略的に組み合わせています。これがまさにトランスランゲージング実践の具体例なのです。

学生のモチベーションの変化―義務から理想へ

研究のもう一つの重要な側面は、学生の学習動機がどう変化したかという点です。ここでは「L2 Motivational Self System(L2MSS)」という理論的枠組みが用いられています。これはDörnyeiという研究者が2005年に提唱した理論で、第二言語学習の動機を3つの次元で捉えます。

一つ目は「Ideal L2 Self(理想の第二言語自己)」で、学習者が将来なりたい自分のイメージです。二つ目は「Ought-to L2 Self(義務的第二言語自己)」で、社会や周囲の期待に応えるために持つべきだと感じる資質です。三つ目は「L2 Learning Experience(第二言語学習経験)」で、教師や仲間、教授法など、学習環境に関連する動機的要因です。

フォーカスグループのデータから、興味深い変化が明らかになりました。トランスランゲージング授業を受ける前、学生の動機は主に「良い大学に入るため」「公務員試験のため」といった外的要因に基づいていました。これは「Ought-to L2 Self」が優勢な状態です。

ところが8回の授業後、学生は「身振りや写真、動画と組み合わせると単語の学習が面白く生き生きしている」「達成感を感じる。これは今まで経験したことのない感覚だ」といった内的な喜びや充実感を語るようになりました。また「試験のためではなく、世界を見るために英語を学びたい」という声も聞かれました。つまり動機が外発的なものから内発的なものへ、「Ought-to L2 Self」から「Ideal L2 Self」や「L2 Learning Experience」へとシフトしたのです。

多言語・多モーダル実践への学生の反応

学生たちは、授業での母語使用と多様な表現手段の活用に好意的でした。ある学生は「母語で教えてもらえると、怖くも緊張もしない。単語に対して親しみを感じる」と述べています。別の学生は「中国語は中国語と英語の架け橋になる」と評価し、「英語だけで授業をすると、基礎が弱い学生は聞き取れず、ついていけなくなる」という指摘もありました。

多モーダルな実践についても、「注意を引きつける」「画像と関連付けると記憶が深まる」「声の高さが変わったり、動作をすると、ここが重要だとわかる」「表情が威圧的でないので、自由に話しやすい」といった肯定的な反応が得られました。

特に印象的なのは、「エアコンの取り付けのような現実的な場面を作ると、英語が生き生きしたものになる」「文脈を作ってくれるので、国際語としての英語が遠く高尚なものではなく、身近に感じられる」という声です。これは、トランスランゲージング実践が単に理解を助けるだけでなく、英語と自分の生活をつなげ、学習への意欲を高める効果があることを示しています。

本研究の意義と貢献

この研究は、いくつかの点で重要な貢献をしています。第一に、トランスランゲージングが高校生のL2モチベーションに具体的にどう影響するかを、L2MSSという理論的枠組みで初めて実証的に示しました。従来、トランスランゲージングの研究は大学や成人学習者が中心でしたが、高校という試験圧力の強い環境での効果を明らかにした点は新しいと言えます。

第二に、マルチモーダル会話分析という精緻な手法を用いて、教室での相互作用を詳細に記述しています。教師がどのタイミングでどのような身振りをし、どう言語を切り替え、どう学生の反応を引き出しているかが、まるでドキュメンタリー映画のように再現されています。これにより、トランスランゲージングが単なる理念ではなく、具体的な実践として何を意味するのかが明確になりました。

第三に、教師と学生の両方の視点を取り入れています。教師へのインタビューからは、「中国語で説明されると学生も中国語で答えやすくなるので、一貫性のために中国語で訂正した」「長めの間を取ることで、学生に考える時間を与え、プレッシャーを減らした」といった意図的な教授戦略が明らかになりました。学生の声と組み合わせることで、トランスランゲージング実践の多面的な理解が可能になっています。

日本の英語教育への示唆

この研究は、日本の英語教育にとっても多くの示唆を含んでいます。日本でも長年「英語の授業は英語で」という方針が推進されてきました。しかし現場の教師からは、文法説明や抽象的な概念を英語だけで伝えることの難しさが指摘されてきました。本研究は、母語を戦略的に使うことが、必ずしも学習を阻害するのではなく、むしろ理解を深め、学習意欲を高める可能性を示しています。

特に注目すべきは、母語使用が「学習者の不安を減らし、参加を促す」という点です。日本の英語教室でも、間違いを恐れて発言をためらう学生は多いでしょう。適切に日本語を取り入れることで、学習者が安心して参加できる環境を作れる可能性があります。

また、身振りや表情、視覚教材などの多モーダルなリソースの活用も、日本の教室で十分に実践可能です。本研究の教師は、単語を教えるときに現実的な場面(エアコン設置)を想定させたり、大げさな身体動作で注意を引いたりしていました。こうした工夫は、教材や設備が限られた環境でも実践でき、学習者の記憶に残りやすい授業を作る手がかりとなります。

さらに、学習動機の変化という点も重要です。日本でも英語学習は「受験のため」「就職のため」という外的動機が強くなりがちです。しかしトランスランゲージング実践を通じて、学習そのものが楽しい、英語で世界とつながりたいという内的動機を育てられる可能性があります。

関連研究との対比

トランスランゲージング研究は近年急速に発展していますが、本研究はその中でいくつかの点で独自性を持っています。たとえばTaiとKhabbazbashi(2019)は、成人初級学習者への語彙指導で「話す+ジェスチャー」や身体化された実演が使われることを指摘しました。本研究はそれを高校生の文脈に拡張し、「現実場面の創出」や「学生の母語の繰り返し」という新しい特徴を見出しています。

HoとTai(2021)は、オンライン教師が多モーダルリソースを戦略的に使って英語語彙を説明する様子を調査しましたが、本研究は対面授業での相互作用に焦点を当て、教師と学生の瞬間瞬間のやりとりを捉えています。オンラインとオフラインでは、身体性や物理的空間の使い方が大きく異なるため、両者を比較することで、トランスランゲージング実践の幅広い可能性が見えてきます。

モチベーション研究の文脈では、Al-Hoorie(2018)やYousefiとMahmoodi(2022)のメタ分析が、L2MSSの3つの次元が学習行動や成果に重要な役割を果たすことを確認しています。本研究はそれを一歩進めて、トランスランゲージング実践という具体的な教授法がL2MSSをどう変化させるかを明らかにしました。これは、動機づけ理論と教室実践を結びつける貴重な事例です。

また、LiとTai(2024)は、中国の大学生のOught-to L2 Selfが強いほど、教室での母語使用を支持する傾向があると報告しています。本研究の高校生も当初はOught-to L2 Selfが優勢でしたが、トランスランゲージング実践を経てIdeal L2 Selfへとシフトしました。これは、教育介入によって動機の質を変えられる可能性を示唆しており、実践的にも理論的にも意義深い知見です。

研究の限界と今後の課題

著者らも認めているように、この研究にはいくつかの限界があります。まず、対象が1つの学校の8回の授業に限られている点です。このため、結果がどこまで一般化できるかは不明です。また、参加した学生は平均的に英語能力が高いグループでした。英語が苦手な学生や、異なる地域、異なる学年ではどうなるか、さらなる検証が必要でしょう。

もう一つの重要な限界は、中国の大学入試「高考(Gaokao)」との関係です。著者らも指摘しているように、高考は従来型の標準化されたテストであり、暗記や固定的な言語構造が重視されます。トランスランゲージングは深い理解や動機を高めるかもしれませんが、試験対策としての効果は別問題です。学生の中には、「この学習法は試験に役立つのか」という不安を感じる人もいたかもしれません。

この点は日本の英語教育にも通じる課題です。大学入試や英検などの資格試験が学習の方向性を大きく左右する中で、トランスランゲージングのような柔軟なアプローチをどう位置づけるかは、今後の議論が必要でしょう。理想を言えば、評価方法自体が、多言語能力や深い言語理解を認めるものへと変わっていくべきなのかもしれません。

また、量的データの欠如も指摘されています。学生のモチベーションや語彙習得の変化を数値で測定すれば、トランスランゲージングの効果をより広く説得力を持って示せたかもしれません。今後の研究では、質的分析と量的分析を組み合わせた混合研究法が有効でしょう。

教師教育への示唆

この研究から見えてくるのは、トランスランゲージングを効果的に実践するには、教師に高度な専門性が求められるということです。本研究の教師は、学生の反応を瞬時に読み取り、母語と目標言語を適切なタイミングで切り替え、身振りや表情、視覚教材を組み合わせ、現実的な場面を即座に想起させるといった、きわめて複雑な判断を行っていました。

日本の教員養成や現職研修において、こうした実践力をどう育てるかは重要な課題です。単に「母語も使ってよい」と伝えるだけでは不十分で、どのタイミングでどう使うか、多モーダルリソースをどう組み合わせるかといった具体的な技術と、その背後にある理論的理解の両方が必要です。

本研究のように、実際の授業場面を詳細に分析し、教師の意図と学生の反応を結びつけて考察する作業は、教師教育の教材として大きな価値があります。ビデオを用いた授業研究やマイクロティーチングなどで、こうした分析の視点を取り入れることが考えられます。

評価と展望

全体として、この研究は理論と実践を橋渡しする優れた研究と評価できます。トランスランゲージングという比較的新しい概念を、具体的な教室場面で実証し、学生の動機づけという重要な側面に光を当てました。方法論的にも、マルチモーダル会話分析と解釈的現象学的分析を組み合わせ、現場の教師と研究者が協働するという、実践研究の理想的な形を示しています。

日本の文脈では、「英語で授業」という方針と、学習者の実態や動機のギャップに悩む教師にとって、本研究は新たな視点を提供してくれます。母語を排除するのでもなく、母語に依存しすぎるのでもなく、学習者が持つすべてのリソースを活用して、意味ある学びを創り出す。そうした実践の可能性を、この研究は示しているのです。

今後、日本でも同様の研究が蓄積され、日本語と英語の間でのトランスランゲージング実践がどのような特徴を持つのか、日本の学習者の動機づけにどう作用するのかが明らかになることを期待します。そして何より、研究知見が教室に還元され、学習者一人ひとりが「英語を学ぶって楽しい」と感じられる授業が増えていくことを願ってやみません。


Wang, X., Xia, C., Zhao, Q., & Chen, L. (2025). Enhancing second language motivation and facilitating vocabulary acquisition in an EFL classroom through translanguaging practices. Applied Linguistics Review, 16(5), 2183–2216. https://doi.org/10.1515/applirev-2024-0292

 

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

📖新刊情報|英語教育学海外論文解説 VOL.5』が刊行されました!▶第5号特集「読み・書き・対話を深化させるトランスランゲージングの可能性」

X
Amazon プライム対象