研究の背景と意義

カナダ・ラヴァル大学のCarl Laberge氏らによるこの研究”Developing oral comprehension skills with students with limited or interrupted formal education”は、第二言語教育分野において見過ごされがちな重要な課題に取り組んでいます。研究対象となったのは、SLIFE(Students with Limited or Interrupted Formal Education)と呼ばれる、正規の学校教育を十分に受けていない、または途中で中断を余儀なくされた学習者たちです。これらの学習者は、従来の第二言語習得研究では十分に注目されてこなかった集団でありながら、現実の言語教育現場では決して少なくない存在です。

研究チームは、特にリスニング理解能力の向上に焦点を当てました。リスニングは日常のコミュニケーションにおいて不可欠な技能でありながら、教室での指導法研究は他の言語技能と比較して限られているのが現状です。この研究の意義は、教育機会に恵まれなかった学習者という特殊な背景を持つ集団に対して、実証的なアプローチでリスニング指導法の効果を検証した点にあります。

研究方法の特徴と工夫

この研究では、ケベック州の成人教育センターで学ぶ37名の移民学習者を対象として、混合研究法(量的研究と質的研究の組み合わせ)が採用されました。参加者は16歳から77歳までのネパール語話者とアラビア語話者で、カナダ移住後平均1.5年が経過した人々でした。研究デザインは、2つの実験群(グループAとB、計25名)と1つの対照群(グループC、12名)に分けて実施されました。

介入方法として、Vandergrift and Tafaghodtari(2010)の先行研究を部分的に再現し、暗示的なリスニング戦略指導が行われました。この指導法の特徴は、学習者に明示的に戦略を教えるのではなく、リスニング過程への気づきを促進することにあります。具体的には、フランス系カナダ人YouTuberの動画ブログ(60~90秒)を教材として、5週間にわたって週1回の指導セッションが実施されました。

研究者たちは、SLIFE特有の特徴を考慮して、原典から大幅な修正を加えました。最も重要な変更は、読み書きを伴う活動を排除したことです。原典では学習者がリスニング日記を記録していましたが、この研究では代わりに研究者との対話形式でリスニング体験について話し合う方法を採用しました。これは、識字能力に制約のある学習者の特性に配慮した重要な調整と言えます。

測定方法の二重構造とその意味

研究の測定方法は二つの側面から構成されていました。量的測定では、1分間の動画に関する8つの選択肢問題からなるリスニング理解テストを、介入前、介入直後、1週間後の3回実施しました。テスト問題は、明示的に述べられた情報と暗示的な情報の両方を含むよう設計され、構成概念妥当性の確保に配慮されています。

一方、質的測定では、介入セッション中の学習者の発話を録音・分析し、Kim(1995)の評価基準を参考に独自の評価スキームを開発しました。この評価では、学習者が理解した内容をどの程度つながりのある形で表現できるかを1から4の段階で評価し、さらに内容の関連性(+または-)も判定されました。

この二重の測定構造は、SLIFE という特殊な学習者集団の言語処理能力を多角的に把握しようとする意図が読み取れます。従来のペーパーテストでは捉えきれない側面を、実際の発話分析によって補完しようとする試みは評価できます。

結果の解釈における複雑性

研究結果は複雑で、一見矛盾するような様相を呈しています。量的測定では、3つのグループ間でリスニング理解テストの成績に有意な改善は見られませんでした。実験群、対照群ともに全体的に低い正答率を示し、介入の効果を明確に実証することはできませんでした。

しかし、質的データは異なる様相を示しました。介入に参加した17名の学習者のうち、8名は変化が見られなかったものの、残りの9名には何らかの改善が認められました。具体的には、動画内容に関連する要素をより適切に言語化できるようになった学習者が4名、理解した要素間のつながりをより精巧に表現できるようになった学習者が4名、両方の側面で改善が見られた学習者が1名でした。

この結果の相違について、研究者たちは測定方法の特性の違いに注目しています。ペーパーテストは学習者にとって文化的に馴染みのない課題であり、2次元の白黒図版による選択肢は理解を妨げる可能性があります。また、詳細に焦点を当てた問題設定は、全体的・統合的な理解を重視する文化的背景を持つ学習者には不利に働く可能性があります。

研究の限界と課題

この研究には複数の限界があることを研究者自身が認めています。まず、サンプルサイズが小さく、統計的検出力に制約があります。また、3つのグループは同等でなく、特にグループAは他の2グループより識字レベルが低い状況でした。さらに、各グループの担当教師が異なり、教師効果をコントロールできていない点も課題です。

質的データの解釈についても慎重な検討が必要です。学習者の発話が実際の理解を反映しているのか、それとも音韻的な模倣に過ぎないのかを区別することは困難です。特に、非識字の成人学習者は内容語を繰り返すことができるという先行研究の知見を考慮すると、表面的な語彙の再生と真の理解を混同する危険性があります。

また、研究で使用されたKim(1995)の評価基準をSLIFE に適用したのは初めての試みであり、その妥当性についてはさらなる検証が必要です。研究者は音韻的手がかりのみに依存して評価を行ったと述べていますが、ジェスチャーや視線などの他の手がかりも理解度を示す重要な指標となる可能性があります。

測定の生態学的妥当性への疑問

この研究で最も重要な指摘の一つは、従来の言語テストがSLIFE にとって生態学的妥当性を欠く可能性があることです。ペーパーテストという形式、多肢選択問題という構造、評価場面という文脈は、いずれもSLIFE の文化的・教育的背景とは大きく異なります。

研究者は、SLIFE が体験的で文脈に埋め込まれた学習を好み、形式的で脱文脈化された学習に困難を示す傾向があることを指摘しています。この特性を考慮すると、従来の言語能力測定方法そのものを見直す必要があるかもしれません。

このような観点から、質的測定がより真の言語能力を反映している可能性があります。実際のコミュニケーション場面により近い自由再生課題は、SLIFE の言語処理能力をより適切に評価できる手法として期待されます。

教育実践への示唆

この研究は、SLIFE に対する言語指導において重要な実践的示唆を提供しています。まず、指導方法については、明示的な戦略指導よりも暗示的なアプローチが適している可能性があります。SLIFE は抽象的な概念化や言語の客観的分析に困難を示すことが多いため、自然な学習過程を重視したアプローチが効果的かもしれません。

また、評価方法についても再考が必要です。従来のペーパーテストだけでなく、学習者の実際の言語使用場面により近い評価方法を組み合わせることで、より包括的で公正な評価が可能になるでしょう。

教材の選択についても興味深い知見があります。研究では、有名なYouTuberの日常的な動画ブログが使用されました。このような自然で文化的に意味のある素材は、学習者の動機を高め、実際の生活場面での言語使用につながりやすいと考えられます。

研究方法論への貢献

この研究は、SLIFE 研究における方法論的な課題を明確に示しています。従来の第二言語習得研究は、高学歴で文字文化に精通した学習者を対象とすることが多く、その知見をSLIFE にそのまま適用することの問題性が浮き彫りになりました。

混合研究法の採用は、一つの測定方法では捉えきれない複雑な現象を多角的に理解するための有効なアプローチと言えます。特に、量的データと質的データが異なる結果を示した際の解釈については、研究者の慎重で批判的な姿勢が評価できます。

また、介入研究における文化的配慮の重要性も示されています。原典の研究から読み書き要素を除外するという判断は、対象者の特性を深く理解した上での適切な修正であり、他の研究者にとって参考になる事例です。

今後の研究方向への提案

研究者たちは、この分野における今後の研究の必要性を強調しています。特に、SLIFE の認知的・注意的資源の配分についてはほとんど解明されておらず、さらなる基礎研究が必要です。また、SLIFE の言語処理能力と学習意識を正確に記述する測定方法の開発も急務です。

プロセス・プロダクト研究デザインの採用も提案されています。事前・事後テストに依存した従来のデザインは、個人の成績を重視し、一回限りの脱文脈化された課題での能力発揮を前提としていますが、これらの文化的前提はSLIFE には適合しない可能性があります。

さらに、SLIFE 研究の拡大により、高学歴で識字能力の高い学習者に基づく一般的な第二言語学習理論の妥当性と信頼性をより包括的に評価できるようになると期待されます。

社会的意義と包摂の視点

この研究は、単なる学術的関心を超えて、社会的包摂の観点からも重要な意義を持っています。世界的な人口移動の増加に伴い、正規教育を十分に受けていない移民や難民の言語学習支援は、受け入れ社会にとって重要な課題となっています。

従来の言語教育が前提としてきた学習者像と実際の学習者の多様性とのギャップを明示することで、より公正で効果的な言語教育の実現に向けた議論の基盤を提供しています。特に、評価方法の公正性について提起された問題は、言語テストの社会的影響を考慮する上で重要な観点です。

結論:研究の価値と課題

この研究は、これまで研究が不十分だった重要な学習者集団に光を当て、彼らの特性に適した指導法と評価法の開発に向けた第一歩を示しています。方法論的な限界や結果の解釈における複雑性にもかかわらず、SLIFE 研究の必要性と可能性を明確に示した点で価値があります。

特に、量的データと質的データの相違から生じる解釈の複雑性は、単一の測定方法に依存することの危険性を示しており、研究方法論における重要な教訓を提供しています。また、文化的背景や教育経験の違いが言語学習と評価に与える影響についての認識を深める契機となっています。

一方で、サンプルサイズの制約、測定方法の妥当性、介入効果の解釈などについては、さらなる検証が必要です。研究者自身が認めるように、この分野の研究はまだ初期段階にあり、より多くの研究者による継続的な取り組みが求められています。

この研究が提起した問題は、第二言語教育分野において、学習者の多様性をより深く理解し、すべての学習者にとって公正で効果的な教育機会を提供するための重要な出発点となるでしょう。


Laberge, C., Beaulieu, S., & Fortier, V. (2019). Developing oral comprehension skills with students with limited or interrupted formal education. Languages, 4(3), 75. https://doi.org/10.3390/languages4030075

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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