はじめに:現場の先生が直面する現実的な課題

教師をされている方なら、誰もが経験したことがあるでしょう。生徒たちのエッセイや作文を一枚一枚丁寧に読み、赤ペンを持って細かくコメントを書き込んでいく作業です。一つのクラスに30人、40人の生徒がいれば、週末がまるまる潰れてしまうこともあります。ドイツのミュンスター大学のカトリン・ペルツァー氏とその研究チームは、まさにこの現実的な課題に着目しました。 ペルツァー氏らは教育学を専門とする研究者で、特に外国語としての英語教育における効果的な指導方法を探求してきました。今回紹介する研究”Effects of formative feedback on argumentative writing in English and cross-linguistic transfer to German”は、2024年に『Learning and Instruction』誌に掲載されたもので、ドイツの中学9年生294名を対象に実施された大規模な介入研究です。この研究が特に注目に値するのは、「教育効果が高く、かつ教師の負担が少ない」という、一見矛盾するような目標に挑戦している点です。

論証的文章を書くことの難しさ

皆さんは中学生の頃、「賛成か反対か、理由を挙げて論じなさい」という課題に取り組んだことを覚えているでしょうか。実はこの論証的文章(argumentative essay)を書くことは、学生にとって非常に難しいタスクなのです。 論証的文章では、単に自分の意見を述べるだけでは不十分です。明確な主張(thesis statement)を提示し、それを支える複数の論拠(arguments)を示し、反対意見(counterargument)も考慮した上で、それに反論(rebuttal)を加え、最後に説得力のある結論を導く必要があります。これは母語でも難しいのに、外国語となればなおさらです。 研究チームが指摘するように、ドイツの英語学習者は特に、論証的文章の重要な要素を抜かしてしまう傾向があります。例えば、導入部分で自分の立場を明確にしないまま本論に入ってしまったり、反対意見を考慮せずに自分の主張だけを述べたりしてしまうのです。

三つの異なるフィードバック方法の比較

この研究の核心は、三つの異なるフィードバック方法を比較検証したことにあります。それぞれの方法を、料理のレシピに例えて考えてみましょう。 方法1:ルーブリック+模範例(EG1) これは、完成形の写真と評価基準が書かれたレシピカードを渡すようなものです。ルーブリックとは評価基準を項目ごとに明示した表のことで、「導入部分に論点を導く文がある」「明確な主張が述べられている」など、具体的な要素ごとに「達成できている」「部分的にできている」「まだできていない」とチェックします。そこに模範例(手本となる文章)も添えることで、学生は「目指すべき完成形」を具体的にイメージできます。 方法2:テキスト内コメント(EG2) これは、調理している最中に横から「そこは火が強すぎる」「もう少し混ぜて」と具体的にアドバイスするようなものです。生徒が書いた文章の余白に、個別具体的なコメントを書き込んでいきます。例えば「ここで反対意見を入れましょう」「この論拠には具体例が必要です」といった形です。 方法3:両方の組み合わせ(EG3) ルーブリックと模範例を渡しつつ、さらに個別のコメントも加える方法です。情報量は最も多くなりますが、その分教師の負担も大きくなります。 これらに加えて、二つの対照群も設定されました。一つは学習プログラムには参加するものの追加のフィードバックは受けないグループ(CG1)、もう一つは通常授業を受けるだけのグループ(CG2)です。

介入プログラムの実際:4回の授業セッション

研究チームが開発した学習プログラムは、計4回のセッション(合計4.5時間)で構成されました。すべての介入グループの生徒が同じ授業を受け、違いはフィードバックの方法だけという設計です。 第1セッションでは、架空の交換留学プログラムについてのブログ投稿をきっかけに、「交換留学は労力に見合わない」というテーマで論証的文章を書きました。ここで興味深いのは、マンガのストーリーを使って議論のネタを提供したり、クラス全体でブレインストーミングを行ったりと、書き始める前の準備段階を丁寧に設計している点です。 第2セッションでは、論証的文章の典型的な要素をパズルのように組み立てる活動を通じて、構造への理解を深めました。その後、グループごとに分かれて、それぞれのフィードバックを受けて文章を修正します。ここで初めて、グループ間の違いが現れます。 第3セッションと第4セッションでは、新しいテーマ(「留学前の準備クラスに参加すべきか」)で再び文章を書き、フィードバックを受けて修正するという流れを繰り返しました。第4セッションでは特に、論理的なつながりを示す接続詞(linking words)に焦点を当てた活動も含まれました。

フィードバックにかかる時間の現実

ここで注目すべきは、各フィードバック方法に要した時間です。研究者たちは、一つの文章に対するフィードバック作成にかかった時間を記録しました。
  • ルーブリック+模範例(EG1):平均3分30秒
  • テキスト内コメント(EG2):平均6分50秒
  • 両方の組み合わせ(EG3):平均9分40秒
40人のクラスがあれば、EG1方式なら約2時間20分、EG2方式なら約4時間30分、EG3方式なら約6時間30分かかる計算です。この違いは決して小さくありません。週末の半日で終わるのか、丸一日かかるのか、あるいは二日がかりになるのか。これは教師の労働環境に直結する問題です。

驚きの結果:効率的な方法が最も効果的だった

さて、肝心の結果はどうだったのでしょうか。ここで非常に興味深い、そしてある意味で意外な結果が出ました。
すべての介入グループ(フィードバックを受けたグループも、学習プログラムだけ受けたグループも)で、ライティングの質は有意に向上しました。しかし、最も大きな効果を示したのは、最も時間効率的だったルーブリック+模範例グループ(EG1)だったのです。効果量(どれだけ改善したかを示す統計的指標)は0.902と「大きい」レベルに達しました。 一方、テキスト内コメントグループ(EG2)や両方を組み合わせたグループ(EG3)の効果量は0.6〜0.7程度の「中程度」でした。つまり、最も手間がかかる方法が必ずしも最も効果的とは限らなかったのです。 これはなぜでしょうか。研究チームは、ルーブリックと模範例が持つ「透明性」と「視覚的わかりやすさ」が鍵だったのではないかと考察しています。細かいコメントをたくさん書き込まれると、学生は圧倒されてしまい、何から手をつければいいのかわからなくなることがあります。一方、ルーブリックは「今自分はどこまでできていて、次に何を目指せばいいか」が一目で把握できます。模範例があれば、「こういう感じで書けばいいのか」という具体的なイメージも持てます。

ジャンル知識という隠れた重要要素

この研究のもう一つの重要な発見は、「ジャンル知識」の重要性です。ジャンル知識とは、「論証的文章とはこういう構造で書くものだ」という型についての理解のことです。 例えば、論証的文章は通常、導入(introduction)、本論(main body)、結論(conclusion)という三つの段落で構成され、それぞれに特定の要素が含まれる必要があります。導入には主張があり、本論には賛成論と反対論があり、結論には要約と最終的な呼びかけがある、といった具合です。 興味深いことに、このジャンル知識は、フィードバックを受けたグループ(EG1〜EG3)でのみ向上しました。学習プログラムだけを受けたグループ(CG1)では、授業でジャンルの要素を学んだにもかかわらず、ジャンル知識は有意に向上しませんでした。 これは何を意味するのでしょうか。おそらく、単に教えられるだけでは知識は定着せず、自分の書いた文章に対するフィードバックを通じて「ああ、ここに主張を入れるべきなんだな」「反対意見を考慮するってこういうことか」と実感することで、初めて知識が自分のものになるのでしょう。そして、ルーブリック+模範例グループが最も大きくジャンル知識を伸ばした(効果量0.983)という事実は、この方法が構造的理解を促進する上で特に有効であることを示唆しています。

効果は持続するのか:12週間後の追跡調査

教育介入研究でよくある問題は、短期的には効果が見られても、時間が経つと元に戻ってしまうことです。この研究では、介入終了から12週間後(しかも夏休みを挟んで)にも追跡調査を行いました。 結果は概ね良好でした。すべてのグループで若干の低下は見られたものの、大きな学習喪失はありませんでした。特にルーブリック+模範例を受けたグループ(EG1とEG3)では、低下が最小限でした。一方、学習プログラムだけのグループ(CG1)では、やや大きめの低下が見られました。 これは、フィードバックを受けた学生たちが、単に一時的にパフォーマンスを上げたのではなく、書き方の本質的な理解を深め、それが定着したことを示唆しています。特に、明確な評価基準と模範例を繰り返し参照することで、「良い論証的文章とはこういうものだ」という内的な基準が形成されたのかもしれません。

予想外のボーナス効果:ドイツ語の作文も改善

この研究で最も興味深い発見の一つは、英語での学習がドイツ語(学生たちの母語)のライティングにも好影響を与えたことです。 すべての学生は、英語の文章だけでなく、ドイツ語でも論証的文章を書くテストを受けました。その結果、英語での学習進歩が大きかった学生ほど、ドイツ語の文章の質も向上していたのです。統計的な分析では、英語での進歩度が、ドイツ語のライティング品質を予測する有意な要因となっていました。 これは「言語間転移」と呼ばれる現象です。つまり、ある言語で学んだスキルや知識が、別の言語でも活用できるということです。論証の組み立て方、反対意見の扱い方、説得力のある結論の書き方といった高次の思考スキルは、特定の言語に縛られず、応用可能なのです。 これは教育実践にとって重要な示唆を持ちます。例えば、英語の授業で論証的文章の書き方をしっかり教えれば、それは国語の授業での作文にも役立つ可能性があるということです。逆に言えば、各教科でバラバラに「作文の書き方」を教えるのではなく、教科を越えて共通の評価基準やフィードバック方法を用いることで、相乗効果が期待できるかもしれません。

生徒たちの声:どのフィードバックが好まれたか

研究者たちは、フィードバックの効果を測定するだけでなく、生徒たちがそれをどう受け止めたかも調査しました。アンケートでは、フィードバックの質をどう感じたか、やる気が出たか、もっとこうしたフィードバックを受けたいかなどを尋ねました。 興味深いことに、三つのフィードバック方法の間で、生徒の評価に統計的な差はありませんでした。つまり、ルーブリック+模範例を受けた生徒も、細かいコメントを受けた生徒も、両方を受けた生徒も、同じくらい「役に立った」「やる気が出た」と感じていたのです。 これは実務的に非常に重要な発見です。なぜなら、教師が「生徒のために」と思って時間をかけて詳細なコメントを書いても、生徒の満足度や有用感は、もっとシンプルで時間のかからない方法と変わらなかったということだからです。 もちろん、これは個別のコメントが無意味だということではありません。ある生徒にとっては、具体的な指摘が必要な場合もあるでしょう。しかし、すべての生徒に対して常に詳細なコメントを書く必要があるのか、という問いに対しては、「必ずしもそうではない」というのがこの研究の答えです。

この研究の限界と今後の課題

研究者たち自身が認めているように、この研究にもいくつかの限界があります。 まず、対象となった学生たちは、ドイツの総合制学校(Gesamtschule)という、比較的学力の幅が広い学校の生徒たちでした。平均的に見て、英語のライティング能力はそれほど高くありませんでした。より学力の高い、例えばギムナジウム(大学進学を目指す学校)の生徒たちに同じ結果が当てはまるかは、今後の検証が必要です。 また、この学習プログラムは研究者自身が教えました。通常の授業を担当している先生たちが実施した場合にも同じ効果が得られるかは、まだわかりません。研究者たちは、高い内的妥当性(研究デザインの厳密性)を保つためにこの選択をしましたが、その分、実際の教室への一般化可能性(外的妥当性)については慎重になる必要があります。 さらに、フィードバックを受けなかった対照群(CG2)については、通常の授業で何が行われていたかの詳細なデータがありません。ドイツの教育課程では9年生で論証的文章を学ぶことになっているので、何らかの指導は受けていたはずですが、それがどの程度だったのかは不明です。

教育現場への実践的示唆

では、この研究から、現場の先生たちや教育政策立案者は何を学べるでしょうか。 1. 評価基準の透明性が鍵 ルーブリックの効果が高かった理由の一つは、「何を目指せばいいのか」が明確だったことです。これは、日本の「観点別評価」や「ルーブリック評価」の議論とも通じます。抽象的に「もっと論理的に書きなさい」と言うよりも、「主張は明確に述べられている」「反対意見も考慮されている」といった具体的な基準を示す方が、生徒は改善しやすいのです。 2. 模範例の力 完成形のイメージを持つことは、学習において非常に重要です。これは、スポーツでお手本の動きを見たり、料理で完成写真を見たりするのと同じです。ライティング指導でも、良い文章の例を示すことは、長い説明よりも効果的かもしれません。 3. 「少ない方が豊か」なこともある 最も情報量の多いフィードバック(ルーブリック+模範例+個別コメント)が最も効果的ではなかったという事実は、「たくさん教えればいい」というわけではないことを示しています。生徒が処理できる情報量には限界があり、むしろ重要なポイントを絞って明確に示す方が、学習効果が高いこともあるのです。 4. 言語を越えた思考スキルの育成 英語の学習がドイツ語にも良い影響を与えたという発見は、教科横断的な視点の重要性を示唆しています。論理的に考え、主張を組み立て、説得的に表現する能力は、どの言語、どの教科でも必要とされる汎用的なスキルです。

おわりに:持続可能な教育実践に向けて

教師という職業は、献身的な努力が期待されることがあります。しかし、教師も人間です。週末や夜遅くまで仕事に追われ続ければ、いずれ燃え尽きてしまいます。良い教育を持続的に提供するためには、教師の働き方も持続可能でなければなりません。 この研究が示した最も重要なメッセージは、「効率的な方法が効果的でもありうる」ということです。ルーブリック+模範例というアプローチは、一度作成してしまえば、多くの学生に繰り返し使うことができます。もちろん、個々の学生の進捗に応じてチェックを入れる必要はありますが、ゼロから個別のコメントを書くよりははるかに時間が節約できます。 節約できた時間は、他のことに使えます。例えば、よりクリエイティブな授業の準備、生徒との個別面談、あるいは自分自身の研修や休息に充てることもできます。結果として、教師の生活の質が上がれば、それは間接的に教育の質も向上させるでしょう。 最後に、この研究は一つの「正解」を示したわけではないことを強調しておきたいと思います。学習者の特性、学習の段階、扱うトピックなどによって、最適なフィードバック方法は異なるかもしれません。時には、詳細な個別コメントが必要な場面もあるでしょう。重要なのは、複数の選択肢を持ち、状況に応じて使い分けられることです。 この研究は、ドイツの中学校で行われましたが、その知見は日本の教育現場にも十分応用可能でしょう。言語は違っても、論理的に考え、説得的に表現する力を育てるという課題は共通しています。効果的でありながら持続可能なフィードバック方法を探求し続けることは、すべての教育者にとっての重要な課題なのです。
Peltzer, K., Lira Lorca, A., Krause, U.-M., & Busse, V. (2024). Effects of formative feedback on argumentative writing in English and cross-linguistic transfer to German. Learning and Instruction, 92, Article 101935. https://doi.org/10.1016/j.learninstruc.2024.101935

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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