重慶市にある Southwest University(西南大学)国際研究学院の Wei Li による本論文”The impact of the cognitive-emotive dialectic on L2 development of English majors in the free teacher education program in China: A perezhivanie perspective”は、2025年に Asian-Pacific Journal of Second and Foreign Language Education に掲載された質的研究です。第二言語習得(SLA)の分野では長らく「認知」が主役を担い、感情はどこか脇役のように扱われてきました。しかしWei Liはそのような二元論的な見方に真正面から異議を唱え、Vygotsky(ヴィゴツキー)の社会文化理論(SCT)に基づく「ペレジヴァーニエ(perezhivanie)」という概念を分析の軸に据え、三人の中国人大学生の英語学習プロセスを追いかけました。
日本で英語を教えていると、「あの生徒はやる気がないから伸びない」とか「この子は文法が弱い」といった、どこか切り取られたような評価に陥りがちではないでしょうか。しかし実際の教室では、生徒一人ひとりが複雑な感情の歴史を背負って座っています。本論文はそのことを、データとともに改めて教えてくれます。
「ペレジヴァーニエ」とは何か―英語に訳しにくい概念の豊かさ
まずこの聞き慣れない概念について説明が必要でしょう。「ペレジヴァーニエ」はロシア語で、英語の「experience(経験)」に相当するように見えますが、実際にはかなり異なるニュアンスを持っています。Blunden(2016)によれば、この言葉の動詞形「perezhivat」は、つらい出来事を単に経験するだけでなく、それを何度も思い返し、内面で処理し、やがて自分の一部として取り込んでいくプロセスを指します。Vygotsky(1994)自身は、ペレジヴァーニエを「環境が個人の発達に与える影響と役割を決定する、一種の心理的プリズム」と定義しました。
つまりこれは、外側で起きた出来事そのものではなく、その出来事を個人がどのように感じ、解釈し、感情的に処理していくかというプロセス全体を指す概念です。そこには認知と感情が不可分に絡み合っており、どちらかが単独で作用するのではなく、二つが対話的な緊張関係の中で個人の発達を形成していきます。
この概念を日本語に訳すとすれば、「体験の処理過程」とでもなるでしょうか。しかし正直なところ、ぴったりくる言葉がなかなか見当たらないのが実情です。それ自体が、この概念の豊かさと深さを物語っているともいえます。
研究の概要―三人の女性学生が語るもの
対象となったのは、中国政府が運営する「免費師範生(free teacher education program)」に在籍する二年生三人の女性学生です。このプログラムは、学費・寮費の全額免除と生活費補助を提供する代わりに、卒業後に教師として就職することを義務付けるもので、さらに一年後には大学院の入学資格も与えられます。競争の激しい中国の就職市場において、この制度は多くの学生にとって現実的な選択肢となっています。
研究者のWei Li自身が対象学生たちの担当教員かつメンターであったという点は、データの深さを保証する一方で、後述するように方法論上の課題も生じさせています。データ収集は、質問紙、ナラティブフレーム(物語記述),インタビューという三つの方法で行われ、分析にはペレジヴァーニエの三つの解釈軸―英語学習に対する感情、認知的・感情的葛藤とその昇華(カタルシス)、それらが言語発達に持つ意義―が用いられました。
三人のプロフィールは対照的です。Eloiseは中学時代は英語が得意でしたが、高校で関心を失い、大学でも英語専攻を選んだのは親の勧めによるもので、本人は医学を学びたかったと言います。大学では英語の授業についていけず、「frustrated(フラストレーション)」「painful(つらい)」「numb(感覚が麻痺した)」といった言葉で自分の体験を表現しました。TEM4(英語専攻生対象の全国統一試験)のスコアは65点で、合格ラインぎりぎりでした。
Kellyは高校時代に英語フェスティバルで司会を務めた経験が自信となり、英語学習に前向きな感情を持ち続けました。教師になりたいという強い夢もあり、大学ではリスニングやスピーキングには積極的に取り組みましたが、語彙・文法・ライティングには苦手意識を持ち続けました。それでも認知的な工夫を重ねることでTEM4を80点で通過しています。
Amberは幼少期に母親との楽しい英語学習体験を持ち、言語や文学への真の関心から英語専攻を選んでいます。大学では授業を楽しみ、困難にぶつかっても問題の根本原因を分析して対処策を立てる姿勢が際立ちました。TEM4は89点という高スコアでした。
感情は「足を引っ張るもの」ではない―でも無視もできない
本論文が示す最も重要な知見の一つは、「ネガティブな感情が必ずしも言語発達を阻害するわけではないが、ネガティブな感情が支配的になると発達のペースを遅らせ、ポジティブな感情は一貫して発達を促進する」というものです。
これは一見すると当たり前のように聞こえますが、SLA研究の文脈では実はかなり重要な主張です。従来のポジティブ心理学的アプローチでは「ポジティブな感情が学習を促進する」という命題が一人歩きしがちでしたが、Swain(2013)やXu and Zhang(2023)らの研究が示すように、ネガティブな感情が必ずしも学習の妨げにならない場合もあります。本論文はその両方を丁寧に検証し、感情と認知の「弁証法的統一」という視点から整理しています。
Eloise の事例は特に考えさせられます。彼女は英語学習に対してほぼ一貫してネガティブな感情を持ちながらも、卒業後に英語教師にならなければならないという現実的な制約から、ある程度の認知的関与を維持しました。結果として、若干の進歩は見られたものの、他の二人と比較すると著しく限定的なものでした。感情の極が認知の極を圧倒してしまった典型例といえるでしょう。
過去の経験が今の教室に入ってくる
本論文が示すもう一つの重要な点は、学習者の感情が過去の経験によって深く形成されているということです。Eloise が中学では英語好きだったのに高校でそれを失ったこと、Kellyが英語フェスティバルでの成功体験から自信を得たこと、Amberが幼少期の母親との楽しいやりとりを今も内面に持ち続けていること―これらはすべて、現在の大学での英語学習に影響を与えています。
日本の英語教育の現場で考えると、これは非常に重要な視点です。たとえば中学校の現場では、小学校での英語体験がすでに生徒の感情に大きな影響を与えています。小学校英語が「楽しかった」と感じている生徒と、「できなかった」という感覚を持ち込んでくる生徒では、中学最初の授業に向かう感情の質がまったく異なります。それはそのまま、認知的な関与の深さにも反映されてくる可能性があります。
Swain(2013)が述べているように、「学習者の過去の経験の影響は、すぐに現れることもあれば、ずっと後になって現れることもある」のです。この時間的な広がりを持つ視点は、教師が生徒を短期的なスナップショットではなく、長い物語の途中にいる存在として見ることを促します。
研究の方法論的な強みと課題
研究の信頼性という面では、Wei Liが対象学生の担当教員かつメンターであったことは功罪相半ばします。一年間週に二回、90分ずつの授業を通じて、また二年間のメンタリングを通じて得られた関係性は、インタビューの深さを確実に保証しています。学生たちがここまで率直に自分の感情を語れた背景には、この信頼関係があったはずです。
しかしその一方で、研究者と参加者の二重の関係性は、データ解釈における研究者の主観的バイアスという問題を必然的に伴います。論文の中でこの点への自覚的な言及はあるものの、具体的にどのような手続きでバイアスを制御したかについては十分に説明されていません。また、三人という小規模なサンプルは、質的研究として適切ではありますが、結果の転用可能性(transferability)については読者自身が文脈を考慮しながら判断する必要があります。
さらに著者自身が認めているように、参加者の過去の経験に関する記述は回顧的なものであり、記憶の選択性や再構成という問題を免れません。この点を補うためには、将来の研究において日記研究や縦断的データ収集を組み合わせることが有効でしょう。
他の研究との対話―何が新しいのか
SLAにおけるペレジヴァーニエ研究は、Swain(2013)がL2フランス語学習者の対話を分析した研究以降、少しずつ蓄積されてきています。Xu and Zhang(2023)はL2日本語学習者の中国人二人を対象に類似の研究を行い、ネガティブな感情が必ずしも言語発達を妨げないという知見を示しました。本論文はその問題意識を共有しながらも、「無料師範生」という特定の政策的文脈の中に置かれた学習者の感情と認知の絡み合いを描いている点で、独自の貢献をしています。
また、Eloise の事例が示すような「制度的強制」と「内発的動機の欠如」の緊張関係は、日本における大学入試制度や就職活動との関係で英語を学ぶ学習者にも通じるところがあります。「やらなければならない英語」と「好きな英語」の乖離は、日本の高校生や大学生の中にも広く見られる現象であり、ペレジヴァーニエという概念はその複雑さを捉えるための有効な枠組みを提供しています。
Kim(2021)がL2学習動機とペレジヴァーニエの関係を論じた研究と比較すると、本論文はより具体的な言語スキル(リスニング、ライティング、語彙など)への感情の影響を追うことで、実践的な議論に踏み込んでいる点が評価できます。Kelly のケースで見られた「リスニング・スピーキングには熱心でも、語彙・文法は避けたい」という心理は、スキル領域ごとに感情の質が異なりうることを示しており、これは教育実践上の重要な示唆を持ちます。
Vygotsky の「カタルシス」という概念の使い方
本論文では「カタルシス(catharsis)」という概念も重要な役割を果たしています。Blunden(2016)に従い、著者はペレジヴァーニエが単に経験を積み重ねるだけでなく、その経験を内面で「働き直す(work over)」ことを含むと論じます。三人の学生はそれぞれ異なる形で認知的・感情的葛藤を経験し、やがてある種の突破口を開いてきたわけですが、そのプロセスをカタルシスとして描く手法は、読者に一つの物語的な達成感を与えます。
ただし、カタルシスという概念が本論文内でどの程度厳密に定義・適用されているかについては、やや疑問が残ります。三人の学生はいずれもTEM4を通過しており、それをカタルシスの証拠とする解釈は理解できますが、カタルシスが言語発達のどの側面で、どのようなメカニズムで生じたのかについての分析はもう少し掘り下げが可能だったかもしれません。
日本の英語教育への含意―教師が「聴く」ということ
では、本論文から日本の英語教育現場はどのようなことを汲み取れるでしょうか。
第一に、学習者の感情史を知ることの重要性です。学期の最初に文法力や語彙力を測るプレースメントテストを行う学校は多いと思いますが、同じくらい「英語を好きになったきっかけ」や「英語で嫌な思いをした経験」についても、教師が把握する機会を作ることが有益ではないでしょうか。Amber の母親のユーモラスな語呂合わせの話が示すように、ごく些細な体験が長年にわたって学習者の感情的な基盤を形成することがあります。
第二に、スキル領域ごとに感情の質が異なりうるという視点です。Kelly の例が示すように、同じ学習者でもリスニングには自信を持ち、ライティングには強い苦手意識を持つということがあります。一括りに「英語が苦手」「英語が好き」と評価するのではなく、どのスキルにどのような感情が伴っているかをきめ細かく把握することが、より的確な指導につながります。
第三に、制度的文脈が感情に与える影響への配慮です。日本でも、入試対策や資格試験のために「仕方なく」英語を学んでいる生徒・学生は少なくありません。本論文のEloise が示すように、そうした外的動機のみで学習を強いられる状況は、ネガティブな感情を固定化させるリスクを持っています。教師が単に「頑張れ」と励ますだけでなく、学習の意味を学習者自身が見出せるような対話の場を設けることが、感情的な変容を促す一助となりえます。
第四に、論文が最後に述べている「教師が認知的・感情的な葛藤を意図的に作り出すことでカタルシスを促す」という提案は、挑戦的ではあるものの興味深い視点です。日本の教室文化では「間違いを恐れない雰囲気」を作ることがよく言われますが、それはこの提案と深いところでつながっています。適度な緊張感や挑戦がなければカタルシスも生まれにくく、一方で過度の不安はEloiseのように感情の極が認知の極を圧倒する事態を招きます。このバランスをどう設計するかが、教師の専門的判断の核心部分の一つといえます。
残された問いと今後の展望
本論文が切り開いた問いはいくつかあります。たとえば、ペレジヴァーニエは時間の経過とともにどのように変化するのか。Eloiseの場合、今後彼女が英語教師として教壇に立ったとき、その感情的な歴史は彼女の教え方にどう反映されるのでしょうか。教師のペレジヴァーニエが学習者のペレジヴァーニエにどう影響するかは、今後の研究が必要な领域です。
また、デジタル環境での言語学習が急速に広がる中、オンライン自習やAIを活用した学習においてペレジヴァーニエはどのように現れるのかという問いも生まれます。著者も論文の末尾でこの点に触れており、今後の研究の方向性として示唆に富んでいます。日本でも、コロナ禍を経てオンライン英語学習が一般化しつつある中、対面での人間関係が希薄な学習環境において感情と認知がどのように絡み合うかは、実践的にも理論的にも重要な問いとなっています。
認知と感情を統合する視点を持つことの意味
本論文の最大の貢献は、感情と認知を「どちらが大事か」という競合関係で捉えるのではなく、両者が弁証法的に絡み合いながら言語発達を形成するという見方を、具体的な学習者の声を通じて示した点にあります。
数値やスコアだけで学習者を測ることに慣れていると、Eloise がなぜあれほど苦しんでいたのか、Amberがなぜあれほど伸びたのかを説明する言葉を持ちにくくなります。しかし三人の物語を読むと、スコアの差は単なる能力や努力量の差ではなく、長い年月をかけて形成された感情的な歴史と、それを内面で処理しながら前進しようとするプロセス全体の差であることがよくわかります。
英語を教えるということは、音読や文法練習を指導するだけでなく、学習者それぞれのペレジヴァーニエに寄り添うことでもあるのかもしれません。そのように考えると、教室はもう少し違って見えてくるのではないでしょうか。本論文は中国の英語教員養成という特定の文脈から生まれた研究ですが、そこで問われていることは、日本を含むあらゆる英語教育の現場で今もリアルに問われていることです。
Li, W. (2025). The impact of the cognitive-emotive dialectic on L2 development of English majors in the free teacher education program in China: A perezhivanie perspective. Asian-Pacific Journal of Second and Foreign Language Education, 10, Article 2. https://doi.org/10.1186/s40862-024-00305-w
