研究者と研究の出発点

この論文”Teaching English to young learners: Second language acquisition or foreign language learning? – A case study”の著者であるCarmen Manuela Pereira Carneiro Lucasは、ポルトガル北東部のUniversidade de Trás-os-Montes e Alto Douroに所属する研究者です。彼女は長年、若年者への英語教育に携わってきた実践家でもあり、教室での現実と理論研究の両方を知る立場にあります。

論文を読み進めると、彼女の問題意識が伝わってきます。ポルトガルでは英語が小学校の必修科目になっているものの、週に数時間程度の授業では、本当に子どもたちが英語を「習得」できるのかという疑問です。多くの教師たちは「単語を覚えさせるくらいしかできない」と考えているようです。しかしLucasは、適切な方法を使えば、限られた時間でも子どもたちは英語の構造を身につけられるのではないかと考えました。

研究の核心にある問いとは

この研究が扱っているのは、英語教育の世界で長く議論されてきた問題です。それは、教室で行われているのは「第二言語習得」なのか、それとも単なる「外国語学習」なのかという区別です。

少し説明が必要でしょう。第二言語習得というのは、自然な環境の中で言葉を身につけていくプロセスです。たとえば、日本人の子どもがアメリカに移住して、学校や友達との交流を通じて英語を話せるようになっていくような場合です。一方、外国語学習は、教室という限られた環境で、主に母語を使いながら、新しい言語について学んでいくことを指します。日本の多くの中学校や高校での英語の授業がこれに当たります。

ポルトガルは、日本と同じように、普段の生活で英語を使う必要がほとんどない環境です。つまり、子どもたちが英語に触れるのは、主に学校の授業の中だけということになります。こうした環境では、文法規則を覚えたり、単語リストを暗記したりといった「学習」しかできないのではないか。本当の意味での言語「習得」は無理なのではないか。これが多くの教師たちの考えでした。

研究の舞台と参加者

Lucasが研究を行ったのは、ポルトガル北東部の都市部にある準私立学校でした。研究対象となったのは小学2年生、つまり7歳の子どもたち84人です。この学校は中流階級の家庭の子どもが通う学校で、英語教育に力を入れていることで知られていました。当時、ポルトガル全体で英語が必修科目になる前の時期で、この学校は先駆的に英語教育を提供していたのです。

ここで注目すべきは、研究者であるLucas自身が、この研究の一環として教師の役割も担っていたという点です。彼女は週に2回、各50分の英語の授業を担当しました。これは研究方法としては「参与観察」や「アクションリサーチ」と呼ばれるもので、教育現場では比較的よく用いられる手法です。自分が教えながら、子どもたちの学習過程を観察し、記録していくのです。

教育方法の工夫

Lucasが採用した教育方法は、CLIL(Content and Language Integrated Learning)と呼ばれるアプローチです。これは、言語そのものを教えるのではなく、言語を使って他の科目の内容を学ぶという方法です。たとえば、算数の図形を英語で学んだり、社会科のトピックを英語で扱ったりします。

実際の授業では、彼女は教室を「英語だけの空間」にしました。説明も指示も、すべて英語で行います。ただし、子どもたちが理解できるように、たくさんの工夫をしています。実物を見せたり、ジェスチャーを使ったり、絵を描いたりして、英語の意味が分かるようにするのです。

たとえば、食べ物について教えるときは、「シンプソンズ」や「クッキーモンスター」といった子どもたちに馴染みのあるキャラクターを使います。ワークシートには、キャラクターが「I like cereals and milk」(私はシリアルとミルクが好きです)と言っている吹き出しがあり、子どもたちはそれを読んで、対応する絵を描いたり、線でつないだりします。

言語遊びという戦略

Lucasが特に重視したのが「言語遊び」(language play)です。これは、楽しみながら言語に触れることで、自然に言語のパターンを身につけていくという考え方に基づいています。

ワークシートを見ると、その工夫がよく分かります。たとえば、ガーフィールドというキャラクターが迷路の中を進んでいって、途中で様々な形(三角形、丸、四角、星など)を見つけていくという課題があります。子どもたちは先生の指示を聞いて、特定の形を色で塗っていきます。これは単なる塗り絵ではありません。英語で図形の名前を聞いて理解し、それを見つけ出すという、言語と思考を使う活動なのです。

また、「I have got…」(私は…を持っています)という文の練習では、子どもたちが自分の好きなものを絵に描いて、それについて英語で書きます。「I have got a ballerina」(私はバレリーナの人形を持っています)、「I have got a dog and a cat」(私は犬と猫を飼っています)といった文章を、子どもたち自身が書いているのです。

文法教育への新しいアプローチ

従来、小学校低学年で文法を教えることは難しいと考えられてきました。文法規則を説明しても、幼い子どもには理解できないからです。しかしLucasのアプローチは違います。彼女は文法規則を説明するのではなく、正しい文のパターンを繰り返し使わせることで、子どもたちに文法を身につけさせようとしました。

たとえば、前置詞の練習では、テディベアのぬいぐるみがいろいろな場所にある絵を見せます。箱の中、棚の下、テーブルの上、ベッドの上など。子どもたちは「The teddy bear is in the box」(テディベアは箱の中にいます)というように、前置詞(in、on、under)を使った文を作ります。最初は文の始まりと終わりが書かれていて、真ん中を埋めればいいようになっています。徐々に、書かれている部分を減らしていき、最終的には子どもたちが自分で文全体を書けるようにするのです。

これは心理学者のVygotskyが提唱した「足場かけ」(scaffolding)という考え方に基づいています。最初は十分な支援を与えて、徐々にその支援を減らしていくことで、子どもが自立して課題をこなせるようになるという方法です。

研究の発見

子どもたちのワークシートを分析した結果、Lucasは驚くべき発見をしました。週に2回、各50分という限られた時間でも、子どもたちは英語の文の構造を身につけることができたのです。

特に注目すべきは、形態素順序(morpheme order)と呼ばれるものが、自然な順番で習得されていたことです。これは少し専門的な話になりますが、説明してみましょう。言語学の研究によると、英語を学ぶ人々は、文法的な要素を一定の順番で習得していく傾向があることが知られています。たとえば、複数形の「-s」は比較的早く身につけられますが、三人称単数現在の「-s」(He walks)は遅れて習得されます。この順番は、母語が何であれ、また教室で学んでも自然な環境で学んでも、ほぼ同じだということが、多くの研究で示されてきました。

Lucasの研究では、7歳のポルトガルの子どもたちも、この自然な順序に従って英語の構造を習得していることが確認されました。これは、教室という限られた環境でも、適切な方法を使えば、本当の意味での言語習得が起こりうることを示しています。

理論的な裏付け

Lucasは、自分の発見を説明するために、いくつかの有名な理論を引用しています。

一つは、Stephen Krashenという言語学者の「理解可能なインプット仮説」です。Krashenによれば、言語習得のために最も重要なのは、学習者が理解できる言語に触れることです。難しすぎても簡単すぎてもいけません。学習者の現在のレベルよりも少しだけ上のレベルの言語に触れることで、習得が進むというのです。

Lucasの授業では、子どもたちに英語だけで話しかけますが、絵やジェスチャー、実物などを使って理解を助けています。これがまさに「理解可能なインプット」になっているのです。

もう一つは、Jim Cumminsという研究者の「共通基底言語能力仮説」です。これは、一見複雑に聞こえますが、実は分かりやすい考え方です。Cumminsは、異なる言語でも、その深いところでは共通の能力が働いていると考えました。氷山の比喩がよく使われます。水面に出ている部分は言語ごとに違って見えますが、水面下では一つの大きな氷の塊でつながっているというイメージです。

ポルトガル語と英語は、表面的には異なる言語ですが、文の基本的な構造(主語があって、動詞があって、目的語がある)は似ています。子どもたちはポルトガル語で既にこの構造を理解しているので、それを英語に転用できるのです。だから、7歳という年齢でも、複雑な文を作ることができるのだとLucasは説明します。

研究の強みと意義

この研究には、いくつかの優れた点があります。

第一に、実際の教室での実践に基づいていることです。多くの言語習得の研究は、実験室のような環境で行われたり、特別に設計されたテストを使ったりします。しかしLucasの研究は、日々の授業の中で子どもたちが実際に作った作品を分析しています。そこには、理論だけでは見えてこない、生き生きとした学習の姿が記録されています。

第二に、具体的な教材や方法が示されていることです。論文には、実際に使われたワークシートの写真が多数掲載されています。読者は、どのような教材を使って、どのような活動をすれば、子どもたちが英語を学べるのかを、具体的にイメージできます。これは実践的な価値が高いといえます。

第三に、ポルトガルという特定の文脈における英語教育の課題に取り組んでいることです。ヨーロッパの言語政策や、ポルトガルの教育制度についての詳しい説明があり、この研究がどのような背景の中で行われたのかがよく分かります。

気になる点と限界

ただし、この研究には、いくつか気になる点もあります。

最も大きな問題は、研究者自身が教師を務めていることです。もちろん、これには利点もあります。教室で何が起こっているかを深く理解できますし、子どもたちとの関係も築きやすいでしょう。しかし、同時に、客観性の問題が生じます。自分の教え方がうまくいっていると信じたいという願望が、無意識のうちに分析に影響を与えるかもしれません。

また、この研究には比較の対象がありません。同じ学校の他のクラスで、従来の方法で英語を学んだ子どもたちと比べたらどうだったのか。あるいは、まったく英語を学んでいない子どもたちと比べたらどうか。そうした比較がないため、観察された成果がLucasの教育方法によるものなのか、それとも他の要因(たとえば、準私立学校に通う子どもたちの家庭環境や、もともとの学習能力)によるものなのかを判断するのが難しいのです。

研究の期間についても疑問が残ります。この研究がどのくらいの期間行われたのか、明確には書かれていません。数か月なのか、1年間なのか。そして、子どもたちが身につけた英語の能力は、その後も維持されたのでしょうか。多くの教育研究が示しているように、短期的には効果があっても、時間が経つと忘れてしまうということがよくあります。長期的な追跡調査があれば、より説得力が増したでしょう。

さらに、一般化の問題もあります。この研究が行われたのは、準私立学校で、比較的恵まれた環境にある子どもたちでした。週に2回の英語の授業に加えて、家庭でも教育的な支援がある程度あったと考えられます。これと同じ方法が、より困難な環境にある公立学校でも同様に効果を発揮するかどうかは分かりません。

評価の難しさ

もう一つ重要な問題があります。それは、子どもたちの英語能力をどのように評価したかという点です。

Lucasは主に、子どもたちが作ったワークシートを分析しています。そこに書かれた文が文法的に正しいかどうかを見ているわけです。確かに、正しい文が書けるということは重要です。しかし、それだけで十分でしょうか。

言語能力には、いろいろな側面があります。書くだけでなく、話す、聞く、読むという4つの技能があります。また、正確さだけでなく、流暢さも重要です。さらには、実際のコミュニケーション場面で、適切に言葉を使える能力も必要です。

この研究では、主に書く能力、それも、比較的単純な文を書く能力に焦点が当てられています。子どもたちが英語で自由に会話できるかどうか、英語の物語を聞いて内容を理解できるかどうか、といった点については、十分な情報がありません。

もちろん、7歳の子どもに何もかも期待するのは無理があります。しかし、「第二言語習得」と言うからには、より包括的な能力の評価が必要だったのではないかと思います。

ヨーロッパの言語政策との関連

Lucasは、自分の研究をヨーロッパ全体の言語政策の文脈の中に位置づけています。論文の前半では、ヨーロッパ評議会の言語政策や、CEFRと呼ばれる言語能力の共通参照枠について、かなり詳しく説明しています。

ヨーロッパでは、「母語プラス2つの外国語」という目標が掲げられています。これは、ヨーロッパの市民が、自分の母語に加えて、少なくとも2つの外国語でコミュニケーションできるようになることを目指すものです。グローバル化が進む中で、複数の言語を操れることが、雇用機会を広げ、異文化理解を深めることにつながるという考え方です。

この政策を実現するために、多くのヨーロッパの国々では、外国語教育を早い段階から始めるようになってきました。小学校、さらには幼稚園から英語を教える国も増えています。

ポルトガルも、こうした流れの中にあります。しかし、Lucasが指摘するように、政策と実践の間には大きなギャップがあります。英語が必修科目になっても、十分な授業時間が確保されていなかったり、教師の専門性が不足していたりという問題があるのです。

Lucasの研究は、限られた条件の中でも、工夫次第で効果的な言語教育ができることを示そうとしています。その意味で、政策立案者や教育現場に対する一つの提言となっています。

教師教育への示唆

論文の結論部分で、Lucasは教師教育の重要性を強調しています。多くのポルトガルの英語教師は、小学校低学年の子どもに文法を教えることは不可能だと信じているといいます。せいぜい、単語を覚えさせたり、歌を歌わせたりするくらいしかできないと考えているのです。

しかしLucasの研究は、それが誤解であることを示しています。適切な方法を使えば、幼い子どもでも、言語の構造を身につけることができます。重要なのは、文法規則を説明することではなく、子どもたちが理解できる形で、正しい言語のパターンに繰り返し触れさせることです。

ただし、そのためには、教師自身が第二言語習得の理論を理解し、効果的な教材を作り、適切な活動を計画する能力が必要です。Lucasは、教師のための継続的な専門能力開発の機会が不足していることを問題視しています。

実際、この論文を読んでいて感じるのは、Lucasが用いた教材の質の高さです。一つ一つのワークシートが、よく考えて作られています。子どもたちの興味を引く絵やキャラクターを使い、段階的に難易度を上げ、十分な練習の機会を与えています。こうした教材を作るには、相当な時間と労力、そして専門知識が必要でしょう。

すべての教師がこのレベルの教材を自作できるとは限りません。だからこそ、良質な教材の開発と共有、そして教師の研修が重要になってきます。

日本の英語教育への示唆

この研究は、ポルトガルを舞台にしたものですが、日本の英語教育にとっても参考になる点が多いと思います。

日本も、ポルトガルと同じように、普段の生活で英語を使う機会がほとんどない環境です。英語は学校で学ぶ「外国語」であり、生活に必要な「第二言語」ではありません。そうした環境で、どうやって効果的に英語を教えるかという課題は、両国に共通しています。

日本では、2020年度から小学校3年生から英語教育が始まり、5年生からは正式な教科になりました。しかし、多くの小学校教師は、英語を教えることに不安を感じています。自分自身の英語力に自信がなかったり、どう教えればいいか分からなかったりするのです。

Lucasの研究が示しているのは、完璧な英語を話せなくても、効果的な英語教育はできるということです。重要なのは、子どもたちが理解できる形で英語に触れる機会を作ること、そして楽しみながら学べる活動を計画することです。

また、CLILのアプローチ、つまり英語を使って他の教科の内容を学ぶという方法も、日本で応用できるかもしれません。算数や理科、社会科の内容を、部分的に英語で扱うことで、英語を使う必然性が生まれ、より深い学習につながる可能性があります。

残された課題

最後に、この研究から派生する、今後の研究課題について考えてみましょう。

一つは、より長期的な効果の検証です。この研究で身につけた英語の能力が、中学校、高校へと進むにつれて、どのように発展していくのか。あるいは、継続的な学習がなければ、失われてしまうのか。追跡調査があれば、早期英語教育の価値をより正確に評価できるでしょう。

二つ目は、異なる社会経済的背景を持つ子どもたちへの適用可能性です。この研究は、比較的恵まれた環境にある子どもたちを対象にしていました。より多様な背景を持つ子どもたちに対して、同じ方法が効果を発揮するのか、あるいは調整が必要なのかを検討する必要があります。

三つ目は、教師要因の影響です。Lucasは熱心で専門知識のある研究者でした。しかし、一般的な小学校教師が同じ方法を使った場合、同様の結果が得られるのでしょうか。教師の専門性や熱意が、結果にどの程度影響するのかを明らかにすることも重要です。

四つ目は、他の言語能力の評価です。この研究では主に書く能力に焦点が当てられていましたが、話す、聞く、読むといった他の技能がどの程度発達したのかも知りたいところです。

終わりに

Lucasの研究は、小学校低学年の子どもたちでも、適切な方法を用いれば、英語の文法構造を身につけることができることを示しています。これは、従来の常識に挑戦する発見です。

ただし、研究の限界も認識する必要があります。比較対象がないこと、長期的な効果が不明なこと、一般化の問題などです。また、研究者自身が教師を務めたことによる客観性の問題も無視できません。

それでも、この研究が提供する実践的な知見は価値があります。言語遊びを通じて楽しく学ぶこと、理解可能なインプットを提供すること、段階的に支援を減らしていくこと。こうした原則は、多くの教育現場で応用できるでしょう。

大切なのは、早期英語教育を成功させるための魔法の杖を探すことではありません。むしろ、子どもたちの発達段階や学習スタイルを理解し、一人一人に合わせた丁寧な指導を心がけることではないでしょうか。Lucasの研究は、そのための一つの道筋を示してくれています。教室という限られた空間でも、教師の工夫と熱意があれば、子どもたちの言語能力を伸ばすことができる。そんな希望を感じさせてくれる研究だといえるでしょう。


Lucas, C. M. P. C. (2022). Teaching English to young learners: Second language acquisition or foreign language learning? – A case study. World Journal of English Language, 12(1), 50–73. https://doi.org/10.5430/wjel.v12n1p50

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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