はじめに―身近になった翻訳技術と教育現場のギャップ
スマートフォンを開けば、誰でも簡単に使えるGoogle翻訳。私たちの日常生活にすっかり溶け込んだこの技術は、学校現場でも例外ではありません。特に、母語が英語ではない子どもたちにとって、機械翻訳は学習の強力な味方となっています。しかし、教育現場では「翻訳に頼りすぎると英語が上達しない」といった懸念の声も根強く、機械翻訳の位置づけは曖昧なままでした。
Ulster大学のRonan KellyとHeng Houによるこの研究”Empowering learners of English as an additional language: Translanguaging with machine translation”は、そうした現状に一石を投じるものです。2022年にLanguage and Education誌に発表されたこの論文では、北アイルランドの5つの中等学校で、英語を追加言語として学ぶ28名の生徒と14名の教師に詳しく話を聞き、機械翻訳が実際にどのように使われ、どう受け止められているのかを丁寧に描き出しています。
研究の舞台と著者について
まず、この研究が行われた北アイルランドの状況について触れておく必要があります。2002年には全体のわずか1パーセント(1,366人)だった英語を追加言語として学ぶ生徒の割合は、2021年には5パーセント(17,664人)にまで増加しました。20年足らずで10倍以上に膨れ上がったことになります。この急激な変化は、移民の増加を背景としており、学校現場は多様な言語背景を持つ子どもたちへの対応を迫られています。
著者のKellyとHouは、より大規模な混合研究法による調査の一環としてこの研究を進めました。興味深いのは、機械翻訳の調査は当初の研究目的ではなかったという点です。インタビューを重ねるうちに、生徒たちの生活の中で機械翻訳が極めて重要な役割を果たしていることが自然に浮かび上がってきたのです。こうした「発見」は、質的研究の醍醐味といえるでしょう。
誰に聞いたのか―多様な背景を持つ参加者たち
研究に参加した28名の生徒の背景は実に多様です。ポーランドから来た生徒、シリア難民として受け入れられた生徒、ルーマニアやハンガリー、フィリピン、パキスタンなど、さまざまな国や地域にルーツを持つ子どもたちが含まれています。到着時の年齢も、生後3か月から15歳まで幅広く、英語の習熟度も初級から上級まで多岐にわたりました。
こうした多様性は、研究の強みでもあります。異なる段階にある学習者がどのように機械翻訳を使っているかを比較できるからです。また、14名の教師も、英語を母語とする教師だけでなく、ポーランド語やフランス語を母語とする学習支援員も含まれており、多角的な視点が得られるよう工夫されています。
生徒たちの語る機械翻訳―3つの発達段階
研究の中心となる発見は、生徒たちの機械翻訳の使い方が、英語の習熟度に応じて大きく3つの段階に分けられるということでした。これは単なる分類ではなく、子どもたちが言語学習の旅路の中でどのように道具を使いこなしていくかを示す、生き生きとした物語です。
第1段階は「サバイバルツール」としての使用です。学校に到着したばかりの子どもたちは、文字通り生き延びるために機械翻訳を使います。ルーマニアから来たJosephは、小学校時代を振り返り、先生に何か伝えたいとき、あるいは何が起きたかを説明したいとき、Google翻訳なしには意思疎通できなかったと語っています。彼はルーマニア語で入力したときに文法的に完璧でなくても、英語の出力が自分の伝えたい意味を十分に表していれば「まさに言いたかったことだ」と評価できる能力を、すでにこの段階で持っていました。
ポーランドから来たMarcusは、当時を思い出しながら、友だちとボードゲームをするときにカードの意味を翻訳していたと話します。ゲームのルールを理解し、友だちと遊ぶという日常的な交流のために、機械翻訳は欠かせない存在でした。「ちょっと待って、確認させて」と友だちに言って翻訳を使う様子からは、機械翻訳が自然に会話の流れに組み込まれていることがわかります。
第2段階は「探索的使用」です。英語が中級レベルに達すると、生徒たちの機械翻訳の使い方は変化します。多くの生徒が「以前ほど使わなくなった」と語る一方で、使用の質が変わってきます。School AのWeronikaは、授業で興味深い単語を聞いたら家に帰ってGoogle翻訳で調べ、「翌日できるだけたくさん使うようにする」と語ります。ここでの翻訳は、もはや緊急避難的なツールではなく、語彙を増やすための学習戦略となっています。
興味深いのは、この段階の生徒たちが機械翻訳の不完全さを認識しながらも、それと向き合おうとする姿勢です。School DのAndriusは、翻訳が「本当にいらいらする」ことがあると率直に語りますが、「何度も試して」「うまくいかなくても、出てきたものと向き合う」と述べています。完璧な道具ではないことを理解したうえで、どう活用するかを考える姿勢がうかがえます。
第3段階は「主体的なコントロール」です。上級レベルの学習者になると、機械翻訳の使い方はさらに洗練されます。School AのKlaraは、英語で単語が思い出せないとき、ポーランド語で翻訳してみて、そこから「違う意味や代わりに使える言葉を探す」と説明します。つまり、翻訳を出発点として、英語の類義語を探索する道具として使っているのです。
もう一つ重要な発見は、上級学習者が機械翻訳を母語の維持のために使っているという点です。School EのDavidは、母親や家族とのコミュニケーションのためだけに翻訳を使うと言います。イタリア語を話す彼は、ロシア語で家族に連絡する際、翻訳が「正しく聞こえるか」を音声で確認し、うまくいかなければ「もっと意味が通るように打ち直す」と語ります。母語能力を英語ほど維持できていない中で、家族との絆を保つために翻訳を編集・修正しながら使う姿は、言語が生きるための道具であることを思い起こさせます。
教師たちの認識―支援ツールとしての評価と懸念
教師たちの語りからは、機械翻訳への複雑な思いが浮かび上がります。多くの教師が、新しく到着した生徒とのコミュニケーション手段として機械翻訳を評価しています。School Aの学習支援員Melは、最初のシリア人生徒が到着したときを振り返り、「コミュニケーションの手段はGoogle翻訳だけだった。翻訳用だけど、ないよりはまし」と語ります。
実際の授業場面でも、教師たちは機械翻訳を積極的に取り入れています。Marcusは、ハンガリー語を話す生徒に課題の説明をするとき、スマートフォンでハンガリー語に翻訳して見せたと話します。School CのCaoimheは、教室の補助員が教材を写真に撮り、リアルタイムでポーランド語に翻訳して生徒に見せているアプリの使用例を紹介します。
しかし同時に、教師たちは機械翻訳の限界や問題点も認識しています。School BのMariaは、学習目標を複数の言語に翻訳して電子黒板に表示しようとしたものの、「生徒の言語があまりに多くて、スペースが足りなくなった」と実際的な困難を語ります。さらに、「生徒たちの笑顔を見ながら、『これ、本当にちゃんと翻訳されてるのかな』と思う」と、翻訳の正確性への不安も吐露しています。
多くの教師に共通するのは、「英語が上達したら機械翻訳から離れるべき」という考え方です。Mariaは「言語が進歩したら、そこから離れられる」と述べ、Melは機械翻訳が不要になれば「最も困難な部分は過ぎ去った」と考えています。つまり、機械翻訳を初期段階の一時的な支援ツールと位置づけ、それ以降の活用可能性については十分に認識していないようです。
トランスランゲージング理論との接続―単なる道具を超えて
この研究の理論的な枠組みとなっているのが、トランスランゲージング(translanguaging)という考え方です。これは、多言語話者が持つ言語資源を、固定された「○○語」という境界線で区切らず、流動的で統合されたものとして捉える理論です。たとえば、ポーランド語と英語を話す子どもは、「ポーランド語モード」と「英語モード」を切り替えているのではなく、状況に応じて両方の言語資源を柔軟に組み合わせて意味を作り出している、という見方です。
KellyとHouは、この理論を拡張し、機械翻訳のような技術的ツールも、子どもたちの「記号論的レパートリー」の一部として位置づけるべきだと主張します。これは重要な視点の転換です。従来、翻訳ツールは「英語学習のための補助具」として、あくまで周辺的なものと見なされてきました。しかし、子どもたちの実際の言語実践を見ると、機械翻訳は彼らの多言語的な意味生成の中核的な要素となっています。
Wei Li(2018)の定義を引用しながら、著者たちは、トランスランゲージングを「多言語的、多記号的、多感覚的、多様式的な意味生成の資源」として再概念化すべきだと論じています。つまり、言葉だけでなく、画像、音声、そしてデジタルツールなど、あらゆる記号的資源を含むものとして理解する必要があるということです。
日本の教育現場への示唆―多文化共生社会に向けて
この研究は、日本の教育現場にも重要な示唆を与えます。日本でも、外国にルーツを持つ子どもたちの数は増加しており、特に日本語を第二言語として学ぶ子どもたちへの支援は喫緊の課題となっています。2019年の文部科学省の調査によれば、日本語指導が必要な児童生徒数は5万人を超えており、10年前と比較して約1.5倍に増加しています。
日本の学校現場でも、スマートフォンの翻訳アプリを使う子どもたちは確実に増えています。しかし、多くの学校では「授業中にスマートフォンを使ってはいけない」という規則があり、機械翻訳の教育的活用についての議論は十分に進んでいません。この研究が示すのは、機械翻訳を禁止するのではなく、いかに建設的に活用するかという視点の重要性です。
特に注目すべきは、子どもたちが機械翻訳を批判的に使う能力を持っているという点です。Josephが翻訳の出力を評価して「これは言いたかったことと違う」と判断したり、Klaraが翻訳結果を起点として類義語を探索したりする姿は、受動的な利用者ではなく、能動的な学習者の姿を示しています。日本の教育現場でも、機械翻訳を「カンニング」として禁止するのではなく、批判的思考力を育む教材として活用する可能性を探るべきでしょう。
また、母語の維持という観点も重要です。Davidのように、家族とのコミュニケーションのために機械翻訳を使う子どもたちの姿は、日本の外国ルーツの子どもたちにも当てはまります。日本では「日本語の習得」が強調されがちですが、母語の維持も子どもたちのアイデンティティ形成や認知発達にとって重要です。機械翻訳は、そのための一つの手段となりえます。
関連研究との対話―CALL研究からの脱却
この研究を理解するには、関連する研究の流れを知っておく必要があります。機械翻訳と言語学習の関係については、主にCALL(Computer-Assisted Language Learning、コンピュータ支援言語学習)の分野で研究されてきました。LeeやTsaiなどの研究者たちは、大学生が機械翻訳を使ってライティングの質が向上することや、学生たちが機械翻訳に肯定的な態度を持っていることを明らかにしてきました。
しかし、KellyとHouが指摘するように、CALL研究には重大な問題がありました。Buendgens-Kostenによる体系的レビューが示すように、この分野の研究の多くは「単一言語バイアス」に陥っていたのです。つまり、学習者の母語や多言語的な資源を軽視し、目標言語(英語)の習得のみに焦点を当ててきたということです。
これに対し、KellyとHouの研究は、BeilerとDeWilde、あるいはVogel、Ascenzi-Moreno、Garcíaといった研究者たちの仕事を発展させています。これらの先行研究は、生徒が機械翻訳を使うときの具体的な行動を詳しく観察し、彼らが翻訳出力を批判的に評価し、編集し、自分の既存の言語知識と統合していることを示しました。特にVogelらの研究では、中国から来た生徒Fu-hanが、機械翻訳の出力を批判的に評価し、編集しながら自分の「記号論的レパートリー」と融合させる様子が描かれています。
KellyとHouの貢献は、こうした先行研究を拡張し、機械翻訳の使用が教室内の正式な学習場面だけでなく、日常生活のコミュニケーション、家庭での学習、家族との連絡など、生徒の生活全体に広がっていることを示した点にあります。また、英語習熟度の異なる段階での使用方法の違いを体系的に示したことも重要な貢献です。
学術的考察―発見の意義と研究の限界
この研究の学術的な意義は、少なくとも三つの点で評価できます。
第一に、トランスランゲージング理論の実証的な拡張です。理論的には、デジタルツールが多言語話者の記号論的レパートリーの一部であるという主張はすでにありましたが、実際にそれが子どもたちの生活の中でどのように実現されているかを詳細に記述した研究は限られていました。この研究は、理論と実践を結びつける橋渡しとなっています。
第二に、発達的な視点の導入です。機械翻訳の使用を静的なものとして捉えるのではなく、学習者の言語発達に伴って変化する動的なプロセスとして描き出しました。サバイバルツールから、探索的ツールへ、そして主体的にコントロールされるツールへという移行は、言語学習における道具使用の発達モデルとして価値があります。
第三に、批判的使用能力の実証です。子どもたちが機械翻訳を受動的に受け入れるのではなく、その不完全さを認識し、出力を評価し、編集し、自分の目的に合わせて調整する能力を持っていることを示しました。これは、デジタルリテラシー教育の観点からも重要な知見です。
一方で、著者たち自身が認めているように、この研究にはいくつかの限界もあります。最大の限界は、観察データがないことです。生徒や教師の自己報告に基づいているため、実際の機械翻訳使用場面を直接観察できていません。また、当初の研究目的が機械翻訳の調査ではなかったため、さらに深く掘り下げる機会を逃した可能性があります。
それでも、著者たちはこの「偶然性」をむしろ研究の強みと捉えています。研究者が誘導することなく、参加者自身の語りの中から機械翻訳の重要性が自然に浮かび上がってきたという事実は、それが子どもたちの生活において本当に中心的な役割を果たしていることの証左だというのです。
実践への架け橋―三つの提言
著者たちは、研究の最後に三つの実践的な提言を行っています。
まず、新しく到着した生徒のために、機械翻訳を正当なコミュニケーションツールとして認め、積極的に活用すべきだとしています。生き延びるため、学習に参加するための手段として、機械翻訳は不可欠です。
次に、中級・上級の多言語学習者も、批判的かつ流動的に機械翻訳を使う能力を持っているため、その使用を奨励すべきだとしています。「英語が上達したら翻訳から離れる」という教師の考え方は、生徒の実際の能力や必要性と合致していません。
最後に、中等教育段階の生徒は機械翻訳を実用的に使う知識と能力を示しているため、教師は生徒と協働して、学習における責任ある使用原則を共同構築すべきだとしています。これは、禁止でも無制限の許可でもない、第三の道を示唆しています。
残された問いと今後の展望
この研究は多くの問いを投げかけます。たとえば、生徒たちが機械翻訳を「不正確だ」と批判しながらも使い続ける理由は何でしょうか。著者たちは、北アイルランド社会に根強い単一言語イデオロギーが、生徒の認識に影響を与えている可能性を指摘しています。自分の多言語的実践を否定的に捉えるよう社会的に条件づけられているのかもしれません。
また、なぜ生徒たちは紙の二言語辞書を拒否し、デジタルの翻訳ツールを好むのでしょうか。教師たちは「目立つから」「恥ずかしいから」と説明しますが、それだけでしょうか。使いやすさ、即時性、音声機能など、デジタルツールの機能的な優位性も関係しているはずです。
さらに、機械翻訳技術の急速な進歩を考えると、この研究で示された知見がどこまで持続するかという問題もあります。2021年に実施されたこの調査の後、機械翻訳の精度は飛躍的に向上しています。より正確になった翻訳ツールに対して、子どもたちはどのように向き合うのでしょうか。
こうした問いに答えるためには、継続的な研究が必要です。特に、教室での実際の使用場面を観察する研究、異なる文化的文脈での比較研究、そして縦断的な研究によって、機械翻訳と言語発達の関係をより深く理解することができるでしょう。
おわりに―子どもたちの声に耳を傾ける
この研究が教えてくれる最も重要なことは、子どもたちの実践を真剣に受け止めることの大切さかもしれません。大人の理論や懸念を優先させるのではなく、子どもたち自身がどのように言語を使い、道具を活用し、意味を作り出しているかに耳を傾けることです。
北アイルランドの学校で学ぶポーランドやシリア、ルーマニア、フィリピンにルーツを持つ子どもたちは、Google翻訳というデジタルツールを、生き延び、学び、つながるための大切な仲間として使いこなしています。彼らの実践は、多言語であることの豊かさと、デジタル時代の言語教育のあるべき姿を示唆しています。
日本の教育現場でも、外国ルーツの子どもたちが増えていく中で、同じような実践が静かに広がっているはずです。彼らの声に耳を傾け、その創造的な言語使用を支援する教育のあり方を、私たちも真剣に考える時期に来ているのではないでしょうか。
Kelly, R., & Hou, H. (2022). Empowering learners of English as an additional language: Translanguaging with machine translation. Language and Education, 36(6), 544–559. https://doi.org/10.1080/09500782.2021.1958834
