はじめに:研究の背景と意義

外国語を話すことは、多くの学習者にとって最も困難な技能の一つです。文法や語彙の知識があっても、実際の会話では思うように言葉が出てこない、相手に伝わらない、といった経験は誰にでもあるでしょう。台湾の文藻外語大学(Wenzao Ursuline University of Languages)の周慕萱(Mu-Hsuan Chou)教授は、このような外国語話者が直面する課題を体系的に調査し、2024年にSAGE Open誌に重要な研究成果を発表しました。

この研究”Communication strategies, difficulties, and speaking tasks in foreign language learning”は、台湾の5年制大学で英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、日本語を専攻する538名の学生を対象として、話すときに使用するコミュニケーション戦略、感じている困難、効果的な学習タスクについて包括的に調査したものです。グローバル化が進む現代において、複数の外国語を学ぶ学生が増加している状況で、この研究は言語教育に貴重な知見を提供しています。

周教授は外国語教育分野で豊富な研究実績を持つ専門家であり、特に言語学習戦略や話すスキルの向上に関する研究で知られています。台湾では英語が第一外国語として位置づけられ、近年は第二外国語として日本語、フランス語、ドイツ語、スペイン語の学習も盛んになっています。このような多言語学習環境において、学習者がどのような戦略を用いて話すスキルを向上させているかを明らかにすることは、教育現場での指導改善に直結する重要な課題となっています。

研究の概要と方法論

この研究では、質問票調査と半構造化インタビューを組み合わせた混合研究法が採用されました。調査対象となったのは、19歳から20歳の中国語母語話者538名(女性375名、男性163名)で、それぞれ英語(183名)、フランス語(91名)、ドイツ語(88名)、スペイン語(90名)、日本語(86名)を専攻していました。

質問票は35項目から構成され、主要な部分として中谷(Nakatani)が2006年に開発した「話すことの問題に対処するための口頭コミュニケーション戦略目録(OCSI)」の32項目が使用されました。この尺度は、外国語話者が会話中に遭遇する問題にどのように対処するかを測定する包括的なツールとして広く認知されています。

調査では、学生の自己評価によるコミュニケーション自信度(6段階評価)、話すことの困難を感じる4つの要素(流暢性と一貫性、語彙力、文法の正確性、発音)、および4種類の話すタスクに対する意見も収集されました。さらに、各言語専攻から4名ずつ、計20名を対象とした詳細なインタビューが実施され、量的データを質的に補完する設計となっています。

研究の信頼性を確保するため、5つの言語の教員が質問項目の妥当性を事前チェックし、パイロットスタディも実施されました。クロンバックのアルファ値は0.86を示し、質問票の内的一貫性が良好であることが確認されています。

コミュニケーション戦略の言語間比較

研究の第一の発見は、専攻言語によってコミュニケーション戦略の使用に有意な差があることでした。探索的因子分析の結果、学生が使用する戦略は5つのタイプに分類されました。

第一は「社会感情的戦略」で、自分を励まし、リスクを取って積極的に話そうとする姿勢を指します。第二は「音韻認識戦略」で、発音、イントネーション、リズムに注意を払うことです。第三は「メッセージ削減・変更戦略」で、言いたいことを簡単な表現に変えたり、ジェスチャーを使ったりすることです。第四は「意味交渉戦略」で、理解を確認したり、例を示したりして相手とのコミュニケーションを円滑にする方法です。最後は「正確性重視戦略」で、正しい文法や語彙の使用を心がけることです。

統計分析の結果、英語とスペイン語専攻の学生は、他の言語専攻の学生と比較して社会感情的戦略、音韻認識戦略、意味交渉戦略をより頻繁に使用していることが明らかになりました。特に注目すべきは、ドイツ語専攻の学生がこれらの戦略の使用頻度が相対的に低かったことです。

一方で、メッセージ削減・変更戦略と音韻認識戦略は、どの言語を学んでいるかに関わらず、最も頻繁に使用される戦略として浮かび上がりました。これは、学習者のレベル(約半数がCEFR B1程度)を考慮すると、まだ十分な言語運用能力が身についていないため、言いたいことを簡略化したり、発音に注意を払ったりする必要性が高いことを示唆しています。

コミュニケーション自信と戦略使用の関係

第二の重要な発見は、学生の自己評価によるコミュニケーション自信と戦略使用の間に明確な関係があることでした。ピアソンの積率相関分析の結果、コミュニケーション自信は社会感情的戦略と最も強い正の相関(r=.52)を示しました。これは、話すことに自信がある学生ほど、積極的に話そうとし、間違いを恐れずにリスクを取る傾向があることを意味します。

音韻認識戦略とも中程度の正の相関(r=.38)が見られ、自信のある学生は発音やイントネーションにより注意を払っていることが示されました。一方、意味交渉戦略と正確性重視戦略との相関は弱く(r=.11、.14)、メッセージ削減・変更戦略とは相関が見られませんでした。

この結果は興味深い示唆を含んでいます。コミュニケーション自信に関わらず、学習者は皆等しくメッセージを簡略化する戦略を使用しているということです。これは、学習者のレベルを考慮すると理解できる現象で、まだ十分な語彙や文法知識が身についていない段階では、自信の有無に関わらず表現を簡単にせざるを得ないということを示しています。

話すことの困難とその言語的特徴

第三の調査項目である話すことの困難については、4つの要素のうち語彙力が最も大きな課題として挙げられました。71.6%から86.8%の学生が語彙力不足を感じており、これに流暢性と一貫性(51.9%〜64.0%)、文法の正確性(38.8%〜57.8%)が続きました。興味深いことに、発音は比較的困難と感じる学生が少なく(11.0%〜17.5%)、他の要素と比べて問題視されていませんでした。

インタビューデータからは、各言語の特徴的な困難が明らかになりました。英語と日本語の学習者は主に語彙の不足を課題として挙げた一方で、フランス語、ドイツ語、スペイン語の学習者は語彙に加えて動詞の活用や名詞の性・数の変化といった屈折の複雑さに苦労していることが判明しました。

ある日本語専攻の学生は「日本語を母語話者のように滑らかに、良いイントネーションで話したいと思っています。しかし、単語や文法構造を忘れると、止まってしまい、これが流暢性と一貫性を損ないます」と述べています。また、ドイツ語専攻の学生は「ドイツ語の単語で困難なのは性とその複数形です。なぜかわからないのですが、ドイツ語の単語を簡単に忘れてしまいます。名詞は知っているのですが、その単語に付く冠詞をどう活用すればよいかわからないのです」と語っています。

これらの語彙や文法の困難は、学習者のコミュニケーション戦略使用にも影響を与えていました。統計分析の結果、流暢性、語彙力、文法正確性、発音のすべての困難が社会感情的戦略の使用と負の相関を示していました。つまり、これらの困難を強く感じる学生ほど、積極的に話そうとする意欲が低下する傾向があるということです。

特に注目すべきは、語彙力不足がメッセージ削減・変更戦略の使用と正の相関を示していたことです。語彙が不足している学生は、より頻繁に簡単な表現に言い換えたり、ジェスチャーを使ったりして、限られた言語資源で何とかコミュニケーションを成立させようとしていることがうかがえます。

効果的な話すタスクに対する学習者の評価

研究の第四の焦点である話すタスクについては、学習者の明確な選好が示されました。4つのタスクタイプのうち、53.2%の学生がコミュニケーション的アプローチを用いたタスク(描写、比較・対照、説明、賛成・反対の議論など)を最も有効と評価しました。

次に人気があったのは21%の学生が選んだタスクベースアプローチ(ロールプレイ・シミュレーションタスク)でした。これらのタスクは、実際のコミュニケーション状況を模擬し、学習者が自然な文脈で言語を使用する機会を提供します。ある日本語専攻の学生は「日本語のレッスンでロールプレイ・シミュレーションタスクを使いました。先生がまずトピックを割り当てたり、シナリオを提供したりして、各ペアの学生がそのトピックやシナリオに基づいて会話を作成し、各ペアがすべての学生の前で話すのです。学生が日本語を話すことを強制されるので良いです。そうでなければ、教室外で言語を話すことはないでしょう」と述べています。

一方、準備されたモノローグ(口頭発表)を好む学生は20.8%にとどまりましたが、これを選んだ学生は語彙の豊富さと文法の正確性向上に効果があると評価していました。ある英語専攻の学生は「口頭発表では事前に準備できるので、多様な高度な語彙を使うことができます。準備中に通常、私のノートから話すことを練習し、暗記します。だから、ステージに立ってみんなの前に立つとき、自信を感じます」と語っています。

最も人気が低かったのは音読で、わずか5.0%の学生しか選択しませんでした。しかし、これを選んだ学生は発音とイントネーションの向上に効果があると認識していました。

研究成果の教育的示唆

この研究から得られた知見は、外国語教育の実践に重要な示唆を提供します。まず、学習者のコミュニケーション自信を高めることが、より積極的な戦略使用につながることが明らかになりました。教師は学習者が安心して間違いを犯せる環境を作り、リスクを取って話すことを奨励する必要があります。

語彙と文法知識の重要性も改めて確認されました。これらの基礎的な言語知識が不足していると、学習者は消極的になり、社会感情的戦略の使用が減少します。したがって、話すスキルの向上には、まず十分な語彙と文法の基盤を築くことが不可欠です。

タスクの選択に関しては、学習者の多くがコミュニケーション重視のタスクを好む一方で、異なるタスクが異なるスキルの向上に寄与することが示されました。コミュニケーション的タスクとロールプレイは流暢性と発音の向上に、準備されたモノローグは語彙の豊富さと文法の正確性向上に、音読は発音とイントネーションの改善に効果があります。効果的な言語指導には、これらのタスクをバランスよく組み合わせることが重要です。

研究の限界と批判的検討

この研究は貴重な知見を提供する一方で、いくつかの限界も指摘できます。まず、参加者が台湾の中国語母語話者のみであり、かつCEFR B1レベル程度という比較的限定された集団であることです。異なる言語背景や習熟度レベルの学習者に結果が一般化できるかは不明です。

研究方法についても課題があります。主に自己報告式の質問票に依存しており、学習者の実際の戦略使用や言語能力との対応関係は直接測定されていません。学習者が自分の戦略使用を正確に認識し、報告できるかという問題もあります。また、20名のインタビューは538名の全体調査と比較すると規模が小さく、質的データの代表性に疑問が残ります。

統計分析においても、多重比較の問題や効果量の解釈に注意が必要です。統計的有意性が示されていても、実際の教育現場での実用的意義は別途検討が必要でしょう。例えば、言語間の戦略使用の差が実際の学習成果にどの程度影響するかは明らかになっていません。

コミュニケーション戦略の分類についても、中谷の2006年のモデルに依存していますが、この分類が現在の多様な学習環境や技術を活用した学習方法に適切に対応しているかは疑問です。デジタル技術の活用やオンライン学習環境での戦略使用は考慮されていません。

理論的貢献と今後の研究への提案

この研究の理論的貢献として、複数言語学習環境でのコミュニケーション戦略使用の比較という新しい視点が挙げられます。従来の研究の多くは単一言語に焦点を当てていましたが、この研究は5つの言語を同時に比較することで、言語特性とコミュニケーション戦略の関係を明らかにしました。

特に、英語とスペイン語学習者がより積極的な戦略を使用するという発見は、言語系統や学習環境の影響を示唆しています。英語は台湾で第一外国語として位置づけられており、学習機会や動機が他の言語と異なる可能性があります。スペイン語については、音韻体系の特徴や学習者の動機など、さらなる検討が必要でしょう。

コミュニケーション自信と戦略使用の関係についても、教育心理学的観点から重要な知見が得られました。自信が社会感情的戦略と強く関連する一方で、メッセージ削減・変更戦略とは無関係である点は、学習者の認知的負荷と言語処理能力の関係を示唆しています。

今後の研究では、縦断的設計による戦略使用の変化追跡、実際の会話場面での戦略使用の観察、異なる習熟度レベルでの比較などが重要になるでしょう。また、教師の指導方法や学習環境の違いが戦略使用に与える影響も検討すべき課題です。

実践への応用と教育現場での活用

この研究成果を教育現場で活用するためには、いくつかの実践的アプローチが考えられます。まず、学習者のコミュニケーション戦略使用を意識的に指導に取り入れることです。教師は学習者に様々な戦略について明示的に教え、適切な使用方法を指導することができます。

語彙と文法指導の重要性が確認されたことから、話すスキル向上のためには、これらの基礎的要素を体系的に指導する必要があります。特に、フランス語、ドイツ語、スペイン語のような屈折言語では、動詞活用や名詞の性・数変化の指導に特別な注意を払う必要があります。

タスクの選択と配列についても、この研究は有用な指針を提供します。流暢性向上にはコミュニケーション的タスクとロールプレイを、正確性向上には準備されたモノローグを、発音改善には音読を効果的に組み合わせることで、バランスの取れた指導が可能になります。

学習者の自信向上については、成功体験を積み重ねる環境作りが重要です。間違いを恐れずに話せる雰囲気の醸成、段階的な困難度設定、適切なフィードバックの提供などが効果的でしょう。

言語政策と多言語教育への示唆

この研究は、台湾の言語教育政策にも重要な示唆を提供します。英語とその他の外国語学習者の戦略使用に差があることは、第一外国語と第二外国語の位置づけや学習環境の違いを反映している可能性があります。

多言語教育においては、言語間の相互作用や学習の転移効果を考慮する必要があります。英語学習で獲得した戦略やスキルが他の外国語学習にどのように活用されるかは、カリキュラム設計や指導方法に影響を与える重要な要因です。

また、各言語の特性に応じた指導アプローチの必要性も示唆されています。屈折の複雑な言語では文法指導により多くの時間を割く、音韻体系の異なる言語では発音指導を重視するなど、言語特性を考慮した指導計画が求められます。

結論:外国語話者支援のための包括的アプローチ

この研究は、外国語学習における話すスキルの向上が、単に言語知識の習得だけでなく、コミュニケーション戦略の効果的使用、学習者の自信、適切なタスクの選択など、多面的な要因に依存することを明らかにしました。学習者が直面する困難は言語によって異なり、それに応じて使用する戦略も変わることが示されています。

教育現場では、学習者の戦略使用を意識的に指導し、十分な語彙・文法基盤を築き、多様なタスクを効果的に組み合わせることで、話すスキルの向上を図ることができます。また、学習者の自信を高める環境作りも重要な要素として位置づけられます。

この研究の限界を踏まえながらも、多言語学習環境での実証的研究として貴重な貢献をしており、今後の外国語教育研究と実践の発展に寄与する重要な知見を提供しています。言語教育の質向上には、このような実証的研究に基づく理論と実践の統合が不可欠であり、さらなる研究の蓄積が期待されます。


Chou, M.-H. (2024). Communication strategies, difficulties, and speaking tasks in foreign language learning. SAGE Open, 14(3), 1–13. https://doi.org/10.1177/21582440241266324

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

Amazon プライム対象