はじめに:グローバル化時代の教育現場が直面する問題
現代社会においては、文化や国籍の異なる人々との交流が日常的となっています。このような状況の中で、学校教育においても異文化理解を促進する教育の重要性が高まっています。しかし、実際の教育現場では、教師たちがどのように異文化教育を理解し、実践しているのでしょうか。フィンランドのトゥルク大学のAnssi Roiha氏とオランダのエラスムス大学ロッテルダムのMélodine Sommier氏による研究”Exploring teachers’ perceptions and practices of intercultural education in an international school”は、この問いに対する重要な答えを提示しています。
両研究者は、それぞれ異文化教育と異文化コミュニケーションの専門家として、理論と実践の間に存在する大きな隔たりに注目しました。特に、学術研究で提唱される批判的で建設的なアプローチと、実際に教師に提供される教材や研修内容との間には、深刻なミスマッチが存在することを問題視しています。
研究の背景:理論と実践の乖離という根深い問題
この研究が取り組んだ問題の核心は、異文化教育における理論と実践の深刻な乖離にあります。学術的な研究では、文化を固定的な実体として捉えるエッセンシャリズム(本質主義)的な見方から脱却し、文化を社会的構築物として理解する必要性が長年にわたって議論されてきました。しかし、実際の教育現場で使用されている教材や研修プログラムの多くは、依然として古典的で限定的な文化理解に基づいているのが現状です。
研究者たちが指摘する「文化差別主義的アプローチ」とは、異なる国や地域の文化を表面的な特徴や伝統によって分類し、それらの違いを強調する傾向を指します。このようなアプローチは、文化を固定されたカテゴリーとして扱い、個人をその文化的背景によって単純に分類してしまう危険性を孕んでいます。一方で、批判的アプローチでは、文化を動的で文脈依存的なものとして捉え、権力関係や社会的不平等といった構造的要因にも注目します。
研究方法と対象:国際バカロレア校という特殊な環境
この研究は、オランダにある国際バカロレア(IB)スクールの初等教育課程(PYP:Primary Years Programme)で働く11名の教師を対象に実施されました。IB校が選択されたのは、その教育理念において異文化理解が中核的な位置を占めているからです。国際バカロレア機構は「21世紀の生活において不可欠な要素として、文化的・国民的アイデンティティの代替ではなく、異文化理解と尊重を促進する」ことを使命として掲げています。
調査対象となった学校は、約50の異なる国籍の生徒と30の異なる国籍のスタッフを擁する真の意味での国際的な教育環境です。研究者の一人が同校で非常勤教師として勤務していたため、民族誌的な観察も可能になり、アンケート調査だけでは得られない深い理解を得ることができました。
調査は2019年に実施され、選択式と記述式の質問を組み合わせたオンライン調査票を用いました。参加した11名の教師の経験年数は2.5年から17年と幅広く、担当する生徒の年齢も4歳から11歳まで多岐にわたります。注目すべきは、11名中7名が異文化教育に関する正式な研修を受けたことがなかった点です。
主要な研究結果:理想と現実の大きな隔たり
教師の異文化教育観:伝統的アプローチの支配的影響
調査結果で最も印象的だったのは、ほとんどの教師が異文化教育を定義する際に、文化差別主義的なアプローチに依存していることでした。多くの教師は、異文化教育を「他国の文化について教えること」「異なる国の資源を使用すること」として理解していました。これらの定義は、文化を国民レベルの固定されたカテゴリーとして扱い、その違いを強調する傾向を示しています。
特に興味深いのは、教師たちの回答がIBの使命声明や学習者像と頻繁に一致していることです。「尊重」「開かれた心」「国際的思考」といった用語が繰り返し使用されており、7名の教師が正式な異文化教育研修を受けていない中で、彼らの主要な知識源がIBプログラム自体であることが示唆されています。これは、教育組織がどのように異文化性を定義するかが、個人レベルでの理解に直接的な影響を与えることを示しています。
実践における限界:国民文化への偏重と表面的な取り組み
教師たちの実践面での報告を分析すると、いくつかの明確な傾向が見られました。まず、11名中10名が異文化教育を「ある程度」または「大いに」実践していると回答したものの、その内容は主に言語と伝統に関するものでした。具体的には、英語以外の言語による書籍、音楽、誕生日の歌の使用が頻繁に挙げられました。
この言語重視の傾向は、文化と言語を同一視する一般的な傾向を反映しています。研究対象校では生徒の母語を大切にする方針があったため、この傾向が特に顕著に現れた可能性があります。しかし、言語を文化の代理指標として使用することには限界があります。
また、多くの教師が国民的な伝統や習慣を異文化教育の材料として使用していることも明らかになりました。「フランスではテーブルに肘をついてはいけない」「日本では箸を米に刺してはいけない」といった例は、国民文化の固定化とステレオタイプの強化という問題を抱えています。これらの例では、伝統的慣行と典型的慣行の区別がなされておらず、例外的で演出的なイベントと日常的な実践が混同されています。
教師の不安と自信のなさ:専門性への渇望
調査で特に注目すべき点は、教師たちの異文化教育に対する自信のなさです。異文化教育の重要性を全員が認めている一方で、その実施能力については大きな不安を抱えていることが明らかになりました。「最高レベル」の能力があると回答した教師は一人もおらず、「あまり自信がない」または「まったく自信がない」と回答した教師も存在しました。
ある教師の「文化があまりにも多すぎて、一つを忘れてしまって子どもが疎外感を感じることを常に恐れている」という発言は、この不安の本質を如実に表しています。この発言は、教師が文化を学習可能で教授可能な固定的な実体として理解していることを示しており、同時に達成不可能な目標に対するプレッシャーを感じていることも表しています。
希望の兆し:「小文化」概念への言及
しかし、すべてが悲観的な結果ではありませんでした。少数ながら、より批判的で建設的な視点を示す教師も存在しました。特に注目されるのは、Postgraduate Certificate of Education (International)の資格を持つ教師6番の発言です。この教師は「他者の信念、価値観、文化について教えること」「違いを受け入れて知識的にも感情的にも成長する方法」「他者の信念にどう反応するか、他者との相互作用をどう振り返るか」について言及し、より内省的で批判的なアプローチを示しました。
また、一部の教師は「小文化」の概念に言及していました。例えば、「誕生日にどのように祝うかを子どもたちに話してもらう」という実践は、文化を親族間で構築されるものとして理解し、生徒を大きな文化集団の代表としてではなく、個人として扱うアプローチを示しています。このような実践は、文化を社会的過程として理解し、個人の多様性を尊重する方向性を示しています。
研究の限界と文脈的考慮
この研究の結果を評価する際には、その文脈的限界を理解することが重要です。研究対象となったIB校は、異文化理解を教育理念の中核に据える特殊な環境です。このような環境で働く教師たちでさえ異文化教育の実施に困難を感じているとすれば、一般的な公立学校の状況はさらに深刻である可能性があります。
研究者自身も認めているように、IB校の教師は一般的に異文化問題により関心を持ち、敏感である可能性があります。それにも関わらず、明確で最新の異文化教育理解を示していないという事実は、より広範な教育システムにおける研修の必要性を浮き彫りにしています。
また、IB校の生徒構成にも注意が必要です。多様な国籍を持つ生徒たちがいる一方で、その多くは特権的な社会経済的背景を持つ可能性が高く、国際的移動が自発的で文化的・経済的豊かさと関連している場合が多いと考えられます。このような特権的な多様性の観点は、より包括的な異文化教育の必要性を示しています。
教育政策と実践への含意
教師研修の根本的見直しの必要性
この研究から得られる最も重要な含意の一つは、教師研修プログラムの根本的な見直しの必要性です。現在の多くの研修プログラムが文化差別主義的アプローチに基づいており、教師に具体的で実用的なツールを提供していないことが明らかになりました。
研究者たちが提案する「内省性」(reflexivity)の概念は、この問題に対する有効な解決策となる可能性があります。内省性とは、個人が社会における自分の位置づけや対人関係における枠組みを批判的に検討する能力を指します。この概念を中心とした研修は、教師が「文化とは何か」ではなく「文化はどのように機能するか」に焦点を当てることを可能にします。
段階的な変化と実践的アプローチ
研究者たちは、急進的な変化よりも段階的で実践的なアプローチの重要性を強調しています。教師レベルでの小さな変化は表面的であると批判される場合もありますが、内省性を基盤とした具体的な変化は教育実践全体に波及効果をもたらす可能性があります。
例えば、異文化性を特定の科目に限定するのではなく、すべての教育活動に統合するホリスティックなアプローチの開発、教師自身の実践と位置づけの見直し、学校文化や社会における学校の役割の検討、使用する教材や評価方法の批判的検討などが挙げられます。
異文化能力概念の再定義
従来の異文化コミュニケーション能力モデル、特に知識・技能・態度の三要素からなるABCモデルは、達成不可能な目標を設定し、社会現実の複雑さに対応できないという批判を受けています。代わりに、能力を深く文脈的で予測不可能、かつ権力に満ちたものとして理解するアプローチが提案されています。
このような再定義は、教師が完璧な文化的知識を持つ必要はなく、むしろ批判的思考と内省的実践を通じて学習し続けることの重要性を示しています。
今後の研究課題と展望
研究範囲の拡大
この研究は重要な第一歩ですが、さらなる研究が必要です。まず、研究対象をIB校以外の国際学校や一般的な公立学校に拡大することで、より包括的な理解が得られるでしょう。また、異なる文化的文脈や教育システムでの比較研究も価値があります。
長期的な追跡研究
教師の認識や実践の変化を長期的に追跡することで、研修プログラムの効果や実践的変化の持続性を評価できます。また、生徒への影響を直接測定することも重要な課題です。
政策レベルでの研究
個々の教師や学校レベルだけでなく、教育政策や制度レベルでの変化が異文化教育実践に与える影響を研究することも必要です。
結論:複雑な現実に向き合う勇気
この研究は、異文化教育の理想と現実の間に存在する深刻なギャップを明らかにしました。国際的な教育環境で働く献身的な教師たちでさえ、効果的な異文化教育の実施に困難を抱えているという事実は、教育界全体が直面している課題の深刻さを物語っています。
しかし、この研究は単なる問題の指摘にとどまりません。内省性の概念を中心とした実践的で段階的なアプローチを通じて、理論と実践の橋渡しが可能であることを示しています。完璧な解決策は存在しないかもしれませんが、批判的思考と継続的な学習を通じて、より包括的で効果的な異文化教育を実現することは可能です。
教育現場の複雑な現実を理解し、教師たちが直面している困難に共感しつつ、同時により良い実践に向けた具体的な道筋を示すこの研究は、今後の異文化教育研究と実践の重要な基礎となるでしょう。グローバル化が進む現代社会において、このような地道で実践的な研究こそが、真の意味での異文化理解と包括的な教育の実現につながっていくのです。
Roiha, A., & Sommier, M. (2021). Exploring teachers’ perceptions and practices of intercultural education in an international school. Intercultural Education, 32(4), 446-463. https://doi.org/10.1080/14675986.2021.1893986