筆者と研究の背景

この論文”The implementation of extensive reading to foster EFL Thai undergraduates’ narrative writing performance and attitudes”はタイのナコンパトム・ラチャパット大学のPasika Tantipidokによって執筆されました。タイでも日本と同様、英語は外国語として学ばれており、学生たちは特に「書く」ことに大きな困難を感じています。Tantipidokは英語教育に携わる中で、従来の翻訳や精読中心の授業では学生の意欲が低下し、教室が単調になってしまうという課題に直面していました。そこで彼女は、大量の英語を楽しみながら読む「多読」と作文指導を組み合わせることで、学生の物語文作成能力を高められるのではないかと考えたのです。

多読というのは、辞書を頻繁に引かずに、やさしい英語の本を大量に読む学習法です。Day and Bamfordという研究者たちは、学習者が自分で興味のある本を選び、楽しみながら読むことで、自然に語彙や文法が身につくと主張しています。日本でも英語教育の現場で取り入れられることが増えてきた手法ですが、多読が本当に作文力の向上につながるのか、そしてどのレベルの本を読ませるのが最も効果的なのかについては、まだ十分に検証されていません。

研究の中心的な問い

この研究で特に興味深いのは、学生に読ませる本のレベル設定についての検証です。有名な言語学者のKrashenは「i+1」という概念を提唱しました。これは現在の言語能力(i)よりも少しだけ難しいレベル(+1)の教材に触れることで、学習者は新しい言語知識を獲得できるという理論です。たとえば、中学2年生レベルの英語力を持つ学生には、中学3年生レベルの本を読ませるという考え方です。

一方、Day and Bamfordらは「i-1」、つまり現在の能力よりも少し易しいレベルの本を読むことを推奨しています。彼らは、易しい本を読むことで単語が自動的に認識できるようになり、ストレスなく読み進められるため、結果として大量に読むことができると主張します。中学2年生レベルの学生には、中学1年生レベルの本を読ませるということです。

どちらが正しいのでしょうか。Tantipidokはこの両方のアプローチを実際に試してみることにしました。

研究の方法

研究には49名のタイの大学2年生が参加しました。全員が英語を専門としない学生で、英語のリスニングとスピーキングの授業を受けていました。興味深いことに、この授業は名称こそ聞く・話す技能の授業でしたが、実は個人的な経験や出来事について段落を書くことも学習目標に含まれていたのです。

学生たちは2つのグループに分けられました。25名の学生は自分のレベルより1つ上のレベルの本(i+1グループ)を、24名の学生は1つ下のレベルの本(i-1グループ)を10週間にわたって読みました。

授業の進め方は工夫されていました。学生たちは自分の興味に応じて本を選ぶことができましたが、物語形式の本に限定されていました。これは、同じ文章の型に繰り返し触れることで、その型が身につきやすくなるという考えに基づいています。毎回の授業では、授業が終わる前の15分間、静かに読書をする時間が設けられました。さらに学生たちは授業外でも読書を続け、オンラインで理解度クイズに答えたり、読書記録を提出したりしました。

2週間に1回、クラスでグループ活動が行われました。たとえば、物語の山場を図式化したり、本の挿絵から物語を語ったり、重要な出来事を思い出したり、本から学んだ語彙を使って自分の物語を書いたりといった活動です。学生が提出した作文には、教師からフィードバックが返されました。

作文の評価には、Jacobsらが開発したESL作文評価表が使われました。これは内容、構成、語彙、言語使用(文法など)、表記(スペリングや句読点)という5つの観点から作文を評価する方法です。客観性を保つため、研究者自身と、同じ大学で7年以上英語を教えている別の講師の2人が評価を行いました。

研究の結果

最も重要な発見は、多読が確実に作文力を向上させるという点でした。10週間の多読プログラムの前後で学生たちに物語文を書いてもらったところ、両グループともに大きな改善が見られたのです。

i+1グループの平均点は100点満点中43.40点から72.96点に上昇しました。i-1グループも40.71点から67.92点に向上しました。これは統計的にも非常に有意な結果でした。

さらに詳しく見ると、5つの評価項目すべてにおいて改善が見られました。内容面では、学生たちは多読を通じて新しいアイデアや考え方に触れ、それを自分の作文に反映できるようになりました。構成面では、物語の流れを論理的に組み立てる力がつきました。語彙については、繰り返し同じ単語に出会うことで、それらを自然に使えるようになったのです。文法や言語使用の面でも、本の中で見た構文を自分の作文で応用できるようになりました。表記についても、正しい句読点の使い方やスペリングが身についていきました。

ここで興味深いのは、i+1グループとi-1グループの間に統計的な有意差が見られなかったことです。つまり、少し難しい本を読んでも、少し易しい本を読んでも、作文力の向上という点では大きな違いがなかったのです。研究者は、これについていくつかの理由を考察しています。

一つの可能性は、物語という同じ文章形式の本だけを読んだことです。同じ型の文章に繰り返し触れることで、その型が身につきやすくなったのかもしれません。また、継続的かつ定期的に読書を行ったことも重要でしょう。さらに、学生たちが自分の興味に合った本を選べたことで、読書へのモチベーションが維持されたと考えられます。

学生たちの気持ちの変化

この研究では、作文力だけでなく、学生たちの多読に対する態度も調査しました。アンケートと面接を通じて、彼らの感情、認識、行動という3つの側面から態度を測定したのです。

結果は非常に前向きなものでした。両グループとも、多読に対して肯定的な態度を示したのです。特に行動面での肯定的な態度が最も高く、次いで感情面、認識面という順でした。

学生たちの生の声を聞くと、その変化がよく分かります。ある学生は「最初は物語文をどう書き始めればいいか分からなかった。でも、英語の本を読み続けることで、どこから書き始めて、どう話を続ければいいかが分かるようになった」と語りました。

別の学生は「英語は好きだったけれど、読んだり書いたりする時間があまりなかった。先生に物語文を書く課題を出されて、最初は自信がなかった。でも、英語の本と作文練習のおかげで、良い段落をどう組み立てればいいかが分かってきた。今はうまくできると思う」と述べています。

認識面では、多読を通じて語彙や文法構造が自然に身についたことを実感する学生が多くいました。「たくさん読んだ後は、構造が繰り返し出てくるから新しい単語を覚えた。作文で適切な単語や正しい文法を使えるようになったし、アイデアを論理的に並べられるようになった。最初の下書きを書いた後、自分で編集したり直したりできるようになった」という声もありました。

行動面では、グループ活動が大きな役割を果たしたようです。「英語の本とグループ活動のおかげで、作文の授業が退屈じゃなくなった。多読をした後、物語文の書き方を徐々に学んで理解できるようになった。授業での練習も、もっと上手に書けるように励ましてくれた」という感想がありました。

この研究の意義と限界

この研究は、多読が作文力向上に確実に効果があることを実証的に示しました。特に、物語文という親しみやすいジャンルで、学生の実体験に関連したトピックを扱うことが効果的だったと考えられます。

また、本のレベル設定については、極端に難しすぎたり易しすぎたりしない限り、学生の現在のレベルより1つ上でも1つ下でも効果に大きな差はないという発見は重要です。これは教育現場にとって柔軟性を与えてくれます。つまり、学生の性格や好みに応じて、少し挑戦的な本を好む学生には難しめの本を、自信をつけたい学生には易しめの本を勧めることができるということです。

ただし、この研究にはいくつかの限界もあります。まず、参加者が49名と比較的少なく、しかも2つのクラスに限定されていました。より多くの学生、多様な背景を持つ学生を対象にした研究が必要でしょう。

また、研究期間が10週間と比較的短かったことも指摘されています。研究者自身も、少なくとも2学期間にわたる長期的な研究の必要性を認めています。言語習得は時間のかかるプロセスですから、より長期的な効果を見る必要があるでしょう。

さらに、この研究では物語文だけを扱いました。説明文や議論文など、他のジャンルの作文にも同じような効果があるのかは分かりません。

日本の英語教育への示唆

この研究は、日本の英語教育にもいくつかの重要な示唆を与えてくれます。

まず、読むことと書くことを別々に教えるのではなく、統合的に教えることの重要性です。日本の英語授業でも、読解と作文が別々に扱われることが多いですが、この研究は両者を結びつけることの効果を示しています。

多読の実施方法も参考になります。授業の最後の15分間を静かな読書時間にする、定期的にグループ活動を行う、学生が自分で本を選べるようにするといった具体的な工夫は、日本の教室でも実践可能です。

評価方法についても学ぶことがあります。作文を内容、構成、語彙、言語使用、表記という複数の観点から評価し、フィードバックを返すという丁寧なアプローチは、学生の成長を促すでしょう。

ただし、文化的な違いにも注意が必要です。タイと日本では教育システムや学生の学習スタイルが異なる可能性があります。また、この研究では大学生を対象としていましたが、中学生や高校生にも同じアプローチが有効かは検証が必要です。

日本では学習指導要領の制約や大学入試との関係もあり、授業時間の使い方に限界があります。しかし、総合的な学習の時間や朝読書の時間など、既存の枠組みを活用して多読を取り入れる余地はあるでしょう。

実践への提言

この研究から得られる実践的な提言をまとめると、以下のようになります。

効果的な多読プログラムを作るには、まず学生の英語レベルに合った本を用意することが大切です。この研究では、現在のレベルより1つ上か1つ下の本が効果的でしたが、大切なのは理解可能であることです。

学生が自分で本を選べるようにすることも重要です。興味のない本を強制的に読ませても、継続は難しいでしょう。ただし、この研究のように、一つのジャンル(物語)に焦点を当てることで、特定の文章形式の習得を促進できる可能性があります。

読書を個人活動で終わらせず、グループでの活動や作文練習と組み合わせることが効果的です。読んだ内容について話し合ったり、学んだ語彙や表現を使って作文したりする機会を設けることで、インプットとアウトプットがつながります。

評価とフィードバックも欠かせません。学生の書いた作文に対して、複数の観点から具体的なフィードバックを返すことで、次の学習につながります。

そして何より、長期的な視点を持つことが大切です。この研究でも10週間で効果が見られましたが、言語能力の向上には時間がかかります。一学期だけでなく、複数学期にわたって継続的に取り組むことで、より確かな力が身につくでしょう。

多読と作文指導を組み合わせたこのアプローチは、英語を外国語として学ぶ環境において、学生の実践的な言語能力を高める有効な方法であることが示されました。日本の教育現場でも、それぞれの状況に合わせて工夫しながら取り入れていく価値がある実践だと言えるでしょう。


Tantipidok, P. (2025). The implementation of extensive reading to foster EFL Thai undergraduates’ narrative writing performance and attitudes. LEARN Journal: Language Education and Acquisition Research Network, 18(1), 463–485. https://doi.org/10.70730/JQBO4264

 

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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