研究の出発点:デジタル世界で変わる語学学習
私たちの日常を見渡してみると、電車の中でスマートフォンのアプリを使って英語を学習している人の姿を頻繁に目にします。コロナ禍を経て、この傾向はさらに加速しました。語学学習の世界も、従来の教室での一斉授業から、いつでもどこでも学べるモバイル学習へと大きく様変わりしています。
このような時代背景の中で、テイラーズ大学のタン・シャオジエ(Tan Shaojie)氏とその研究チームが発表した論文”The influence of meta-cognitive listening strategies on listening performance in the MALL: The mediation effect of learning style and self-efficacy”は、現代の語学学習における重要な問題に光を当てています。彼らが着目したのは、MALL(Mobile-Assisted Language Learning:モバイル支援語学学習)環境における英語リスニング学習の効果を左右する要因です。
タン氏は中国出身の研究者で、マレーシアのテイラーズ大学教育学部に所属しています。彼の研究は、単純に「スマホで英語を学べば上達する」という表面的な話ではありません。むしろ、学習者がどのような心構えや方法で学習に臨むかによって、同じアプリや教材を使っても結果が大きく異なることに注目しているのです。
研究の核心:三つの要素が織りなす学習の仕組み
この研究の中心にあるのは、三つの重要な要素です。まず「メタ認知リスニング戦略」について説明しましょう。これは、自分の学習過程を客観視し、意識的にコントロールする能力のことです。
例えば、英語のニュースを聞いているときに「今、話者が重要なポイントを話しているな」「この単語は聞き取れなかったけれど、文脈から推測してみよう」「集中力が落ちてきたから、一度立ち止まって整理しよう」といった具合に、自分の理解度を監視しながら聞き方を調整することです。これは、単に受動的に音声を聞き流すのとは根本的に異なるアプローチです。
二つ目の要素は「学習スタイル」です。これは個人の学習における好みや傾向を指します。視覚的な情報を好む人、聴覚的な情報を重視する人、実際に体を動かしながら学ぶことを好む人など、人それぞれに異なる特徴があります。例えば、視覚型の学習者は英語を聞きながら同時に字幕やスクリプトを見ることで理解が深まる一方、聴覚型の学習者は音声だけに集中する方が効果的かもしれません。
三つ目は「自己効力感」です。これは「自分にはこの課題を成し遂げる能力がある」という信念のことです。英語学習においては「私は英語のリスニングができるようになる」「努力すれば必ず上達する」といった前向きな自信が該当します。この自己効力感は、単なる楽観主義ではありません。過去の成功体験や他者からの適切な評価に基づいた、現実的な自信のことを指しています。
研究方法の詳細:大規模調査で見えてきたもの
研究チームは、中国安徽省の二つの大学から632名の学生を対象として調査を実施しました。この規模の調査は、統計的に信頼性の高い結果を得るために十分な数といえます。参加者は教育学、理学、商学を専攻する学生たちで、年齢や学習背景にある程度の多様性が確保されています。
調査は三段階で進められました。第一段階では、学生たちの学習戦略、学習スタイル、自己効力感を測定するためのアンケート調査が行われました。具体的には、MALQ(メタ認知意識・リスニング質問票)、PLSPQ(知覚学習スタイル嗜好質問票)、GSE(一般的自己効力感尺度)という、それぞれの分野で確立された測定ツールが使用されました。
第二段階では、実際の英語リスニングテストが実施されました。ここで注目すべきは、テストが「超星(Chaoxing)」というモバイルアプリを通じて行われたことです。これにより、真のMALL環境での学習効果を測定することができました。テスト内容は、VOA(Voice of America)やBBC(British Broadcasting Corporation)の実際のニュース音声を使用した、実践的なものでした。
第三段階では、SPSSとAMOSという統計解析ソフトウェアを用いて、構造方程式モデリング(SEM)による詳細な分析が行われました。SEMは、複数の変数間の複雑な関係を同時に分析できる高度な統計手法です。
研究結果の意味:数字が語る学習の真実
研究の結果は、現代の語学学習について興味深い事実を明らかにしました。まず、メタ認知リスニング戦略を意識的に使用する学生ほど、リスニングテストの成績が良いことが統計的に証明されました。これは直感的にも理解しやすい結果です。自分の学習過程を客観視し、効果的な方法を意識的に選択できる学生が、より良い成果を上げるのは当然といえるでしょう。
しかし、この研究の真価は、そうした直接的な関係だけでなく、より複雑な間接的影響を明らかにしたことにあります。例えば、学習スタイルと自己効力感が、メタ認知戦略とリスニング成績の間を「媒介」する役割を果たしていることが分かりました。
この媒介効果について、日常的な例で説明してみましょう。ある学生が効果的なメタ認知戦略を学んだとします。しかし、その戦略が自分の学習スタイルに合わなければ、十分に活用できないかもしれません。また、「自分には英語のリスニングは無理だ」という低い自己効力感を持っていれば、どんなに良い戦略を知っていても、それを継続して実践する意欲が湧かないでしょう。
研究結果によると、学習スタイルがメタ認知戦略とリスニング成績の関係を媒介する効果は22.31%、自己効力感による媒介効果は14.98%、そして両者の連鎖的な媒介効果は7.02%でした。合計すると、44.31%もの影響が間接的な経路を通じて生じているのです。これは、語学学習の成功要因が思いのほか複雑であることを示しています。
学習スタイル理論への批判的視点
ただし、この研究には重要な議論点があります。それは「学習スタイル」という概念に対する近年の批判的な見解です。論文の著者たちも認めているように、学習スタイル理論は現在、教育心理学や認知科学の分野で激しい議論の対象となっています。
批判者たちは、「視覚型」「聴覚型」「運動型」といった学習スタイルの分類には科学的根拠が不十分だと主張しています。実際、個人を特定の学習スタイルに分類し、それに合わせた指導を行うことで学習効果が向上するという明確な証拠は限られているのが現状です。
この点について、私たちは慎重に考える必要があります。学習スタイル理論が完全に否定されるべきかといえば、そうとも言い切れません。なぜなら、学習者が自分なりの好みや傾向を持っているのは事実だからです。問題は、それらの好みが学習効果に本当に影響を与えるかどうか、そして教育実践においてどの程度重視すべきかということです。
研究者たちは、この論争を認識しながらも、学習スタイルを研究変数として採用した理由を説明しています。それは、教育現場における歴史的重要性、学習者の自己認識が学習体験に与える影響、多様な学習嗜好への配慮の必要性、そして今後の研究や教育実践への貢献可能性などです。
研究手法の強みと限界
この研究の方法論的な強みは、複数の確立された測定ツールを使用し、大規模なサンプルサイズで統計的に信頼性の高い分析を行ったことです。特に、構造方程式モデリングという高度な分析手法を用いることで、変数間の複雑な関係を同時に検討できた点は評価に値します。
また、実際のMALL環境でのテストを実施したことで、現実的な学習状況に近い条件での効果測定が可能になりました。従来の実験室的な研究では、実際の学習環境との乖離が問題となることがありますが、この研究ではその課題をある程度克服できています。
一方で、いくつかの限界も指摘できます。まず、研究の対象が中国の二つの大学の学生に限定されているため、結果の一般化可能性に疑問が残ります。文化的背景や教育制度の違いが、他国の学習者にどの程度影響するかは不明です。
また、自己報告式のアンケートに依存している点も問題です。学習者が自分の学習行動や能力を正確に評価できているとは限りません。人は往々にして、社会的に望ましいと思われる回答をする傾向があります(社会的望ましさバイアス)。例えば、「効果的な学習戦略を使っているか」という質問に対して、実際の行動とは関係なく肯定的に回答してしまう可能性があります。
実践への応用可能性と課題
この研究結果を教育現場でどのように活用できるかを考えてみましょう。まず、メタ認知戦略の重要性が改めて確認されたことは、教師にとって重要な示唆です。単に英語の音声を聞かせるだけでなく、学習者が自分の理解度を監視し、適切な学習方法を選択できるよう指導することが必要です。
具体的には、リスニング学習の前に「今日の目標は何か」「どのような戦略を使うか」を明確にし、学習中には「理解できているか」「集中力は維持できているか」を確認し、学習後には「何がうまくいったか」「次回改善すべき点は何か」を振り返る習慣を身につけさせることが有効でしょう。
自己効力感の向上についても重要な実践的意味があります。教師は、学習者に適切な成功体験を提供し、努力の成果を認めることで、自信を育てることができます。ただし、これは単なる褒め言葉ではなく、具体的な成長ポイントを指摘し、努力と成果の関係を明確にすることが重要です。
しかし、学習スタイルについては慎重なアプローチが必要です。学習者の好みを完全に無視するべきではありませんが、特定のスタイルに固執することで学習の幅を狭めてしまう危険性もあります。むしろ、多様な学習方法を体験させ、状況に応じて最適な方法を選択できる柔軟性を育てることが重要かもしれません。
研究結果の信頼性について
統計的な観点から、この研究の信頼性について検討してみましょう。研究者たちは、データの正規性、信頼性、妥当性について適切な検証を行っています。クロンバックのα係数はすべて0.8を超えており、内的一貫性が高いことが示されています。また、収束妥当性と判別妥当性についても基準を満たしています。
共通方法バイアス(すべてのデータが同じ方法で収集されることによる人為的な相関)についても、ハーマンの単一因子テストにより検証され、深刻な問題はないことが確認されています。これらの統計的検証は、研究の技術的品質の高さを示しています。
ただし、統計的有意性と実践的重要性は必ずしも一致しないことを理解しておく必要があります。例えば、媒介効果の大きさが統計的に有意であっても、その効果が教育現場で意味のある変化をもたらすほど大きいかどうかは別の問題です。
文化的・社会的背景の考慮
この研究が中国の大学生を対象としていることは、結果の解釈において重要な要素です。中国の教育制度は比較的統一性が高く、学習者の背景にある程度の均質性があります。また、中国では英語学習に対する社会的期待が高く、学習動機も強い傾向があります。
このような文化的背景が研究結果にどの程度影響しているかを考慮する必要があります。例えば、自己効力感の測定において、中国の学習者は謙遜の文化的価値観により、自己評価を低めに報告する傾向があるかもしれません。逆に、学習戦略の使用については、社会的に期待される「努力家」のイメージに合わせて高めに報告する可能性もあります。
また、MALL環境に対する適応度についても、若い世代のデジタルネイティブである中国の大学生と、他の年齢層や文化背景を持つ学習者では大きく異なる可能性があります。
今後の研究への提案
この研究を発展させるためには、いくつかの方向性が考えられます。まず、より多様な文化的・言語的背景を持つ学習者を対象とした研究が必要です。日本、韓国、東南アジア諸国、欧米など、異なる教育制度や文化的価値観を持つ地域での検証により、結果の一般化可能性を高めることができるでしょう。
また、学習スタイル理論の議論を踏まえ、より客観的で科学的に検証された学習者特性の測定方法を開発することも重要です。例えば、認知負荷理論や情報処理理論に基づいた、より確実な理論的基盤を持つ変数の導入が考えられます。
さらに、長期的な追跡調査により、これらの要因が学習成果に与える影響の持続性や変化を調べることも価値があります。短期間のテスト成績だけでなく、実際のコミュニケーション能力や学習継続性への影響を測定することで、より実践的な意味のある知見が得られるでしょう。
教育技術の発展との関連
この研究は、急速に発展する教育技術の文脈でも重要な意味を持ちます。AI(人工知能)や機械学習技術を活用した個別適応学習システムが普及する中で、学習者の個人差をどのように考慮すべきかという問題は、ますます重要になっています。
例えば、メタ認知戦略の重要性が確認されたことは、AI学習システムが単に正解を教えるだけでなく、学習者の自己調整能力を育成する機能を持つべきことを示唆しています。また、自己効力感の役割が明らかになったことで、学習システムには適切なフィードバックや励ましの機能が不可欠であることが分かります。
一方で、学習スタイルに関する議論は、個別適応システムの設計において慎重さが必要であることを教えています。学習者の好みに過度に適応することで、かえって学習の幅を狭めてしまう危険性があるためです。
語学教育への広範囲な示唆
この研究の意義は、英語のリスニング学習にとどまりません。語学学習全般、さらには他の分野の学習においても参考になる点が多くあります。
例えば、メタ認知戦略の重要性は、読解、作文、会話など、他の言語技能の学習にも適用できます。また、数学や科学といった他の教科においても、自分の理解度を監視し、適切な学習方法を選択する能力は重要です。
自己効力感についても、あらゆる学習分野で共通する重要な要素です。学習者が「自分にはできる」という信念を持つことで、困難な課題にも粘り強く取り組むことができるようになります。
研究の社会的意義
この研究は、単なる学術的関心を超えて、社会的な意義も持っています。グローバル化が進む現代社会において、英語などの外国語能力は個人の職業的成功や社会参加の機会に大きく影響します。効果的な語学学習方法の解明は、教育格差の縮小や社会全体の人材育成にも貢献するものです。
特に、モバイル技術を活用した学習は、地理的・経済的制約を受けやすい学習者にとって重要な選択肢です。質の高い語学教育が、高額な語学学校に通える一部の人だけの特権ではなく、より多くの人がアクセスできるものになる可能性があります。
結びに代えて:バランスの取れた視点の重要性
この研究は、現代の語学学習における重要な要因を明らかにした価値ある研究です。メタ認知戦略、学習スタイル、自己効力感という三つの要素が、複雑に絡み合いながら学習成果に影響することを統計的に示したことは、教育研究における重要な貢献といえます。
ただし、研究には必然的に限界があり、結果の解釈や応用においては慎重さが求められます。特に、学習スタイル理論に関する議論は、研究者や教育実践者が常に最新の科学的知見を参照しながら、批判的思考を維持することの重要性を示しています。
最終的に、この研究が私たちに教えてくれるのは、効果的な学習は単一の要因によって決まるものではないということです。技術的な手段、個人的な特性、心理的な要因などが複合的に作用することで、学習の成功が決まります。教育者も学習者も、このような複雑さを理解し、多面的なアプローチを取ることが重要なのです。
語学学習の世界は、技術の発展とともに今後も変化し続けるでしょう。しかし、学習者一人ひとりが自分の学習過程を理解し、適切な方法を選択し、自信を持って継続的に努力するという基本的な要素は、どのような時代においても変わることがないと考えられます。この研究は、そうした普遍的な学習の原理を、現代的な文脈で改めて確認した意義深い研究として評価できるでしょう。
Tan, S., Abd Samad, A., & Ismail, L. (2024). The influence of meta-cognitive listening strategies on listening performance in the MALL: The mediation effect of learning style and self-efficacy. SAGE Open, 1-16. https://doi.org/10.1177/21582440241249354