研究の概要と著者の取り組み

この論文”Are you listening strategically or randomly? Examining listening comprehension strategies among Saudi University EFL students”は、サウジアラビアのカッシム大学英語言語翻訳学科のサハル・アルクヘライウィ氏による、同国の大学生の英語リスニング理解戦略に関する実証研究です。アルクヘライウィ氏は、国際的な英語能力試験においてサウジアラビアの学生のリスニング成績が他国の学生に比べて低いという現実的な問題に着目し、その背景にある学習戦略の使用パターンを明らかにしようと試みています。

研究の動機として、第二言語習得におけるリスニング研究が読解研究に比べて不足していることや、サウジアラビアの英語教育現場でのリスニング指導の課題が挙げられています。特に、同国の公立学校では週4回45分という限られた時間でリスニングが他技能と統合的に教えられており、教師のリスニング指導に関する訓練不足や戦略指導の欠如が指摘されているという背景があります。

研究手法の特徴と選択の妥当性

本研究では、81名のサウジアラビア人女子大学生を対象に、Wakamoto & Rose(2021)が開発したリスニング理解戦略質問票(LCS-Q)を使用しています。この質問票は19項目から構成され、認知的戦略、メタ認知的戦略、自己調整戦略の3つのカテゴリーに分類されています。

研究手法の選択について、著者は質問票調査とリスニングテストの順序について慎重に検討しています。先行研究の中には、リスニング体験の直後に質問票に回答させる方法と、一般的な傾向について回答させる方法があり、本研究では後者を選択しています。これは、特定のリスニング課題に影響された状態での回答(状態的戦略使用)ではなく、累積的な学習経験に基づく一般的な戦略使用パターン(特性的戦略使用)を測定することを意図したものです。この選択は、研究目的に照らして適切であると考えられます。

また、参加者の言語能力を測定するために、IELTS Academic Test 16のリスニングテストを実施している点も評価できます。これにより、戦略使用とリスニング能力の関係を定量的に分析することが可能になっています。

主要な知見とその意義

研究の最も重要な発見の一つは、サウジアラビアの大学生が認知的戦略を最も頻繁に使用し(90.8%)、続いてメタ認知的戦略(84.4%)、自己調整戦略(65.7%)の順であったことです。特に注目すべきは、「理解していない単語の意味を推測するために文章の全体的なアイデアを使用する」と「理解を助けるために自分の知識と経験を使用する」という戦略が100%の学生によって使用されていたことです。

一方で、最も使用頻度の低い戦略は「リスニングスキルの練習における良いパートナーを持つ」(24.2%)でした。この結果は、サウジアラビアの英語教育環境における重要な課題を浮き彫りにしています。自己調整戦略、特に実践ベースの戦略の使用頻度が低いことは、学習者が教室外でのリスニング練習機会を十分に活用できていないことを示唆しています。

リスニング戦略の使用とテスト成績の関係については、統計的に有意な正の相関が見られたものの、その効果サイズは小さく(分散の4%を説明)、実践的な意義については慎重な解釈が必要です。これは、Wallace(2022)やWang & Treffers-Daller(2017)の研究と一致しており、リスニング戦略がリスニング成功に与える影響は間接的であり、語彙知識などの他の要因の方が重要である可能性を示しています。

年齢と学習経験に関する興味深い発見

研究では、年齢と英語学習年数が高い学習者ほどリスニング戦略を使用する頻度が低いという、一見逆説的な結果が得られています。これは、経験豊富な学習者が戦略を意識的に使用する必要性を感じなくなる、または戦略使用が自動化されて意識されなくなるという解釈が可能です。

一方で、英語学習年数が長い学習者ほどリスニングテストでの成績が良いという結果も示されており、これは学習経験の蓄積がリスニング能力向上に寄与することを示唆しています。この二つの発見を総合すると、学習者の発達段階に応じて戦略指導のアプローチを変える必要があることが示唆されます。

質問票の信頼性に関する重要な問題

本研究で明らかになった重要な問題の一つは、使用したLCS-Q質問票の心理測定学的特性に関する課題です。著者は因子分析を実施した結果、元の研究で提案された3因子構造が再現されず、最終的に1因子モデルを採用せざるを得ませんでした。また、サブスケールの内的整合性も低く(α = .34, .59)、測定の信頼性に疑問が生じています。

この問題は単なる技術的な課題ではなく、リスニング戦略研究全体に関わる重要な示唆を含んでいます。異なる文化的・教育的背景を持つ学習者に対して、ある文脈で開発された測定尺度をそのまま適用することの限界を示しています。サウジアラビアの学習者の戦略使用パターンが、日本の学習者(Wakamoto & Roseの研究対象)とは異なる可能性があり、文化的適応や尺度の修正が必要である可能性があります。

教育実践への含意と限界

研究結果から導かれる教育実践への示唆は明確で実用的です。特に、自己調整戦略の使用頻度が低いという発見は、サウジアラビアの英語教育における重要な改善点を示しています。著者は、英語教師が学生に対して教室外でのリスニング練習機会の探求を奨励し、様々なアクセントの英語に触れる機会を提供し、オンラインリソースや技術的ツールの活用を促進する必要があると提案しています。

また、リスニング指導において、単純にリスニング材料を聞かせて理解度を測定するだけでなく、リスニングプロセスや戦略について明示的に指導することの重要性も強調されています。これは、Vandergrift & Tafaghodtari(2010)の研究で示されたように、特に低熟達度学習者にとって戦略指導が効果的であることと一致しています。

しかし、本研究にはいくつかの重要な限界があります。まず、質問票調査という単一の研究手法のみを使用していることです。著者自身も認めているように、リスニング戦略という複雑で見えない認知プロセスを理解するためには、内省的・回顧的手法(刺激再生法、学習日記、インタビューなど)との組み合わせが必要です。

また、戦略使用の効果性についても課題が残されています。学習者が「語彙推測戦略を使用している」と報告しても、その推測が実際に正確であるかどうかは明らかではありません。Bensoussan & Laufer(1984)の研究では、文脈からの語彙推測が必ずしも正確ではないことが示されており、戦略使用の量と質の両面を考慮する必要があります。

サウジアラビアの英語教育文脈における特殊性

本研究の価値の一つは、サウジアラビアという特定の文化的・教育的文脈におけるリスニング戦略研究を行ったことです。中東地域の英語学習者を対象とした研究は相対的に少なく、この地域特有の学習パターンや課題を明らかにすることは重要です。

特に、実践ベースの自己調整戦略の使用頻度が低いという発見は、サウジアラビアの教育文化や学習環境と関連している可能性があります。伝統的に教師中心的な教育アプローチが採られている文脈では、学習者の自主的な学習活動や協働学習の機会が限られている可能性があります。このような文脈的要因を考慮した戦略指導のアプローチが必要であることが示唆されます。

今後の研究への提言と発展性

著者は研究の最後で、今後の研究方向について重要な提言を行っています。Wallace(2022)の指摘を引用し、リスニング理解に影響を与える要因を統合的に検討する必要性を述べています。語彙知識、統語知識、戦略的知識、ワーキングメモリなどの要因が相互にどのように作用してリスニング理解に影響を与えるかという構成要素的アプローチの重要性が強調されています。

この提言は、リスニング研究全体の今後の方向性を示す重要な指摘です。これまでの研究では、個別の要因に焦点を当てることが多かったのですが、実際のリスニング理解は複数の要因が複雑に相互作用する結果として生じるものです。このような統合的アプローチによって、より包括的で実用的なリスニング指導法の開発が可能になると期待されます。

研究の理論的貢献と実践的価値

本研究の理論的貢献は、リスニング戦略の文化的・文脈的多様性を示したことにあります。同じ測定尺度を用いても、異なる文化的背景を持つ学習者では異なる因子構造が現れることを実証的に示しました。これは、言語学習戦略研究における文化的適応の重要性を示す貴重な証拠となっています。

実践的価値としては、サウジアラビアの英語教育関係者に対して具体的な改善点を提示したことが挙げられます。特に、自己調整戦略の指導強化、多様なアクセントへの露出、技術的ツールの活用促進などは、直ちに教育現場で実践可能な提案です。

また、質問票を学習者の自己省察ツールとして活用するという提案も実用的です。学習者が自分のリスニング戦略使用パターンを客観的に把握することで、より効果的な学習方法を見つけることができる可能性があります。

研究手法の革新性と課題

本研究では、比較的新しいLCS-Q質問票を異なる文脈で検証するという重要な試みが行われました。新しい測定尺度の妥当性を異なる文化的文脈で検証することは、その尺度の汎用性と限界を明らかにする上で欠かせないプロセスです。

結果として、元の因子構造が再現されなかったという「失敗」は、実際には重要な科学的発見でもあります。これは、リスニング戦略の概念化や測定方法について再考する必要性を示しており、今後の尺度開発における重要な知見となります。

結論:研究の意義と今後の展望

本研究は、サウジアラビアという特定の文脈におけるリスニング戦略使用パターンを明らかにし、同国の英語教育改善に向けた具体的な提案を行った意義深い研究です。特に、自己調整戦略の使用頻度の低さという発見は、教育実践の改善につながる重要な知見といえます。

同時に、測定尺度の文化的適応性という重要な課題も浮き彫りにしました。この発見は、言語学習戦略研究全体に対する重要な問題提起となっており、今後の研究発展に寄与する価値を持っています。

研究の限界として、単一の研究手法に依存していることや、戦略使用の効果性が十分に検証されていないことなどが挙げられますが、これらは今後の研究で取り組むべき課題として明確に認識されています。また、著者が提案している統合的アプローチによる今後の研究は、リスニング理解メカニズムのより深い理解につながることが期待されます。

全体として、本研究は限られた資源の中で重要な知見を得た価値ある研究であり、サウジアラビアの英語教育改善と国際的なリスニング戦略研究の発展の両方に貢献する研究といえるでしょう。今後、この研究で提起された課題に基づいてより包括的な研究が行われることで、リスニング指導の効果的な方法論の確立が進むことが期待されます。


Alkhelaiwi, S. (2023). Are you listening strategically or randomly? Examining listening comprehension strategies among Saudi University EFL students. World Journal of English Language, 13(5), 221-230. https://doi.org/10.5430/wjel.v13n5p221

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

Amazon プライム対象