はじめに:変わりゆく語学学習の風景

英語を勉強する際、単語を覚えるのに苦労した経験は誰にでもあるのではないでしょうか。ノートに何度も書いたり、単語帳をめくったりという光景は、今も昔も変わらない語学学習の風景です。しかし、ここ十数年でスマートフォンやタブレット、パソコンが日常に溶け込み、語学学習の方法も大きく様変わりしてきました。通勤電車の中でアプリを使って英単語を覚えている人を見かけることも、もはや珍しくありません。

今回取り上げる論文”Computer-based vocabulary learning in the English language: A systematic review”は、インドのVIT大学に所属するD. Regina氏とAnitha Devi V氏による研究で、2022年に『言語学習の理論と実践』という学術誌に掲載されました。この研究は、2010年から2020年までの10年間に発表された、コンピューターを使った英語の語彙学習に関する研究を体系的に整理し、その効果を検証したものです。筆者のRegina氏は博士課程の学生で、Anitha Devi V氏は准教授として英語教育の研究に長年携わってきた方です。特にAnitha Devi氏はコンピューター支援言語学習(CALL)の専門家として、実際に大学の語学ラボの開発にも関わってきた実務経験も持っています。

研究の背景:なぜコンピューターでの語彙学習が注目されるのか

語彙学習の重要性は、言語学者のウィルキンス氏が1972年に述べた有名な言葉に集約されています。「文法がなければ伝えられることはわずかだが、語彙がなければ何も伝えることができない」。つまり、文法がどれだけ完璧でも、単語を知らなければコミュニケーションは成り立たないということです。これは実に的を射た指摘で、海外旅行で片言の英語が通じるのも、基本的な単語さえ知っていれば何とかなるという経験則とも合致します。

この研究では、CALL(Computer Assisted Language Learning:コンピューター支援言語学習)という概念が中心的な役割を果たしています。CALLとは、コンピューターを使って言語学習を支援する取り組み全般を指す言葉です。1990年代後半から2000年代にかけて、インターネットの普及とともに、このCALLは大きく発展してきました。教室で先生が黒板に書いた単語を一斉にノートに写すという従来の学習方法から、学習者が自分のペースで、好きな時間に、コンピューターを使って学ぶという新しいスタイルへの移行が進んできたのです。

筆者たちが指摘しているように、コンピューター支援学習の最大の利点は、学習者の自律性を高められることです。従来の授業では、クラス全員が同じペースで進むため、理解が早い生徒は退屈し、遅い生徒は置いていかれるという問題がありました。しかし、コンピューターを使えば、各自が自分の理解度に応じて学習を進められます。これはまるで、既製服ではなくオーダーメイドの服を着るようなもので、一人ひとりに最適化された学習が可能になるのです。

研究の方法:どうやって質の高い研究を選び出したのか

この研究の特徴は、PRISMA(Preferred Reporting Items for Systematic Reviews and Meta-Analyses)という厳格なガイドラインに従っている点です。PRISMAは医療分野で開発された手法ですが、教育研究でも広く使われるようになっています。これは、個人の主観に左右されず、客観的に研究を評価するための枠組みと言えます。

筆者たちは、まず150本もの論文を集めました。これは、オープンアクセスのデータベースから、「語彙学習」「コンピューター」「マルチメディア」「オンラインゲーム」といったキーワードで検索して集めたものです。しかし、150本すべてを分析するわけではありません。ここから、一定の基準に基づいて絞り込んでいきます。

含める論文の基準は明確でした。第一に、タイトルに「語彙学習」「コンピューター」「マルチメディア」「オンラインゲーム」のいずれかが含まれていること。第二に、学術論文、書籍の章、あるいは学会発表論文であること。第三に、言語学習者を対象としていること。一方で、除外する基準も設けられました。オープンソースでない(無料で入手できない)もの、英語を第二言語または外国語として学ぶことに焦点を当てていないもの、語彙学習に言及していないもの、レビュー論文や報告書、学位論文などは対象外としました。

このような厳格な選別の結果、最終的に40本の論文が選ばれました。これは当初の150本の約4分の1です。まるで、原石を磨いて宝石を取り出すような作業だったと言えるでしょう。

研究の発見:10年間で何がわかったのか

分析の結果、いくつかの興味深い傾向が見えてきました。まず、年ごとの論文数を見ると、2012年が最も多く、9本の研究が発表されています。一方、2014年と2015年は各2本と少なめでした。これは、コンピューター支援学習への関心が一定ではなく、波があることを示しています。

学習者のレベルについては、大学生を対象とした研究が最も多く、全体の35%を占めていました。次いで、学校レベル(中学・高校)が22%、中級レベルの学習者が20%という結果です。大学院生を対象とした研究は5%にとどまりました。これは、大学生が最も研究対象として扱いやすいという実務的な理由もあるでしょうし、大学生が最もコンピューターを活用しやすい年齢層であるという側面もあるかもしれません。

使用されたソフトウェアやツールに関しては、実に多様な選択肢が見られました。40本の論文のうち、19本(47%)がコンピューターソフトウェアを使用していました。この中で、Quizletというデジタルフラッシュカードが2本の研究で使われており、最も頻繁に登場したツールでした。Quizletは、カードをめくるように単語を学べるアプリで、ゲーム的な要素も含んでいます。紙のフラッシュカードと比較した研究では、デジタル版の方が特に初級レベルの学習者にとって効果的だったという結果が出ています。

17本の論文(43%)は、マルチメディアを使った学習を扱っていました。マルチメディアとは、文字だけでなく、音声、動画、アニメーションなどを組み合わせた教材のことです。例えば、物語を読みながら音声を聞いたり、動画を見ながら字幕で単語を確認したりという学習方法です。これは、複数の感覚を同時に刺激することで、記憶に残りやすくなるという理論に基づいています。料理のレシピを覚える時、文字だけで読むより、実際に作っている動画を見た方が理解しやすいのと似ています。

4本の論文(10%)は、ウェブサイトやブログを使った学習を扱っていました。例えば、「What’s up with the weather?」というウェブサイトでは、980語の単語が学べるようになっていたそうです。また、ブログに英語でコメントを書いたり、学習の振り返りを投稿したりすることで、実践的な語彙力を身につける試みも紹介されています。

具体的な研究事例:どんな方法が試されたのか

論文に掲載された表を見ると、実に多彩な研究が行われていることがわかります。いくつか印象的なものを紹介しましょう。

ある研究では、WhatsAppを使って語彙を学ぶ試みが行われました。WhatsAppは日本ではそれほど普及していませんが、海外では非常に人気のあるメッセージアプリです。この研究では、112人の中高生が参加し、マルチメディアの注釈付きで単語を学びました。結果として、学習が成功したと報告されています。これは、若者が日常的に使っているツールを教育に取り入れることの効果を示しています。

別の研究では、Instagramの投稿とPowerPointを使って語彙を教える試みがありました。高校生を対象としたこの研究では、生徒たちが単語をより早く覚え、記憶の定着も良かったという結果が出ています。Instagramというと、写真を投稿するSNSというイメージが強いですが、視覚的な要素を活用することで、言語学習にも応用できることを示しています。

YouTubeを使った研究も複数報告されています。100人の中級レベルの学習者を対象とした研究では、YouTubeを視聴することで語彙力が向上したことが確認されました。これは、多くの人が経験的に感じていることを、科学的に裏付けた形です。好きなYouTuberの動画を見ているうちに、自然と英語の表現を覚えていた、という経験をお持ちの方もいるかもしれません。

興味深いのは、拡張現実(AR)を使った研究もあることです。31人の大学生を対象とした実験では、AR技術を使ったアプリの方が、通常のアプリよりも単語の記憶定着率が高かったという結果が出ています。これは、実世界にデジタル情報を重ね合わせることで、より没入感のある学習体験が生まれるからだと考えられます。

画面サイズに関する研究も行われました。135人の中学生を対象に、小さい画面(iPod)、中くらいの画面(スマートフォン)、大きい画面(Kindle)で比較したところ、大きい画面の方が学習効果が高かったそうです。これは、視認性の良さが学習に影響することを示しています。ただし、持ち運びやすさとのトレードオフもあるため、一概に大きければ良いとも言えないでしょう。

研究の強みと限界:客観的に見た評価

この研究の最大の強みは、体系的で透明性の高い方法を採用している点です。PRISMAガイドラインに従うことで、どのように論文を選び、どのように分析したかが明確に示されています。これにより、他の研究者が同じ手順を踏めば、同様の結果が得られるという再現性が担保されています。

また、10年間という比較的長い期間をカバーしていることも評価できます。技術の進歩は非常に速いため、10年前と現在では使われているツールも大きく異なります。この期間の変化を追うことで、トレンドの移り変わりも見えてきます。

さらに、40本という一定数の論文を分析することで、単発の研究では見えない全体像を描き出すことができています。これは、森の中の一本の木ではなく、森全体を眺めるような視点と言えるでしょう。

一方で、いくつかの限界も認識しておく必要があります。筆者たち自身も指摘していますが、この研究は2010年から2020年という期間に限定されています。2021年以降の研究は含まれていないため、例えばコロナ禍でのオンライン学習の急速な普及といった最近の動向は反映されていません。

また、オープンアクセスの論文のみを対象としているため、有料の学術誌に掲載された重要な研究が見落とされている可能性があります。これは、無料で手に入る食材だけで料理を作るようなもので、高級食材(有料論文)を使えば、さらに豊かな分析ができたかもしれません。

研究の対象も英語学習に限定されています。他の言語、例えば中国語やアラビア語の学習では、また異なる傾向が見られる可能性があります。英語はアルファベットを使う言語であり、漢字を使う言語や右から左に書く言語とは、コンピューター学習の効果も異なるかもしれません。

さらに、レビュー論文や学位論文を除外したことで、有用な情報が失われている可能性もあります。学位論文、特に博士論文は、非常に詳細な研究が含まれていることが多いため、これを除外するのは惜しい面もあります。

データ分析の部分:数字が語ること

論文には、7つの研究について統計的な分析が行われています。実験群(コンピューターを使ったグループ)と対照群(従来の方法で学んだグループ)の平均点と標準偏差が比較されています。

例えば、61人を対象としたEnayatiとGilakjaniの2020年の研究では、対照群の平均点が42.16(標準偏差7.448)だったのに対し、実験群は37.47(標準偏差6.642)でした。実は、この場合は対照群の方が高得点だったことになります。一方、100人を対象としたKaboohaとElyasの2018年の研究では、対照群が31.3、実験群が46.5と、実験群の方が大幅に高得点でした。

このように、すべての研究でコンピューター学習が優れているわけではなく、結果にはばらつきがあります。これは、使用したソフトウェアの質、学習者のレベル、実験の設計方法など、多くの要因が影響するためです。一つの方法がすべての状況で最適ということはなく、状況に応じた使い分けが必要だということでしょう。

実践的な意味:この研究から何を学べるか

この研究から得られる実践的な示唆はいくつかあります。

まず、コンピューターを使った語彙学習は、多くの場合において効果的だということです。ただし、「コンピューターを使えば自動的に効果が上がる」という単純な話ではありません。適切なソフトウェアの選択、学習者のレベルに合わせた設計、継続的な使用など、様々な要素が組み合わさって初めて効果が現れます。

第二に、マルチメディアの活用が有効であることが示されています。文字だけでなく、音声、画像、動画などを組み合わせることで、より深い理解と記憶の定着が期待できます。これは、人間の脳が複数の感覚からの情報を統合することで、より強固な記憶を形成するという認知科学の知見とも一致します。

第三に、学習者の自律性を高める効果があります。コンピューターを使えば、自分のペースで、好きな時間に学習できます。これは特に、社会人の学習者にとって大きな利点です。仕事が終わって家に帰ってから、あるいは通勤時間中に、少しずつ学習を進めることができます。

第四に、ゲーム的な要素を取り入れることで、学習の動機づけを高められる可能性があります。Quizletのようなツールは、点数を競ったり、達成感を得られたりする仕組みが組み込まれています。これは、苦痛な暗記作業を、少しでも楽しいものに変える工夫と言えます。

教育現場への応用:どう活かせるか

この研究結果は、教育現場でどのように活かせるでしょうか。

学校の先生にとっては、授業にコンピューターを取り入れる際の参考資料となります。ただし、すべてをコンピューターに置き換えるのではなく、従来の方法とうまく組み合わせることが重要でしょう。例えば、新しい単語の導入は教室で先生が行い、復習や定着はコンピューターを使って各自で行う、といった役割分担が考えられます。

語学学校や英会話教室では、生徒に自宅学習用のツールを推奨する際の根拠として使えます。「このアプリは研究でも効果が確認されています」と説明できれば、説得力が増します。

個人で英語を学んでいる方にとっては、どのようなツールを選べば良いかの判断材料になります。ただし、ツールは手段であって目的ではありません。最新のアプリを次々と試すよりも、一つのツールを継続して使う方が、結果的に効果が高いこともあります。

企業の研修担当者にとっては、社員教育のプログラムを設計する際の参考になるでしょう。特に、多忙な社員が自分の時間で学習できるシステムを構築する際に、この研究の知見は役立ちます。

今後の課題:何が残されているか

筆者たちも指摘していますが、今後さらに研究が必要な領域がいくつかあります。

まず、長期的な効果の検証です。多くの研究は数週間から数ヶ月という比較的短期間の効果を測定していますが、本当に知りたいのは、1年後、2年後も覚えているかということです。短期記憶から長期記憶への定着については、さらなる研究が必要です。

次に、異なる文化圏での効果の検証です。この研究に含まれた論文の多くは、アジア圏、特に中東やトルコ、イランなどで行われたものが目立ちます。欧米やアフリカ、南米など、異なる文化背景を持つ学習者でも同様の効果が得られるのか、確認が必要です。

また、個人差への対応も課題です。同じツールを使っても、効果が高い人と低い人がいます。年齢、性別、学習スタイル、技術への親しみやすさなど、様々な要因が影響します。これらの個人差を考慮した、よりきめ細かい分析が求められます。

さらに、コスト対効果の分析も重要です。高価なソフトウェアや機器を導入しても、それに見合う効果がなければ、教育機関にとっては負担となります。限られた予算の中で、最大の効果を得るにはどうすればよいか、経済的な視点からの研究も必要でしょう。

研究方法論についての考察

この研究は系統的文献レビューという手法を採用していますが、この方法自体にも長所と短所があります。

長所は、既存の研究を網羅的に把握できることです。一つひとつの研究は限られた条件下での結果ですが、多くの研究を統合することで、より普遍的な傾向が見えてきます。これは、点と点を結んで線を描くような作業と言えます。

また、研究の質を評価できることも利点です。厳格な基準を設けることで、質の低い研究を除外し、信頼性の高い研究のみを分析対象とすることができます。

一方で、短所もあります。まず、出版バイアスの問題があります。肯定的な結果が出た研究は論文として発表されやすいですが、否定的な結果や有意差が出なかった研究は発表されにくい傾向があります。このため、レビューに含まれる研究が、実態よりも効果を高く見積もっている可能性があります。

また、研究の質のばらつきも課題です。厳格な実験デザインの研究もあれば、そうでないものもあります。これらを単純に並べて比較することには限界があります。

さらに、技術の進歩が速いため、10年前の研究が現在でも妥当かどうかは疑問です。2010年と2020年では、スマートフォンの性能も、利用できるアプリも大きく変わっています。古い研究の結果を、現在の文脈でそのまま適用することには注意が必要です。

結論:バランスの取れた視点で

この研究は、コンピューターを使った英語の語彙学習について、包括的な視点を提供してくれています。全体として、コンピューター支援学習は効果的な方法であることが示されていますが、万能薬ではありません。

重要なのは、道具に振り回されないことです。最新のアプリやソフトウェアが次々と登場しますが、それらはあくまで学習を支援する道具であって、学習そのものではありません。コンピューターは、適切に使えば強力な味方になりますが、それだけに頼っていては十分ではありません。

従来の方法、つまり紙の辞書を引いたり、ノートに書いて覚えたり、実際に会話で使ってみたりすることも、依然として重要です。デジタルとアナログ、新しい方法と伝統的な方法、それぞれの長所を活かしながら、バランスよく組み合わせることが、最も効果的な学習につながるのではないでしょうか。

この研究の筆者たちも、結論部分で同様の趣旨を述べています。コンピューターは学習環境を改善し、学習者の関心を高め、自律的な学習を促進する有用なツールです。しかし、それは適切に使用された場合の話です。ツールの選択、使用方法、学習者への指導、継続的なサポートなど、様々な要素が組み合わさって初めて、効果が現れます。

最後に、この研究が今後の研究者や教育実践者にとって、有用な出発点となることを期待します。ここで示された知見を土台として、さらに深く、広く、実践的な研究が積み重ねられていくことで、より効果的な語学学習の方法が確立されていくでしょう。技術は日々進歩していますが、人間の学習の本質は変わりません。その両者をうまく結びつけることが、これからの教育の鍵となるのではないでしょうか。


Regina, D., & Devi, A. V. (2022). Computer-based vocabulary learning in the English language: A systematic review. Theory and Practice in Language Studies, 12(11), 2365-2373. https://doi.org/10.17507/tpls.1211.17

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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