研究の背景と筆者について
この論文” Fifth graders’ use of gesture and models when translanguaging during a content and language integrated science class in Hong Kong”は、オーストラリアのEdith Cowan大学教育学部に所属するMelanie Williamsによって執筆されました。彼女は長年、複数言語を使う子どもたちが科学をどのように学ぶかに関心を持ち続けてきた研究者です。特に興味深いのは、彼女自身が香港のインターナショナルスクールで教師をしながら博士課程の研究を進めていたという点です。つまり、単なる外部の観察者ではなく、実際の教育現場に深く関わりながらデータを集めたのです。
この研究が行われた2020年前後は、言語教育の分野で「トランスランゲージング」という概念が注目を集めていた時期でした。トランスランゲージングとは、簡単に言えば、二言語話者が自然に複数の言語を行き来しながらコミュニケーションする現象を指します。ただし、Williamsはここで一歩踏み込んで、言語だけでなく、身振り手振りや物に触れる動作といった「非言語的な手段」にも目を向けました。
香港という特殊な教育環境
研究の舞台となったのは、香港のインターナショナルスクールです。このタイプの学校は、香港に住む外国人家族や、政府系学校の方針に満足しない地元の富裕層の家庭が選ぶ教育機関です。授業は英語で行われますが、生徒たちの多くは家庭では普通話(標準中国語)や広東語を話しています。
この学校では、幼稚園では授業の70%が普通話で行われ、学年が上がるにつれて英語の割合が増えていき、小学4年生以降は英語と普通話が半々になります。科学の授業も同様で、小学3年生までは普通話で教えられますが、4年生からは週5回すべて英語での授業になります。つまり、この研究の対象となった5年生たちは、英語での科学授業を始めてまだ2年目という段階だったのです。
参加した10人の生徒(10〜11歳)は全員が中華系の家庭出身で、英語は標準テストの結果を見ると学年レベル以下の習熟度でした。一方、37歳の担当教師は英語のみを話す単一言語話者でした。この言語的なギャップが、生徒たちが身振りや模型といった代替手段に頼る大きな要因となっていたのです。
研究の方法―細かく観察することの大切さ
Williamsは6回の科学授業を2台のビデオカメラで録画しました。一つのカメラは5人の生徒グループを、もう一つは別の5人グループを撮影しました。授業は「Thinking Frames Approach」という方法で進められました。これは、不思議な現象をまず実演や実験で見せて、生徒たちにグループで説明を考えさせるという手法です。
たとえば人体の呼吸システムを学ぶ授業では、肺の働きを再現する模型を使いました。力学の授業では、ペットボトルの上にコインを置いて紙を引き抜く実験や、風船で動く車、ロケット発射装置などを使いました。
重要なのは、Williamsが単に生徒たちの発話だけでなく、手の動き、物に触れる動作、体全体を使った身振りまで、すべて記録して分析したことです。彼女は録画を何度もスローモーションで見直し、一つ一つの「記号単位」(意味のまとまり)を丁寧に切り分けていきました。
身振りと触覚的動作の4つの使い方
分析の結果、生徒たちが言葉から身振りや触覚的動作に切り替える場面は、大きく4つのパターンに分類できることが分かりました。
一つ目は「置き換え」です。これは、「これ」「あれ」といった指示代名詞と一緒に、指差しや物に触れる動作を使って名詞を置き換えるものです。たとえば模型の部品の名前が分からないとき、生徒は「これが」と言いながらその部品を指差したり触ったりします。
二つ目は「サポート」です。これは口頭での説明に身振りや触覚的動作を加えて、意味を補強するものです。たとえば「大きくなる」と言いながら、両手を広げて大きさを表現するような場面です。
三つ目は「デモンストレーション」です。これは本来、動詞や副詞、位置や方向を表す言葉で説明すべき内容を、動作で置き換えるものです。たとえば空気がどう流れるかを言葉で説明する代わりに、手を動かして流れの方向を示すような場合です。
四つ目は「模倣」です。他の生徒や教師の身振りをそのまま真似することで、自分も同じ理解に達していることを示すものです。
興味深いことに、最も頻繁に使われたのは「デモンストレーション」で、10人中7人の生徒が他のどのパターンよりも多く使っていました。また、タイミングとしては、身振りや触覚的動作が口頭表現と同時に行われることが最も多く、次いで口頭表現の後に続く場合が多かったのです。
具体的な授業場面から見えてくるもの
論文には実際の授業のやりとりが詳しく記録されています。一つの場面を見てみましょう。風船で動く車を使った力学の授業で、教師が「なぜ四角い車輪ではだめなのか」と質問します。
生徒Annaは「だって、それじゃ」と言いかけて止まります。生徒Yasmineは「それじゃダメ」と言いながら、両手の指を組んで、シーソーのように上下に動かします。この動きは、四角い車輪が地面に当たる様子を表しているのでしょう。生徒Staceyが「回らない」と言葉を補い、Annaが「転がらない」という言葉を見つけます。するとYasmineは、指で円を描く動作をしながら「転がる」という言葉を繰り返します。
この短いやりとりの中で、Yasmineは二度、英語の語彙が出てこない代わりに身振りで意味を表現しています。そして他の生徒が適切な英語の言葉(「roll=転がる」)を提供すると、その言葉と身振りの両方を繰り返すことで、自分の理解を確認しているのです。
もう一つ印象的な場面は、消化器系について学ぶ授業でのものです。逆立ちしながら飲み物を飲めるかという話題になり、生徒Kokoが実際に試してみたと話します。彼女は言葉で説明しようとしますが、途中で詰まってしまいます。そこで彼女は、首に手を当てて、窒息するような動きを体全体で演じて見せました(パントマイム)。すると別の生徒Yasmineが「chokeだ」(窒息する)と英語の言葉を提供します。
ここで重要なのは、Kokoが自分の体験を伝えられただけでなく、彼女のパントマイムが他の生徒に英語の語彙を教える機会にもなったという点です。このように、身振りは単なる言葉の代用品ではなく、学習の足場となり、言語習得を促進する役割も果たしていたのです。
触覚的な動作の重要性
模型や実験器具に触れる動作も、重要な役割を果たしていました。ある生徒Nickは、ロケット発射装置の仕組みを説明するとき、「これを踏むと」と言いながらプラスチックのボトルを叩き、「空気が入ってくる」と言いながら手をチューブに沿って動かし、空気の流れる方向を示しました。そして「もしこれがここにあれば」と言いながら、壊れた発射管とロケットを正しい位置に組み立てて見せました。
Nickの英語力では、各部品の名前や空気の動きを正確に言葉で説明することは難しかったでしょう。しかし模型を実際に触って動かすことで、彼は自分の理解を十分に伝えることができました。このように、物理的な物体は、抽象的な科学概念を具体的に表現する手段として機能していたのです。
模倣から始まる学びの連鎖
生徒たちは、他の生徒の身振りを無言で真似ることもよくありました。ある場面では、以前の授業で瓶を振ってソースを出した経験について、一人の生徒が身振りで再現し始めると、他の二人も次々とその動作を真似しました。そして最後の生徒が「たぶん運動と重力だと思う」と科学用語を使って説明したのです。
この場面が示しているのは、共有された体験の記憶が身振りによって呼び起こされ、それが連鎖的に広がって、最終的に適切な科学用語での説明につながったということです。言葉で説明する前に、まず身体的な記憶が仲間内で確認され、それが概念の理解を深める土台となったのです。
研究から見えてきた三つの大きな発見
Williamsは、この研究から三つの主要な結論を導き出しています。
第一に、トランスランゲージング(複数の表現手段を柔軟に使い分けること)は、内容と言語を統合した学習(CLIL)の目標を達成するのに有効だということです。生徒たちは身振りや触覚的動作を使うことで、英語力が不十分でも科学の議論に参加し、目標言語である英語を実際に使う練習ができました。
第二に、トランスランゲージングは単なる言語の問題ではなく、「記号論的プロセス」(さまざまな記号を使って意味を作り出す過程)だということです。生徒たちは言葉と身振りと触覚を自然に行き来し、それぞれの表現手段が持つ利点を活用していました。身振りには、言葉では表現しにくい空間的な情報(大きさ、方向、動きなど)を伝える力があり、科学を理解する上で欠かせない要素となっていました。
第三に、トランスランゲージングは教育的な「足場」(学習を支える枠組み)として機能するということです。英語力の高い生徒や教師が、他の生徒の身振りを言葉に翻訳することで、科学の内容と英語の語彙を同時に学ぶ機会が生まれていました。これは、母語(この場合は普通話や広東語)を使うことと似た効果を持っていたのです。
興味深い副次的発見―母語をほとんど使わなかった理由
意外なことに、この研究では生徒たちが母語である普通話や広東語をほとんど使いませんでした。これはおそらく、教師が英語しか話せなかったことと、学校に英語のみを使うという暗黙のルールがあったためだと考えられます。
Williamsは、この言語的な制約が逆に、生徒たちをより頻繁に身振りや触覚的動作に頼らせる結果になったのではないかと推測しています。実際、最も頻繁に身振りを使っていたのは、英語力が最も低いと評価された生徒たちでした。もし母語の使用が許されていたら、彼らは身振りではなく普通話や広東語で説明していたかもしれません。
日本の英語教育への示唆
この研究は、日本の英語教育にもいくつかの重要な示唆を与えてくれます。
まず、英語での理科や社会科などの内容教科の授業(いわゆるCLIL)を行う際、生徒の身振りや動作を単なる「言葉が足りない証拠」として否定的に見るべきではないということです。むしろ、それらは意味を伝える有効な手段であり、学習のプロセスの一部として積極的に認めるべきです。
次に、模型や実験器具、図版などの具体的な教材が、言語的なハードルを下げる上で非常に重要だということです。特に抽象的な科学概念を扱う場合、言葉だけで説明しようとするのではなく、触れたり動かしたりできる物を用意することが、理解を深める近道になります。
また、グループでの協働学習が、互いの身振りを観察し、それを言葉に変換する機会を生み出すということも重要です。英語力の高い生徒が、他の生徒の身振りを英語で表現し直すことで、クラス全体の理解と語彙習得が進みます。教師も同じ役割を果たせます。
さらに、「英語だけで」という厳格なルールが、必ずしも学習を促進するとは限らないという点も考慮すべきでしょう。確かに目標言語に多く触れることは重要ですが、母語の使用を完全に禁じることで、生徒が伝えたい内容そのものを諦めてしまう可能性もあります。身振りや母語も含めた、柔軟な表現手段の使用を認める方が、より豊かな議論と深い理解につながるかもしれません。
研究の限界と今後の課題
Williams自身も認めているように、この研究にはいくつかの限界があります。参加者が10人と少なく、しかも女子が多かったため、結果を広く一般化することは難しいでしょう。また、固定されたカメラでは捉えきれない動作もあったはずです。
さらに、この研究は生徒たちの身振りや動作を詳しく記録しましたが、それが実際に科学の概念理解や英語力の向上にどう貢献したかを長期的に追跡したわけではありません。今後は、こうした非言語的手段を積極的に取り入れた授業と、そうでない授業を比較するような研究も必要でしょう。
また、教師がどのように身振りや模型を使った説明を意図的に授業設計に組み込めるか、という実践的な研究も求められます。Williamsの研究は主に生徒の自然な行動を観察したものでしたが、教師が計画的に身振りや視覚教材を使うことで、さらに効果的な学習環境を作れる可能性があります。
言語教育の視野を広げる試み
この研究の最も大きな貢献は、言語教育の研究者たちに「言葉だけを見ていてはいけない」というメッセージを送ったことです。二言語使用者の研究では、どの言語をいつ使うかという点に注目が集まりがちでした。しかしWilliamsは、言語を「記号システムの一部」として捉え直すことで、身振りや触覚といった他の記号も含めた、より包括的な分析の必要性を示しました。
実際の教室では、生徒たちは言葉だけでコミュニケーションしているわけではありません。表情、視線、姿勢、手の動き、物への触れ方、描いた図、すべてが意味を伝える手段です。これらをすべて含めて「言語使用」として理解することで、初めて生徒たちが本当に何を理解し、何に困っているのかが見えてくるのです。
この視点は、日本の教室にもそのまま当てはまります。英語の授業で生徒が身振りで答えようとしたとき、「英語で言いなさい」と制止するのではなく、その身振りが何を伝えようとしているのかを読み取り、それを英語の言葉に結びつける手助けをする。そんな指導のあり方が、より自然で効果的な言語学習につながるのではないでしょうか。
Williams, M. (2022). Fifth graders’ use of gesture and models when translanguaging during a content and language integrated science class in Hong Kong. International Journal of Bilingual Education and Bilingualism, 25(4), 1304–1323. https://doi.org/10.1080/13670050.2020.1754752
