論文と筆者について

今回取り上げるのは、2025年4月に学術誌『Languages』に掲載された、Gisela Granenaによる論文”Predictions of Cognitive Individual Differences in Language Acquisition: Commentary on Hulstijn” (2024)です。これはJan Hulstijnが2024年に発表した理論的論文への「コメンタリー」、つまり学術的な批評・応答という形式をとっています。

Granenaはスペイン・バルセロナにあるUniversitat Oberta de Catalunyaの研究者で、第二言語習得における個人差研究、とりわけ暗示的学習能力(implicit learning ability)と言語習得の関係を長年にわたって研究してきた第一線の研究者です。彼女のキャリアを通じて一貫しているのは、「なぜ同じ環境で同じだけ外国語を学んでも、人によってこれほど習得に差が出るのか」という問いへの執着です。語学学校の教室でも、大学の研究室でも、おそらく誰もが感じたことのある素朴な疑問を、彼女は精緻な実験と統計によって解き明かそうとしてきました。

一方のHulstijnはオランダの著名な応用言語学者で、「Basic Language Cognition(BLC)理論」を2011年に提唱し、その後も継続的に更新を重ねてきた人物です。Granenaはその最新版(2024年)に対して、建設的かつ鋭い批判的考察を展開しています。

BLC理論とは何か―日常会話と読み書きの根本的な違い

まず、Hulstijnの理論の核心を理解することが不可欠です。BLC理論は、人間の言語能力を大きく二つに分けることを提案しています。

ひとつは「Basic Language Cognition(BLC)」、日本語にすれば「基礎的言語認知」とでも呼ぶべきもので、日常的な口頭コミュニケーション―つまり「聞くこと」と「話すこと」―に関わる能力です。ここでは頻度の高い語彙や文法構造が中心で、母語話者であれば誰でも自然に身につけていく能力です。

もうひとつは「Extended Language Cognition(ELC)」、「拡張的言語認知」とでも訳せるもので、こちらは「読むこと」と「書くこと」に関わる能力です。ELCはより複雑な語彙や文法を扱い、学校教育を通じて後天的に習得されていくものです。

この二分法は、一見すると単純に見えますが、実はかなり大胆な主張を含んでいます。Hulstijnはここから、「認知的個人差(cognitive individual differences、以下IDs)はELCの習得には影響するが、BLCの習得には影響しない」という予測を導きます。つまり、IQ(知能指数)や記憶力、論理的思考力といった認知的な能力の差は、読み書き能力の違いには表れるけれど、日常会話の習得には関係ないと言うのです。

日本語を母語とする私たちの感覚で言えば、「頭の良し悪しは日本語の会話能力には関係なく、文章の読み書きには関係する」という主張です。確かに直感的には頷けるところもあります。どんな教育水準の人でも、日常会話はこなせます。しかし小説を読んだり、論文を書いたりする能力には大きな個人差がある―そういう観察とも一致しているように見えます。

Granenaが問い直すもの―「話すこと」にも認知差は存在するのか

しかしGranenaはここで慎重に立ち止まります。理論が整然としていても、それが現実のデータと合っているかどうかは別問題です。

まず彼女が指摘するのは、BLC理論の「母語話者は口頭言語処理においてほぼ均質だ」という前提への疑問です。1980年代のBristol Language Projectという長期縦断研究では、子供たちの母語習得速度に早い段階から大きな個人差があることが示されていました。Skehanによる追跡研究では、これらの子供たちが13〜15歳になった時点で言語適性テストを実施したところ、幼少期の言語発達指標との間に有意な相関が見られました。

さらに重要なのが、Conway et al.(2010)の実験結果です。大学生を被験者に、ノイズ環境下での音声知覚を調べたところ、母語話者間でも能力に有意な差があり、しかもその差が「暗示的学習能力」と関連していたのです。暗示的学習能力とは、意識せずにパターンを学習する能力のことで、IQとは独立した認知能力とされています。この結果はBLC理論の予測に反するものです。なぜなら理論通りであれば、母語話者の口頭処理能力には差がないはずだからです。

ここでGranenaは重要な区別を持ち込みます。Hulstijnが「認知的個人差」と言うとき、暗黙のうちに「明示的な認知能力(explicit cognitive abilities)」―IQ、ワーキングメモリ、意図的な連想学習など―を念頭に置いているように見えます。しかし認知科学が明らかにしてきたのは、「暗示的学習能力」は明示的な認知能力とは独立して存在し、しかも言語習得において重要な役割を果たすということです。

料理に例えて言えば、レシピを読んで理解する能力(明示的学習)と、何度も繰り返し料理をするうちに無意識のうちに身につく勘(暗示的学習)は、別々の能力です。算数が得意な人が必ずしも料理上手とは限らないように、IQが高い人が必ずしも暗示的学習が得意なわけではありません。

第二言語習得への応用―外国語学習者の個人差をどう説明するか

Granenaが特に力を入れているのが、非母語話者(NNS)、つまり外国語学習者への理論の適用をめぐる問題です。

BLC理論は、外国語学習においても認知的個人差は口頭言語習得には影響しないと予測します。しかしGranenaは自身の研究を含む複数の実証研究を引用し、この予測に真っ向から異議を唱えます。

Granena(2013b)では、スペイン語を第二言語として学ぶ早期学習者と成人学習者を対象に、形態統語論的習得(文法の習得)における暗示的系列学習能力の役割を調べました。名詞と形容詞の性・数の一致、主語と動詞の一致といった文法現象―これらはまさにBLC理論でいう「基礎的・高頻度」の文法構造に当たります―において、暗示的学習能力が習得達成度の有意な予測因子となることが示されました。

つまり、「日常会話レベルの文法でも、それを習得できるかどうかには暗示的学習能力の個人差が関係している」という結果です。これはBLC理論の予測と矛盾します。

さらにGranena(2021)では、読み上げ課題と自発的発話課題における発音評価を比較し、明示的認知能力が前者(読み上げ)のみを有意に予測することを示しました。書かれたものを音読するときには意識的なモニタリングが働き、明示的な認知能力が役立つ一方、自発的な発話では暗示的な能力がより重要だという解釈です。これはBLC理論の読み書き対口頭という二分法と一部一致しつつも、より細かい粒度で認知能力の役割を示しています。

「認知的個人差」という概念の曖昧さ

Granenaの批判の中でも最も本質的と思われるのが、BLC理論が「認知的個人差」の概念を十分に定義していないという指摘です。

Hulstijnが例として挙げる「認知的要因」は、実行機能、記憶、知能といったものです。確かにこれらは重要ですが、Granenaはこれらがすべて「明示的な認知領域」に属するものだと指摘します。暗示的系列学習能力や「プライマビリティ(primability)」―これは類似した刺激への感受性の高さのような能力です―はIQやワーキングメモリとはほとんど相関せず、独立した次元の認知能力として機能します。

「頭が良くなければ外国語は学べない」という俗説がありますが、それと同じくらい誤りなのが「外国語は文法を体系的に勉強して学ぶものだ」という思い込みだとGranenaは指摘します。どちらも、明示的な認知能力だけが言語学習を支えているという誤解に基づいているのです。大量のインプット(特に聞くこと・話すことに重点を置いた環境)での言語習得において、暗示的な認知能力がどのような役割を果たすかを探る研究が今後必要だとGranenaは主張します。

反証可能性という科学的問題

論文の終盤でGranenaが提起する「反証可能性(falsifiability)」の問題は、科学哲学的にも重要な指摘です。

BLC理論は「母語話者の口頭言語達成度には個人差がほとんどない」と主張します。もしこれが正しいとすれば、認知的個人差と口頭言語習得の間に相関が見られないことは理論の「証拠」にはなりません。なぜなら、測定しようとしている変数(言語達成度)にそもそも変動がなければ、何の変数とも相関が出ないのは当然だからです。

これは「不在の証拠」と「証拠の不在」を混同する論理的誤謬です。「相関が見られない=認知差が関係しない」ではなく、「そもそも変動がないから相関が計算できない」だけかもしれません。この問題は、研究デザインの段階から変動量(バリアンス)を確保するよう意識しなければ回避できず、理論の検証可能性そのものを脅かします。

日本の英語教育への示唆

この論文の議論は、日本の英語教育に携わる者にとっても他人事ではありません。

日本の学校英語教育は長らく「読み書き」に偏重してきたと批判されてきました。文法訳読法の影響が強く、多くの学習者が何年も英語を学びながら口頭コミュニケーションに苦労するという現象は広く知られています。BLC理論の枠組みで言えば、日本の学校英語はELCの訓練に多くの時間を費やし、BLCの発達に十分な機会を与えてこなかったと解釈できます。

しかし同時に、Granenaの指摘を踏まえると、口頭言語習得においても認知的個人差が無視できないという可能性も考慮する必要があります。特に暗示的学習能力は、大量の音声インプットにさらされたとき、どのくらい効率よくパターンを学習できるかに関わっています。教室内での会話練習や、映画・音楽・ポッドキャストなどを通じたインフォーマルな言語接触において、学習者の暗示的学習能力は習得速度と達成度の両方に影響している可能性があります。

さらに、言語適性テスト(language aptitude tests)の活用という視点も興味深いです。Granenaの研究が示すように、明示的な認知能力は読み書き課題でのパフォーマンスと関連し、暗示的な認知能力は口頭でのパフォーマンスと関連する傾向があります。日本の英語教育の文脈で、どの認知能力がどの技能の習得に関係するかをより精緻に調べることは、個別指導や教授法の選択において実践的な意義を持つでしょう。たとえば、暗示的学習能力が低い学習者に対しては、明示的な文法説明を丁寧に行う方が効果的かもしれませんし、逆に暗示的学習能力が高い学習者には、豊富なインプット環境を整えることが有益かもしれません。

また、日本語と英語の構造的距離を考えると、スペイン語を対象としたGranenaの研究をそのまま適用することはできません。スペイン語における性・数の一致のような高頻度文法形式に相当するものが、英語学習においてはどのような構造になるのか―三単現のsなのか、冠詞なのか、動詞の時制なのか―を特定した上で、同様の研究デザインを日本語話者英語学習者に適用する研究が望まれます。

関連研究との対比―暗示的・明示的学習研究の流れの中で

Granenaのコメンタリーは、第二言語習得研究における「暗示的対明示的学習」という大きな論争の文脈に位置づけられます。

DeKeyserをはじめとする研究者たちは、成人の第二言語学習は主に明示的なルール学習に依存すると主張してきました。一方、Nick Ellisらは、大量のインプットによる頻度ベースの暗示的学習が言語習得の根幹をなすと主張してきました。Granena自身の研究は、この二つのアプローチを橋渡しするもので、どちらか一方が正しいのではなく、どの認知能力がどの種類の学習に関与するかを丁寧に区別することが重要だという立場です。

また、Linck et al.(2013)が開発したHi-LAB(高水準言語習熟度のための新しい適性測定)のような測定ツールは、従来の言語適性テストでは捉えられなかった暗示的学習能力を含む複数の認知能力を測定しようとするものであり、Granenaの主張と問題意識を共有しています。

Suzuki & DeKeyser(2015)は、暗示的知識の測定方法として誘発模倣(elicited imitation)と語彙モニタリングを比較しましたが、こういった方法論的な議論も、Granenaが論文の中でGranena(2013b)において聴覚的文法性判断テストを使ったこととつながっています。どのような手法で「暗示的な知識」を測るかという問題は、理論と実証の橋渡しにおいて避けて通れない課題であり、BLC理論を検証するための研究設計においても慎重な方法論的配慮が必要です。

縦断研究の必要性と現実的困難

GranenaはSkehan(1986)のBristol Language Projectへの言及を通じて、縦断的デザインの必要性と困難さをともに描き出しています。

認知能力が言語発達を「引き起こす」のかどうかを確かめるには、認知能力の測定が言語習得よりも先に行われなければなりません。しかし幼少期の子供を対象に認知テストを行い、何年もかけて言語発達を追跡し、さらに青年期に言語適性テストを実施するという研究は、労力・コスト・倫理的配慮の面で並大抵ではありません。Bristol Language Projectのような研究が当時も今も稀なのはそのためです。

しかも幼少期における家庭環境や親の教育水準は、子供の認知能力にも言語発達にも影響を与えるため、純粋に「認知能力が言語習得を予測するかどうか」を調べようとしても、環境要因を統制することが極めて難しい。Skehanの研究でも、家族的背景変数が多くの認知・言語指標と絡み合い、解釈を複雑にしていました。唯一、音声弁別テストだけが伝記的要因と無関係であり、それがいくつかの理解・語彙指標と相関していたという事実は、方法論的に興味深い示唆を与えています。

目標言語構造の選定という実践的問題

論文後半でGranenaが取り上げる「どの言語構造を研究対象とするか」という問題は、一見地味に見えながらも、実は理論の検証にとって決定的に重要です。

BLC理論では、BLCに属する「高頻度の日常的構造」とELCに属する「複雑な書き言葉的構造」を区別することが前提ですが、この区別はそれほど自明ではありません。スペイン語の接続法(subjunctive)は、子供が7歳以降に習得し、学校でも明示的に教えられる点でELC的ですが、日常会話にも出現します。逆に性・数の一致は3歳までに習得される典型的BLC構造ですが、書き言葉でも当然使われます。

研究者が検証したい「BLCかELCか」という問いに答えるためには、対象とする言語形式をL1習得の文献に基づいて精密に選定し、その形式が「どの発達段階で、どのような文脈で習得されるか」を踏まえた研究設計が不可欠です。Granenaのこの指摘は、今後BLC理論を用いて研究を行う者にとっての実践的ガイドラインとなっており、理論的批判と方法論的提言を兼ねた有益な貢献です。

この論文の意義と残された課題

全体として見ると、Granenaのコメンタリーはいくつかの重要な貢献をしています。

第一に、BLC理論が「認知的個人差」を主に明示的な認知能力に限定して捉えており、暗示的学習能力という独立した認知次元を十分に考慮していないという核心的な理論的弱点を明確に指摘しています。

第二に、自身の実証研究を含む複数のエビデンスを示し、「口頭言語習得においても認知的個人差は存在する」という対立仮説を具体的に支持しています。

第三に、反証可能性という科学哲学的視点から、BLC理論の検証可能性そのものに警鐘を鳴らしています。

一方で、いくつかの点については今後の議論が必要です。たとえば、「暗示的学習能力」そのものの測定方法についてはまだ研究者間で合意が得られておらず、Conway et al.やGranenaが用いた手法が同じ能力を測っているかどうかについては慎重な検討が必要です。また、BLC理論が「BLCの習得に個人差が影響しない」と主張しているのは、あくまで「最終到達度(ultimate attainment)」についてであり、「習得速度(rate of acquisition)」については個人差の影響を認めています。Granenaが引用する研究の多くが習得速度と達成度を必ずしも明確に区別していない点は、議論をやや複雑にしています。

おわりに

言語を学ぶということは、私たちが日々当たり前のように行っている営みでありながら、その内部で何が起きているかはまだ十分には解明されていません。母語話者が話すことと書くことをどのように使い分けているか、外国語学習者がどのような認知メカニズムを通じて新しい言語を習得するか―これらの問いは、理論的な面白さと実践的な重要性を兼ね備えています。

HulstijnのBLC理論はこの問いに対する一つの体系的な回答であり、Granenaのコメンタリーはその理論を鋭く問い直す知的な挑戦です。二人の対話は、「口頭言語と書き言葉は本当に質的に異なる認知プロセスを要求するのか」「認知的個人差はどこまで言語習得を規定するのか」という根本的な問いへの探究が、まだ道半ばにあることを示しています。

教育現場にいる私たちにとって、この議論は「なぜあの生徒は会話は得意なのに作文が苦手なのか」「なぜこちらの生徒は文法は完璧なのに話すと途端に詰まるのか」という素朴な観察に、科学的な問いを立てるための言葉を与えてくれます。教室での一人ひとりの違いを「才能の差」や「努力の差」として片付けてしまうのではなく、認知的個人差という視点から捉え直す試み―それがこの論文が私たちに示してくれる最も重要なことかもしれません。


Granena, G. (2025). Predictions of cognitive individual differences in language acquisition: Commentary on Hulstijn (2024). Languages, 10(5), 97. https://doi.org/10.3390/languages10050097

 

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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