はじめに:グローバル化時代の英語教育研究

英語が世界共通語として確立された現代において、効果的な英語教育方法の確立は喫緊の課題となっています。特に文法指導については、コミュニケーション重視の潮流の中で、その位置づけが長年議論されてきました。今回検討する論文”The place of grammar instruction in the 21st century: Exploring global perspectives of English teachers towards the role of teaching grammar in EFL/ESL classrooms”は、この重要な問題に国際的な視点から取り組んだ研究として注目に値します。

本論文「The Place of Grammar Instruction in the 21st Century: Exploring Global Perspectives of English Teachers towards the Role of Teaching Grammar in EFL/ESL Classrooms」は、サウジアラビアのNorthern Border UniversityのMohammad H. Al-khresheh氏とトルコのFirat UniversityのSuheyla Demirkol Orak氏による共同研究です。22カ国から304名の英語教師を対象とした大規模なアンケート調査を通じて、文法指導に対する教師の認識を多角的に分析しています。

研究の背景と意義

文法指導論争の歴史的文脈

この研究が取り上げる文法指導の問題は、第二言語習得研究において長年にわたって論争の的となってきました。20世紀後半以降、英語教育界では文法翻訳法からコミュニケーション・アプローチへのパラダイムシフトが起こり、文法指導の必要性や方法論について激しい議論が交わされてきました。一方では文法は言語の骨格として不可欠であるとする立場があり、他方では自然な言語習得においては文法の明示的指導は不要であるとする立場があります。

著者らは、このような理論的対立の中で、実際に教室で教える教師たちがどのような認識を持っているかを明らかにすることの重要性を指摘しています。教師の信念や認識は、実際の指導実践に直接的な影響を与えるため、効果的な英語教育を考える上で欠かせない要素だからです。

研究の目的と問い

本研究は以下の2つの研究問いを設定しています。第一に、英語教師は文法指導の役割についてどのような認識を持っているのか。第二に、教師の認識は性別、国籍、経験年数、教育背景、年齢によって違いがあるのか。これらの問いは単純に見えますが、実際には英語教育の根幹に関わる重要な問題を扱っています。

研究方法の検討

サンプリング手法の妥当性

研究者らは「スノーボール・サンプリング」という手法を採用しました。これは、最初の参加者が知人を紹介し、その知人がさらに別の知人を紹介するという連鎖的な方法です。この手法は確かに短期間で多くの参加者を集めることができますが、いくつかの重要な問題を抱えています。

まず、参加者の代表性に疑問があります。スノーボール・サンプリングでは、社会的なネットワークを通じて参加者が選ばれるため、似たような背景や考えを持つ人々が集まりやすくなります。例えば、最初の参加者が文法指導に肯定的な教師であれば、その人のネットワークには同様の考えを持つ教師が多く含まれる可能性があります。これにより、結果にバイアスが生じる恐れがあります。

また、インターネットアクセスや英語でのコミュニケーション能力を持つ教師に偏る可能性もあります。22カ国という広範囲から参加者を集めたとはいえ、各国内での地域格差や社会経済的格差は考慮されていません。

調査票の設計と信頼性

研究者らは46項目からなるリッカート尺度の質問票を使用しました。この質問票は先行研究で使用されたものを基に作成され、Cronbach’s α = 0.838という良好な内的整合性を示しています。しかし、質問項目の内容について詳細な検討が必要です。

例えば、「文法は言語の枠組みとして見ることができ、他の側面が構築される基本システムである」という項目は、やや抽象的で、回答者によって解釈が異なる可能性があります。また、文化的背景の違いにより、同じ質問でも異なる意味で理解される可能性があります。

研究者らは質問票を英語で作成したと思われますが、英語が母語でない参加者にとって、微妙なニュアンスの違いが回答に影響を与えた可能性があります。各国の文脈に応じた翻訳や文化的適応の有無についても言及されていません。

研究結果の分析

全体的な傾向

研究結果によると、参加者は文法指導の重要性について総じて肯定的な認識を持っていることが明らかになりました。平均値103.53(最大184)という数値は、4段階評価で2.5を上回る中程度から肯定的な範囲にあります。これは興味深い発見です。なぜなら、近年のコミュニケーション重視の英語教育において、文法指導の価値が軽視される傾向があったにも関わらず、現場の教師たちは依然として文法の重要性を認識しているからです。

特に注目すべきは、教師たちが「優れた文法スキルを持つ学生ほど目標言語をより早く習得する」という点で unanimous agreement(全員一致)を示したことです。これは、理論的議論とは別に、実践的な経験に基づく教師の直感的な理解を反映している可能性があります。

即座の誤り訂正に対する慎重な姿勢

研究結果で特に注目すべきは、教師たちが文法ミスの即座の訂正について慎重な姿勢を示したことです。多くの教師が、即座の訂正は学習者の自信を損なう不要な中断であると考えていました。これは、第二言語習得研究における「情意フィルター仮説」と一致する見解です。学習者の不安や緊張が高まると、言語習得が阻害されるという理論です。

現場の教師たちがこのような認識を持っていることは、理論と実践の橋渡しがうまく機能していることを示しています。ただし、すべての誤りを等しく扱うべきかという点については、より詳細な検討が必要でしょう。

指導法に関する認識

教師たちは帰納的で明示的なアプローチを好む傾向を示しました。帰納的アプローチとは、学習者が具体例から規則を発見する方法で、明示的アプローチとは規則を明確に説明する方法です。一見矛盾するようですが、これは実際の教室では両方のアプローチが組み合わせて使われることが多いことを反映しています。

興味深いのは、文脈に基づく文法指導(context-based teaching)について、すべての参加者が否定的な反応を示したという点です。これは現在の理論的潮流とは異なる結果です。多くの専門家は、文法を孤立して教えるのではなく、意味のある文脈の中で教えることの重要性を強調しているからです。

変数による差異の検討

性別による違いの不在

研究結果では、男女間で文法指導に対する認識に有意差は見られませんでした。これは、少なくとも文法指導に関しては、性別による教育観の違いが大きくないことを示唆しています。ただし、この結果の解釈には注意が必要です。参加者の選択過程で既に特定の傾向を持つ教師群が選ばれている可能性があるからです。

国による影響

22カ国からの参加者において、国による有意差が認められました。これは当然の結果ともいえます。各国の教育政策、文化的背景、英語の位置づけ(外国語 vs 第二言語)などが異なるため、文法指導に対する認識も異なるのは自然です。

しかし、どの国がどのような特徴を示したかについての詳細な分析は提供されていません。これは研究の重要な限界の一つです。例えば、英語圏に近い国々では文法指導への依存度が低く、英語圏から遠い国々では高いといった傾向があるかもしれません。

経験年数の複雑な影響

最も興味深い発見の一つは、経験年数による認識の変化です。興味深いことに、中堅教師(4-6年)が最も文法指導に肯定的で、経験豊富な教師(10年以上)が最も消極的でした。これは単純な経験の蓄積モデルとは異なる複雑なパターンを示しています。

新人教師は理論的な知識に依存し、中堅教師は実践的な必要性を強く感じ、ベテラン教師は様々な方法を試した結果として文法指導以外の要素の重要性を認識するようになる、といった発達段階が存在する可能性があります。

教育背景の予想外の影響

教育背景による差異が統計的に有意であったことも注目に値します。一般的に、高度な教育を受けた教師ほど最新の理論的知識を持ち、伝統的な文法指導から距離を置くと予想されがちです。実際に、博士号取得者が最も低い平均値を示したのは、この予想と一致しています。

しかし、高校卒業者や準学士号取得者が最も高い値を示したことは、教育レベルと教育実践の関係が単純ではないことを示しています。高度な理論的知識が必ずしも効果的な実践につながるわけではないことを示唆している可能性があります。

統計分析手法の適切性

研究者らは記述統計、t検定、一元配置分散分析(ANOVA)を適切に使用しています。特に、等分散性の検定を行い、条件が満たされない場合にはTamhane検定を使用するなど、統計的に適切な手続きを踏んでいます。

ただし、多重比較の問題について十分に考慮されていない可能性があります。複数の変数について同時に検定を行う場合、偶然有意になる確率が高まるため、より厳しい有意水準を設定するか、適切な調整を行う必要があります。

また、効果量の報告がないことも問題です。統計的有意性と実践的重要性は必ずしも一致しません。有意差があっても、その差が教育実践において意味のある大きさなのかは別途検討が必要です。

研究の限界と今後の課題

サンプルの代表性

最も重要な限界は、サンプルの代表性です。スノーボール・サンプリングにより収集された304名のデータが、世界の英語教師全体をどの程度代表しているかは疑問です。また、各国からの参加者数にばらつきがあり、一部の国からの意見が過大に反映されている可能性があります。

文化的要因の未考慮

質問票が英語で作成され、各国の文化的文脈が十分に考慮されていない可能性があります。文法指導に対する認識は、その国の教育制度、社会的期待、言語的背景に深く根ざしているため、これらの要因を考慮しない分析には限界があります。

縦断的視点の欠如

この研究は横断的調査であり、教師の認識が時間とともにどのように変化するかを捉えることができません。特に経験年数による違いについて、真の発達的変化なのか、世代効果なのかを区別することができません。

教育実践への示唆

文法指導の再評価

この研究は、文法指導が現場の教師によって依然として重要視されていることを明確に示しています。コミュニケーション・アプローチの普及により文法指導が軽視される傾向があった中で、この発見は重要な意味を持ちます。文法指導を完全に排除するのではなく、効果的な方法で統合することの必要性が示唆されています。

誤り訂正方法の工夫

即座の誤り訂正に対する教師の慎重な姿勢は、誤り訂正の方法とタイミングについて再考を促しています。学習者の流暢性と正確性のバランスを取りながら、効果的なフィードバックを提供する方法の開発が求められています。

教師研修の重要性

経験年数や教育背景による認識の違いは、継続的な教師研修の重要性を示しています。新人教師には実践的な指導方法を、中堅教師には理論的背景を、ベテラン教師には最新の研究動向を提供するなど、発達段階に応じた研修プログラムの必要性が示唆されています。

研究方法論への提言

より厳密なサンプリング

今後の研究では、層化サンプリングや無作為サンプリングなど、より代表性の高いサンプリング方法の採用が望まれます。各国の教育制度や地域的特性を考慮した、より体系的なアプローチが必要です。

混合研究法の採用

量的調査だけでなく、質的調査を組み合わせることで、教師の認識の背景にある要因をより深く理解することができるでしょう。インタビューや観察調査を通じて、認識と実際の指導実践の関係も明らかにできます。

文化的適応

異文化間研究では、各国の文化的文脈に適応した調査票の開発が不可欠です。単純な翻訳ではなく、文化的等価性を確保した測定尺度の開発が求められています。

理論的貢献と限界

第二言語習得理論への貢献

この研究は、理論と実践の間にある溝を埋める貴重な貢献をしています。研究者の理論的議論と現場教師の実践的知識の間には、しばしば齟齬が生じますが、この研究は現場の声を科学的に分析することで、より現実的な理論構築に寄与しています。

教師認知研究の発展

教師の信念や認識が指導実践に与える影響についての理解を深めています。特に、文法指導という具体的な領域において、国際的な比較データを提供したことは、この分野の発展に重要な貢献をしています。

理論的限界

しかし、認識と実際の指導行動の関係については直接的な証拠を提供していません。教師が文法指導を重要だと考えていても、実際の授業でどのような指導を行っているかは別の問題です。認識と行動の間には様々な制約要因(時間、リソース、カリキュラム要求など)が存在するからです。

今後の研究への提言

縦断的研究の必要性

教師の認識がキャリアを通じてどのように変化するかを追跡する縦断的研究が必要です。これにより、経験による変化の真のパターンを理解することができるでしょう。

学習者視点の統合

この研究は教師の視点に焦点を当てていますが、学習者の認識や学習成果との関連も重要です。教師の文法指導に対する認識が、実際の学習成果にどのような影響を与えるかの検討が求められています。

技術的要因の考慮

デジタル技術の発展により、文法指導の方法も大きく変化しています。オンライン学習、AI を活用した個別指導、ゲーミフィケーションなど、新しい技術的手段に対する教師の認識も重要な研究テーマとなるでしょう。

結論:研究の価値と課題

本研究は、文法指導に対する英語教師の認識について貴重な国際的データを提供しています。304名という大規模なサンプルサイズと22カ国という広範囲な調査は、この分野において重要な貢献をしています。特に、現場の教師が依然として文法指導の重要性を認識していることを実証的に示したことは、理論的議論に重要な示唆を与えています。

しかし、サンプリング方法、文化的要因の未考慮、認識と実践の関係の未検討など、いくつかの重要な限界も存在します。これらの限界を踏まえつつ、研究結果を慎重に解釈し、活用することが重要です。

英語教育の効果的な方法を探求する上で、理論的知識と実践的経験の両方が重要であることを、この研究は改めて示しています。今後は、より厳密な研究方法論を用いながら、理論と実践の統合を目指す研究の発展が期待されます。現場の教師の声に耳を傾けながら、科学的根拠に基づいた英語教育の改善を進めていくことが、グローバル化時代における言語教育の課題解決につながるでしょう。


Al-khresheh, M. H., & Orak, S. D. (2021). The place of grammar instruction in the 21st century: Exploring global perspectives of English teachers towards the role of teaching grammar in EFL/ESL classrooms. World Journal of English Language, 11(1), 9-23. https://doi.org/10.5430/wjel.v11n1p9

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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