東京大学薬学部教授で脳研究者の池谷裕二氏による本書は、生成AIという新しいテクノロジーを、脳科学の視点から捉え直す試みです。タイトルには「人生が変わる」という大胆な表現が使われていますが、著者は単なる技術礼賛に終始することなく、冷静な科学者の目で生成AIの可能性と限界を見つめています。288ページにわたるこの一冊は、私たちがどのように生成AIと向き合い、活用していくべきかを考えるための、実に示唆に富んだ内容となっています。
AIブームの歴史から見えてくるもの
本書は第1章で、生成AIの歴史的な位置づけから始まります。著者は、現在の生成AIブームが実は三度目の「AIブーム」であることを指摘します。第一次ブームは1950年代、マービン・ミンスキー博士が脳の神経細胞を模倣した「人工ニューロン」を発表した時代に遡ります。当時、脳の神経回路に触発された研究者たちは、コンピュータの中で複数の人工ニューロンを繋げて人工的な神経回路を構築しました。
著者は、なぜ過去のAIブームが冬の時代を迎えたのか、そして今回のブームが何故これほどまでに社会に浸透しているのかを丁寧に解き明かしていきます。その鍵となるのが「ディープラーニング」という技術です。
著者の説明によれば、現代のAIは「深い層構造」を持っています。人力層と出力層の間に、少なくとも3つ以上の中間層を持つAIを「ディープラーニング」と呼び、現在では100層を超える深い層を持つAIも存在するのだそうです。この説明を読んでいて印象的だったのは、著者が機械学習を赤ちゃんの学習プロセスに喩えている点です。
たとえば「ネコ」という概念を教える際、私たちは赤ちゃんに順番に画像を見せ、「4つの足で動く」「耳が三角」「眼が丸い」「全身に毛が生えている」といった特徴を教えていきます。現代のAIも同じように、大量の画像を見せることで特徴を学習していくのです。この比喩は、AIの学習方法を直感的に理解する上で非常に有効でした。ただし、著者も指摘するように、AIの学習方法と人間の学習方法は、表面的には似ていても、本質的には異なるものです。
ChatGPTの衝撃—旧式技術の新しい見せ方
本書で特に興味深かったのは、ChatGPTの位置づけに関する議論です。著者は、ChatGPT自体は「数年前に登場した技術を応用しているだけ」であり、科学的には「画期的ではなかった」と率直に語ります。では、なぜこれほどまでの社会的インパクトを与えたのでしょうか。
著者はここでiPhoneを引き合いに出します。iPhone以前から、メールやネット検索、音楽視聴など、個々の機能は存在していました。しかし、Appleはそれらの機能をタッチパネル式のスタイリッシュなデザインに仕上げて発売し、「スマート」なものにしました。ChatGPTもまた、既存の技術を「一般に公開した」ことで、まったく意味合いが変わってきたのです。
私たちはしばしば技術の「新しさ」ばかりに目を奪われがちですが、本当に大切なのは、その技術がどのように人々にアクセス可能な形で提供されるかなのです。ChatGPTが初日から日本語を使うことができた点も、日本での普及に大きく寄与しました。著者が「昨日の発表みたり」「これは大変なものが出てきた」と興奮した口調で語っていたことを、AI関係のセミナーに出席した時のエピソードとして紹介していますが、この臨場感は読者にも伝わってきます。
教育現場での実験—落第者が3倍に増えた理由
第2章では、著者自身が大学で行った興味深い実験が紹介されています。試験問題をChatGPTで作成したところ、例年よりも3倍ほど多くの学生が不合格になったというのです。
この結果だけを聞くと、ChatGPTが難解な問題を作ったのだろうと想像しがちです。しかし、著者の分析は異なります。学生たちは、過去の試験問題の傾向を分析し、「池谷先生は過去問を解きやすくする」という対策を練っていました。つまり、本質的な学力を身につけるのではなく、傾向と対策に頼っていたのです。
ChatGPTが作った問題は、そうした傾向を完全に無視していました。結果として、「どんな問題が出てもきちんと解ける」という真の学力を持たない学生が露呈してしまったのです。この実験は、生成AIが教育現場にもたらす変化を象徴的に示しています。
著者は、この実験を通じて、学力というものの本質について考えさせられたと述べています。私も教育に携わった経験がありますが、学生が「問題の解き方」だけを学び、その背後にある原理を理解しようとしない姿を何度も目にしてきました。生成AIの登場は、そうした表面的な学習方法の限界を明らかにしたと言えるでしょう。
一方で、著者は生成AIを教育現場で活用する方法も提案しています。たとえば、自分だけに特化した「ゴーストライター」として活用する方法です。生成AIは、個人の好みや文体を学習し、その人に合わせた文章を生成することができます。ただし、著者は「最大公約数的な内容になりがち」という生成AIの限界も指摘しています。
写真編集の民主化—誰もが「うまい写真」を撮れる時代
本書で取り上げられているもう一つの興味深いテーマは、生成AIによる写真編集です。著者は、GoogleのPhotosやAdobe Photoshopなどのサービスを例に挙げ、生成AIが写真撮影の世界に革新をもたらしていることを説明します。
特に印象的だったのは、背景の再現に関する記述です。たとえば国会議事堂の前で写真を撮った際、誰かの影になって背景が見えない部分があったとします。従来であれば、その部分は諦めるしかありませんでした。しかし、生成AIは、国会議事堂の膨大な画像データを学習しているため、見えない部分を違和感なく補完してくれるのです。
著者は、これを「調整は完璧」と表現していますが、私はここに一つの疑問を感じました。確かに技術的には素晴らしい進歩です。しかし、「写真」というものの本質は何なのでしょうか。その瞬間にそこにあったものを記録するのが写真の役割だとすれば、AIが補完した部分は、もはや「記録」ではなく「創作」になるのではないでしょうか。
この問いは、本書全体を通じて繰り返し浮かび上がってくるテーマでもあります。生成AIは、私たちの創造性を拡張するのか、それとも何か本質的なものを失わせるのか。著者はこの問いに対して明確な答えを出すことはしませんが、読者に考える材料を豊富に提供してくれます。
「私」よりも「私」を知る存在—パーソナライゼーションの可能性
第3章では、生成AIのパーソナライゼーション能力について論じられています。ここで著者が強調するのは、「パーソナライズド・メディスン(個別医療)」という概念です。
人間には個性があり、同じ病気でも人によって最適な治療法は異なります。平均的な返答をするだけのAIでは、個人の体質や病気の状態に合わせた治療は困難です。しかし、生成AIは個人のデータを学習し、その人に最適化された提案をすることができます。
著者は、肺がん、乳がん、すい臓がんなど、様々な種類の病気に対して、人によって治療法は異なると指摘します。生成AIがその人の体質や病気の状態を理解し、治療効果が格段に向上する可能性があるのです。
この章で印象的だったのは、「チームプレイ」に関する記述です。AIは単独でもゲームを上手にこなすことができますが、複数対複数の団体戦、いわゆる「チームプレイ」においては、自主的にサポート役に徹することができるようになってきているというのです。これは、AIが単なる道具から、協働するパートナーへと進化していることを示しています。
私の知人で医療関係者がいますが、彼は「AIが患者の過去のデータを全て記憶し、最適な治療法を提案してくれたら、どれほど助かるか」と話していました。医師は日々多くの患者を診察し、膨大な情報を処理しなければなりません。生成AIがその負担を軽減し、より個別化された医療を提供できる可能性は、まさに「人生を変える」インパクトを持っていると言えるでしょう。
AIが論文を読む時代—学術界の地殻変動
第4章「生成AIが抱える10の問題」では、著者自身の研究生活に直結する、論文執筆と査読の問題が取り上げられています。ここで著者が提示する見解は、衝撃的です。
著者によれば、90%以上の論文の読者は、もはや人間ではなく生成AIになっているというのです。研究者たちは、膨大な数の論文を全て読むことができないため、生成AIに要約させて内容を把握しています。この状況を受けて、著者は学生たちに「自分の論文を生成AIに要約させてみよう」と指導しているそうです。
つまり、論文は人間に向けて書くのではなく、AIが読むことを前提に書く時代になってきているのです。これは学術界における大きなパラダイムシフトです。従来、論文は同じ分野の専門家に向けて書かれてきました。しかし今後は、「AIが理解しやすいように工夫しながら論文を書くこと」が高く評価されるようになるかもしれません。
この変化は、一見すると効率化に思えます。しかし、著者は重要な問題を提起しています。論文を読まなくなると、どのような問題が起こるのでしょうか。人間は、論文をしっかりと読み込むことで、著者の思考プロセスを追体験し、新たな発見や疑問を得てきました。それが単なる要約に置き換わってしまったとき、私たちは何か大切なものを失うのではないでしょうか。
著者は「人間の審査基準をクリアするクオリティに仕上げることは依然として求められます」と述べていますが、この「審査基準」そのものが、AIの時代にどう変化していくのかが問われています。私自身、学生時代に論文を読み込むことで、著者の論理展開の巧みさや、データの解釈における微妙なニュアンスを学んできました。そうした深い理解が失われることへの懸念は、決して杞憂ではないでしょう。
医療業界での画像診断—期待と課題
本書では、医療業界における生成AIの活用についても詳しく触れられています。特に画像診断の分野では、AIが大きな成果を上げているとのことです。
レントゲンやCT、MRIなどの医療画像を解析し、病変を検出する作業は、従来は医師の経験と知識に大きく依存していました。しかし、生成AIは膨大な画像データを学習することで、時には人間の医師よりも正確に病変を発見できるようになってきています。
ただし、著者はここでも安易な楽観論に流れることはありません。AIが優れた診断能力を持っていたとしても、最終的な判断と責任は人間の医師が負わなければならないという点を強調しています。また、AIがどのような根拠でその判断に至ったのかが不透明である「ブラックボックス」問題についても言及しています。
医療の現場では、なぜその診断を下したのかを患者に説明できることが極めて重要です。AIが「この画像には異常がある」と判断しても、その根拠を説明できなければ、患者の信頼を得ることはできません。この問題は、生成AIの活用における根本的な課題の一つと言えるでしょう。
アートと創造性—レンブラントの夜警の再現
本書では、生成AIがアートの世界でどのように活用されているかについても触れられています。特に興味深いのは、古代ギリシャ文字の再現や、レンブラントの有名な絵画「夜警」の欠損部分を再現したプロジェクトです。
「夜警」は、もともと大きな絵画でしたが、18世紀に展示場所に合わせて切り詰められ、周囲の部分が失われてしまいました。研究者たちは、AIを使ってレンブラントの画風を学習させ、失われた部分を再現することに成功したのです。
この事例は、生成AIの可能性を示すと同時に、創造性とは何かという根源的な問いを投げかけています。AIが生成した部分は、果たして「レンブラントの作品」と呼べるのでしょうか。それとも、レンブラント風の「偽物」なのでしょうか。
著者は、こうしたアートへの応用について、肯定的にも否定的にも断定していません。しかし、読者に対して、創造性の本質について考えるきっかけを与えてくれます。私自身、美術館で絵画を鑑賞するとき、その作品が生み出された背景や、画家の人生、時代背景などを想像することが、鑑賞の醍醐味だと感じてきました。AIが生成したアートには、そうした「物語」が欠けているのではないかという思いがあります。
テトリスを自分で作る—プログラミング教育の変容
第2章では、生成AIを使ってテトリスのようなゲームを作る例が紹介されています。これは、プログラミング教育における生成AIの活用を象徴する事例です。
従来、ゲームを作るには、プログラミング言語を学び、アルゴリズムを理解し、何時間もコードを書く必要がありました。しかし、生成AIに「テトリスのようなゲームを作って」と指示すれば、数分で動作するプログラムを生成してくれます。
これは素晴らしい進歩のように見えますが、同時に懸念もあります。プログラミングを学ぶ過程で、私たちは論理的思考力や問題解決能力を養ってきました。AIに頼りすぎることで、そうした基礎的な能力が育たなくなるのではないでしょうか。
著者は、この点について直接的な答えを示していませんが、教育における生成AIの役割について、慎重な姿勢を保っています。生成AIは、学習を効率化するツールとして有用ですが、それが学習そのものを代替してはならないのです。
身体性の問題—AIにできないこと
第6章「生成AIは未来を導く『神』なのか?」では、本書の中で最も哲学的な議論が展開されます。ここで著者が焦点を当てるのは、「身体性」という概念です。
AIには「身体」がありません。嗅覚AIは人間の嗅覚のコピー、つまり「デジタルツイン(仮想双子)」と呼べるものですが、実際に香りを嗅ぐわけではありません。ロボットにAIを搭載すれば身体を持つことになりますが、それでもなお、人間の脳と身体の関係とは根本的に異なります。
著者は、AIとロボット、人間の脳と身体の関係性を比較します。人間の場合、脳と身体は一体不可分です。私たちの思考や感情は、身体の状態に大きく影響されます。疲れているとき、空腹のとき、痛みを感じているとき、私たちの判断や感情は変化します。
一方、AIとロボットは、たとえ接続されていても、根本的には別個の存在です。AIは、ロボットというハードウェアがなくても存在できますし、異なるロボットに載せ替えることもできます。この違いは、一見些細なことのように思えますが、実は非常に重要です。
人間の知性は、身体を通じた世界との相互作用の中で育まれてきました。赤ちゃんは、自分の手を動かし、物をつかみ、口に入れることで、世界を理解していきます。この身体的な経験が、抽象的な思考の基盤となっているのです。AIには、こうした身体を通じた学習のプロセスがありません。
著者は、この「身体性の欠如」が、AIの本質的な限界になると示唆しています。どれだけデータを学習しても、実際に痛みを感じたり、喜びを味わったりすることができないAIは、人間と同じような知性を獲得することはできないのかもしれません。
読書感想文を書かせてみる—創造性の核心
本書では、生成AIに読書感想文を書かせる実験についても触れられています。これは、創造性とは何かを考える上で、非常に示唆的な事例です。
生成AIは、確かに流暢な文章を生成できます。しかし、著者が指摘するように、その内容は「最大公約数的」になりがちです。つまり、多くの人が書きそうな、無難で平均的な感想文になってしまうのです。
本当に心を打つ読書感想文は、その人独自の経験や価値観、感性が反映されたものです。同じ本を読んでも、育った環境や人生経験によって、受け取り方は千差万別です。AIには、この「個人的な経験に基づく独自の解釈」を生み出すことができません。
ここに、人間の創造性の本質があるように思います。創造性とは、単に新しいものを生み出すことではありません。自分の内面と向き合い、自分なりの意味を見出し、それを表現することなのです。生成AIは、確かに「新しい組み合わせ」を作ることはできますが、そこに真の意味での「個性」はあるのでしょうか。
ノーベル賞や特許は取れるのか—知的所有権の問題
本書の目次には「生成AIはノーベル賞や特許をとれるのか」という項目がありました。これは、法律的な問題であると同時に、哲学的な問題でもあります。
現行の法律では、発明や創作の主体は人間でなければなりません。AIが独自に何かを生み出したとしても、それは道具を使った人間の創作物とみなされます。しかし、技術の進歩により、この前提が揺らいできています。
もしAIが人間の指示なしに、画期的な発見や発明をしたらどうでしょうか。その功績は誰に帰属するのでしょうか。AIを開発したプログラマーでしょうか。それともAIを所有する企業でしょうか。あるいは、AI自身に権利を認めるべきなのでしょうか。
著者は、この問題に対して明確な答えを提示していませんが、私たちが近い将来直面するであろう重要な課題として提起しています。この議論は、「AIとは何か」「知性とは何か」「創造性とは何か」という根本的な問いに繋がっています。
AI兵器の問題—倫理的なジレンマ
本書の目次には「AI兵器は人類のためになるのか?」という項目もありました。これは、生成AIの応用において、最も議論が分かれるテーマの一つです。
AI技術は、軍事分野でも積極的に活用されています。自律型兵器システムは、人間の判断を介さずに攻撃目標を選定し、攻撃を実行することができます。これは、戦場での人的被害を減らす可能性がある一方で、深刻な倫理的問題を孕んでいます。
誰かを殺傷するという決定を、機械に委ねてよいのでしょうか。AIがもし誤った判断をした場合、その責任は誰が負うのでしょうか。また、AI兵器の開発競争が激化することで、新たな軍拡競争が始まるのではないでしょうか。
著者がこの問題をどのように論じているかは、本書を直接読んで確認していただきたいのですが、これは単なる技術の問題ではなく、人類の未来をどう設計するかという根本的な選択に関わる問題です。
情報整理の得意技—生成AIの実用的価値
本書では、生成AIの実用的な側面として、情報整理能力についても触れられています。膨大な情報があふれる現代社会において、必要な情報を見つけ出し、整理する能力は極めて重要です。
生成AIは、大量のテキストデータから要点を抽出し、分かりやすく整理することに長けています。会議の議事録を自動的に要約したり、複数の文献から共通点を抽出したり、複雑なデータを視覚化したりすることができます。
これは、多くのビジネスパーソンや研究者にとって、非常に有用な機能です。私自身も、日々膨大な情報に接する中で、「重要な情報を見逃していないか」「効率的に情報を処理できているか」という不安を感じることがあります。生成AIがこうした作業を支援してくれることで、より創造的な仕事に時間を使えるようになるでしょう。
ただし、ここでも注意が必要です。AIが整理した情報を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考え、判断することが重要です。AIは便利なツールですが、思考の代替物ではありません。
古代文字の解読—AIの学術的貢献
本書で紹介されている事例の中でも、特に印象深かったのが、古代ギリシャ文字の解読です。長年読めなかった古代の文字を、AIが解読に成功したというのです。
これは、AIの学術的な貢献を示す素晴らしい例です。人間の研究者が何年もかけても解読できなかった文字を、AIはパターン認識能力を駆使して読み解くことができます。これにより、失われた歴史や文化に光が当てられる可能性があります。
この事例は、AIと人間が協働することで、新しい知見が得られることを示しています。AIは人間を置き換えるのではなく、人間の能力を拡張するツールとして機能するのです。これこそが、本書のタイトルにある「コラボ」の真の意味ではないでしょうか。
バーチャルフライトとタンパク質—科学研究の新展開
本書では、「バーチャルフライト」やタンパク質の構造解明など、生成AIが科学研究に貢献している事例も紹介されています。これらは、一般の読者にはやや専門的な内容かもしれませんが、AIの可能性を理解する上で重要です。
タンパク質の構造予測は、医薬品開発において極めて重要です。従来、タンパク質の立体構造を解明するには、X線結晶構造解析などの時間とコストのかかる実験が必要でした。しかし、DeepMindが開発したAlphaFold2というAIは、アミノ酸配列からタンパク質の立体構造を高精度で予測することができます。
これは、医学や生物学の研究を劇的に加速させる可能性があります。新しい薬の開発や、病気のメカニズムの解明が、より迅速に行えるようになるのです。著者は脳科学者として、こうした技術の進歩に大きな期待を寄せていることが文章から伝わってきます。
脳科学者ならではの視点—本書の最大の魅力
本書を読んで最も印象に残ったのは、著者が一貫した脳科学者としての視点です。生成AIを論じる本は数多く出版されていますが、本書のように脳と比較しながら論じているものは珍しいでしょう。
著者は、AIと人間の脳の共通点と相違点を、専門的な知識に基づいて説明しています。たとえば、ニューラルネットワークは脳の神経回路を模倣していますが、その学習メカニズムは脳とは大きく異なります。また、先述した「身体性」の問題も、脳科学者ならではの洞察です。
さらに、著者は実際に生成AIを使いこなしている実践者でもあります。大学の講義で試験問題を作らせたり、学生に活用方法を教えたりしている経験が、本書の説得力を高めています。理論だけでなく、実践に基づいた知見が豊富に盛り込まれているのです。
建設的な提言—単なる批判に終わらない姿勢
本書の優れた点は、生成AIの問題点を指摘するだけでなく、建設的な提言を行っている点です。著者は、生成AIを盲目的に礼賛することも、頭ごなしに否定することもしません。
たとえば、論文がAIに読まれる時代になることへの懸念を示しながらも、だからこそ研究者はAIにも理解しやすい論文を書く技術を身につけるべきだと提案しています。また、教育現場での活用についても、単に「AIに頼るな」と言うのではなく、AIとどう付き合うべきかを考えることの重要性を説いています。
この姿勢は、技術と向き合う上で非常に重要です。新しい技術が登場したとき、私たちはしばしば二極化した議論に陥りがちです。しかし、本当に大切なのは、その技術の特性を理解し、うまく活用する方法を見つけることなのです。
本書が投げかける根本的な問い
本書を読み終えて、一つの根本的な問いが心に残りました。それは、「人間とは何か」という問いです。
生成AIは、私たちが「知的」だと考えてきた多くの作業を、人間よりも速く、正確にこなすことができます。文章を書き、絵を描き、音楽を作曲し、コードを書き、問題を解く。こうした能力は、長らく人間の知性の証とみなされてきました。
しかし、AIがこれらのことをできるようになったとき、人間の特別さはどこにあるのでしょうか。著者が指摘する「身体性」は、その答えの一つかもしれません。私たちは、身体を持ち、感情を持ち、他者との関係の中で生きている存在です。この「生きている」という経験そのものが、AIとの決定的な違いなのかもしれません。
本書は、こうした深い問いを読者に投げかけながら、同時に実用的な知識も提供してくれる、バランスの取れた一冊です。288ページという分量は決して短くありませんが、著者の語り口は平易で、専門的な内容も分かりやすく説明されています。
最後に—「人生が変わる」というタイトルの意味
本書のタイトルには「人生が変わる」という言葉が使われています。読み終えた今、この言葉の意味が少しずつ見えてきました。
生成AIは、確かに私たちの生活を便利にし、仕事を効率化してくれます。しかし、本当の意味で「人生を変える」のは、AIそのものではなく、AIという存在を通じて、私たち自身が変わることなのではないでしょうか。
AIと向き合うことで、私たちは改めて「人間らしさ」とは何かを考えるようになります。AIにできないことは何か、人間だからこそできることは何かを見つめ直すのです。この自己省察のプロセスこそが、「人生を変える」契機となるのかもしれません。
池谷裕二氏は、科学者としての冷静さと、実践者としての熱意を兼ね備えた視点から、生成AIの現在と未来を描き出しています。本書は、これからの時代を生きる私たちにとって、必読の一冊と言えるでしょう。生成AIという新しい道具を手に入れた私たちが、それをどう使い、どう向き合っていくべきか。その答えを見つけるための重要な指針として、本書は長く読み継がれていくに違いありません。
池谷裕二. (2024). 生成AIと脳: この二つのコラボで人生が変わる (扶桑社新書). 扶桑社.
