この論文が問いかけること
英語を「生活の中で自然に身につける」のと「教室で勉強して習得する」のとでは、脳の中で起きていることがどう違うのか。この問いは、英語教師なら誰しも一度は直感的に感じたことがあるはずです。留学から帰ってきた学生が急に流暢になる一方で、文法テストで満点を取り続けている学生がなかなか話せるようにならない―そういった現象を、私たちは経験則として知っています。しかし「なぜそうなるのか」を、脳の活動パターンというレベルで実証的に整理しようとする試みは、意外にもまだ体系的にはなされていませんでした。
本論文”Implicit and explicit processes in language acquisition and learning: A systematic review of neuroimaging studies”は、ペルーのアレキパ国立大学のMargit Julia Guerra-Ayalaらによって執筆され、2025年の『World Journal of English Language』第15巻第8号の特集号に掲載されました。著者のGuerro-Ayalaは教育心理学と心理言語学を専門とする研究教授であり、共著者のGretel Emperatriz Zegobia-VilcaとClaret Aurelia Cuba-Raimeも同大学の言語学・文学部門に所属しています。南米の研究者が英語習得の神経科学的メカニズムを分析したという点は、それ自体として興味深い文脈を持っています。スペイン語を母語とする環境での英語学習という実体験が、研究の問題意識を鋭く研ぎ澄ましているとも言えるでしょう。
研究の骨格―何を、どのように調べたか
この研究は「システマティック・レビュー」と呼ばれる手法を採用しています。これは、ある特定の問いに対して、過去に発表された研究論文を網羅的に収集し、一定の基準に沿って選別・分析する方法です。自分で実験をするのではなく、先行研究の知見を体系的に整理することで、個々の研究では見えにくい全体像を描き出すことを目的とします。図書館で膨大な文献を読み込んでいく地道な作業ですが、その価値は、単一の実験では得られない広い視野にあります。
著者らはScopus、PubMed、ScienceDirectという三つの主要学術データベースを対象に、2015年から2024年の間に発表されたfMRI(機能的磁気共鳴撮像)、EEG(脳波)、ERP(事象関連電位)、fNIRS(機能的近赤外分光法)、DTI(拡散テンソル画像)といった神経画像技術を用いた研究を検索しました。最初に111件が候補として挙がり、PRISMA 2020というガイドラインに従って厳格な選別を行った結果、最終的に18件の実証研究が分析対象として選ばれています。
研究の中心的な枠組みは、L2(第二言語)とFL(外国語)の区別です。この二つは日常的には混用されがちですが、著者らは明確に線引きしています。L2とは、英語が日常的に使われる環境の中で自然に習得されるもの、たとえばアメリカに移住した人が生活の中で英語を身につけていくプロセスです。一方のFLは、英語が日常生活では使われていない国で、週に数時間の授業を通じて学ぶ形態を指します。日本における英語教育は、まさにこのFL学習の典型と言えます。この区別が、神経科学的な観点から見て非常に重要な意味を持つことが、この論文の核心です。
脳科学の基礎をおさえる
論文の内容を理解するために、少し脳科学の基本を整理しておきましょう。私たちの記憶には大きく二種類あります。一つは「宣言的記憶」、もう一つは「手続き記憶」です。宣言的記憶とは、「東京の首都はどこか」とか「英語でappleは何か」といった、意識的に覚え、言葉で表現できる知識のことです。これを担うのが、脳の中の海馬という部位です。一方、手続き記憶とは、自転車の乗り方や楽器の演奏のように、繰り返し練習することで意識しなくてもできるようになるスキルです。これには大脳基底核や運動関連領域が関わっています。
言語習得においても、この区別が重要です。教室でルールを学んで意識的に文を組み立てるのは宣言的記憶の働きによるものであり、ネイティブスピーカーが何も考えずに自然に文法的に正しい文を産出するのは手続き記憶が自動化された結果です。Ullman(2020)の「宣言的・手続き的モデル」は、この二つの記憶システムが言語習得においてどのように機能するかを説明する有力な理論であり、本論文もこのモデルを重要な理論的基盤として採用しています。
主要な知見―L2とFLで脳は何が違うか
論文が整理した知見の中で、最も一貫して浮かび上がってきたのが「下前頭回(IFG)」という脳領域の役割の違いです。FL学習者では、文法ルールの意識的な適用や音韻の符号化という課題においてIFGが強く活性化します。音楽でたとえるなら、楽譜を一音一音読みながら鍵盤を押さえていくような、意識的で努力を要するプロセスです。一方、L2習得者では、同じIFGが活性化しつつも、上側頭回(STG)や側頭頭頂接合部(TPJ)といった聴覚処理や社会的統合に関わる領域と協調して動くことが確認されています。これは楽器を長年演奏してきた人が、自然に感情を乗せて演奏するようなものです。同じ脳領域を使いながらも、ネットワークの広がり方が根本的に異なるのです。
また、海馬の関与パターンも重要です。FL学習では、語彙の意識的な暗記や想起の場面で海馬が顕著に活性化します。これは大学受験のために英単語帳を何度もめくるような学習を想起させます。対してL2習得では、同じ語彙処理でも大脳基底核や運動関連領域が相対的に活発になります。これは、日常会話の中で繰り返し単語を耳にすることで、意識的な努力なしにその語彙が脳内に刻み込まれていくプロセスを反映しています。
機能的結合性のパターンも、学習文脈によって大きく異なることが示されています。FL学習者の脳では、前頭葉の実行制御ネットワーク内部での結合が強化され、言語処理が分析的・局所的に行われます。一方、L2習得者では聴覚、運動、社会的脳領域をまたぐ分散したネットワークが発達し、コミュニケーション的な流暢さと適応力を支えています。FL学習者のほうが文法精度は高くなりやすいものの、即興的な口頭表現には制約が生じやすいというのは、まさにこの神経学的差異の表れと言えるでしょう。
論文の評価―何が優れていて、何が課題か
この論文の最大の貢献は、L2とFLという概念の区別を神経科学的エビデンスの文脈で丁寧に整理し直した点です。「L2とFLは違う」という主張自体は言語学の世界では以前から存在しますが、それが具体的に脳のどこでどう違うのかを、18件の神経画像研究の知見を通じて体系化したことは、言語教育と認知神経科学の橋渡しとして意義があります。PRISMA 2020というガイドラインに忠実に従い、データベース横断的な検索と透明性の高い選別プロセスを採用していることも、方法論的な信頼性を高めています。
ただし、いくつかの限界も正直に指摘しておかねばなりません。論文自体もその点を「Limitations」のセクションで率直に認めていますが、最終的に選ばれた18件の研究は、「英語」という言語に絞った後に残った数です。神経画像研究は実験設計や参加者の特性が多様であり、18件という数字からは強固な統計的結論を引き出すことには慎重であるべきです。たとえばメタ分析のように数値化された効果量をもって知見を統合する手法とは異なり、今回のシステマティック・レビューはあくまでも記述的な整理に留まっています。
また、論文が指摘するように、採用した研究の多くが「L2」と「FL」を必ずしも一貫した定義のもとで使用していない問題があります。これは分野全体の課題でもあり、今回の論文だけで解決できるものではありませんが、結果の解釈には十分な注意が必要です。さらに、習得開始年齢、学習時間の総量、社会経済的背景といった変数の統制が研究ごとに異なり、神経画像所見の差異がこれらの交絡因子によるものかどうかを判断する材料が乏しい場面もあります。
関連研究との対比―この論文はどこに位置づけられるか
本論文が理論的支柱とするUllmanの宣言的・手続き的モデルは、第二言語習得研究において確立された枠組みですが、一方でEllis(2005)らによる「使用依拠理論(Usage-Based Theory)」との対話はやや手薄です。使用依拠理論では、頻度・文脈・社会的相互作用が文法知識の内面化に与える影響を強調しますが、これは本論文が示すL2の分散型ネットワーク発達という知見と整合性が高く、統合的に論じる余地があったでしょう。
また、バイリンガリズム研究との関係も重要です。Bialystokらが長年にわたって研究してきた「バイリンガル・アドバンテージ」の議論は近年批判的検討にさらされていますが、本論文が示す機能的結合性のパターンは、単なる二言語使用の有無ではなく学習文脈の性質こそが脳の可塑的変化を規定するという視点を補強するものです。この点をより明示的に先行研究との対話の中で位置づければ、論文の学術的インパクトはさらに大きくなったと考えられます。
さらに、近年注目を集めているCortex Embodied Cognitive Approachや予測符号化(Predictive Coding)の枠組みとの接続も検討に値します。L2習得者の脳が聴覚・運動・社会的領域を横断する分散ネットワークを発達させるという本論文の知見は、言語理解が身体的な経験や社会的文脈と不可分であるという体化認知の視座とも深く共鳴しています。
日本の英語教育への示唆
ここからが日本の教育現場に直接関わる話です。日本における英語教育は、週に数時間の授業を主たる入力源とする典型的なFL環境であり、本論文が描くFL学習者の神経的プロファイル―すなわち宣言的記憶への依存、前頭葉実行系の過剰活性化、分散ネットワークの発達不足―がそのまま当てはまる可能性が高いです。
この観点から本論文の主張を日本の文脈に読み直すと、示唆は非常に具体的です。文部科学省が推進してきたコミュニカティブ・アプローチや、近年の学習指導要領における「英語で英語を教える」方針は、神経科学的に見れば妥当な方向性です。本論文が示す通り、自然な文脈での意味交渉を繰り返すことで、前頭葉の分析的ネットワークだけでなく、TPJやSTSといった社会的統合に関わる脳領域も活性化されうるからです。
しかし同時に、日本という環境の構造的な制約を無視することもできません。授業時間外に英語を使う機会が極めて限られているという現実は、神経可塑性を生じさせるのに十分な言語入力量の確保という課題を突きつけています。この点で、デジタル技術を活用した豊富な真正入力の提供は、単なる技術活用の話ではなく、FL環境における脳の可塑的変化を最大化するための戦略的必要性として捉え直す必要があります。Yang et al.(2024)のモバイルアプリを用いた音声訓練研究が本論文に含まれていることは、この方向性を支持するエビデンスの一つです。
また、本論文が強調する評価方法の転換も重要です。文法テストや穴埋め問題中心の評価は、宣言的記憶の精度を測るには適していますが、手続き記憶として自動化された言語能力の評価には不向きです。タスク遂行型、口頭でのやりとり型の評価を重視することは、学習者の神経系に根づいた言語能力をより正確に測定することにつながります。
一方で過度な単純化には警戒も必要です。「教室学習では自動的な言語能力は育たない」という結論に飛びつくことは危険です。本論文が引用するSakai et al.(2021)の研究は、海外でのL2環境でも読み書きと聴くこととでは脳の活性化パターンが異なることを示しており、学習の様式や媒体によって神経的影響は多様に変化します。つまり、FL環境における授業設計の工夫次第で、ある程度は自然なL2習得に近い神経的プロセスを促せる可能性は十分あるのです。
この論文が残した問いと、これから求められる研究
著者らが結論と限界の節で率直に述べているように、今後の研究には縦断的なデザインが強く求められます。学習者が時間をかけてFL環境からL2環境へと移行する(たとえば留学)際に、脳のネットワーク構造がどのように変化していくかを追いかけるデータはほとんど存在しません。それを明らかにすることができれば、「いつ、どのような経験が、どの程度の神経可塑的変化をもたらすか」という問いに答える糸口になるはずです。
また、参加者の年齢幅の問題も残ります。本論文でレビューされた多くの研究は成人学習者を対象としており、児童・生徒期の学習者を対象とした神経画像研究は依然として少数です。日本の英語教育が小学校から始まっていることを考えると、臨界期以前の学習開始が脳のネットワーク形成に与える影響を解明することは、実践上の意義が大きいはずです。
加えて、情動的・動機づけ的要因と神経活動の関係はこの論文ではほとんど触れられていません。英語に対する不安や自己効力感は、前頭前野と扁桃体の関係を介して言語処理に影響することが示唆されており、これはFL学習者の脳のプロファイルを理解する上で欠かせない変数です。日本の英語学習者に特有の高い不安傾向を考えれば、この次元の探求は特に重要でしょう。
総括
本論文は、神経画像研究という技術的な専門知識と、言語教育という実践的関心を結びつけようとする誠実な試みです。L2とFLという区別が単なる用語上の問題ではなく、脳の中での処理様式の根本的な違いとして現れることを体系的に示した点は、研究者にとっても教育実践者にとっても価値のある知見です。論文の範囲と深さには改善の余地があり、理論的対話の豊かさという点でも発展の余地はあります。しかし、「なぜ教え方を変えなければならないのか」という問いに神経科学のレベルで答えようとするこの研究姿勢は、今後の言語教育研究が向かうべき方向性を示しています。
教室という場所が、果たして言語を本当の意味で「習得」させることができるのか。その問いは今も開かれたままですが、少なくともこの論文は、私たちが何を問うべきかを、より鮮明に見せてくれています。
Guerra-Ayala, M. J., Zegobia-Vilca, G. E., & Cuba-Raime, C. A. (2025). Implicit and explicit processes in language acquisition and learning: A systematic review of neuroimaging studies. World Journal of English Language, 15(8), 309–318. https://doi.org/10.5430/wjel.v15n8p309
