研究の背景と筆者について

この論文”Translanguaging in the development of EFL learners’ foreign language skills in Turkish context”を執筆したのは、トルコのBahcesehir大学の博士課程に在籍するMuhammet Yasar Yuzluと、ノルウェーのStavanger大学で教授を務めるKenan Dikilitasです。Yuzluはトルコの教育省で英語教師として働きながら研究を続けており、実際の教室で起こっていることを肌で感じている実践者でもあります。一方、Dikilitasは教師教育や現職教員の能力開発を専門とする研究者で、長年にわたって様々な教育現場を見てきた経験を持っています。

この研究が生まれた背景には、外国語教育における長年の論争があります。英語を教える時、生徒の母語を使うべきなのか、それとも英語だけで教えるべきなのか。この問いは、英語教師なら誰もが一度は悩んだことがあるでしょう。日本でも「オールイングリッシュ」の授業が推奨される一方で、実際の教室では生徒が理解できずに困惑する場面を目にすることがあります。

トランスランゲージングとは何か

この研究の中心となる「トランスランゲージング」という概念は、日本ではまだあまり馴染みがないかもしれません。これは、二つの言語を別々のものとして扱うのではなく、学習者が持っているすべての言語資源を自由に使いながら学ぶという考え方です。

たとえば、料理に例えてみましょう。従来の外国語教育は、和食と洋食を完全に分けて、洋食を作る時は和食の調味料や道具を一切使ってはいけないというルールのようなものでした。しかし、トランスランゲージングの考え方では、醤油もバターも、どちらも使える調味料として、料理の目的に応じて自由に組み合わせることができます。実際の料理人が創作料理を作る時、和と洋の境界を気にせず、美味しいものを作ることを第一に考えるように、言語学習者も目的に応じて母語と外国語を自由に使い分けられるべきだという発想です。

研究の方法と対象

Yuzluたちは、トルコ北部の高校で10週間にわたる実験を行いました。対象となったのは、中級レベルの生徒60人と、上級レベルの生徒60人の合計120人です。これらの生徒は、全国の高校入試で上位3パーセントに入るほど優秀な学生たちでした。

研究のデザインは次のように設計されています。中級レベルの生徒を30人ずつ二つのグループに分け、一方は従来の文法訳読法で授業を受け、もう一方はトランスランゲージングの手法で学びます。同様に、上級レベルの生徒も30人ずつ二つのグループに分け、一方はコミュニカティブ・アプローチ(英語のみで行う授業)で、もう一方はトランスランゲージングで学びます。

興味深いのは、すべての授業を第一筆者のYuzlu自身が担当したことです。これには長所と短所があります。長所は、教師による指導の質のばらつきがないこと。短所は、研究者自身が教えることで、無意識のうちに実験群に有利な指導をしてしまう可能性があることです。

トランスランゲージングの具体的な実践

論文の付録には、実際にどのような活動が行われたのかが記されています。たとえば、休暇の種類について考える活動では、生徒たちはまずトルコ語でも英語でも好きな言語で休暇の種類をブレインストーミングし、その後ペアで英語の意味マップを作成しました。また、思い出を書く活動では、まず好きな言語で思い出を書き、お互いに読み合って出来事をどう並べるか観察し、その後英語で物語を書くという流れでした。

このアプローチの特徴は、思考の段階では母語を使うことを許し、産出の段階で英語を使うという柔軟性にあります。これは、私たちが日本語で物事を深く考えてから英語で発表する時の自然なプロセスに似ています。

研究結果の数値が示すもの

統計的な分析の結果は、トランスランゲージングの効果を明確に示しています。文法訳読法で学んでいたグループと比較すると、トランスランゲージングを経験したグループは、聞く、話す、読む、書くの四つのスキルすべてにおいて有意に高い成績を示しました。効果量(どれだけ違いがあるか)は0.56と計算され、これは統計学的に「大きな効果」とされる数値です。

また、コミュニカティブ・アプローチ(英語のみ)で学んでいたグループと比較しても、トランスランゲージングのグループの方が優れた成績を示しました。こちらの効果量は0.22で、やや小さいものの、やはり「大きな効果」の範囲に入ります。

ただし、ここで注意が必要なのは、数値の解釈です。統計的に有意な差があったとはいえ、それが実際の教室でどれほどの意味を持つのかは、別に考える必要があります。たとえば、テストの点数が5点上がることと、実際のコミュニケーション能力が向上することは、必ずしも同じではありません。

生徒たちの声が伝えるもの

この研究の価値は、数値だけでなく、生徒たちへのインタビューからも明らかになります。20人の生徒が実験後にインタビューを受け、その発言は四つの大きなテーマに分類されました。

まず「構成的な側面」として、生徒たちは意味を作り出すことが容易になったと語っています。ある生徒は「教材がとても重要でした。トピックを理解して友達と議論できました」と述べています。これは、母語を使うことで内容理解が深まり、その結果として英語での議論も可能になったことを示しています。

次に「認知的な側面」では、生徒たちが自分の持っている言語資源すべてにアクセスできることの意義が語られています。ある生徒は「私たちは翻訳をしていないので本当の学習を実現していないと思っていました。しかし、翻訳以上のことができると気づいた時、私はより幸せになりました」と述べています。この発言は、従来の翻訳中心の授業に慣れていた生徒が、言語を使うことの本質に気づいた瞬間を捉えています。

「相互作用的な側面」では、本物のコミュニケーションができるようになったという感想が多く見られました。ある生徒は「私たちはコミュニケーションを続け、考えや感情を伝えました。授業は水のように流れました。私たちは言語を同時に使いながら、クラスメートと常にコミュニケーションをとっていました。素晴らしい気分でした」と表現しています。

最も多く語られたのが「情緒的な側面」でした。生徒たちは、安心感、快適さ、モチベーションの向上を報告しています。特に印象的なのは、ある生徒の「英語で話すことを強制されなかったので授業が好きでした。準備ができたと感じた時、自動的にそうしていることに気づきました。英語で自分の考えを表現していたのです」という言葉です。これは、強制されない環境が、かえって自発的な英語使用を促したことを示しています。

研究の強みと独自性

この研究には、いくつかの重要な強みがあります。第一に、量的データと質的データの両方を収集した混合研究法を採用している点です。テストの点数だけでなく、生徒たちの実際の経験や感じ方を丁寧に聞き取っている点は評価できます。

第二に、比較対照が明確であることです。単に「トランスランゲージングが良い」というのではなく、文法訳読法との比較、コミュニカティブ・アプローチとの比較という二つの比較を行うことで、より説得力のある議論を展開しています。

第三に、10週間という一定期間にわたって継続的に実践を行っている点です。短期間の実験では見えないような変化や効果を捉えることができます。

第四に、トルコという文脈での研究である点も重要です。英語教育の研究は欧米中心になりがちですが、この研究は非英語圏の教室で何が起こっているかを示しており、同じく非英語圏である日本にとっても参考になります。

方法論における課題と限界

しかし、この研究には方法論上のいくつかの課題も指摘できます。

最も大きな問題は、研究者自身が教師であることによるバイアスの可能性です。Yuzluは研究の目的を知っており、どのグループがどの指導法を受けているかも把握しています。このような状況では、無意識のうちに実験群により熱心に指導したり、より丁寧なフィードバックを与えたりする可能性があります。論文では「量的データがあるので主観性は最小化される」と述べていますが、教師の態度や熱意は生徒の学習に大きく影響するため、この点は慎重に考える必要があります。

また、対象となった生徒たちが全国でも上位3パーセントに入るような優秀な学生であったことも、結果の一般化を難しくしています。このような優秀な生徒だからこそ、トランスランゲージングのような高度な言語操作ができた可能性があります。平均的な学力の生徒や、学習に困難を抱える生徒でも同様の効果が得られるかは、また別の検証が必要でしょう。

さらに、10週間という期間は、ある意味では「ハネムーン期間」とも言えます。新しい教授法に対する新鮮さや興味が、効果を押し上げている可能性があります。この効果が長期的に持続するのか、あるいは時間とともに薄れていくのかは、この研究だけでは判断できません。

統計分析の妥当性について

統計分析については、共分散分析(ANCOVA)を用いて、事前テストの成績を統制した上で事後テストの差を検証している点は適切です。しかし、いくつか気になる点があります。

一つは、多重比較の問題です。この研究では、聞く、話す、読む、書くという四つのスキルをそれぞれ分析していますが、複数の検定を行うことで、偶然に有意差が出る確率が高まります。この点について、Bonferroni補正のような統計的な調整が行われていないことは、結果の解釈を慎重にする必要性を示唆しています。

また、効果量の報告は評価できますが、その解釈には注意が必要です。Cohen’s dで1.03という値は確かに大きいですが、これはグループ間の平均値の差を標準偏差で割ったものです。テストの点数でいえば、平均で約5点程度の差があったことになりますが、この差が実際の英語運用能力においてどれほどの意味を持つかは、別に考える必要があります。

質的データの分析について

インタビューデータの分析には、グラウンデッド・セオリーという手法が用いられています。これは、データから帰納的に理論を構築していく方法で、生徒たちの生の声から意味を汲み取るには適した方法です。

20人の生徒から166の回答を得て、それを15のカテゴリーに分類し、最終的に四つの大きなテーマにまとめています。コーダー間信頼性が90パーセントであることも、分析の信頼性を高めています。

ただし、インタビューを受けたのは「ボランティア」の生徒たちです。自ら進んでインタビューに応じた生徒は、もともとトランスランゲージングに対して好意的だった可能性があります。否定的な経験をした生徒や、あまり効果を感じなかった生徒の声が十分に拾われていない可能性は否定できません。

理論的な貢献と課題

この研究の理論的な貢献は、トランスランゲージングという比較的新しい概念を実証的に検証したことにあります。Garcia(2009)が提唱した理論的な枠組みを、実際の教室で実践し、その効果を示したことは価値があります。

しかし、理論的な深まりという点では、やや物足りなさも感じます。なぜトランスランゲージングが効果的なのかというメカニズムについて、より深い考察があれば、さらに価値のある研究になったでしょう。たとえば、認知心理学的な観点から、母語を使うことが作業記憶にどのような影響を与えるのか、あるいは第二言語習得理論の観点から、言語間の転移がどのように起こっているのかといった議論があれば、より説得力が増したはずです。

実践への示唆とその限界

この研究から得られる実践的な示唆は明確です。英語だけで教えることに固執するよりも、学習者の母語を戦略的に活用する方が、学習効果が高い可能性があるということです。

しかし、この示唆をそのまま他の文脈に適用することには慎重であるべきです。トルコの高校という特定の文脈で、特定の教師が、特定の生徒たちに教えた結果であることを忘れてはいけません。

たとえば、日本の英語教育に応用することを考えてみましょう。日本の教室は、トルコとは異なる文化的背景を持っています。日本では「間違いを恐れる」文化があり、母語を使える安心感が英語使用を促すという効果は、より大きいかもしれません。一方で、日本の学習指導要領は「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と定めており、制度的な制約もあります。

また、すべての教師がトランスランゲージングを効果的に実践できるわけではありません。Yuzluは博士課程で二言語教育について専門的に学び、17年の教職経験を持つベテラン教師です。このような高度な専門性を持つ教師だからこそ、効果的な実践ができた可能性があります。

文化的・政治的な文脈の重要性

この研究を読んで印象的だったのは、言語教育が単なる技術的な問題ではなく、文化的・政治的な意味を持つということです。

論文の中で、生徒の一人が「私たちが英語を話しているふりをやめたことで、自分に正直になれた気がしました」と述べている部分があります。これは、英語だけで授業を行うことが、ある種の「演技」を生徒に強いていたことを示唆しています。グループディスカッションで、教師が近づくと「Really?」「I think so」といった決まり文句だけを言い、教師が去ると母語に戻るという行動は、多くの日本の英語教師にも見覚えがあるのではないでしょうか。

トランスランゲージングは、この「演技」から生徒を解放し、本当の意味でのコミュニケーションを可能にする可能性があります。しかし同時に、英語だけで授業を行うことを理想とする考え方に対する挑戦でもあります。この点で、トランスランゲージングの導入は、単なる教授法の変更ではなく、言語教育の理念そのものを問い直す行為でもあるのです。

今後の研究への期待

この研究を踏まえて、今後どのような研究が必要かを考えてみましょう。

まず、異なる学力レベルの生徒を対象とした研究が必要です。優秀な生徒だけでなく、平均的な学力の生徒や、学習に困難を抱える生徒にとっても、トランスランゲージングが効果的なのかを検証する必要があります。

次に、長期的な効果の検証です。この研究は10週間という比較的短期間のものでした。1年、2年、あるいはそれ以上の長期にわたって効果が持続するのか、あるいは新鮮さが失われると効果も薄れるのかを調べる必要があります。

また、異なる教師が実践した場合の効果も検証すべきです。Yuzlu以外の、様々な経験年数や専門性を持つ教師が実践した場合にも、同様の効果が得られるのかを確認する必要があります。

さらに、トランスランゲージングの「最適な比率」についても研究が必要です。この研究では母語と英語を50対50の割合で使用していますが、この比率が最適なのか、それとも学習者のレベルや学習目的によって調整すべきなのかは、まだわかっていません。

日本の英語教育への示唆

この研究は、日本の英語教育にも重要な示唆を与えます。日本でも「オールイングリッシュ」の授業が推奨されていますが、実際には多くの生徒が理解に苦しんでいる現状があります。

トランスランゲージングの考え方は、この問題に対する一つの解決策を提示しています。日本語を排除するのではなく、戦略的に活用することで、より深い理解と、より自然な英語使用を促すことができる可能性があります。

ただし、日本の文脈では、いくつかの調整が必要でしょう。たとえば、日本語と英語の言語的な距離は、トルコ語と英語よりも大きいため、母語に頼りすぎると英語への移行が難しくなる可能性があります。また、日本の教育制度や評価システムの中で、どのようにトランスランゲージングを位置づけるかという課題もあります。

結びに代えて

この研究は、外国語教育における母語の役割を再考させる重要な一歩です。長年にわたって「目標言語だけを使うべき」という原則が支配的でしたが、この研究は、学習者が持つすべての言語資源を活用することの価値を実証的に示しています。

ただし、トランスランゲージングが万能薬だというわけではありません。研究には方法論上の限界があり、結果の一般化には慎重さが求められます。また、どのような文脈で、どのような学習者に、どのように実践するかによって、効果は大きく異なるでしょう。

大切なのは、この研究を出発点として、それぞれの教育現場で何ができるかを考えることです。画一的な教授法に固執するのではなく、学習者の実態に応じて、柔軟に母語を活用する道を探ることが、今後の英語教育には求められているのかもしれません。

Yuzluたちの研究は、完璧ではないかもしれませんが、重要な問いを投げかけ、新しい実践の可能性を示してくれました。この問いを受け止め、さらに深めていくことが、私たち教育関係者の役割だと言えるでしょう。


Yuzlu, M. Y., & Dikilitas, K. (2021). Translanguaging in the development of EFL learners’ foreign language skills in Turkish context. Innovation in Language Learning and Teaching. Advance online publication. https://doi.org/10.1080/17501229.2021.1892698

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

Amazon プライム対象