研究の出発点―英語だけで本当によいのか

Muhammet Yaşar YüzlüとKenan Dikilitaşによるこの研究”Translanguaging as a way to fostering EFL learners’ criticality in a hybrid course design”は、トルコの高校で英語を学ぶ3人の生徒を丁寧に追いかけたケーススタディです。Yüzlüはトルコ・Zonguldak Bulent Ecevit大学の研究者、Dikilitaşはノルウェー・Stavanger大学に所籍を置く研究者で、両者は長年にわたり外国語教育における実践的な課題に取り組んできました。

この論文が取り組む問いは、私たち日本の英語教育にも深く関わるものです。英語の授業では英語だけを使うべきなのか、それとも母語にも役割があるのか。さらに、オンラインと対面を組み合わせた授業形態は、単なる便宜的な手段なのか、それとも学習者の思考を深める可能性を秘めているのか。

研究者たちが注目したのは「批判的思考力」の育成でした。これは単に与えられた情報を記憶することではなく、なぜそうなのか、どうすればよいのかと問いかける力です。トルコの教育現場では、暗記中心の学習が根強く、生徒たちは教師や教科書の言うことを批判せずに受け入れる傾向があるとされてきました。この状況を変えるために、研究者たちは「translanguaging」という考え方を取り入れました。

Translanguaging―言語の壁を取り払う試み

Translanguagingという概念は、バイリンガルの人々が実際にどのように複数の言語を使っているかという観察から生まれました。従来の考え方では、英語を学ぶときは英語だけ、日本語を使うときは日本語だけと、言語を明確に分けるべきだとされてきました。しかしバイリンガルの人々は、実際にはもっと柔軟です。ある概念を説明するときに、一つの言語では表現しにくければ、自然ともう一つの言語に切り替えます。これは欠陥ではなく、むしろ認知的な強みだというのがtranslanguagingの考え方です。

この研究では、2021年9月から2022年1月まで、週4時間の授業を行いました。オンライン学習システムCANVASを使った非同期学習(週3時間)と、対面でのディベート(週1時間)を組み合わせた設計です。非同期学習では、トルコ語と英語の両方で書かれた読み物や聞き取り教材を提供し、生徒たちはどちらの言語を使って考えてもよいことになっていました。そして対面のディベートでは、オンラインで深めた理解をもとに、英語で議論を展開します。

3人の生徒たち―それぞれの道のり

研究者たちは、学校のErasmusプロジェクト(欧州の交流プログラム)に熱心に参加している6人の生徒に声をかけ、そのうち3人が参加を決めました。15歳のAzra、Serdar、Cannurです。3人とも10年間英語を学んできており、英語レベルはB1(中級)と判定されていました。しかし彼らの背景や考え方は異なっていました。

Azraは私立学校で英語を週10時間学んできた生徒で、当初は「ネイティブスピーカーのような流暢さ」を目指していました。英語だけで学ぶことが正しいと信じていたのです。しかし授業が進むにつれ、彼女の考え方は変わっていきました。リフレクティブペーパー(振り返り記録)には、こう書かれていました。「CANVASで時間制限なく、あるテキストから別のテキストへ自由に移動できることは、トピックを深く理解するための大きな利点だと思います」

3週目のリフレクティブペーパーでは、さらに踏み込んだ記述が見られます。「このコースに参加するまで、英語のスピーキングスキルやアクセントを向上させることばかりに焦点を当てていました。でも今は、情報を使って問いかけたり、考えたりすることの方が重要だと感じています」。これは大きな転換点でした。言語の流暢さという表面的な目標から、その言語を使って何を考え、何を問うかという、より本質的な目標へと意識が移っていったのです。

Serdarは公立学校で英語を週4時間学んできた生徒で、コンピュータと英語が生活の重要な部分だと語っていました。興味深いことに、彼は最初から「英語の授業にもトルコ語の居場所があるべきだ」と考えていました。小学校時代、英語だけで話す教師のクラスでは、生徒たちは一年中ほとんど沈黙していたこと、一方で必要に応じてトルコ語の使用を認めた教師のクラスでは、生徒たちがもっと積極的に、そして英語でも話すようになったことを覚えていたのです。

コースの中盤、Serdarのリフレクティブペーパーには次のように書かれていました。「トルコ語と英語でトピックの本質に入り込むことで、どうやって、なぜと問うことができるようになりました。対面のディベートの後、頭の中がずっとクリアになりました。CANVASでの議論は、トピックについて何度も考えるのに役立ち、新しい質問を生み出して、それを対面のディベートで深く議論できました」

Cannurは私立学校で英語を週10時間学んできた生徒で、3人の中で最も強く「英語だけ」の方針を支持していました。「教育を通じて、ずっと英語にさらされ、英語だけを使うよう強制されてきました。教師たちは、トルコ語が理解でき話せても、常に英語で話していました。これが正しいやり方だと思います」。このような確固たる信念を持っていたCannurでしたが、授業が進むにつれて揺らぎが見られるようになりました。

コースの中盤、彼女はこう書いています。「過去には、英語でものを議論する前に、常に英語を使っていました。でも、トルコ語でテキストを読んだり動画を見たりすることは、私が想像していたよりもずっと興味深い経験になりました。トルコの文脈で反対の見方や似た見方を見ることができたからです。それは一種の啓発でした」

オンラインと対面の相乗効果

この研究で特に注目すべきは、オンラインと対面という二つの学習環境をどう組み合わせたかです。CANVASでの非同期学習では、生徒たちは自分のペースで教材を読み、聞き、考え、議論に参加できました。これは「探索(explorar)」と「評価(evaluar)」の段階です。トルコ語の教材も英語の教材も用意されており、生徒たちは必要に応じて両方を使って理解を深めていきました。

たとえば、ある週のテーマが「娯楽」だったとします。生徒たちはまず、地元の音楽ジャンルと海外の音楽ジャンルを分析する読み物を読みます。トルコ語の記事もあれば英語の記事もあります。聞き取り教材も同様です。そしてオンラインのディスカッションフォーラムで、どちらの言語を使ってもよいという条件で、自分の考えを書き込みます。他の生徒の意見を読み、コメントし、考えを深めていきます。

この段階で重要なのは、時間制限がないことです。Azraが述べたように、「あるテキストから別のテキストへ自由に移動」し、「一時停止したり巻き戻したりしながら動画を見て、トピックについて深く考える」ことができました。急いで答えを出す必要がないので、じっくりと考えることができるのです。

そして週1回の対面セッションでは、オンラインで深めた理解をもとに、英語でディベートを行います。これは「想像(imaginar)」「発表(presentar)」「実行(implementar)」の段階です。ここでも、必要に応じてトルコ語と英語を行き来することが認められていました。

Serdarの言葉を借りれば、「CANVASは食事を作るキッチンのようなもので、トルコ語と英語の材料を使って料理します。そして対面のディベートは、その料理を味わい、好き嫌いを表現し、より良いものや、すでに食べたものについて詳しく考えるダイニングルームのようなものです」。このメタファーは、二つの学習環境がどのように補完し合っているかを見事に表現しています。

批判的思考の芽生え―3人それぞれの成長

研究者たちは、批判的思考を3つの要素から捉えています。一つ目は「解放(emancipation)」―自分の現実を変え、別の現実を受け入れること。二つ目は「実践(praxis)」―行動と省察を通じて世界を変革すること。三つ目は「文化(culture)」―自分が存在する文脈に基づいて評価し、理性的に判断する能力です。

Azraの場合、「言語的解放」が顕著でした。当初の「英語だけ」という信念から、母語と外国語の両方を使うことの価値へと意識が変わっていったのです。最終的なリフレクティブペーパーで彼女はこう書いています。「英語を聞いて話すことだけで英語が上達すると思っていました。でも、オンラインプラットフォームCANVASでトルコ語を使うことによっても英語が上達したことがわかります」

これは単なる学習方法の発見ではありません。より深いレベルでの自己理解、つまり自分がどのように学び、どのように考えるかという理解の変化です。彼女は授業の最後に、「異なる視点からトピックを見るだけでなく、異なる視点から自分自身を見て、自分の強みと弱みを理解することを学びました」と述べています。

Serdarの成長はさらにドラマチックでした。彼は批判的思考を行動に移したのです。最終インタビューで彼は、「文化の類似点と相違点を知り、紹介するためにVloggerになることを決めました。トルコ語と英語の両方を使います」と語りました。これはまさに「実践(praxis)」です。学んだことを自分の行動に変え、世界に働きかけようとしているのです。

Cannurのケースは最も複雑でした。彼女は批判的思考の芽生えを見せながらも、根深い「英語だけ」の信念と葛藤していました。「トルコ語を使えることを知っていても、CANVASでは英語で書こうと自分に強制してしまいます。正しいことをしていないような気がするのです」。しかし彼女は同時に、「英語のテキストを分析しているときでさえ、トルコ語を使っていることに気づきます」とも述べています。

これは研究者たちが「共生的関連性(symbiotic relatedness)」と呼ぶ現象です。生まれ育った文化や教育環境が、新しい学び方を受け入れる際の障壁となるのです。Cannurは最終的に、「物事に疑問を持ち、解決策や議論を考え出すのは素晴らしいことです。でも、私たちは物事を変えることはできないと思います。変化は上から下へと起こるものです。だから、私の優先事項は英語の熟達度を向上させることであるべきです」と述べました。批判的な意識を示しながらも、大きなレベルでの変化を起こす力があるとは感じていないのです。

日本の英語教育への示唆

この研究は、日本の英語教育にもいくつかの重要な示唆を与えてくれます。

まず、「英語だけで教える」ことが必ずしも最良の方法ではないという点です。日本でも「オールイングリッシュ」の授業が理想とされることがありますが、この研究は、母語にも重要な役割があることを示しています。特に、深く考え、批判的に分析するという高次の認知活動においては、母語の支援が有効である可能性があります。

もちろん、これは「日本語で説明すればよい」という単純な話ではありません。この研究で重要なのは、生徒たちが自分で判断して、必要に応じて言語を切り替えられる環境が用意されていたことです。教師が「ここは日本語で説明します」と決めるのではなく、学習者自身が「このアイデアは英語で考えた方がしっくりくる」「この概念は日本語で整理してから英語で表現しよう」と選択できる自由です。

二つ目の示唆は、オンラインと対面を組み合わせた学習の可能性です。COVID-19のパンデミックを経て、多くの学校でオンライン学習の経験が蓄積されました。しかし往々にして、オンライン学習は「仕方なく」行う代替手段として捉えられがちです。この研究は、オンライン学習には独自の強みがあることを示しています―自分のペースで学べる、何度でも見直せる、じっくり考える時間が取れる、といった強みです。

日本の英語の授業でも、たとえば予習段階でオンラインの学習管理システムを使い、英語と日本語の教材を組み合わせて提供し、生徒たちがディスカッションフォーラムで考えを深める。そして授業では、その理解をもとに議論やプレゼンテーションを行う。このような設計は、この研究が示すように、批判的思考を育てる可能性があります。

三つ目の示唆は、批判的思考の育成には時間がかかるということです。3人の生徒たちは、それぞれ異なる速度で、異なる軌跡をたどって成長しました。Serdarのように比較的早く新しい考え方を受け入れる生徒もいれば、Cannurのように根深い信念と葛藤しながらゆっくりと変化する生徒もいます。これは、批判的思考の育成を一学期や一年の短期的な目標として設定するのではなく、長期的な視点で取り組む必要があることを示唆しています。

研究の限界と今後の課題

研究者たち自身が認めているように、この研究には限界があります。最も明白なのは、参加者が3人だけという点です。この3人は自発的に参加を決めた生徒たちで、もともと英語学習や異文化交流に興味を持っていました。より広範な生徒集団―たとえば英語が苦手な生徒や、オンライン学習に抵抗感のある生徒―でも同じ結果が得られるかはわかりません。

また、この研究はトルコという特定の文化的・教育的文脈で行われました。トルコの教育システムでは、暗記中心の学習が根強く、批判的思考はあまり重視されてこなかったとされています。このような背景は、日本の教育文化とも共通する部分がありますが、同時に独自の側面もあります。研究結果を他の文脈に適用する際には、慎重さが必要です。

さらに、この研究では批判的思考の「発達」を追いましたが、その「持続性」については明らかではありません。授業が終わった後、生徒たちは批判的思考を続けるのか、それとも元の学習スタイルに戻ってしまうのか。長期的な追跡調査があれば、より完全な理解が得られるでしょう。

おわりに―言語教育の本質を問い直す

この研究が私たちに投げかけているのは、言語教育の本質に関わる問いです。英語教育の目的は何なのか。ネイティブスピーカーのような流暢さを身につけることなのか、それとも英語という言語を道具として使い、世界について考え、問い、行動する力を育てることなのか。

Azra、Serdar、Cannurの3人の軌跡は、後者の可能性を示しています。彼らは英語の授業を通じて、単に英語が上手になっただけでなく、物事をより深く考え、問いかけ、自分自身を省察する力を育て始めました。Serdarが「言語は目的のための道具です。私たちがそれらを使う限り、違いを生み出すことができます」と述べたように、言語は目的ではなく手段なのです。

もちろん、これは流暢さや正確さが重要でないという意味ではありません。しかし、それらは最終目標ではなく、より大きな目標―批判的に考え、創造的に表現し、世界に働きかける力―に向かうプロセスの一部なのです。

日本の英語教育も、長年にわたって「使える英語」を目指して改革を重ねてきました。しかし「使える」とは何を意味するのでしょうか。この研究は、それが単なるコミュニケーション能力以上のものであることを示唆しています。母語と外国語を柔軟に使い分けながら、批判的に思考し、創造的に表現する力。そのような力を育てることこそが、21世紀の言語教育の目標なのかもしれません。


Yüzlü, M. Y., & Dikilitaş, K. (2022). Translanguaging as a way to fostering EFL learners’ criticality in a hybrid course design. System, 110, Article 102926. https://doi.org/10.1016/j.system.2022.102926

 

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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